第一章終幕『新色』
――イリスと別れた後、レティシアは一人での生活を送っていた。着る服も食事も髪型も自分で「思考」して決めるのは大変で、失敗もそれなりにしたが、不思議と嫌ではなかった。
以前はその辺りをサンドラが支援……もとい決めてくれていた。だが、サンドラ亡き今、レティシアは身の回りの全てを自分で判断しなければならない。
イリスが目覚めてからはよく寝付けるようになり、この三日でレティシアは心も体も十分に休ませられた。
そして、遂に約束の三日目を迎える。身支度を済ませ、ケープを身に纏い、指定された場所へと赴く。
王都壁面にある、それなりに広い塔――その、気が遠くなるような螺旋階段を登り切り、
「……おはよう、イリス」
「あ、レティシアさん! おはようございます」
穏やかな風に靡く白髪――ベンチに座り、外の景色を眺めているイリスに声をかける。彼女はレティシアの方を振り返り、満面の笑みで歓迎してくれた。
「ほら、レティシアさんも。こちらに座ってください」
と、ニコニコしているイリスに促されるまま、レティシアもイリスの隣に腰掛ける。
「――全て、終わったんですね」
「うん――振り返ってみると、意外とあっという間だった気がするよ」
同じ長椅子を共有し、隣でぼんやりと呟くイリスにそう応答する。
この三日間で、世界情勢は大きく揺れ動いた。国民投票の結果六〜七割の賛同の声が集まり、フォレオスの王位が承認、即座にフォレオスはネヘランドミルとの提携を取り付けた。同時に帝国側にも三国首脳会談提案の旨を書簡で送り、皇帝との和平交渉を着実に推し進めている。皇帝の方はそろそろ返事が来る頃だろう。
彼の王は、他にも三十ほど世界平和実現の為の具体的な手立てを考案しているらしい。きっとこれから、フォレオスの十五年間――もとい三十八年間が次々と実を結んでいき、世界中を震撼させていくことだろう。
――まだ、課題は山積みだ。だが、それでも、確かな明るい未来へと向かっている実感がレティシアにはあった。
「――あ! あれ、見てください」
何かに気が付いた風なイリスの指差す方角へと目を向けると、前方遥か遠く、かつてレティシアが『侵色』した黒土に赤い点が見えた。よく目を凝らすと、それは花のようだった。
「あなたが染めた黒からも、命は芽吹くようですよ、レティシアさん」
「…………」
言葉が出ない。何度目を擦っても、赤い花はレティシアの視界から消えない。あの花は、レティシアが死で上書きした大地に咲いている。見た事実が全て、それ故にレティシアは自身の目の異常を疑う。
だが、隣を見ると穏やかな顔で同じ景色を目に映すイリスが違和感なく目に映る。視力は正常のようだ。
そうしてレティシアが現実を上手く受け入れられずにいる中、イリスは外を眺めたまま言葉を継ぐ。
「――あなたは、数え切れない無辜の命をその手で奪ってきました。それが戦争を背景にした洗脳教育の結果だったとしても、あなたによって、多くの帝国人と、彼らと繋がりのある人々の未来が永久に失われた事実は変わりません。ですから、たとえ私があなたに歩み寄ったとしても、世界が、あなたを許しません」
事実だ。それが、数多くの肉を――いや、人間を切り刻んできたレティシアの罪。変えることのできない過去。レティシアの全てを費やし、一生をかけて贖ってなお余りある過ちだ。
「……そうだね。私は、数え切れない過ちを犯した。人の命を、数えてすらいない数の帝国の人達の人生を、この手で刈り取った。私は、許されちゃいけない人間だよ」
環境が、教育がどうあれ、実際にその道を外れることを選ばず、「訓戒」に従い続けたのはレティシア自身に他ならない。全ての罪過はレティシアにあり、他の事象は間接的要因に過ぎない。
「――そうですね。あなたは一生その罪からは逃れられません。逃れてはいけません。――だから、一緒に償っていきましょう」
「――え?」
だから、悩んでもがいて苦しみ続けて、人々に尽くし続けて償わなければならない。レティシアの中ではそう続いていた文脈を、イリスが断ち切る。彼女は驚くレティシアに向き直り、その瞳をじっと見つめ、真剣な面持ちで続ける。
「あなたのした事は変わりません。ですが、あなたがこれからする事は変えることができます。これまで奪ってきた分、人に尽くすんです。どれだけ自分を犠牲にしても、遺族から石を投げられても、史上最悪な魔女だと両国民から糾弾されても――彼らに貢献し続けるんです。それが、大罪を犯したあなたができる償いだと、私は考えています」
そう。それは、レティシアが予想していて、自分に課した償いだ。
――その、落ち着いた口ぶりから想像するに、イリスはこの三日のうちに、レティシアにかける言葉を精査していたようだ。だから続けて、レティシアの自認を覆す何かをイリスは必ず提示する。
「――そして、疲れ果てて、苦しさに耐えられなくなって、痛くて辛くてどうしようも無くなった時には、私があなたを癒します。傷付いた心と体が癒えるまで、私があなたに付き添います。あなたは――レティシア・パレットは、独りじゃありません。『侵色』に全てを上書きされ、奪われた人々の希望と尊厳を、あなたと私で取り戻すんです」
レティシアは独りじゃない――そう真剣な眼差しで告げられ、ハッとした。
気付いたのだ。王国で次なる任務を待っている時、イリスに全てを打ち明けた時、レティシアの周りには、多くの友好的な人間がいたことに。レティシアも、彼らを好ましく思っていたことに。
だが、だからこそ、レティシアは幸せになってはいけないと思う。孤独の果てに苦しみ続けて贖罪の道を歩まなければならないと、そう思う。
残された人々にも、レティシアにとってのお父様やニック、サンドラといったように友好的な人間がいたはずだ。そういった大切な人達を、レティシアは無慈悲に不可逆に『侵色』した。そんな人間に、どうして友達を持つことが許されよう。彼らにとっての大切な人は、二度と会えないというのに。
「……で、でも、私が殺した人達は戻らない……」
「えぇ、そうですね。その通りです。あなたが犯した罪は重く、失われた命は帰ってきません。なので、レティシアさんが殺めた人それぞれに罪を償うことはできません。できたとしても、独り善がりな自己満足が関の山でしょう」
手をひらひらと振り、首を横に振るイリス。しかしそこで「ですが」と否定し、再びレティシアに語りかける。
「今現在も苦しみ続けている彼らと関わりがあった人や遺族に対しては、行動が起こせます。直接の被害はなくともその所業を糾弾する王国の人達に対しても、その命を守ることができます。未来永劫あなたを許さず、恨み蔑み、その凄惨な死を懇願する生者が少しでも幸せになれるよう、私達で尽くすんです」
そう、慈愛のこもった眼差しでこちらを見るイリスは、正しく『聖女』だった。
滅私奉公を体現したその在り方に、それが罪深き自分へと向けられている事実に、レティシアは困惑と不安を感じずにはいられなかった。
「……何で、イリスはそこまでしてくれるの? わた、私は……あなたの友達を、目の前で切り捨てたのに……」
「――――」
震える声を押さえつけ、なんとか言葉にする。気が付くと、膝の上に置いていた自分の手に爪が食い込むほど強く握り締めていて、血が滲んでいた。
それに気付いたイリスが、真隣へとそっと距離を詰め、手に触れ、優しく治癒してくれた。温かい感覚に心を委ねるレティシアに、イリスが悪戯っぽく微笑み、口を開く。
「――さぁ、何ででしょうね。ひとまず、一国の主に反逆した共犯者だからってことにしておきましょうか」
それが建前であることは、流石のレティシアにも容易に察せられた。
「――おーい、お前らー!」
「……と、来ましたね」
と、唐突に背後からこちらを呼ぶ声が聞こえる。ニックだ。
声のする方に体を向けると、螺旋階段を駆け上がり、扉を開けたニックの姿が確認できる。だが、確認できたのはそれだけではなかった。
レティシアの目を一際強く惹き付けたのは、彼の肩を借り歩いている、一人の少女。赤と黒を基調としたドレスを身に纏い、両目を黒い布で深く覆い、記憶では一つに束ねられていた桃髪が今は降ろされている。
――その存在を、太陽のように輝き続ける光を、見間違えるはずがなかった。
「……ぇ…………………… …………ドラ? ――――サンドラぁっ!」
なりふり構わず、少女の元へひたすらに走る。前のめりになり、何度も何度もこけそうになるが、そんな事はどうでもいい。
速く、もっと速く走れ、レティシア。でなくば、彼女がまた手の届かない遠くへと行ってしまう。走れ、走るのだ、レティシア。この目に映るあの少女に、がむしゃらに手を伸ばせ。
無我夢中で走るうちに、視界が曇っていくのを感じる。涙は泣き声に、泣き声は嗚咽に、嗚咽は堪え切れない呻き声に徐々に変化していき、ついには倒れるように眼帯の少女――サンドラへと抱き着いた。
「サンドラっ! サンドラ! サンドラぁ……!」
「うぉ、飛びつくなって! 気持ちは痛いほど分かるけど!」
サンドラ以外、何も感じない。サンドラが、目の前にいる。触れられる。感じられる。それだけで、大粒の涙が勢いを増し、呻き声が涙声に切り替わった。
「――――」
「サン、ドラ! 私、レティシアだよ」
「――――」
「これまで、ごめんね! サンドラは、私の……」
「――――」
「……ね、ねぇ。か、からかわないでよ。へ、返事して……?」
「――あー、レティシア。感動の再会に口を挟むようで悪ぃんだが……」
レティシアの声掛けに何の反応も示さないサンドラの異変に気付いたところで、サンドラ以外の声が――ニック、ニックだ。ニックの声が鼓膜に突き刺さる。
「――話せねぇんだ、今のサンドラは」
「…………………………ぇ?」
――――。
――――――――。
――――――――――。
分から、ない。分かりたく、ない。
「副作用、っつーのも何か違ぇな。今の状態に復元する時、元の形に戻せなかった部位が何個かあってな。それが眼球であり、脳や内蔵であり、声帯だ。なんでもイリスの嬢ちゃんが言うには、サンドラの魔法の本質は外部の干渉遮断と内部の状態保存にあるんだと。爆散した肉片それぞれの細胞が生存のために脳の命令を待たずに各自防御魔法を展開した結果、辛うじて一命はとりとめた……って流れらしい」
「――――」
「はは、意味わかんねぇだろ? だが、事実だ。あいつの身体なんだ。そんぐらい軽くやってのけてもおかしくねえ」
「――――」
「ま、内蔵や脳なんかは欠損箇所が代謝でなんとかなっていくそうだから、しばらくしたら元通りになる。だが、眼球は駄目だ。内部液が漏れ出ちまってるから復元不可。声帯の僅かなズレが声質に致命的な影響を与えるから、完全に修復されるまでは発声禁止――そんな顔すんなって、なにもずっと話せねぇって訳じゃねぇんだぜ? しばらく経ったらあの生意気なバカドラに元通りだよ。な?」
――――――――――。知ら、ない。知りたく、ない。
「ただ、脳の回路が所々切断されてしまっていて、保持していた記憶が全て失われています。これは後々回路が修復されても――元に戻ることは、ありません」
「俺やお前には酷な話だろうがな。こうしてイリスの嬢ちゃんが寝る間も惜しんで命を繋ぎ合わせてくれただけでも超絶感謝だ」
――――――――――。聞きたく、ない………………いや、聞か、なきゃ。聞かなければ。聞かなければ、ならない。前を、前を向かないと。残酷な現実を直視し、受け入れ、変えていかなければならない。そう、「学んだ」。教わったのではなく、レティシアは、フォレオスの演説から、イリスから、学んだ。
「――大丈夫」
サンドラに回した手を離し、ニックにサンドラを受け渡すよう求める。そして慎重にサンドラの手を肩に回し、支える役割をニックから引き継ぐ――瞬間、肩に回したサンドラの左手が、レティシアの肩辺りを二回叩いた。
それは、サンドラが死ぬ数刻前、ニックと話していた最中に道端で遭遇した時の彼女の行動と酷似していて――
「――――ふっ」
驚愕も束の間、思わず吹き出してしまう。吹き出して、自然と口角が上がって、すぐ隣にいるサンドラへと話しかける。
「大丈夫、大丈夫だよ。――だって、サンドラの色は、私が憶えてる」
『迷う事を、悩む事を、分からない事を切り捨てちゃダメ。だって、洪水で破壊された更地には綺麗な花の種を植えなきゃ勿体無いでしょ?』
かつて、サンドラに言われた言葉の意味が、ようやく分かった気がする。たとえ、これまでの記憶が永遠に失われたとしても。――「サンドラ・ミリエスタ」が跡形もなく崩れ落ち、全てを飲み込む虚無が目の前の少女に巣食っていたとしても。
「私が、必ずイリスとサンドラに貰ったこの色で、あなたを塗り直してあげるから」
純黒で塗り潰され、草木一つ生えない裸地に紅花が咲いたように。日常が非日常に上書きされ、突然大切なモノを奪われ絶望の中をさ迷い続けている王国民が、ソファラ地区を戦争の悲惨さを伝える新しい観光地として復興させようと全力を尽くしているように。
――「訓戒」により完全な状態で固定されていた……極相に至っていた混じり気一つない漆黒を、紅と白が優しく薄めてくれたように。
抗いようの無い壊滅に蹂躙され、無に至った彼女の全てを私――レティシア・パレットが『侵色』しよう。これまでのような一方的な上書きではない。ゆっくりと、互いの時間を慈しむように、相手を慮って行う双方向の『侵色』。
それを、レティシアはこの数日で「学んだ」。学んだ成果を以て、新生したレティシア・パレットを以て、荒廃した更地にサンドラと共に新たな「色」を育もう。
「――――」
「――そっか。あの時も、私に伝えてくれてたんだね」
サンドラの口元が、僅かに動く。それは、はっきりと脳裏に焼き付いている、太陽に照らされ死んでいった少女の遺言と同じ形をしていた。
「――イリス」
「――はい、レティシアさん」
「紹介するよ。彼女は――」
目元に隈を浮かべて優しく始終を見守ってくれていた親友に、レティシアはゆっくりと話し始める。
――新たな決意を胸に、運命を乗り越えた少女達は優しく語らい、再び歩み出す。爛々と輝く太陽が、三色の花々を優しく照らしていた。
本日もお読みいただきありがとうございます!
そして、ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございました〜!!
第一章、これにて完結!
大団円ーーとはいかない幕引きでしたが、されど三原色(黒・白・紅)の物語はまだまだ続きます……!
皆様の一読一読が私を生かしているといっても過言ではありません。本当に、いつも元気をもらっております。
この機に再び、皆様に心からの感謝をお伝えします!!幸あれ!!
今後とも、ケイオスラインをよろしくお願いします!
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2026/3/4追記:マシュマロ始めました。
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