第一章18話『超克』
「――これが、余とヴァイン・パレットが全てを捨て、世界を敵に回した理由だ。禁書の予言を再現し、夭折したミネアを取り戻す。その悲願を叶える為に、全てを騙し、全てを利用し、計画の礎としてきた。それも、そなたらに台無しにされたわけだが」
計画遂行における不可欠の要素――レティシアの人間性の欠落と、イリスの感情操作・敵愾心操作に失敗した今、フォレオスとヴァインの人生を賭けた策略は水泡に帰した。それも含めて全ての企みを吐き出したフォレオスは、蛍の例を問いかけた時とは質の異なる諦観をその目に浮かべていた。
言うなれば、絶望に近い。覆しようのない絶望が、フォレオスの歩んだ道をあっという間に崩落させ、自暴自棄へと追いやっている。これまで共犯者以外に秘匿していた、悲劇に満ち溢れた過去を計画と共に打ち明けたのも、そうした感情によるものだろう。
「禁書……? 予言……? そんな、不確かなもののために……っ!」
そんなフォレオスの諦めが支配した心境よりも、イリスは予言なんていう眉唾を理由に人々の命を、人生を、心を、戦友をシスターを親友を――レティシアを踏み躙ったことに対して、烈火の如き憤怒と底冷えた軽蔑と絶大な嫌悪を露わにした。
「縋るしかなかったのだ。縋る以外、自分を保つ術が、なかったのだ」
そうした激情を一身に受けても王の感情は変わらない。深き絶望による諦めが浸透し、その質量の重さから項垂れている。
「ミネアが、こんなものを望まないとは分かっている。だが、それでも余は、あの花のような笑顔を再び見たい。その為なら、世界平和の希求すら喜んで投げ捨てよう」
そう語る国王の表情が、口にしている内容とは裏腹に後悔混じりの葛藤に歪んでいたのを見て取り、イリスは確信した――この国王は、最初から信念を捨ててなどいなかったのだと。
彼がしたのは、自分が行う非道に対して心臓をきつく締め上げる良心を麻痺させることだけだ。先代国王に対する憤慨も、軽蔑した彼と同じ手段を用いている己に対する強い嫌悪も、利用した国民に対する深い罪悪感も、恒久的な平和を追い求める熱意も、消えていない。
彼の為した事の罪深さは、消えて無くならない。彼によって奪われた命も、無かったことにはならない。
だが、まだ取り返しがつくものがある。その方法に、イリスは心当たりがあった。
「――あの、️フォレオス国王陛下。私に、ミネア様を診察させてくださいませんか?」
「それは構わないが……もう、無駄だろう……。計画が破綻した今、ミネアを復活させる手段は……」
「……。今一度、確認させてください。禁書には、『漆黒の死神が生き血を啜り、異国の聖女が絶望を喰らいし時、蝕まれし残火は遡行せん』と、そう書かれていたんですよね?」
「あぁ、そうだ。だから️陛下と私は帝国との戦争で土台を整えようと……」
「――分かりました。では、王妃の所へ案内お願いします」
「あ、あぁ、それも構わないが……もう、無意味だ。ミネアを目覚めさせる贄は、もう無いのだから……」
「構いません――だって、私の解釈が正しければ、この禁書は……」
□■□ □■□
イリスの希望通り、フォレオスとヴァインは二人を玉座の奥、王室へと案内する。そこにあったのは、大きな棺だ。
「遺体保存霊柩という。百年前、自動無線機を発明した名も無き天才科学者が遺した発明品の一つだ。その名の通り、死した当時の状態へと、腐敗状態を永続的に巻き戻し、保存できる」
フォレオスの解説は軽く聞き流し、イリスは禁書の解釈の精度を上げる作業に没頭する。
『絶望を喰らいし時』ーーこれは、悲劇に触れることを指しているのだと思う。自分が経験するのでもいいし、誰かが経験したのを聞くのでもいい。それで当事者が感じた絶望を聖女に流し込んだのなら、それで条件は達成する。
ならば、その意義は何か。何故、聖女は自己を含めた誰かの絶望をその身に飲み込む必要があるのか。
イリスは、感情の著しい起伏が理由なのではないかと踏む。
何かに絶望している状態ーーそれは、感情が地の底の更に奥深くに沈み込んでいる状態を意味する。そして、生まれた瞬間から感情が地底深くに沈殿している人間は存在しない。絶望の前には希望があり、希望の前には日常がある。
では、聖女が感情を急降下させる必要があるのは何故か。それについては、既にある仮説を立てている。
「レティシアさん、何か面白いことをしてください」
「え、突然何?」
「すみませんが、説明は後です。あなたの思う面白さで十分です。とにかく、何かお願いします」
イリスの突然の無茶ぶりに困惑するも、暫しの逡巡の末、レティシアは意を決して面白い事を始める。すなわち――、
「よ、ヨロイムシ…………」
「――――」
「――すまないレティシア、それは何だ?」
無表情だったレティシアの突然の奇行に、フォレオスは押し黙り、ヴァインは苦言を呈する。
「ぷふっ、あはは! あぁ、もうーーっ」
だが、イリスにはそれがおかしくておかしくてたまらなかった。愉快からは縁遠いレティシアがそれを行っている状況もそうだし、何よりその芸はパレット孤児院の子供がやっていたものだった。
レティシアと子供達の関係性が窺え、とはいえ何故子供達の芸の中からわざわざそれを選んだのかと疑問に思う見栄えであったこともおかしかった。
滑稽に思っているのではない。嘲笑でもない。ただ純粋に、レティシアの、普段からは考えられない落差が面白く、笑っているのだ。
「あはははっ! はは、ふふふ――やはり」
そうしてお腹を抑えて笑っていると、急激に魔力が体内を循環するのを感じる。その事に、イリスは自分の仮説の精度を確信する。
――治癒魔法の出力は、魔力消費総量、魔力消費速度、本人の熟練度の三要素が複雑に絡み合って定まる。
魔力消費総量における魔力とは、主に大気中の魔力を指す。単純に、沢山つぎ込めばそれだけ効果高まる手合いであり、使えば使うほど疲弊する。
体を動かすのに筋肉が必要なのと同じように、魔力を取り込み魔法として発現させるためには、不可視の器官の手動操作が必要となるのだ。
魔力消費速度は、その名の通り大気中の魔力を魔法に注ぎ込む瞬間速度のことを指す。
しかし、一度に消費できる大気魔力量には肉体的限界がある。その程度は本人の素質が全てであり、後天的な獲得や伸長はできない。
魔力消費速度が早ければ早いほど、魔法の効果が高まる。逆に低ければ、それを補うにあたりより多くの魔力消費総量が求められる。また、速度限界を超過してしまい大気中の魔力で補えない部分は、自前の魔力で補完する必要がある。
限界を超えた大気魔力の瞬間行使は単純に疲れるというのもあるが、自前の魔力が底を尽くと、長期間の昏睡状態に陥ってしまうため、危険性が高い。
余談だが、反射による治癒は最も近場――即ち体内の魔力を優先的に消費するため、基本的に推奨されていない。
以上二点が魔法の基本となる要素である。そして、それらによって定まる効力を底上げするのが、本人の熟練度だ。
これは魔力変換効率や魔力操作、魔力消費速度の調整に関わり、熟練度が上がると治癒魔法をかける部位の優先順位を瞬時に変更し、緻密な制御を以て回復速度を上げるといった芸当が行えるようになる。
イリスが最高峰の癒し手である所以は、これら三要素全てにおいて最高水準であることによる。
さて、三要素の中で最も重要度が高いのが先天的能力である魔力消費速度なのは言うまでもない。
他の要素は本人の精神力と努力次第でどうとでも補えるが、魔力消費速度は魔法能力が発現したその瞬間に固定される。治癒にかける時間が長引くにつれて、必要な魔力消費総量も右肩上がりしていくので、欠損等の大怪我を治癒できる癒し手は極小数だ。
ここで、禁書の内容に立ち返る。聖女の感情の極端な増減は治癒魔法に何の影響を与えるのか。イリスの仮説はこうだ。
ーー感情の急激な変化は、魔力消費速度を一時的に向上させる。
魔法分野における「火事場の馬鹿力」とは、こうした理屈であると解釈する。イリス自身にも、過去にこうした経験があった。
当時はそういった感触があったというだけに留まっていたが、今この瞬間、全てが繋がった。感情の著しい振れ幅、その落差が先天的な能力に瞬間的な影響を及ぼす。
『癒し手』であれば無意識のうちに、事の大小こそあれど「火事場の馬鹿力」を体験している。
人の死に深く関わることが宿命づけられた存在である。激痛に呻く人間を前にして、心を無にできる『癒し手』はいない。
思い返してみれば、シスターの大半が平時は擦り傷の治癒にすら時間がかかっていた。それが戦地に赴き負傷兵を治療する際は、切り傷の修復までなら短時間で完治させることができていた。思えばあれも、極限状態の中での「火事場の馬鹿力」だったのだろう。
――イリスはここ最近、深い絶望に叩き落とされていた。つまり、感情がどん底に突き落とされている状態だ。
そこに更に、レティシアを取り巻くあれこれ、フォレオスの経験した別離、許せない自分と歩み寄りたい自分とのせめぎ合いという刺激が加わり、際限のない怒りと悲しみと憎しみ混じりの絶望が、イリスを支配していた。
――その状態から、レティシアの不器用な一芸で、瞬時に最高潮まで感情を振り切らせた。その甚だしい落差から生まれるエネルギーは、イリスでさえ想像がつかない。
「はは、はぁ……予想通りですね」
ーーこれはイリスの知り得ないことであるが、歴史に名の埋もれた百年前の天才科学者が、魔力についてある仮説を説いた。
即ち「魔力とは、燃焼半ばで肉体を失ってしまった残火ーーつまり生命エネルギーである」、と。
そしてその仮説を基にして、「魔力の大半は殺戮者に譲渡される」という仮説も打ち立てた。
戦時下において魔法発現者が急増するのは前者の仮説が要因だと、彼女は推論を立てていた。高濃度の魔力に晒され、ある特定の条件が成立した時におこる突然変異。彼女は魔法発現者をそう定義した。
この仮説を下敷きにすれば、三十年間も継続された帝国・王国間の戦争は、良質な魔法発現者を生み出し、大気中に濃密な魔力を充満させる格好の土壌となった。
故に、治癒魔法の限界を一時的に超越しているイリスが消費する大気中の魔力も、無尽蔵に漂っていた。
それはつまり、予言の達成を意味し――。
□■□ □■□
「…………ん、んー……」
透き通った碧眼が大気に触れる。瞼が小刻みに動き、色白の指で目を擦る。
――その姿を、ヴァインは何万回思い描いたことか。
――その光景に、フォレオスは億を超える回数焦がれた。
「…………フォレ、君?」
「ミネア……ミネア、なのかね?」
「……もう。何を当たり前の事を言ってるの? あと、口調も顔も、服装も、王様らしくなったわね……前のあなたも、素敵だったけれど」
「ミネア……! ミネア……っ!!」
感極まったフォレオスは、棺の中のミネアを抱き締める。それをミネアは優しく受け入れ、泣きじゃくるフォレオスの背中をゆっくりと撫でた。
「ミネア! 余は……僕は……この時を、どれだけ……ミネア……ミネアっ!」
「うん。私はここにいるわ、フォレ君。大丈夫、大丈夫だから、ね?」
歓喜のあまり子供のように顔を崩す愛しのフォレオスを、ミネアは目尻を下げ、涙を浮かべながら優しく抱いた。
「ミネア姉様……」
「え? ヴァイ君、なのよね? そんなに立派になっちゃっ……ちょっと、その左腕はどうしちゃったの!?」
「こ、これは……少々、任務中にヘマをしてしまいまして……」
「……後でお話があります。覚悟していてください」
「は、はい……分かり、まし、た……」
途中まで気丈に振る舞っていたヴァインも、ミネアのその言葉に感情が決壊する。胴体と繋がっている右腕を額に寄せ、流れ出る涙をせき止めようと必死になっている。
そうして感動の再会を堪能しつつ、ミネアは先程から近くでこちらを見守っている二つの人影に目を移した。
「あら、お姉さん達はフォレ君のお友達?」
「お友達、というのは語弊がありますけど……そうですね、今日初めて出会った仲です」
「ふふ、そうなのね。でも、私がここにいるのはきっと、あなた達のおかげなのよね?」
「……部分的にはそうですが。何故、そうお思いに?」
「簡単よ。だって、フォレ君は信念を曲げたりしないもの」
「――っ」
フォレオスは何があっても信念に殉じる。そう強く断言するミネアの純粋な瞳に、フォレオスの顔が明確に曇る。
その夫の表情の変化に、ミネアは気付いてしまった。
「どうしたの? フォレ君………………まさか――いいえ、フォレ君。ちゃんと、自分の口で、話してくれる?」
真実を察してしまった風なミネアだったが、思い留まり、あくまで本人の口から聞こうとする。観念したようで、フォレオスはぽつりぽつりと、ミネアに打ち明ける。
「――すまない、ミネア。実は……」
□ ■ □
「――ということなのだ。余は、そなたと再び言葉を交わすその日のために、全てを裏切り、犠牲にした。そなたがそれを望まないと知っていても、余はこうせずにはいられなかったのだ……」
「――――」
フォレオスの告解を最後まで聞き、ミネアは押し黙る――のもものの数秒で、「フォレ君……」と、フォレオスの顔を両手で挟み、額を近付けた。
――乾いた音が、王室中を鳴り響いた。ミネアの渾身の平手打ちが、フォレオスの左頬を強く打ち付けた。
「――今の私から、あなたに与えられるものはそれだけ」
それは、ある種の決別のようにも聞こえた。しかし、その印象を裏切るように、ミネアはこう続ける。
「でも、勘違いしないで。私は、どんなフォレ君も愛してる。そこは、揺るがないから」
「――は」
打たれた頬をさすり、フォレオスの口から乾いた空気が漏れる。ミネアの言う通り、少なくとも今は、言葉は要らなかった。
「さて、私のフォレ君が迷惑――どころの話じゃないけど、便宜上そう言わせて――迷惑をかけたわね。夫と併せて、私からも謝らせてちょうだい」
「い、いえいえ! 王妃様には何の非も――」
と、ミネアの潔白を伝えようとした最中、イリスの視界が急激に黒く染まる。
――あぁ、今度こそ、死にますか。
そんな感慨を抱き、イリスはくぐもった意識を手放した。




