第一章15話『それぞれの戦場』
「…………」
――声が聞こえる。
「……うすぐ目覚…………我はありません……」
「…………大丈…………まだ戦え……」
声が聞こえる。声が、声が声が声が――聴覚が、ある。それを認識した瞬間、命を拾ったのだと気付く。一度それに気付いてしまえば、次に知覚するのは身体から湧き上がる「熱」だった。
昨夜流し込んだ肉体を侵す類の灼熱ではない。傷付く心を優しく抱擁するような、そんな温かさで。
「…………ぅ」
「あ、起きましたか?」
声が聞こえる。確か、レティシアと一緒にいた透き通った白色の――。
「あー……生かされたのか、俺は」
そこでようやく、感じた「熱」が白い少女の治癒魔法によるものだと気付く。となると、彼女の声が上から聞こえたのも納得だ。
「な……んで……だ?」
目を開き、覚束無い視界の中、眼前に映る澄んだ青目の少女に尋ねる。
「黙ってください。傷口が開きます」
重傷者の問いかけは真剣な声により中断され、「熱」がより強くなる。とはいえ心地いいことには変わりなく、身も心も委ねていた。
どうせ死んでいた命だ。なら、流れ着く所まで流れ着いてみよう。そうした心境での判断でもあったのだが、次第に傷口が塞がり、内部の断たれた神経や血管がみるみる結合していくのを知覚すると、拭い切れなかった「熱」への懸念が杞憂であったと分かる。
「いずれ追っ手が来ます。全てが終わるまで、あなたは死んだふりをしていてください。そうすれば、命も名誉も尊厳も、失われずに済むはずです」
「は、はは…………そーかい…………」
善意で告げられた忠告を無視し、敗者は痛快に笑う。そして、言いつけ通りに死に顔を作り、噛み締めるように言った。
「悪ぃ、サンドラぁ…………俺は、もうちっと……こっちいるわ……」
□■□ □■□
「――行った、か」
二人の反逆者が国王の元へ進むのを聴覚で確認し、ニックは先程の茶番を振り返る。
全力だった。それどころか、これまでの人生で一番冴え渡っていたと言ってもいいぐらいの直感と剣筋で相対した。もう一度同じ事をしろと国王に命令されても、きっとニックには再現ができないだろう。あれは正しく、王国騎士ニックとしての最善を尽くした一戦だった。
躊躇いはあった。しかしそれも戦闘前までの話。剣を向けると決め、レティシアの覚悟を問うた時には既に、迷いを断ち、ただ敵の一挙手一投足に意識を集中させていた。
その結果がこれだ。
「はは、ざまぁねぇな」
自然と嘲笑が漏れる。呆気ない、実に呆気ない茶番だった。お遊戯にもならない、一方的な戦いだった。
経験と双剣、それと意表を突いた技で多少は噛み付けたような手応えはあったが、こうして振り返るとあれすらも強者の道楽だったのだろう。むしろ、凡人が超人に数分持っただけでも上々の戦果と言えるだろう。
「――臆するな! 反逆者を捕え……」
「ニックさん!?」
そうして自嘲を続けていると、やかましい音が近付いてくるのを耳が捉える。
足音からして三十人ほどか。あの二人の追っ手だろう。だが血だらけで倒れているニックを発見し、こちらの安否の確認を優先したようだ。
――このまま黙ってやり過ごしていれば、あの嬢ちゃんの思惑通り、ニックは二人を食い止めようと立ちはだかり意識不明の重体に陥った勇敢な被害者として、王国の歴史に名を刻むだろう。
「――はは」
「……! ご無事でしたか、ニックさん!」
しかし、ニックは笑う。
サンドラとの思い出を振り返る。だがこの数秒では到底足りない。
レティシアとの思い出を振り返る。だがこの数秒では到底足りない。――それで、充分だ。
「――あぁ、俺は大丈夫だ」
「あ、安心しました。ところで、やつらは……ぅ」
「――悪ぃな、少し寝てろ」
重々しく立ち上がると、心配の眼差しでこちらを見つめる若手の兵士の首に手刀を入れる。
痛みはまだあり、傷口もちゃんと塞がっているのか分からない。完全に塞がっていたとして、中身までは望み薄だろう。
安静にしろとまで言われた身体だ。文字通り、安静が必要なまでに衰弱し切っていて、少しでも傾けば今度こそ死が待っている。
だが、王国騎士ニックは先程死んだ。ここからは、バカドラとレティシアの世話役として、動かせてもらう。
「に、ニックさん!? 何を……」
「心配せずとも国王陛下は隊長が守るよ。だから――あぁ、俺は今気分がいいんだ。俺を倒せた奴にゃあ後で一杯奢ってやる」
顔から血の気が引き切っているのを感じる。手にも足にも力が殆ど入らない、虫の息だった。だが、それでも男は剣を構える。刹那、思い起こされるのは先程の応酬。
『黙ってください。傷口が開きます』
自分達のことよりも敵であるニックの命を、あの少女は優先した。サンドラとは別の、レティシアにとって二人目の友人。
――二人は、後続の兵士達をどう対処するつもりなのだろうか。
「……はは」
きっと、頭に無いのだろう。誰だって、物事の渦中にいる時は視野が狭くなりやがる。大事なことは、起きてからしか気付けない。――あの時と、同じように。
「なら、俺がその役割を担わないとな」
既に此度の騒動から離脱しており、俯瞰しているニックが、その穴を埋めよう。それが二度も違えた決意の、三度目の正直とやらになると信じて。
「――さぁ、お前ら。遠慮せずかかってこい。そして全てが終わったら、思う存分飲み交わそうぜ」
□■□ □■□
「蛍は、運命に弄ばれた悲しき命だ。世界の美しさに歓喜し、太陽の如く輝けるのは一瞬で、年端もいかない内に光を失ってしまう。
――そうは思わないかね? 三百九十六……いや、レティシア・パレット」
玉座の間の扉を切り刻み、堂々と乗り込んだレティシアに問いかけが重なる。物憂げな顔でそれを発したのは、紛れもないソランデュー王国当代国王陛下その人だった。
が、おかしい。おかしすぎる。
「なんで、私の名前を」
「忘れないためだ。余の悪業を。人々の輝かしい未来を喰らって悲願成就の糧にしているのが今の余であるということを」
王国民の名前であれば全て記憶している、と国王は付け加える。だが、違う。違うのだ。それだけでは、彼がレティシアの名前を言い当てたことに納得がいかない。
「違う。そういう事じゃない。だって、その名前は――」
「サンドラ・ミリエスタが名付けたもの。そうだろう?」
「――っ!」
そう。三百九十六に人の名を与えたのは、サンドラだった。
あの時、彼女は街路の脇に座っていた傷だらけの三百九十六に手を差し伸べた。あの時見せた笑顔が空に昇る太陽と重なり、何も入っていなかったはずの心が焼かれたのを、今でも鮮明に覚えている。
その後彼女の自室に連れていかれ、応急手当を受けた。治療中の会話で、優しい彼女は『じゃあ――レティシアっ。今日からあんたは、三百九十六じゃなくて、レティシアだよっ』と、人の道を教えてくれたのだ。苗字は数日後、サンドラがレティシアの孤児院からとり、後付けしたものだ。
この、レティシア・パレットが誕生した経緯は、当事者と王国騎士団の数名しか知らない。彼ら以外に、三百九十六とレティシア・パレットが同一人物であると認識している人間はいないはずだ。
それなのに、国王は言い当てた。何故、レティシアと無関係のこの男が、この背景を知っているのか。
レティシアが硬直している間に、国王は白髪の少女へと目を向ける。
「そちらは『純白の聖女』イリス・ミリネスだな? 帝都から遥々お越しいただいたのに、このようなお出迎えになり申し訳ない」
「こちらこそ、謁見の要請無く玉座の間に足を踏み入れた無礼、謝罪いたします。ですが、それとは別に、これからする事を謝るつもりはありません」
「これからする事、か」
「はい。――邪智暴虐の限りを尽くすフォレオス国王陛下、私たちがあなたの企みを断ち切ります」
堂々と、イリスが王国の主に向かって真っ向から宣戦布告する。だが、それを受けてなお、国王の憂鬱な表情に変化はなかった。
「レティシア・パレットが王国を後にした時から予想はしていた。近々余の悲願の成就を妨げる何かが起こる……それは必定だった。――もっとも、皮肉にも彼の有名な、最高峰の『癒し手』が傘下に加わっているとは思ってもみなかったが」
「王様にも、予想外があるんだね」
「あぁ、そうだとも。思えば、余の人生は予想外の連続だった。だから一回くらいは、想像通りの結果を得ても許されるはずだ」
苦笑し、国王は含みのある言い回しでレティシアの素朴な感想への返答とする。それには取り合わず、レティシアが質問する。
「……お父様を縛り、苦しめていたのはあなたなの?」
「そうだ。余が、ダリウス・パレットに使い勝手の良い使い捨ての駒の育成を厳命した。あぁ、常に監視の目を行き届かせていたから、逃げ道も塞いでいたな」
「――そう」
静かに、呟いた。
「なら、充分」
そう言い、剣を抜き放つ。静謐な声音には、冷たい憤怒の炎が宿っていた。
「斬るのかね? 余を」
「やめてと、そう言っても無駄でしょ? それに、あなたは孤児院の皆を――お父様を苦しめ、心に背く行いをさせ続けた。だから、斬る」
「ふ、そうか。怒っているのだな、レティシア・パレットよ」
「怒、る――そっか。これが、怒る、なんだね」
「レティシアさん……私も同じ気持ちです。彼の采配は、多くの無垢な民を死に追いやった。私の友人も、戦友も、親友も――彼が継続した侵攻によって散りました」
レティシアが自覚した感情に、イリスも賛同する。恐らく、レティシアが感じているそれよりも、イリスの抱いている激情は荒ぶっていた。
「先代国王から継承したその権力で、あなたはいつでも不毛な侵攻を終わらせられたはずです。しかし、陛下はそれをしなかった。それだけでも理由に事足りるというのに、あなたの魔の手は自国民にも及んでいました――到底、許せるはずがありません」
「あぁ、余も許せんよ。余のことが――そして、無慈悲な運命というものが」
諸悪の権化が、自己完結した揺るぎない結論を根拠にして、自分一人だけで会話を完結させている。勝手に諦観し切っている彼にイリスは対話する価値を見出さず、見限った。
故に、対話が通じない場合の計画を、遂行する。
「……もう、結構です――レティシアさん、最後に確認します。本当に、いいんですね?」
今一度、レティシアに覚悟を問う。それを受けてレティシアは、決意の灯った瞳でイリスを見つめ返す。
「……うん。私は、私の為に王様を――王国を『侵色』する。『訓戒』はもう、最優先事項じゃない」
「そうですか――なら、私も覚悟を決めます」
そう言い、イリスがレティシアの肩に触れる。途端に身体が軽くなり、全身から力が漲ってきた。
「治癒魔法の応用です。細胞を活性化させ、代謝を促進させました。今の私では、持って三十分といった所でしょう――私も、一緒に背負います」
「――ありがとう、イリス」
礼を言うレティシアへの返事の代わりに手を離し、イリスは魔力制御に集中する。
万一の事態や、この戦いを終えたその先も考慮して、ある程度の魔力を温存しなければならない。そのため、最小限の魔力で最大限の支援を継続しなければならず、一つの無駄も許さない精密な魔力操作を行う必要があった。
そう。レティシアにはレティシアの、イリスにはイリスの戦場がある。
「――良い踏み込みだ」
「ぇ」
――そしてそれは、国王の胴体を狙ったレティシアの一閃を横から割り込み弾いた、王国騎士団団長兼臨時部隊隊長であるヴァインにとっても、同様だった。




