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極相色彩のケイオスライン  作者: 路崎舞
第一章『遡行する運命』
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第一章17話『フォレオスという男』

「イリス、お願い」と声をかけた後、ヴァインを射抜いた愛剣をレティシアは勢いよく引き抜いた。


「ぐっ……が……」と激痛に顔を歪ませるヴァインに、駆け寄ったイリスが即座に治癒魔法を施す。するとみるみるうちに空洞が修復していき、しまいには穴空きの正装以外はすっかり元通りになった。


「そろそろ話してくれるよね? 王様」


「それが嫌であれば、直ちに終戦に向けて行動を起こしてください。そうすれば、私達も余計な詮索はしません」


「フォレオス、陛下……私は……」


「――よい、ヴァイン・パレット。御苦労であった」


 何かを言おうとするヴァインを静止し、フォレオスがレティシア達の元へと歩み出す。そして告げる。絶望と悲哀に満ちた覚悟を以て、宣言する。


「全てを話そう。余とヴァイン・パレットの悲願、その原点を」


 そして王は語り出す。自身が全てを犠牲にすることを選択した、その原点の物語を。それは、フォレオスが誕生した四十三年前まで遡る――。



   △▼△          △▼△



 ――フォレオスは四十三年前、ソランデュー王国二十三代目国王グアトライウスの元に生を受けた。当時の王国は現在より領土が狭く、周辺国家を属国とすることで実質的な支配領域を維持していた。


 父グアトライウスは程度の甚だしい暴君であり、度々属国への侵略戦争を起こしては国土を奪い、徐々に王国の版図を拡大させていた。国民には重税を課し、兵役に従事させ、食糧はその日の気分で徴収、王国兵士を戯れに殺すといった悪逆の限りを思う存分尽くし、歯向かうものは粛清した。



 そんな暴君の元に生まれたフォレオスは、しかし実の父とは正反対の心優しい好青年に育った。



 フォレオスの心身の健全な発達には、家族への関心を失い権力と戦争に没頭するグアトライウスの育児放棄と、それを補って余りある、フォレオスを愛し続け育て上げた清らかな心の持ち主の王妃レイミィの存在が一役買った。

 父の暴君たる姿を学ぶ機会が無く、母レイミィの愛情を一身に受け続けたことが、為政者の資質を兼ね備えた才色兼備な王子を育んだ。


 また、血液で染色されたような濃い赤髪は暴君からの遺伝だった。しかし、母から遺伝した淡い黄髪も局所的に混ざっており、その一点だけはフォレオスも気に入っていた。



 そうして生育環境に恵まれた若き王子は、父とは対極の理念を持つ優男へと成長した。



 □ ■ □


 

 フォレオスが十三歳の頃、父グアトライウスがランゴルマージ帝国への侵攻を開始した。

 正当な理由もなく正当性を主張し、帝国側も猛抗議の末武力を用いた制圧に踏み出し、三十年以上続く戦争の火蓋が切られた。


 男女子供問わず徴兵され、いつ身の回りの人間が帰らぬ人となるのか分からない日々。結果、暴君の圧政に苦しんでいた民は更に疲弊し、王都から活気が失われた。その様子を、フォレオスは黙って見ていることができなかった。



 帝国と大規模な戦争が勃発した一週間後、フォレオスはグアトライウスに直談判し、今すぐこの馬鹿げた殺し合いを止めるべきだと訴えた。王国としてのプライドがあるのなら、南の商業大国に仲裁を要請すればいい。何か欲しいものがあるのなら、停戦した後、西のランゴルマージ帝国と交渉すればいい。


 ――グアトライウスはフォレオスの献策を一蹴した。野心の塊であったグアトライウスが求めていたものは、即物的な何かではなく、戦争に勝ち続けることでしか得られない世界国家元首という地位だった。


 だが、それでもフォレオスは平和の理想を諦められなかった。日中は図書館に入り浸り、日没後は為政者としての勉学に励む。幼い頃から続けていたその習慣から食事や入浴、歯磨きといった必要最低限の行為を除いた全てが脱落した。


 起床後朝食をとり次第、数多の本を休憩も入れずに読み漁り、日が暮れてからは夕食をとり入浴を済ませめて、睡魔が襲うまで政治学と帝王学の勉強に打ち込む。

 無駄な時間は尽く消した。外出の際にも護衛は侍らせず、国民の冷えた眼差しも甘んじて受け入れた。



 ――全ては自分が王位継承してこの不毛な戦争に終止符を打つため。そして、王国民の笑顔を取り戻す。


 それはフォレオスにとって何が起ころうと揺らぐことのない強固な信念であり、どんな苦境に立たされようと、周囲から孤立し寂しさの中で生きようと潰えることを知らない原動力であった。




「「あ」」


 齢十五、そんな日々を過ごしていたフォレオスに遂に転機が訪れる。


 いつものように図書館で平和への見識を深めようと、本棚に収納された一冊の書物に手を伸ばした時、誰かの手が重なった。見ると、フォレオスと同じく唖然と口を開け、驚きに満ちた碧眼でこちらを見つめる少女がそこに立っていた。


 橙色の長髪を緩やかな川のように流す彼女は、御伽噺のお姫様のように可憐で美しく、フォレオスは暫く思考を奪われていた。が、王族たるもの常に平静を保ち、優雅であらねばならない。地位あるものとしての矜恃が、フォレオスを現実に引き戻した。


「す、すまない。まさか、この本を手に取る人が僕の他にいるとは思わなくて」


「そっくりそのままお返しするわ、お兄さん。ふふ、物好きは意外と近くにいるものね」


 そう微笑む少女の双眼から何故か目が離せない。鼓動が早い。顔に血が上っていく。身体が熱い。その熱を一度自覚すると更に全身に炎が燃え広がる。思考が焼かれる――。


「――どうしたの? まさか私、また変なことしちゃった?」


「い、いやいや! 君に落ち度は一つもないさ。――絵本、好きなのかい?」


 自身を見たまま硬直するフォレオスを不審に思ったのか、口元に指を当て不思議そうに少女が問いかけたのを五感が捉え、ほとんど反射ではあったがなんとかとりなすことに成功する。そして話題を変えるべく、そう質問した。


「うーん、それほど好きって訳ではないの。タイトルに惹かれて、気付いたら手が伸びてたって感じ」


「なるほど、タイトルか――『僕の夢見た穏やか世界』……奇遇だね。実を言うと、僕もなんだ」


 そう。フォレオスも絵本目当てという訳では無かった。



 フォレオスが図書館で本の虫になっている理由は二つある。第一に、争いのない平和な世界の解像度を上げ、具体的な手立てを考案すること。第二に、世間の考える幸せを知り、理解すること。


 絵本という媒体は、その読者の年齢層の低さから、直感的で分かりやすく、かつ示唆に富んだものが多い。幼児向けの本だからといって調査対象から除外するのは、あまりに浅慮と言わざるを得ない。


「そう――お兄さんも、手の届かない夢を追い求めているのね」


「……っ」


 ――そう目を細めて笑う少女の声からは、諦観が滲み出ていた。


 戦時下、それも国内ですらいつ国王の采配で殺されるか分からない劣悪な環境において、他者の幸せを願う余裕を保持できる人間は少ない。まして、その願いが世界平和に飛躍する存在は極僅かだろう。

 皆、今を生きるのに命を燃やしていて、未来の平穏を語りはしても机上の空論であると心の奥底では悟り切ってしまっている。



 目の前のお淑やかな少女は、フォレオスと同様の理想を抱く稀有な存在でありながらも、諦観の境地に達していて、その願いが叶うことのない夢物語であると認めてしまっている。


 その事に酷く胸を痛めると同時に、彼女に無謀と、そう思わせるまでに至らしめた環境をフォレオスは強く憎み、決心した。




「――届かせる」


「え?」


「僕が、叶えてみせる。翼を折られ、左腕を焼かれ、肺が潰れて何度地に叩き落とされようと、僕は残された右手で天に輝く理想郷を掴み取り、永遠の平和と誰もが笑って過ごせる世界を創り出そう」


 たとえそれで、どれだけ自分が傷付くことになったとしても。それが、フォレオスが悪逆の限りを尽くす暴君の元に生まれついた理由であり、責務であると思うから。



 そうして自らの理念に薪をくべたフォレオスだったが、それをポカンとした表情で聞いていた少女が突然「……ふふ」と小さく噴き出した。その反応は予想の斜め上を行くもので、虚ろを突かれたフォレオスはただ少女の可愛らしい仕草を眺めることしかできなかった。


「誤解しないで、お兄さんの覚悟を笑ってるわけじゃないの、ただ、ふふっ――『愚者は翼を焼かれ、目を焼かれ、肺を焼かれて地に落ちる。それでもなお、太陽に迫ることを止めようとしない』」


「……『太陽は侮蔑の視線を愚者に送った。熱線が愚者の身を貫くも、それでもなお、太陽に手を伸ばすことを止めとうとしない』」


 少女の口にしたセリフは、フォレオスが心の拠り所にしている物語の一節だった。


 先の宣言は幼い頃から熟読し、フォレオスの理想像となっているこの物語を踏まえた言い回しだった。主人公である愚者の無駄死にで幕が引かれるこの作品は、その後味の悪さから大衆に受け入れられず、数年前に絶版となってしまった。それがまさか、通じる人がいるとは。


「あの物語では、太陽を求めた愚者は熱に耐え切れずに死んでしまう。けれど、お兄さんは違う気がしたの。お兄さんなら、遥か遠くにある太陽にも、燃え尽きずに到達できるんじゃないかって」


「――君は、優しいな」


「ふふ、本心よ。お兄さんは夢物語を現実にしてくれる。私、そう信じてる。でも、自分のこともちゃんと愛してあげてね。じゃないと、本当の意味で他人を愛することもできないから」


「応援してるよ」と背を向け去ろうとする少女の手を咄嗟に握り、繋ぎ止める。意表を突かれ、困惑の極致にある麗人の碧眼を強く見つめ、言った。








「――僕は何をしているんだ!? えっと、ごめん、その、僕にも何で手を握ったのか分からなくて」


「……ねぇ、お兄さん。お名前を聞いてもいいかしら」


「………………フォレオス。フォレオス・ソランデュー」


「まぁ、王子様だったのね? それにしても、いい名前だわ。フォレオス……フォレオス君……フォー君……うん、フォレ君、これね!」


 指を折っていき、納得できる呼び方が見つかったのか、少女が目を輝かせる。その反応もまた、予想外だった。


「――――何も、思わないのかい? 僕の父が、君から幸せを奪っている張本人だってことに」


 フォレオスがソランデュー王国の王子だと知る者からは、例外無く非難の目が向けられた。その理由は単純明快、彼らから日常や生活、自由、人生を奪い、今もなお苦しみを与えている国王グアトライウスの一人息子である一点だけ。


 フォレオスがどんな人間であろうと、彼らの目に映るのは憎き怨敵の実子だ。この世に生を受けた瞬間から引き継いだその罪をフォレオスは受け入れており、民衆の憎悪の視線も向き合うべき苦痛であると捉えていた。


「どうして? だって、フォレ君はフォレ君だし、陛下は陛下でしょ? 陛下のした事は陛下のした事で、フォレ君には何の関係もないよ」


 ――その認識が、覆る。


「――――――君の、名前は」


「ミネア・セリウシア。これからよろしくね、フォレ君!」


 それが、薄命の少女ミネアとの出会いだった。



 ――そして彼女との出会いを機に、フォレオスの世界は光に満ち溢れ、時は瞬く間に過ぎ去っていく。


 あらゆる無駄を排除した日々に、ミネアとの時間が加わった。理想を追求する時間が減ったのにも関わらず、むしろ実現を希求する心は猛く燃え上がる。


 同様に、激しい勢いで燃え盛るミネアに対する恋心をフォレオスが自覚するのに、そう時間はかからなかった。



  □   ■   □



 齢十六の時分、当時の王国騎士団団長ダリウスが勅命で長期に渡る遠征へと赴くことになった。


 この頃はまだ戦力も王国騎士団だけで賄われており、兵士も戦力に加えた臨時部隊も編成されていなかった。その為、此度の出征も王国騎士団の職務の範疇のことであり、つまり残された家族に対する福利厚生がしっかりしていた。たとえば、託児がそうだ。


 特に片親で、出征中に身寄りのない子供などは親の申し出の元王城で暫くの間身を預かることになっている。レイミィが独自に推進した施策だったが、グアトライウスが王城にまつわる一切をレイミィに一任して以降は公的に運用されている。


 そしてダリウスの子であるヴァインも例に漏れず支援対象となり、ダリウス不在の間は王城での日々を過ごしていた。




 その日もいつも通り、フォレオスはミネアと王城の庭に設置されたガゼボに腰掛け、花を見ていた。


 他愛のない事で笑い合い、時間を共有するこの一時は、一度味わってしまったらそれ無しでは生きられない魔性を秘めていた。そしてこの束の間だけは、フォレオスは全てを忘れ、心を癒すことができる。……未だにミネアといると心がざわめいてしまうのだが、それも悪い事ではないように思えている。



 そんな折、ふと花壇の奥、青髪の少年が素振りをしているのが目に入った。まだ小さい体で身長と同じくらいの真剣を振るう様子は少々危なっかしく思える所もあったが、的確に真下へと振り下ろすその剣筋には、素人目に見ても光る物があった。


「ミネア。提案なんだけど、あの子が鍛錬を終えたら差し入れを持っていかないかい?」


「名案ね、フォレ君! 私も賛成。じゃあ早速、飲み物を持ってきましょう」


「いいね。そうしようか」


 そう話し合い、二人は一度城内へと戻って適当な飲み物を見繕うことにした。


 家庭や住まいに無関心なグアトライウスの代わりに王城のあれこれを切り盛りする母レイミィの裁量で、ミネアには自由な入退城が許可されている。それ故に、ミネアも時々王城に遊びに来てくれ、こうして民衆の目に晒されることの無い、のどかな時間を過ごせているというわけだ。


 

 ヴァインという名の少年は、どうやらダリウスの子供であるらしかった。六歳という年齢に不相応な程に中身が完成されており、流暢な敬語も優美な礼儀作法もら大人顔負けの習熟度だった。


「お二人は、お付き合いなされているのですか?」

「え゛」「ふぇ!?」


 だからこそ、純粋無垢故の素朴な疑問に声が裏返った。


「い、いやいや、僕たちはそんな関係じゃないよ。ね、ミネア?」


「え……そうなの……?」


「……っ! ミネア、それって…………」


「ふふ、冗談よ。ヴァイ君、私とフォレ君は仲のいい友達、まだ付き合ってはいないわ」


「ふぅ、全く、驚かせないでよミネア。色々と勘違――――まだ?」


「あ」



 二人の間に沈黙が流れる。時間は停滞し、顔は赤く染まり、そんな二人をただ一人、時の流れが平常だったヴァインが交互に見比べていた。


「……すみません、つかぬ事をお聞きしてしまいました」


「い、いいのよ、ヴァイ君。まだ子供なんだから、気にしなくていいのよ?」


「そ、そうさ! 僕達も困っただけで嫌な気持ちにはなってないんだし、気に病むことは無いよ」


「お心遣い感謝いたします――フォレオス兄様、ミネア姉様と、そうお呼びしても?」


「おぉ……聞いたかい、ミネア。僕はフォレオス兄様らしい」

「えぇ、聞いたわフォレ君。私はミネア姉様だわ!」



「…………やはり、お付き合いなされているのでは?」

 

 呆れたヴァインの小さな独り言がその場を締めくくった。




 その日から、ヴァインもフォレオスの日常に加わることとなった。兄様、姉様と慕ってくれるヴァインは、フォレオスにとって弟のような存在だった。ダリウスの多忙化から王城に預けられる頻度も増え、自然と二人が面倒を見る時間が増えていった。



  □   ■   □



 齢十七、その日の早朝、フォレオスは鏡の前で唸っていた。というのも、遂に決めたのだ。今日、ミネアに自分の想いの丈を打ち明けると。



 孤独の時間が大半を占めていたフォレオスにとって、色恋沙汰は空想上の概念であり、疎かった。物語の登場人物がどうして他者と恋に落ちるのか、結婚するのか理解できず、自分なりの仮説を立てては崩してを繰り返していたものの、ミネアと出会うまでは納得のいく答えを導き出せなかった。つまるところ、初恋なのである。


 だからこそ、フォレオスは慎重に慎重を期した。書物から断片的な情報を収集し、それらを元に様々な要素を分析し、恋の何たるかを学んだ。

 以前は文字としての認識に留まっていた描写も、今では実感を伴った心象として上映できるようになり、理解も格段に深まった。


 そうして日々を積み重ねたフォレオスは、今日ようやく行動に出る。――ものの、いまだにしっくりくるプロポーズの方法を見つけられず、冒頭に至る。


「でも、きっと、ミネアなら……」


 どんなプロポーズも笑って受け止めてくれる。そうした確信めいた何かがあった。だが、それに甘えるのをフォレオスは自分に許さない。だから、今日もめいいっぱい苦しむ。


「大丈夫……大丈夫だ。調査もしたし、本も読み漁った。僕なら、大丈夫さ」


 鏡の中の自分に言い聞かせた後、自室を出た。



 □ ■ □



「…………で、なんでヴァインがいるんだい? 今日はいないはずだろう?」


「申し訳ありません、フォレオス二位様。僕もそのつもりだったのですが――ぷふっ、どうしても昨日の二位様の滑稽っぷりが忘れられなくて」


 と、真面目な顔でそう言ってのけるヴァインは、この一年で毒舌を身に付けた。それもだいたいがフォレオスが対象となっている。


 ヴァインの言う昨日の出来事は、フォレオスにとっても屈辱的な記憶だった。なにせ――、


「まさか、十歳も年下のヴァインに力比べで負けるなんて……っ!」


「悔しいんですか? 二位様の要望があれば、いつでも再戦いたしますが」


 誇らしげな顔で嗜虐心を満たすヴァインに、腕相撲でボロ負けした。それはもう、酷い有様だった。絵面もそうだし、一瞬で決着したのもそう。ヴァインが騎士の家系で、フォレオスが王族であることを踏まえても、十歳年下という事実が全てを打ち消し、フォレオスの自尊心をズタズタにした。


「ヴァーイー君、フォレ君のこと揶揄うのはそこまでね。ほら――なんかおかしくなってる」


「は、はは……僕は、弱くない。弱くないんだ。家に帰ったら、お母様とキノコを育てるんだ……」


「王城にそんな場所はないと思いますが」


「ははは……はは」


 致命傷を抉る一撃だった。ともあれ、こうして、フォレオスの告白計画は跡形もなく瓦解した。



 □ ■ □



「――ヴァイ君、最近遠慮が無くなったわよねー。特に、フォレ君に対して」


 ――かと思われたが、ヴァインはフォレオスを揶揄いまくった後、そそくさと立ち去った。こういった気遣いも欠かさない所がヴァインを単なるいたずら小僧と憎めない所以でもあったが、ともあれ、フォレオスはまだ終わっていないらしい。


「そうだね。困ったものだよ、全く――昨日以来、兄様の響きが変わったような気もするし」


「ふふ、それは多分、勘違いじゃないよ。私も、別の意味が込められているように感じたもの」


「――君も、情けないと思っているのかな。十歳も年下の相手に力比べで手も足も出ないなんて」


「そんなこと、思わないわよ。フォレ君にはフォレ君、ヴァイ君にはヴァイ君の良さがあるんだもの」


「良さ……たとえば?」


「優しい! 普通、自分の事で精一杯な状況でこんなに皆のことを慮れたりしないわ。フォレ君ほど心の透き通った人を、私は知らないよ」


 それは、勘違いも甚だしい虚像だ。フォレオスほどの大罪人を、フォレオスはグアトライウス以外に知らない。


「優しくなんてないよ。僕は、変えられようのない宿業を背負った罪人さ。君の心の清廉潔白さと比べるのも烏滸がましい」


「――フォレ君」


「すまない、僕としたことが、空気を悪くしちゃったね。ともあれ、君は根からして美しい、そう言いたかったんだ」


 先程の受け答えでは不十分だったことを付け加え、言葉を結ぶ。ミネアは青天の霹靂と言った様子で碧眼を大きく見開いていた。


「……。…………。そういう所ね。そういう所が、フォレ君の良さだと思うわ」


「どういう所だい!? 無性に気になるんだけど!」


「ふふ、教えなーい」


 悪戯に笑う顔も月光のようで可憐さが極まっていた。



「――ねぇ、フォレ君。太陽には、手が届きそう?」


「あぁ、順調に進んでいるよ。あれから外国から移住してきた人々に、外の内情について詳しく聞いたんだ。それをこれまでの調査結果と照らし合わせれば、多分――いいや、必ず平和な世界を実現できる」


「――そう。安心、したわ」


 そう呟くミネアの顔は、何故か物憂げだった。


「……ミネア」


「ううん、何でもないの。本当に、何でもないから……」


 絶対に何かがある。自分に言い聞かせるように捲し立てる様子からもそれが窺える。だが、今の彼女からは聞き出すことができないだろう。それに無理強いはしたくない。



 ――だから、フォレオスは勇気を振り絞った。


「――ミネア」


「な、何? そんなに真剣な表情で見つめられると、その、照れちゃうよ……」


「僕は、正解が分からない。君と会ってから、自分の想いに気付いてからずっと考えてきたけど、結局しっくりくる伝え方を見つけられなかった――だから、単刀直入に言う」


「……うん……わ」


 前口上をそこで切り上げ、ミネアの両肩を掴み、逸らされた目線を強引にこちらへと向けさせる。

 細い、温かい、このまま抱き締めたい。様々な感情が去来するが、それをぐっと抑え込み、宝石のような目を潤わせたミネアを凝視し、言った。




「愛してる」


「――――――ぁ…………れ」


 端的に、けれど情熱的にミネアへの愛を告白したフォレオスは、暫しの硬直の末、ミネアの瞳から涙が流れ始めたのを見逃さない。流れ落ちる涙を指で拭い、額を接近させ、自身の涙に驚いているミネアに笑いかける。


「君の気持ちも、聞かせてくれないかな。ヴァインみたく、遠慮のない本心をそのまま告げて欲しい」


「――――やっと、言ってくれたね」


「うん、そうだよね! これは僕の一方的な感情だよね、うん、今のは気にしないで、今のは無かったことに…………え?」


「やっと……言ってくれたっ……! 私、ずっと待ってたのっ……その、一言を」


 ミネアは、嬉しそうに泣きじゃくった。思わずフォレオスは彼女を抱き締め、胸を貸した。まだ、脳が硬直していた。

 ぼーっと、水平線を無心で眺めているような、現実と隔絶された意識で、ミネアの体温と泣き声を感じていた。








「――そ、そろそろ離しても大丈夫よ?」


「…………」


「えーっと、フォレ君?」


「…………」


「……むぅ、えいっ」


「…………はっ!」


 柔らかい刺激に現実へと引き戻される。何事かと見れば、眼下、自分がミネアを抱き締めているのが見える。だがそこにミネアの顔は無い。どこに行ったのか。思えば、先程感じた幸せな感覚は左頬から……


「っ!?」


 それが口付けであったと思い至った瞬間、瞬く間に全身が沸騰する。硬直していた脳もフォレオス史上類を見ない回転速度を叩き出し、猛烈な速度で情報を処理していった。


『――――やっと、言ってくれたね』


 やっと――なかなか実現しなかったが、ようやくの事で。

 くれた――人が自分に、または自分の側の者に対して何かをすること。大概の場合、好意的に解釈される。




 

「ミ、ネア………………君、は……」


「――私も愛しているわ、フォレ君。これはその気持ちと、私を放って自分の世界に入っちゃった事への仕返し。これから、よろしくね?」


 この時のミネアの顔は、今となってもフォレオスの脳裏に焼き付けられている。世界のありとあらゆる可愛いものが凝縮された眩しい笑顔は、爛々と輝く太陽にも負けない輝きを放っていた。



 □ ■ □

 


 ――齢二十、ミネアが倒れた。


 十七歳で正式に結婚し、母とヴァイン、ミネアの両親、それからダリウスを含む多くの関係者に祝福され、以後三年間は幸せの頂点にあった。

 想いが通じ合った二人は年四回の旅行を楽しみ、笑い合い、愛を囁き、至高の日々を謳歌した。瞬く間に過ぎていくこの幸福が、ずっと続くと思っていた。フォレオスはそう信じ切っていた。


 ミネアが弱り始めたのは一年前の事だった。日々顔から血の気が引いていき、やつれていく姿を見るのは想像を絶する激痛を伴った。


 ――本人の話では、生まれつき体が弱かったらしい。走ることすらままならず、室内で本を読み日夜を過ごすことが常。成長するにつれて多少の運動は行えるようになり、やがて王立図書館へと足を運ぶようになる。

 そんな折にフォレオスとは運命的な出会いを果たした、そう打ち明けてくれた。


 

 フォレオスはヴァインと共にミネアを救う方法を死に物狂いで探した。原因不明の衰弱を食い止める手段を書物から、医師から、伝承から見つけ出そうととにかく数え切れないほどの情報をあたった。信憑性に欠けるものも含めて、全てを試し尽くした。


 けれど、駄目だった。ミネアは日に日に弱るばかり。遂にはベッドから起き上がることすらできなくなり、ミネアは二十三歳の誕生日を二人と共に自室で迎えた。




 祝うべき記念日に、フォレオスとヴァインは、ただ彼女と言葉を交わし、死へと向かう過程を見守ることしかできなかった。だんだん生気を失っていくミネアを前に、ただ手を握ることしか、できなかった。


 ――そして遂に、その日を迎えてしまう。



「フォレ……君、ヴァイ……君……私、もうだめ、みたい」


「そんなことないさ。大丈夫。僕が、僕たちが必ず、治療法を見つけてみせる」


 詭弁だった。それが不可能であることを、フォレオスは千を超える希望と絶望の反復から理解していた。


「嬉、しいわぁ……でもね、もう、体が動かないの」


「それなら僕達が君の手足になろう。君が行きたい所へ、行きたい時に、僕達が連れていくよ」


 分かっていた。その光は、余計に彼女を苦しめると。分かっていてなお、やめられなかった。


「フォレオス二位様の言う通りです。姉様は、こんな所で死んでいい人間ではありません。ミネア姉様の優しさは、フォレオス二位様の創り出す理想郷の下で万民に降り注がれ、姉様は万民からの尊敬の眼差しを一身に受けるべきです」


「ふふ、そうねぇ……そんな未来があったら、幸せよねぇ」


 いつもの真顔に悲哀を隠したヴァインの言葉にそうして微笑を浮かべるミネアの顔が、出会った当時の、あの全てを諦めている表情と重なって見えて。


 ――気付けば彼女の手を強く握っていた。


「……っ、あったらじゃない。この手で実現させるんだ。だから、諦めないで信じてくれ。僕を、フォレオス・ソランデューを!」


 嘘だった。他の誰よりもフォレオス自身が、手の届かない夢物語であるとはっきり自覚していた。


「えぇ、信じているわ…………だって、私はあなたを、こんなにも愛しているんだもの」


 握る手から力が抜け、代わりにミネアがフォレオスの手を握る。


「――――」


「だから、ねぇ……ごめん、ね。あなたを遺して、先に行ってしまう私を、どうか許して」


 握った手をそっと置き、色白の手でフォレオスの頬に優しく触れた。それだけで、フォレオスは泣きそうだった。その手からは、熱が失われていた。


「……無理だ。僕は認めない。認められない。君は、死ぬべきじゃない。それなのに、何で、君がこんな目にあわなくちゃならない……っ! 僕は……僕は、こんな不条理、認めないっ! 認めて、たまるものか……」


 力無く、拳を地面に叩き付ける。言葉だけだ。気持ちだけだ。その想いに、結果は伴わない。


「――うん」


 ミネアはただ静かに肯定した。


「ヴァイ君……あなたは、私にとって自慢の子供のような存在だったわ。私達を慕ってくれて、ありがとう。とても、嬉しかった」


「ミネア……姉様……」


「――フォレ君。あなたに出会ってから、私の日々は、色付き始めたの。本当よ? 世界平和、フォレ君なら、実現できるって信じてる。だから…………私がいなくなっても、諦めないでね」


「………………ミネア」


「それから、自分をもっと、愛してあげて。フォレ君ったら、目を離すと、すぐ自分のことが疎かになるんだから……二日も、飲まず食わずで、勉強するフォレ君を見る、私の気持ちも、考えてよね、まったく」


「……あぁ、気を付ける。自分を大切にする。君が愛した自分を愛するから、だから……!」


「私、は……あな、たと、出会え、て……幸せ、でし、た……」


「でも……」と、そこで言葉を区切り、水晶のような涙を流しながら二人を眺め、言った。




「――もし叶うなら、もっと、二人と、フォレ君と一緒にいたかった、なぁ」



 それが、最期の言葉だった。二十三歳の誕生日、夜十時頃、ミネア・ソランデューは息絶えた。

 


  ■  ■  ■



 それから三ヶ月、フォレオスは自室から一歩も出る事はなかった。血液色をした短髪も好き放題に伸びて荒れ、無精髭が生え、垢に塗れた様子は人が見たら化け物と見間違うほどであった。

 食事は給仕が扉の前に置いてくれるので、最低限の生存のための行為は欠かしていない。しかし、そこにかつての好青年の面影はない。灰色に染まった世界で惰性で生を繋ぎ、無為の時を過ごす無色の亡者が、そこにいた。


 とはいえ、なにも外界の情報が何も入ってこない訳では無い。たまに窓の外を眺め、涙を流しながら昼夜問わずひたすら剣を振るう青髪の少年を見ることもあれば、一週間に一回彼が訪問し、扉の前で会話することもある。

 母レイミィも同様の間隔で訪問している。ミネアを気に入り、フォレオスの結婚を心から祝福していたレイミィにとっても、彼女の訃報は重たいものだった。だからこその配慮された言葉に、フォレオスは申し訳なく感じていた。





 転機が訪れたのはミネアの死から三ヶ月後、ヴァインが血相を変えて扉をノックして来た。


「二位様、フォレオス二位様、扉を開けてください!」


「……それは、できない。僕は、独りでいたいんだ」


「ミネア姉様を、蘇生できるかもしれないんです!」

「何だって!?」「あだっ!」


 勢いよく扉を開け、無事ヴァインの額にぶつかった。「す、すまない……」と謝罪するも、フォレオスの心はかつてないほど逸っていた。それこそ、ミネアへの告白方法を思案していた時と同じくらいに。


「だが、早速聞かせて欲しい。それは、確かなんだな?」


「はい、二位様。簡潔に言うと、帝国で治癒魔法なる奇術の発現者が現れたそうです」


「治癒魔法……?」


「えぇ。最近の帝国兵の減りが悪いことに違和感を覚えた王国兵が尋問を行った所、判明したそうです。とはいえ、発見初期の現段階ではまだ欠損部位の治癒は行えず、使用者も二桁に昇るかどうか。しかし裏を返せば使用者の練度が上達していけば、いつかは不可能を覆すのも夢では無いかもしれません! ――二位様、ミネア姉様はまだ死んでいないんですよ」


「――――」


 突如舞い込んだ希望に、フォレオスは歯噛みする。


 何故、何故今なのか。何故、三ヶ月以上前に訪れなかったのか。

 もっと早く、治癒魔法が発現していれば、あるいはミネアの衰弱も食い止められたかもしれないのに。彼女の味わった絶望と恐怖、癒えることの無かった苦しみを軽減させられたかもしれないのに。




「――ヴァイン」


 だが、それでも、手遅れでは無い。


「はい、二位様」


「――グアトライウスに、帝国と停戦交渉を行うよう奏上する。だが、支配欲に溺れた愚物には言葉は通じないだろう。だから、もし。聞き入れられなかったその時は……」


 一瞬の躊躇いを振り切り、宣言する。


「――この手を血に染め、僕が……いや、余が新たな国王となろう。停戦の後に、国交回復の名目で交換留学を提案する。その際、治癒魔法の使い手が候補に挙がるよう誘導し、王国に入国させる。そして事情を説明し、ミネアを診てもらう――それで、ミネアを取り戻す。協力、してくれるか?」


「――はい、二位様。僕は、この命に替えても、ミネア姉様のためにご助力します」


 そうしてフォレオスは再び、ミネアを生き返らせる為に世界平和の理念を核に据えた。

 優先順位はミネアが先だが、世界平和を実現することが――帝国との戦争を終わらせることが、ミネアの蘇生に繋がる。


 それに彼女と交わした約束もある。彼女が信じたフォレオスの夢物語を、何としても現実のものとするのだ。



 ■ □ □



「ぐ……謀ったな、愚息」


 ――吐血し、異常な程に震える手を見て、グアトライウスはフォレオスを睨み付ける。案の定、交渉は決裂した。だから、仕方ないのだ。もう、フォレオスが戴冠するしか、ないのだ。


「あなたの事は一度たりとも尊敬したことがありません。しかし、感謝はしています。僕を、この世界に誕生させてくれて、ありがとう。どうか、この世の全ての苦難が来世であなたを襲うよう、心よりお祈り申し上げます」


 蔑視し、猛毒に悶え苦しむ様を見下ろす。自分の行いの結果は、責任をもって見届けなければならない。それが最低限の礼儀であると、計画を実行に移すに前フォレオスの良心が定めた。


 しかし、何故だろうか。喉を掻きむしり、醜態を晒して死んでいく父を見ても、フォレオスの良心は何も訴えなかった。



 

 グアトライウスが何者かに暗殺された事実は隠蔽する必要がある。あくまでも、自殺か自然死に見せかけなければならない。そのため、殺害方法にはコーヒーに盛った毒を選んだ。


 野心のまま全てを自分の思い通りにするグアトライウスは、ある日実子の日記を目にする。その内容に失っていた良心が復元し、罪の意識で自決した。そういった筋書きである。


 褒められるべき要素の一つもない愚王であったが、せめてもの情けとして結末に独自の解釈を加えた。

 人々がグアトライウス――後に『暗愚王』と(おくりな)されるその名を肯定的に用いることは無いだろうが、最期に自分の過ちを自覚した点は、彼の人間性に新たな解釈の余地を生むことだろう。




 こうしてフォレオスは、無念の死を遂げたグアトライウスから王位を継承し、第二十四代ソランデュー国王となった。

 荒れに荒れた姿を整え、再びかつての好青年の様相を取り戻したフォレオスは、即座に帝国との交渉の場を設け、皇帝と対談した。


 先の戦争は先代国王の独断専行であったこと。

 この場限りの話だが、先代国王はこの手で責任を取らせたこと。

 王国側に敵対の意志はなく、むしろ帝国への然るべき贖罪の場を設ける意向であること。

 今後は帝国と密接な関係を築き上げたいと考えていること。

 国交回復の一環として、交換留学を提案すること。




 ――フォレオスの提案は、受け入れられなかった。

 

「此度の会談を通して、そなたのことを好ましく感じたのは事実だ。憎き怨敵に引導を渡してくれたのも大変喜ばしい。しかし、これは国同士の戦争、それも貴国が始めたものだ。その落とし前を、十年以上も戦禍に晒された我が国民が納得のいく形でつけてくれねば、妾の独断で温情を与えることもできまいよ」


 交渉は決裂に終わった。彼女が提示した賠償金は、王国が四十年かけても到底支払うことのできない大金だった。心情としてはフォレオスも彼女に同意だったが、王国の破滅が目に見える皇帝の条件は、呑めなかった。




 帰国後、途方に暮れたフォレオスは、ふらふらと王立図書館へと赴いた。特に用事もなく、習慣に従った形だ。無心で、図書館への道を歩き、本を徒に読み漁った。

 ――と、そこである情報が思い起こされる。


『いい? フォレオス……王立図書館にはね、国王に連なる血族しか立ち入りできない禁書庫があるの。私は王族と血が繋がっていないから入れないけど、読書家のお前ならきっと気にいると思うわ。鍵、渡しておくわね』


 ――結局、フォレオスは過ぎたる知識に恐れを覚えてついぞ禁書庫に足を踏み入れることは無かった。

 この日までは。


「――――」


 藁にも縋る思いで、フォレオスは禁書庫の鍵穴に母レイミィから託された鍵を差し込む。カチ、と解錠の音を合図に荘厳な扉が重々しく開かれ、世に隠された書物の数々がフォレオスの視界に飛び込む。



 その日は寝落ちるまでひたすらに禁書を読み漁った。タイトルが全く関係の無いものでも、もしかしたら端書きに手がかりが隠されているかもしれない。故に、数万に渡る蔵書を片っ端から読み進めていった。


 その日は夜も遅かったので八冊程度しか読破できなかったが、幸いフォレオスには時間が残されていた。フォレオスの命が尽きぬ限り、禁書を洗いざらい調べ尽くす。そうした頑強な決意がフォレオスを支配した。




 翌日以降はヴァインを誘い、共に調査することにした。

 もちろん、フォレオスの血族でないヴァインの入室は固く禁じられている。そのため、誰にもばれることのないよう細心の注意を払って潜り込んだ。


 幸い、厳重な設備が潤沢に整えられている禁書庫には警備はいない。その必要が無いほど、質の高い防犯機構が備わっていた。

 しかし、それにも弱点がある。王の血族を一人でも認識してしまえば、その人が禁書庫へ入るまで、防犯機構は機能不全に陥る。故に、フォレオスと手を繋ぎ恐る恐る足を進めるヴァインに危険が及ぶ要素は少なくとも現段階では無い。



 ■ ■ ■



 二日目。進捗は無い。累計読破冊数は三十四冊。

 三日目。進捗は無い。累計読破冊数は七十三冊。

 四日目。進捗は無い。累計読破冊数は百十一冊。

 十二日目。進捗は無い。累計読破冊数は四百十七冊。

 二十八日目。進捗は無い。累計読破冊数は千百五冊。


■■■


 二百六十三日目。死者蘇生に関連すると思しき予言を確認。累計読破冊数は一万五百十一冊。


『漆黒の死神が生き血を啜り、異国の聖女が絶望を喰らいし時、蝕まれし残火は遡行せん』


■■■


 三百十一日目。予言の解釈が一通りできた。


 フォレオスが睨むに、この予言は「漆黒の死神」なる存在によって数多の命を生贄にし、帝国の治癒魔法の使い手に死者を癒してもらう意味だと推測する。

 「絶望を喰らいし時」という表現がまだ不明瞭だが、死者蘇生には生贄が必要という一点は確かだろう。


■■■


 三百十八日目。予言を紐解けた。


 つまりはこうだ。――最強の兵士が敵国兵を蹂躙し、帝国の治癒魔法の使い手が絶望の底に叩き落とされた時、死者の命が廻天する。


 最後の、死者蘇生の記述には具体的にどのような行動を起こす必要があるのかの記載がない。それについて、様々な情報と照らし合わせると、三つの推測が成り立つ。




 一つ目は、絶望の渦中にある帝国の聖女に治癒魔法をかけてもらう。

 道理は不明だが、予言の記述を文字通り解釈すればこうなる。なにせ禁術なので、道理を求めてはならない類かもしれない。

 また、帝国の聖女がある特定の人物一人を指しているのか、はたまた治癒魔法の使い手全般を指しているのかで更に要件が異なってくる。



 二つ目は、前半の条件を満たした時、自動的に死者が蘇生される。

 この場合、前半の「死神」と「聖女」さえ何とかなれば、他の行動は必要ない。


 ――だが、この推測には一つ懸念点がある。範囲設定の仕方が分からないのだ。

 仮に標準設定が王国全土だった場合、王国全域に渡って蘇り騒動が起こる恐れがある。それに、蘇生の乱用は復活した死者の質を著しく低下するものと思われる。



 三つ目は、帝国の「聖女」による「漆黒の死神」の殺害。

 「絶望」を「漆黒の死神」と同義と見なすと、死神の死を糧に死人を蘇らせられると解釈できる。




 ――以上を踏まえると、現状は一つ目の行動が求められると仮定しておく。

 三つ目については不可逆であるため、あらゆる手立てを試し尽くした後の最終手段と考える。いずれにせよ、予言の履行には、「漆黒の死神」と「異国の聖女」なる人物を特定しなければならない。


■■■


 四百三十八日目。漆黒の死神の特定は不可能だった。


 あれから王国中を散策し、この目で人々を見てきたが、該当者は存在しなかった。これにより、帝国の聖女は特定の人物の呼称ではないと考えを新たにした。

 だが、これは非常にまずいことになっている。このままでは、ミネアを生き返らせられない。対処法を、考えなければ。


■■■


 四百四十四日目。ヴァインが名案を思い付いた。


 即ち、人物特定ができないのなら、自分達の手で「漆黒の死神」を生み出せばいいのではないか。


 ――盲点だった。画期的な発想だった。流石はヴァインだ。余一人ではあと百日はかかったであろう発案を、この短期間で編み出してくれた。


 早速、ヴァインと計画の見直しを行った。そこで決まった内容をここに記す。



 まず、現騎士団長ダリウス・パレットを罷免し、その座をヴァインに引き継がせる。いざと言う時に騎士団の主導権を握れたり、いずれ来る悲願成就の日への布石を散りばめたり、ダリウスを孤児院経営に専念させたりと、この代替わりには利点しか無かった。


 次に、ダリウスを支配下に置き、パレット孤児院を『死神』育成機関にする。

 脅しに関してはヴァインの提案通り、孤児の命を揺さぶることで難無く解決した。謀反の兆候もあったが、ヴァインが見せしめとしてゼフィオ――改名後は百一――を殺害したことで、未遂に終わった。

 また、ダリウスの罪の意識を軽減するために、『死神』育成機関へと変化させて以降、受け入れる孤児を「百二十三」から順繰りに名付けることを強制した。それに合わせ、それまでの孤児も番号名に改めさせた。

 『訓戒』や、訓練を開始する六歳までの育成方針など、細かい部分はヴァインの判断に一任した。


 最後に、戦争を積極的に継続させる。

 これはいずれ生まれる「漆黒の死神」への生贄だ。どの道停戦は不可能なのだ。であれば、最大限利用するまで。それでミネア復活が近付くのであれば、継続しない手は無い。

 それに付随して、国立学校の増設と専門指導教員の増員を行う。戦争継続には兵力の補給が欠かせない。王国騎士の質を下げないよう騎士の採用には慎重になる必要があるが、中下位層には最低限の訓練と資格と余の一存で入隊可能な臨時部隊で贄になってもらえばいい。




 ――計画はここに完成した。後は盤面を整え、都度介入し、来る時を待つのみ。



   ■■■          ■■■



 フォレオスはそこで筆を置き、瞑想する。脳内、幾度も木霊するのは、かつての自分とミネアの声だ。


『――届かせる』


「…………」


『僕が、叶えてみせる』


「…………は」


『世界平和、フォレ君なら、実現できるって信じてる。だから、私がいなくなっても、諦めないでね』


「…………ごめん、ミネア」


 幻の少女に、謝罪する。今はもはや、フォレオスの理念の優先順位をミネアとの再会が遥かに追い越していた。


「…………たとえ、君との誓いを違えたとしても、余は君を救う。だからどうか、再び会えたその時は、余を叱って欲しい」







「――愛する者のためなら、どんな謗りも受け入れよう。後代に史上最悪の暴君と名を残そうとも、全ての人類から恨まれようとも、罪なき命をどれだけ踏み台にしようとも――それで余の心が四方八方に引き裂かれようとも、余は構わない。この世の全ての悪業を余が引き受けよう。…………それでミネアが、生き返るのなら」



(以下は、最新話更新後に消します)

本日もお読みいただきありがとうございます。

2/6最後の更新です。明日も18:45に更新します。


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