第一章16話『何に替えても』
「何で……いや、隊長もそっち側なんだね」
「騎士団長なのだから、国王陛下に尽くすのは当然の事だろう――ニックはやられたか。まぁ、はなから期待はしていなかった。なにせ相手が悪い。むしろあの『侵色』相手によく健闘してくれた」
国王の命を刈り取らんとするレティシアの前に立ちはだかった青髪の騎士団長がそう言葉をこぼす。隻腕でレティシアの一撃を防ぎ切った騎士団長は、自身の喪失した左腕を赤のマントで隠し、悠々と国王への道を塞いでいる。
レティシアには分かってしまった。今の発言に、彼自身の感情が一切込められていないと。かつての自分がそうだったから、気付いてしまった。
「片腕で……レティシアさんに勝てるおつもりですか?」
「いいや、勝てない。『侵色』は人の手にあまる怪物だ。だが、勝てはしなくとも、殺す手段ならいくらでもある――それを今から証明しよう」
刹那、レティシアの正面に騎士団長が兆候なく出現する。そのまま瞬きすら許さない速度で刺突、咄嗟にレティシアは剣を宛がって火花を散らせながら受け止める――。
「……っっ! ぅぅぅぅう」
重い。片腕とは思えないあまりにも凄まじい力に、ジリジリと、足が後ろに持っていかれる。
初撃は受け止めた。しかし受け止めた後もその初撃は終わらない。騎士団長の剣先に更なる力が乗せられ、剣に加わる力の全てがその一点に集中する。点に凝縮された衝撃がレティシアの胴を剣越しに貫通した。
「……しっ」
が、それを痛覚遮断で耐え、がら空きの胴体に横蹴りをお見舞いする。
「く」
閃光に迫る速度と威力を無防備に喰らい、騎士団長の剣先が僅かにズレた。その一瞬の隙を突き、レティシアは真横に跳躍、相手の剣域から脱出する。
すかさず肉迫し、『侵色』の神速の刺突をお返しする。先程の騎士団長の刺突より出も加速も遥かに上の、これまで幾度も脈動する命を貫いてきたその一撃に、レティシアは勝利を確信する。
「……ぇ」
――剣から伝わる予想外の感触と目に映る光景に思わず声が漏れる。騎士団長は、片腕なのにも拘わらず、レティシアの鍛え抜かれた刺突を剣先で受け止めていた。
「――――っ」
驚愕による硬直も束の間、地上戦は捨て、レティシアはすぐに切り替え前宙。体ごと縦に回転し、上空から肩を両断しにかかる。
「ふん」
「……ぅぐ」
それを騎士団長は、身を微かに逸らして回避。空振り、逆さになったレティシアの背中を、剣の柄で一瞥もくれずに貫く。
肉が壊れ骨が軋む音を幻聴し、為す術なく華奢な体が勢いよく吹き飛んだ。
「ぅ……がぁっ! ……かは」
瞬く間に壁に衝突し、勢いよく吐血する。「訓練」の成果では対処しきれない衝撃が瞬間的にレティシアを襲い、継続する鈍痛が全身を打ち続ける。
皮膚の感覚から察するに、鼻からも流血している。それどころか骨も何本かダメになっているようだ。だが、その耐え難い激痛を凌駕した困惑で、レティシアの頭は埋め尽くされていた。
「ど、どうして……」
――これまで一度も想像すらして来なかったレティシアの惨状に、イリスも動揺を隠せない。
力・速度全てにおいてレティシアが圧倒しているはずなのに、対する騎士団長は隻腕という不利を抱えながらも、常に一歩先で反撃を行う。原理が全く分からない。
「単純なことだ。どれほど技を修めた超人だろうと、次の行動、姿勢、狙う場所、速度、込める力、扱う剣技さえ分かれば何のことは無い。適切な機に、適切な位置に剣を置けば、防げる」
投げかけられたイリスの疑問に律儀に答えつつ、隻腕の騎士団長がレティシアへと迫る。レティシアは吐血しつつも剣を支えに立ち上がり、騎士団長の無き左腕目掛けて斜めに斬り上げた。
瞬く間に幾重もの剣戟が繰り広げられ、衝撃波にレティシアのケープと騎士団長の血色のマントが揺らめく。だが依然として騎士団長の涼しい顔は歪まない。
その真顔とは対照的に、自身の攻撃が全て対応――どころか、予測されているという未知の事態にレティシアは驚きを隠せずにいた。両者の展開する打ち合いは終わりが見えず、何度も何度も剣が重ねられ、離れ、重ねられが繰り返される。
――何度攻め方を変えても、それも含めて予知したように対応される。そこにレティシアは大きな違和感を抱いていた。
人智を超えた結果には、大概何かのカラクリが隠れている。そのカラクリの一端にようやく触れられたような感覚だ。
そして同時に気付く。彼の剣は誰かに――お父様に似ていた。
️「その構え方、剣の扱い、手首の動き……なんで、隊長が……?」
「なんだ、まだ気付いてなかったのか?」
騎士団長と切り結ぶ最中感じていた既視感に、ある可能性が頭を過ぎるも、考えるのも馬鹿馬鹿しい暴論だと丸ごと破棄していた。
だが、その可能性以外に騎士団長の異常な強さを説明できる術がない。人の身から外れた結果にはカラクリがある。仮にこの可能性が真だとすれば、レティシアの動きや思考を網羅し対処する神業にも理屈が通る。
だが、やはり信じられない。理屈以外の何かが、その可能性を拒絶している。
――混乱の頂点にあるレティシアに、騎士団長は冷酷に告げる。
「お前の育て親、ダリウス・パレットは俺の実父だ」
□ ■ □
――ヴァイン・パレットは、お父様の実子である。考えるのも馬鹿馬鹿しい暴論が、的中してしまった。
「ぇ……ぁ……」
制御する余地のない動揺に、一瞬だけ剣が揺れてしまう。
「――青いな」
「……ぅ」
「レティシアさんっ……!」
その虚ろを突かれ、レティシアの右肩から血飛沫が舞う。見れば、長剣が突き刺さっていた。幸い「訓練」の成果が賄える程度のようで、痛みは無い。
「お前には失望したよ、『侵色』。人間性を持たないことこそお前の強さだったのに、この程度の真実で心を揺らすとは。お粗末だな」
「ぎ……ぐ……」
ぐりぐりと剣をねじ込まれ、空いた穴が無理やり拡張される。しかし、それと同時に剣が接していない箇所から徐々に傷口が癒えていった。
「ん? ――そうか、『聖女』の力か」
そう呟く騎士団長に、同時にレティシアも理解が及ぶ。細胞の活性化。きっとこれも、その作用の一つなのだろう。
――ヴァインの強さの所以は、お父様にあった。レティシアの剣術はお父様から教わったものであり、その一挙手一投足も戦闘中の思考も優先順位も防御手段も、その一切がお父様を模倣したものだ。
単純な戦闘能力では速度も威力も若さも勝るレティシアに軍配が上がるが、実際に互いが全力でぶつかれば、勝つのはお父様だ。源流なのだから、支流の行動予測など容易い。それに経験値が違う。
だからレティシアは本気のお父様には勝てない。――逆説的に、あの時のお父様は手を抜いていたことになるが、今は置いておく。
ともあれ、それと同様の原理がヴァインにも適用されている。彼は、レティシアよりも十数年早くお父様の指南を受けた。紋切り型を崩せないレティシアの剣術は、何もかもがお見通しだった。
「――あな、たには……人の心が、無いのですか? 彼女が、レティシアさんが、あなたの父親にどんな教育を受けてきたのか知った上で、あなたはそう仰るのですか!?」
「人の心などとうに捨てたさ。そんなものがあっては悲願は成就できない。それと何か勘違いしているようだが……知っているも何も、父が孤児院で行っている教育内容は私が考案したものだ。人間性を抹消したり、帝国民に対する思考洗脳、規則――監修はしたものの基本父の原案通りだったが――それの遵守など。細部は委ねているが、内容の根幹は違えていない」
その人間が発した言葉の一つ一つが、イリスには微塵も理解できなかった。
人として最低限遵守すべき倫理から思考が逸脱している。自らの行いにより傷を負わせたレティシアとダリウスを見ても、心を痛めない。
――あぁ、そうだ。こういった人種を、人は狂人と、そう呼ぶのだ。
「――狂ってる」
「あぁ、そうだな。私は狂った。共通の悲願のために全てを代価に支払う道を選んだ。だから、お前達は私達を恨んでくれていい。恨んで、私達の悲願の犠牲となってくれ」
イリスとの応酬の最中も傷口を抉られ続けているレティシア。彼女は歯をこれでもかと食い縛り、右手に握り締めた剣で騎士団長の腕を貫こうとするも、予期していたとばかりに彼は、レティシアを突き刺す長剣から手を離し、華奢な体を蹴り飛ばす。
「……づぁ」
痛覚遮断越しの衝撃に臓腑が攪拌されるも、勢いに逆らわず、無言で地を転がる。その度に騎士団長の剣が深く突き刺さり、滴る血液が赤い絨毯を所々濡らしていった。
「レティシアさん……っ!」
見るに耐えかねたイリスが、思わず駆け寄り本格的な治癒を開始する。その、自分の命を省みない蛮勇にレティシアの目に焦燥が走り、咄嗟に右肩の剣を引き抜き、治癒を待たずに双剣を重ねて突進する。
イリスから――戦う力を持たない彼女から、死域を遠ざけなければ。
「確か、父の剣技に双剣は無かったな」
幾度も酷使した右足に全力を注ぎ、充填。大気が爆ぜ、騎士団長目掛けて直線を貫く。正しく、全力を尽くした会心の一撃だった。
「――そうだな、父ならそうした」
「……ぇ」
切り払う直前、騎士団長の声を左耳が捉えた。その口元を辛うじて左目が捉えるも、肉体が情報に追い付かず、そのまま双剣を振り切ってしまう。手応えはない。
方向転換を試み――違和感。左手を見る。剣が無い。
状況把握を優先。突進の勢いを殺しつつ着地。振り返り、敵を見据える。隻腕が、長剣を握っていた。
「…………っ」
動揺は一瞬。切り替え、再び斬りかかる。
――十、百と鳴り響く快音。レティシアの時を置き去りにする猛連撃を、隻腕の男が涼しい顔で防ぎ斬る。
威力を上げてもいなされ、威力を犠牲に速度を上げても狙った座標に置かれた鋼に受け止められる。ならばと剣撃を繰り広げる最中、鞘を逆手に引き抜き振り上げるも、瞳孔だけが下に動いた騎士団長の靴裏に食い止められる。
――剣撃は予知され、即興の不意打ちもお父様の戦闘センスとの共通点から推測され、対処される。レティシアが何をしても、相手はその数歩先を行く。お手上げだった。
「――――っ」
これで、終わりなのだろうか。サンドラを奪った戦争も、お父様を縛り上げた国王もヴァインも、止めることができずに死ぬのだろうか。
これまでレティシアがしてきた所業を考えれば、それも当然の報いのように思えた。
――そう諦めの境地に達しかけたレティシアの視界に、首元のリボンが映り込んだ。桃色をしたそれが、レティシアにある人物を思い起こさせる。
『大丈夫、アタシがついてる』
――桃色の髪をなびかせた、太陽のように明るい少女が、後ろで支えてくれている。そんな気がした。
「――ふ」
不意に、笑みがこぼれる。その反応に虚ろを突かれた様子の騎士団長の剣を弾き返し、無数に重ねられた剣戟を中断し、レティシアは後ろに跳びずさる。
着地、蓄積、そして解放。雷鳴の如く風を切り裂き、騎士団長へ再び突進する。
「……なに?」
――と見せかけて、瞬時に騎士団長の左腹部目掛けて愛剣を投擲する。もはや剣術ですらない邪道に、模範的な騎士団長は対処が間に合わない。
――この攻撃は、お父様の戦闘センスから導き出されたものではない。レティシアに最初に「色」を与えてくれた桃色の少女が、加勢に間に合わない時によく使っていた技の応用だ。
少女の戦域は比較的後ろ寄り。先陣を突っ走る騎士団長にとっては正しく初見の一撃であり、予知は不可能だった。
「ぐ」
投擲後、すぐさま上空へ跳躍。腹部を貫かれた騎士団長が予測通り剣を手放し、それを掴み取る。
そして、狙いを定めつつ重力に体を委ね、レティシアは苦痛に歪む騎士団長の顔の真横に、力強く長剣を突き刺した。
「こ、れで、終わり。あき、らめて」
「――――」
息も絶え絶えに、至る所から流血させながら、そう宣告する。
刹那、騎士団長の瞳が揺れる。生憎と、レティシアにはその内情は分からない。だが、レティシアやイリスと同じように、きっと彼にも大切な存在がいるのだろうと、漠然とそう思った。
「フォレオス二位様、ミネア姉様、父、さん……」
苦痛に喘ぐ騎士団長は、最後の力を振り絞り、玉座に座る国王へと手を伸ばす。しかし国王は顔を伏せ、目を伏せ、「もう、よい」と言葉を発するだけだった。そしてそれが、騎士団長にとっての全てだった。
「私の、負けだ……」
忸怩たる思いの滲んだ敗北宣言が、死闘の終結を知らせる。国王へと伸ばされた逞しい隻腕が、力無く地に落ちた。




