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極相色彩のケイオスライン  作者: 路崎舞
第一章『遡行する運命』
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第一章20話『継承』

「…………ん」


 ――イリスにとって、魔力枯渇明けの目覚めは心地いいものではない。言うなれば、無理やり沈められた水中の心地良さに慣れてきた頃、無理やり水上に引き上げられたような感覚だ。泥濘に埋もれた意識の大部分は微睡みの中に取り残され、夢の名残が消えないまま、瞼が開く。


「――あ、起きた?」


「…………おはようございます、レティシアさん」


「ん。おはよう。イリス」


 だが、それも隣で座って見守ってくれていた様子の黒髪の少女――レティシアによって優しく溶かされていく。周囲の泥が消え、だんだんと意識が浮上していく。イリスはまず、状況把握に努めることにした。


 ――まず目が行くのは、殺風景な内装だ。イリスの部屋ほどでなくとも白一色で構成されており、椅子や机、ベッドなど、必要最低限の家具しか置かれていない。

 カーテンが揺らめく窓からは爽やかな風と眩しい陽射しが入り込んでいて、それらがイリスの脳を更に覚醒へと導いていく。


 次に、イリスが横になっている白色のベッド。汚れ一つなく、清潔な状態が保たれている。その傍らに、椅子に座ったレティシアがいるという状況だった。


「ここは……」


「医務室だよ。王国騎士団備え付きの」


 ということらしい。医務室、目に隈ができているレティシア、頬をつねると返ってくる痛覚。


「レティシアさんがここにいるってことは……」


「うん。イリスは死んでないよ。ちゃんと生きてる」


 どうやら、イリスは昏睡から目覚められたようだ。


 ニムレットの忠告を破り、しかも肉体の限界を遥かに超えた出力で治癒魔法を行使したため、今回ばかりは潮時かとも思われたが、何とか命を繋いだらしい。


 となると、次に気になるのは時間経過だ。見たところレティシアの姿形に変化は無いようだが、あれだけの規模だ。これまでの魔力枯渇とは比較にならない月日は覚悟しなければならない。


「あれから、何ヶ月が経過しましたか?」


「何ヶ月? ううん、三日だよ」


 だが、レティシアの返答はイリスの予想を大きく下回っていた。


「三日、ですか……何故、でしょうか」


「私の血を飲んだから」


「いえ、何でもありま…………へ?」


 何故、以前と同じ日数で済んだのか。独り言のつもりだったのだが、レティシアからの返答があり驚く。しかも、その内容があまりにも文脈から乖離しているものだから、脳内を疑問符が埋め尽くす。今、なんと言った……?


「確認させてください。今、レティシアさんの血を私が飲んだと、おっしゃいましたか?」


「うん。間違ってないよ」


「つまり、そのおかげで私の昏睡期間は三日で済んだと、そういうことですか?」


「うん。そういうことだよ」


「あなたの血って、何なんですか?」


「分からない。でも、私なりに予言を解釈してみたら、上手くいったんだ」


「――――えーっと、つまり?」


「私の血には良質な魔力が凝縮されている。よく分からないけど、結果から考えると、多分、そういう事だと思う」


 いまいち確信には至っていないといった風のレティシアだったが、つまりはそういう事らしい。レティシアの血液は魔力の塊。それを――レティシアの血液を、イリスは飲んだ……。


「…………一旦、思考の片隅に追いやることにします。ので、私が昏睡中の事を教えてくれませんか?」


「当然。でも、これは私の口から話すより、自分の目と耳で感じた方がいいよ。イリスには、その権利があると思うから」


 立ち上がり、レティシアがこちらに手を伸ばす。そして彼女は、人生で見るのが二度目かもしれない、無表情を上書きする笑顔を浮かべ、こう提案した。


「一緒に散歩しようよ、イリス。皆の様子を見て回ろう」



  □■□          □■□



(レティシアさんの血……レティシアさんの血を……私が、飲んだ……)


 レティシアに連れられ、まだ見慣れない街並みを歩いている間、レティシアと会話しつつも常に脳の片隅を支配していたのはそれだった。

 そうして咀嚼できない事実の咀嚼を試みていると、いつの間にか見たことのある建物の前へと辿り着く。


「ここは……」


 緑豊かな庭、はしゃぐ子供の声、重々しい正門、そして厳かな建築物。パレット孤児院だった。


「ですが、もう管理者は……」


「……入ろう」


 イリスの懸念に取り合わず、レティシアは正門をくぐり、庭の方へと消えてしまう。考える時間すら与えてくれない背中に、イリスはただついて行くのみだった。


 今気付いたことだが、彼女の羽織っている黒色のケープに付着していた返り血が無くなっている。レティシアにお父様の存在が深く刻み込まれていることを考えれば、たとえ付着したのが親友の遺品だとしても、彼が生きていた証を躊躇いなしに洗濯することは想像し難い。

 きっと、イリスの意識が失われていた間に何かしらの心境の変化があったのだろう。過去との決別か、人間的な倫理観の奪回か。はたまた、お父様を心が憶えているが故の行いか。定かでは無いが、その変化はレティシアにとって良いものなのだろうと、イリスは漠然と確信していた。


 そのように考え事をしながら背を追うと、いつかのように子供たちがわらわらと駆け寄ってきた。


「あ! 三百九十六ねぇねとイリスねぇねだ!」


「わぁい、久しぶり! ねぇねぇ、何して遊ぶ?」


「ヨロイムシ! ヨロイムシやって!」


「おあえり! おあえり!」


 以前も戯れていた孤児院の子供達が、あの時と同じ元気さを持って話しかけてくる。僅かな時間しかいなかったものの、一緒に遊んだ子供の愛称と顔は一致していた。確か、元気いっぱいな女の子しーちゃんと、花が好きなしーみちゃん、大の虫好きしーな君に、三〜四歳くらいの好奇心旺盛なごーちゃんだ。

 実際に口に出す時はさん付けで呼んでいるが、愛称の由来の都合上似たような響きでこんがらがってしまうのを防ぐ目的で、識別する際はちゃんと君とで使い分けている。


「えぇ、おはようございます。お久しぶりですね、皆さん」


「今日は急いでるから、遊ぶのはまた明日ね」


「えー、もう行っちゃうのー? しー、沢山遊びたいのに……」


「イリス姉さんとお花摘みしたかったな……」


「ヨロイムシ……」


「かなちい……かなちいよ……」


「……すみません、今日は本当に時間が取れなくて。今のうちに私達と遊びたいものを考えておいてください。明日、また顔を出しますから」


「……うん! わかったー! イリスねぇね、絶対だよ!」


「はい、勿論です、しーさん!」


 悲嘆に暮れる子供たちを、イリス達はそう窘める。そして彼らに見送られながら、二人はパレット孤児院の内部へと足を進めた。



 □ ■ □



「――来たか」


 荘厳な扉をレティシアが三回叩くと、即座の応答が物理的な障壁を超え、イリス達の元へと届いた。その声には、聞き覚えがあった。


「失礼します……ヴァインさん」

「失礼します……隊長」


「よしてくれ。臨時部隊は解散したんだ。私はもう、隊長ではない」


 気難しい顔を僅かに緩め、そう返す青髪の隻腕は、見間違えるはずもない、イリスの記憶の最後の方でレティシアと剣を交え、激闘の末に敗北を喫した騎士団長であった。

 何故彼がお父様――ダリウスの書斎にいるのか、前後関係が読めなかったが、ダリウスとヴァインの関係を考えると納得がいった。


「あなたがここにいるということは……引き継ぐんですね? お父上が生涯をかけて守り通し、愛した、この孤児院を」


「耳が痛いがな。私は、私がしたことの責任を果たさなければならない。その一環と思ってくれ」


 目を瞑り、今しがた触れた「責任」について思いを馳せるヴァインの顔は、どこか憑き物が取れたように爽やかだった。王城で見た覚悟の決まった底冷えするような冷血漢とは似ても似つかない。きっと、これが本来の彼なのだろうと、イリスは感じた。


「お父上のことは子供たちに?」


「いずれ打ち明けるつもりだ。今は、長期出張と言い聞かせている。――孤児たちの名前も、考え直しているところだ」


「……そうですか」


 考えてみれば当然の成り行きだ。『死神』育成機関としての役目を終えた今、罪悪感を軽減するための番号名は不要となった。彼らにもレティシアのように、新たな名前が与えられる。ちらと隣を見ると、レティシアも嬉しそうだった。


「ところで聖女殿。お体に変わりはないか?」


「はい、問題ありません。魔力も回復しましたし、意識もはっきりしています」


「重畳だ。でなければ、これからする事にも意味が無くなってしまうからな」


「これからする事……ですか……」


「あぁ、どうか、静かに見届けて欲しい」


 ヴァインはイリスに優しく頼むと、レティシアの方へと歩き始めた。そして腰から鞘ごと剣を取り外し、膝立ち、口を開く。




「レティシア・パレット――貴女を、第四十七代王国騎士団団長に任命する」


「……………………ぇ?」


 ヴァインの重々しい口ぶりに――否、告げられたその内容に、レティシアが激しく困惑する。それは傍観していたイリスも同様だった。


「貴女は剣神の寵愛を受け、我が父ダリウスの剣技を十全に修め、これまで王国の危機を幾度となく救ってきた。剣を以て人を守る。貴女以上に、この役職に相応しい人間は存在しない」


「で、でも……私は、兵士だよ。騎士じゃない」


「些末な事だ。それにあの父上だ。大方、礼儀作法も一通り叩き込まれているのだろう。であれば、騎士の品格は満たしている」


「……私は、王国の兵士を手にかけた。反射で、切ってしまった」


「問題ない。貴女が下手人という事実は権力で揉み消した。それに、あの兵士は以前から素行の悪さが目立っていてな。貴女が殺さなければ、近々私の手で尋問していた所だ」


 畳み掛けるヴァインの、その騎士らしくない所業とレティシアの過ちに、イリスは更に困惑した。今、とんでもない事が目の前で繰り広げられている。


「だが、それで貴女の行いが正当化される訳では無い。私や二位様が弁護しようと、貴女自身に非が一切無くとも、罪は罪。時代が、見方が変わろうと、貴女は一生それを背負い、償う責務に追われる」


 その見解は、イリスのそれと似ていた。


「だからこそ、レティシア。お前を任命する――今後その力は、王国再建を補助し、王国民を守る為に使え」


「――――」


 レティシアは、差し出された騎士剣におずおずと手を伸ばす。そして暫く、手にした宝剣を見つめていた。


「――隊長」


「ヴァインでいい。先も言ったが、今の私は孤児院の管理者だ」


「――ヴァイン。私に、務まるかな」


「務まらせるのさ。全てを賭して、無我夢中に責務へ喰らい付け。お前の罪の原因の大半が私と二位様にある。これはその贖罪でもあるんだ」


「そう……」


「困った時はニックを頼れ。今回の功績――まぁ、この場合忠誠心か。それが認められて、ニックも今や副団長の地位に着いている。元々状況把握と統率能力に優れた人材だった。戦闘は多少荒々しいが、彼なら必ずお前の力になってくれるだろう」


「……うん、分かった」


 静かな首肯、それを以て、儀式は果たされた。今ここに、新たな王国騎士団団長レティシア・パレットが誕生した。


「――不明点があれば孤児院を尋ねるといい。全力で、私はお前を支援する」


「うん、ありがとう」


「そうでなくとも、たまにでいいから顔を出せ。子供達もお前に会いたがっていた」


「勿論だよ、ヴァイン」


 力強く頷き、レティシアがヴァインに微笑む。その光景にイリスは妙な感慨深さを覚え、緊張で引き締まった頬が緩むのを自覚する。


「それと、最後になったが――貴女を『死神』にしてしまったこと、想像を絶する痛苦を味わわせてしまったこと、我々が撒いた罪過の数々を直接摘み取ってやれないこと、本当に申し訳ない」


「ヴァイン……」


「我々のことは引き続き恨んでくれ。その憎しみは正当なものだ。見知らぬ大勢の幸福を捨てた私達には、許しを乞う資格など、ない」


 礼儀正しく頭を下げ、誠心誠意謝罪するヴァイン。それを受け、レティシアは一歩歩み寄り、託された宝剣を胸に抱きながら、口を開いた。


「……顔を上げて、ヴァイン」


「……あぁ」


「その、お父様も言ってたけど、憎むっていうのがまだ分からないんだ。お父様に感じてるのは温かい気持ちと怖い気持ち、王様に感じてるのは良かったねって気持ちと怒ってる気持ち。あなたに感じてるのは、孤児院の皆をよろしくねって気持ちとやっぱり怒ってる気持ち。嫌いとか、そういうのはないよ」


「……懐が広いんだな」


「……イリス、通訳お願いできる?」


「優しいんですね、という意味ですよ、レティシアさん」


「そっか。ありがと、イリス。――私、優しくなれてるのかな」


 首元のケープに視線を落とし、レティシアが自己への疑念を口にする。親友への憧れ、それに対する不安。イリスも、その気持ちはよく分かる。何なら現在進行形で模索中だ。一応の結論は出したつもりだが、それでもマリーに顔向けできる選択になっているかどうか、つい考えてしまう。


 イリスが思うに、レティシアに対する不安要素はもうない。彼女は親友のようにちゃんと優しくなれているか気にしているようだが、そう考えている時点でレティシアは「訓戒」から自立しつつある。元々ある優しさを優しさと認識し、彼女の人間性が解凍されるのには、そう時間はかからないだろう。


「父上と相対したのが何よりの証拠だ。あの一戦は、お前たちの目的には関係なかった。レティシア、お前自身が自分の心に従って選んだ救済だったと、私は睨んでいるが」


 元騎士団長も似たような見解を示しているので、満場一致だった。


「……うん。そうだね」


 論理的に根拠を提示するヴァインの問いかけを咀嚼するように、レティシアが首肯する。イリスも声をかけようと、レティシアに近付こうとしたところで、


「――父さんを救ってくれたこと、心から感謝する。ありがとう、レティシア」


「――――」


 隻腕を胴に接着させ、ヴァインがゆっくりと再び頭を下げる。見つめる横顔、レティシアの瞳が揺れ、口元が様々に動いている。きっと、かけたい言葉が、伝えたい内容が多すぎて、上手く峻別できないのだろう。

 そうして数秒口をもごもごさせた後、やっと一つ見つけたのか、レティシアが目尻を下げて、言葉を紡ぐ。


「顔を、上げてよ――私こそ、礼を言わせて。私を、お父様と出会わせてくれて、ありがとう」


「――――礼を言うのはこちら……いや、それだと堂々巡りになってしまうな」


「ふっ」と軽く笑い、顔を上げたヴァインが右手を差し出す。レティシアも、それに応じて手を握る。


 ヴァインも指摘した通り、過去が変わる訳でも、犠牲となった人や心が元通りになる訳でもない。だが、この日確かに、様々な軋轢を乗り越えた関係性が育まれた。



 □ ■ □



「ねぇ、ヴァイン。そこの隠し部屋入ってもいい?」


 任命式を終えた後、レティシアはそう切り出した。


「あぁ、構わない。好きにするといい――あぁ、そういうことか。なら、頼んだぞ、聖女殿」


「――私、ですか?」


 突然話を振られ、それも何かを頼まれ、イリスは当惑する。しかし、納得が自己完結しているヴァインはそれに取り合わないまま話を切り上げてしまう。


「うん、ありがとう――イリス、ついてきて。渡したい物があるの」


「渡したい物……わ、分かりました」


 レティシアに言われるままに、イリスも後を追う。本棚の裏、物語ではありきたりではあるものの、確かに隠し部屋があった。中へ進むと、レティシアは部屋の一角、机の上に置かれた黒い箱を持ち出し、イリスに手渡しする。


「これ。お父様が、イリスにって」


「ダリウスさんが? っとと、見た目に反して重――ぇ?」


 ふらっとよろつき、意外な重さに言及しかけた瞬間、気付いてしまった違和感に戦慄する。この感触、この重さ――この、魔力。内容物の、察しがついてしまった。


「そ、そんなはずが……」


 正気の沙汰とは思えない。だが実際に、事実としてソレは箱に収納されている。そう確信した。ヴァインがイリスに託した役割にも、推測が立てられた。


「……イリス?」


「ぁ、すみません。なんでもないんです――この箱、医務室で預かってもよろしいでしょうか?」


「うん。そもそもそのつもりで渡したんだし、イリスの好きにしていいよ」


「ありがとう、ございます」


 レティシアの許可を得て、その箱――遺体の入った箱状の棺を抱える。この事実を、レティシアにだけは悟られないよう、イリスは必死に表情を繕った。

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