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極相色彩のケイオスライン  作者: 路崎舞
第一章『遡行する運命』
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第一章3話『祈り』

「――美味しい」


 とは、サンドラに連れられて入ったレストランで、レティシアが思わず零した言葉だった。


 モチモチの生地に、味わい深いミルクが練り込まれているパンだ。見た目はふわふわしていながら、歯を入れるとしっとりとした感触が返って来る。優しく包み込むようなパンの香りと、安心感を覚えるミルクの匂いが丁度いい塩梅で、食欲が進む。


 ――レストランに寄る前、応急処置としてサンドラの予備のスカートを貸してもらった。お店で服を見繕うのは食事を終えた後とのことで、取り急ぎだ。


 レティシアとしてはあのまま着ていても不都合は無かったのだが、「レティーはもっと自分を大事にしなきゃ。血も付いちゃってるし、これからはそんな格好で外歩いちゃダメだからね?」とサンドラにお説教されてしまったのだから、仕方ない。


「でしょ!! アタシのお気に入りなんだ〜このお店。特にこのクリームシチューが蕩けるのなんのっ!」


「――ぁ」


 頬を両手で挟み、「ん〜〜!」と端正な顔を崩して味わうサンドラ。彼女が食べているクリームシチューに目を向ける。


 確かに、見るからに美味しそうだ。あれで美食家のサンドラオススメ料理というだけはある。ジャガイモやニンジン、それとキノコが心地良さそうに表面に顔を出し、その更に表面に点在している緑の島々が、真白の海との対比を一層強めている。

 白の水面から立ち上がる湯気に乗って、対面に座るレティシアの鼻腔へと濃厚な香りが漂ってくる。


 少し分けてくれないか、そうお願いしようとした時、突如としてある映像が脳裏を鮮烈に過ぎった。それは、クリームシチューの白より白く、湯気より温かい治癒魔法を扱う、怯えながらも勇敢な肉で――、


「――ィー、レティー? おーい、聞こえてる?」


「…………サンドラ?」


「そうだよ? 太陽の如き明るさでっ、血生臭い戦場をひた照らすっ、世界最後の希望の光っ! サンドラ・ミリエスタさんとはアタシのこと! ――そんなボーっとしてどうしたの? なんか様子おかしいなーって薄々思ってたけど、戦場で何かあった? アタシで良ければ話聞くよ?」


 心ここにあらずであったレティシアの顔を覗き込み、サンドラが心配の眼差しを向ける。その気持ちは嬉しいが、心配を解消しようにも、レティシアでさえ自分に何があったのかを認識できていないので心苦しい。


 だから、せめて正直に答える事にした。元よりレティシアは嘘をつけない性質なのだが、それとは関係なく――そうしたいと感じて、「訓戒」から逸脱していないことを確認して、そうする事にした。


「ありがとう。でも、大丈夫。というより、私自身にも何が何だか分からないんだ」


「……へぇ、全てを自分色に染め上げちゃうあの『侵色』さんにも、思い悩む事があるんだねぇ〜」


「からかわないでよ、『紅光(こうこう)』。私だって、困惑してるんだから。――今まで、こんな事は無かったのに」


「……ふーん」


 ボソボソと呟いた言葉を聞かれてしまったのか、机に肘をつき、レティシアの話を聞くサンドラの目尻が下がる。


 仮に聞かれてしまったとしても、そのような反応になるのは不可解だったが、サンドラが何やらまじまじとこちらの顔を覗き込んでいて、何となく居心地が悪い。


 彼女は暫くそうしていると、何かを心得たのかゆったりと首を縦に振り、「そっかそっか〜」と感慨深げに目を瞑った。


「遂に、あの他人に興味のないレティーにも、春が来たんだねぇ」


「……何でかな。意味が分からないのに貶されてるってことだけは伝わってくるよ」


「あはは〜……とりあえず、それで悩んでるんなら大丈夫だよ。思う存分、思い悩んでくれたまえ」


「――無責任」


「ちゃ〜んと責任は取るつもりだよ〜。ほら、相談にも乗るからっ。ね? まずは手始めに――何を見た時にボーっとしちゃったり、考えたりしちゃうの?」


 そう尋ねられ、自然に視線が移ったのは、未だ湯気の消えないクリームシチューだった。


「白。白いもの」


「ふーむ、色ときたか〜。これまた重症ですなぁ。なら、白いものを見るとどんな気持ちになるの? 漠然としてていいし、拙くても問題ないから、試しに口に出してみて」


「私の気持ち――」


 思い出されるのは、白髪の白肉と初めて感じた温もり。思えば何かを斬る事に躊躇したのはあれが初めてだった。


 これまでレティシアは、生きる為にするべき事だけを淡々とこなして来た。そこを違えたことは、この十六年で一度も無かった。その、唯一無二の例外中の例外が、あの瞬間だった。

 あの瞬間、レティシアは人生で初めて生きることを忘れ、それ以外の何かに身体の制御権を奪われた。


 当時のことは自分自身ですらも理解できていない。何もかもが未知で、何もかもが許容範囲外のことで、何もかもが理解不能だった。


 ――そうだ。あの時から、レティシアは「白」に取り憑かれていた。日常生活で「白」を見ると、無意識に治癒魔法の感覚と、あの戦意に震えた蒼眼が鮮明に蘇る。


 つまり、レティシアの脳を狂わせている原因は――、

 

「レーティーシーアー」


「痛」


「何度呼んでも反応無いんだもん。デコピンぐらい我慢してよね、まったくもうっ」


 両手を腰に当て「ふんっ」と怒ったような演技をするサンドラ。それをみてレティシアはフッと口角を緩めて笑った。


「――あのね、レティシア。この世に変わらないものなんて無いんだよ」


「……いきなりどうしたの?」


「いーからいーから。で、話の続きね。この世に永遠は無い。たとえ千年樹で構成された大森林があったとしても、大嵐がきたら暴風に耐えきれなくなった木々が倒れて、森林の所々に穴ができちゃうの。でもね、レティー――そこからは、新しい命が芽吹くんだよ」


 一つ一つの紐を解くように優しく話すサンドラの、語っている内容は理解できた。しかし、突然この話をレティシアに聞かせようとしたサンドラの意図が、どうしても読めない。


「それと同じで、アタシたちにも不変なんてないんだよ。だから、迷う事を、悩む事を、分からない事を切り捨てちゃダメ。だって、洪水で破壊された更地には、綺麗な花の種を植えなきゃ勿体無いでしょ?」


「……でも、私には生きる『道標』さえあればいい。花は必要ない」


「――そっか。でもね、レティー。いつの日か、何もかもがしっちゃかめっちゃかになっちゃって、『生き方』すら忘れちゃった時には、この言葉を思い出してよね」


「その機会は訪れないから安心して、サンドラ。だって――『生き方』に従えている限り、私は死なないから」


 それはレティシアが唯一確信している事実であり、レティシアがレティシアである根幹でもあった。


「――どう? 少しは楽になった?」


「……そうみたい。ありがとう、サンドラ」


「えへへっ、どういたしまして〜」


 そう言い、サンドラはニパッと笑顔を咲かせた――のも束の間、すぐに意地の悪い表情になり、ニマニマとこちらを見る。


「とーこーろーでー。相談に乗ってあげたのに、何も返礼がないっていうのはよくないよね?」


「――何が欲しいの?」


「ふふーん……誰をっ!? 誰を思い浮かべたのっ!? ねぇ教えてっ! レティーを悩ませてる果報者は一体誰なのっ!?」


 静寂から一転、勢いよくドン、と机に身を乗り出し好奇心に目を輝かせたサンドラが詰め寄ってくる。そのあまりの勢いに気圧され、咄嗟に言葉が出なかった。


「それは――」





『『侵色』『紅光』、共にいるか?』


「――ちっ、タイミング悪いの〜」


 そうして言い淀んでしまったレティシアの返答は、空気の読めない慮外者によって阻まれた。


 音の発信元は自動無線機だ。魔力を動力源に稼働するこの装置は、レティシアの住む️ソランデュー王国秘伝のものだ。これさえあれば、いつでもどこでも同じ端末を所持している人間とやりとりができる。今回のこれも、その例の一つだ。


 わざわざ二人で出る必要はないため、代表として明らかに表情が曇っているサンドラが応答し始めた。


「はーい? もしもし隊長。今アタシとーーーっても機嫌悪いんですけど」


『️良かったいるんだな? ――暫定ランゴルマージ帝国の間者がソファラ地区に火を放ち、暴虐の限りを尽くしている。至急応援を頼む』


 





 

「――は?」


 驚愕に目を見開くサンドラが思わず声を漏らす。あまりに意識の外の話すぎて、レティシアの脳にもポカンと空白が生まれた。


 ――ソファラ地区とは、王都における観光地の一つである。特に、地区の中心にあるハーミアー広場の噴水は有名であり、国内外問わず観光客がしばしば訪れる。

 そのソファラ地区が襲撃を受けた。それが意味する所は想像にかたくない。

 

 これまでの戦争は、王都という日常から戦場という非日常へと自ら赴くものだった。勿論、出征前に覚悟は決めてあるし、装備だって万全を期す。死が蔓延る非日常へと飛び込む決意を固めた者だけが、日常を一時的に離れる代償を支払うのだ。


 しかし、今回のこれは違う。日常から非日常へ向かうのではなく、日常そのものが非日常に成ったのだ。覚悟なんて持ち合わせがないし、装備も不完全――それは特に一般市民に適合する。



 レティシアとサンドラが隊長から話を聞いた時には既に、活気溢れる王都――ソファラ地区の日常は唐突に破壊され、不可逆の非日常へと上塗りされていた。

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