第一章14話『太陽に吠える』
「――はぁ……やっぱ戻っきちまったか」
「ニックさん……」
銀色の鎧を身に纏い、物憂げな顔で、金髪の王国騎士が招かれざる来訪者を歓迎する。玉座の間に繋がる通路を守る番人が、そこに立ち塞がっていた。
「ここまで来ちまったってことは……まぁ、守衛程度じゃ、お前は止められないよな」
「――――」
「なぁ、悪いこたぁ言わねぇから帰っちゃくれねぇか? 俺もお前らとやり合いたくねぇ」
「ごめん。それは、できないよ」
「私もレティシアさんと同じです。ここで引いては全てが無駄になります」
「だよなぁ、そうだよな……はぁ、仕方ないか」
嘆息し、王国騎士は希望的観測を捨てる。そして、諦観を目に宿して口を開く。
「なぁ、レティシア。お前、自分の地位が何を意味してんのか、知ってるか?」
「特務兵のこと? ……言われてみれば、考えたこともなかった」
レティシアの認識では、自分の仕事はただ敵肉を切り刻むことのみ。それより深く、レティシアに求められている役割を考えたことは無かった。
「だろうな。お前はそういう奴だ。言われた内容に疑問を抱いたことも無いだろ。だから、教えてやる」
そして、レティシアの反応を待たずに騎士は続ける。
「本来、特務兵というのは戦闘以外の重役を担う役職だ。だが、お前は違う。お前はあまりにも強すぎた。それも、味方を必要とせず単独で、だ。お前のそれは戦闘とは言わねぇ。一方的な殺戮だ。だから、ヴァイン隊長は戦闘の枠外の働きを見込んでレティシア――お前に特例で特務兵の任を命じたのさ。つまり何が言いたいのかっつーと、十中八九俺はお前に切られて死ぬ」
「――――」
「だが、気に病むな。どの道俺は戦場で死んでた。前の反乱も、片腕の同胞に庇われてなきゃぁ、お前らんとこに合流すらできてなかった」
片腕の同胞――それを聞き、レティシアには思い当たる節があったが、考えないようにした。そして、レティシアと王国騎士、双方が同時に剣を構える。
「お前にゃ悪いが、一足先にバカドラのご尊顔を拝んでくるぜ」
「……穏便な解決方法はないの?」
「ないね。なんせ、俺は臨時部隊の分隊長である前にソランデュー王国の騎士だ。上の命令にゃぁ逆らえねぇ」
「たとえ、無駄に死ぬことが分かっていても?」
「当然だ。そもそも、死ってのはそんなもんだろ? 意味のある死なんて存在しねぇ。それは俺たちが勝手に意味をくっ付けただけの代物だ。死そのものは本来無意味で無駄な事象なのさ」
「……それは、サンドラも?」
「――あぁ、そうさ」
「……ニックさん。でしたら、あなたのその表情はどう説明するのですか?」
話を静観していたイリスが、胸元を抑え、苦しそうにニックに問いかける。レティシアの目には、ニックの顔が苦痛に歪んでいるように見えた。
「それこそ、無意味な死に勝手に意味を見出した愚者の典型例だよ。――俺の事はどうでもいい。時間を稼いだ所でどうしようもないだろ。さっさとおっ始めようぜ」
「……本当に、いいんだね。ニックさん」
「あぁ。俺とお前たち、どっちが悪い訳じゃねぇ。強いて言えば運命が悪ぃ。俺たちはここで殺し合い、そしてどちらかが死ぬ。ま、そっちの巻き込まれただけの『純白』さんにゃあ思う所があるがな」
「これは私が選んだ道です。どんな結果になっても悔いはありません」
「はは、そーかい。なら――問題ねぇなッ!」
言い切るのと同時、王国騎士が地面を蹴り、彼我の距離を消失させる。
「――っ」
「お? どうした、まさか『侵色』がこの程度で根を上げるのか?」
獰猛な笑みを浮かべる騎士の放つ一撃は重く、真正面からの戦闘は非効率的と判断。
故にレティシアは、火花を散らし交差する愛剣を下に滑らせ、受け流す。
「うぉ……」
力の支柱を失った刀身は騎士の身体を巻き込み虚空を斜めに断つ。そうして体勢を崩した胴体を、レティシアは身体を捻らせ、遠心力を乗せて薙ぎ払う――が、防がれた。
「っらぁぁぁぁぁ!」
「――っ」
無防備に隙を晒していた騎士は、咄嗟に二本目の剣を逆手に抜刀、がむしゃらに後方にぶん回し、絶死の一撃を弾き返す。そのあまりの膂力に、さしものレティシアでも威力をいなし切ることができず、吹き飛ばされる。
だが、反撃に成功した騎士も、自身の振り切った左腕を制御できす、大きな隙を見せる。
片や荒々しく立ち上がり、片や無駄のない動きで着地する。両者の距離は、また開いた。
「は、はは、どうだ? 今の一撃、響いたろ」
「そうだね。まさか、ニックさんが双剣使いだったなんて、知らなかった」
「そりゃ、俺も初めて人前で見せるからな」
言葉の応酬も束の間、再び彼我の距離が圧縮される。肉薄、後退、接近、跳躍、幾度も剣戟を繰り返し、舞い踊る。音速に迫る速度で攻めるレティシアの剣筋を、金髪の騎士は直感だけで受け止め、いなし――豪快な腕捌きで攻めに転じた。
「そらそらそらそらッ!」
一撃一撃が重く、息付く暇もなく畳み掛けられる猛撃に、レティシアの剣を持つ手が痺れる。隙を突こうにも、レティシアの一手のうちに二手を差し込む王国騎士に隙はなかった。――故に、隙を生み出すべく自ら死域へ赴く。
カン、カンと立場を変え場所を変え剣を打ち合う最中、王国騎士が斬撃を放った瞬間を見計らい、体を反らしてそのまま騎士の真下を滑り込む。
「ぐ……がぁぁぁぁぁァ――ッ!」
通過際に左足を浅く斬るものの、王国騎士は痛みを根性で捻り潰し、背後へ豪快な斬撃を放つ。
「――ぁ?」
――しかし、そこには既にレティシアの姿は無い。
咄嗟に顔を上げ、目を大きく見開いた王国騎士の上空、シャンデリアの光に照らされたレティシアが、剣を水平に振りかぶっていた。そして、獰猛に笑う王国騎士へと宣告する。
「終わりだよ――ゆっくり休んで、ニックさん」
甲冑胸部に亀裂が走り、忠義を尽くした王国騎士が音を立てて崩れ落ちる。
赤い絨毯を赤みがかった「黒」が『侵色』し、切り払われた血液が誰も望まない悲しき戦いの終着を残酷に象徴した。
△▼△ △▼△
「ていっ、やっ、たぁぁ!」
コン、コンと、木と木が打ち合う音が聞こえる。見ると、右手は木剣を握っていて、誰かと戦っている。それが十かそこらの少女となれば、戯れか稽古と断ずるのが良さそうだ。
「お、は、よっと」
果敢に打ち込んでくる少女の剣を軽々と交わし、時には受け止めつつ、ニックはこれが走馬灯だと自覚する。
五年前、暇を貰い故郷に帰省した折のことだ。ご近所付き合いで面倒を見ていたサンドラに、三年ぶりに再会した直後の出来事がこれである。
その時には既に剣の道を志していたサンドラは、帰郷し挨拶に伺ったニックに、出会い頭に斬りかかってきたのだ。初撃を軽く躱すと、無鉄砲な問題児は一本の木剣を投げ渡し、稽古をつけるよう図々しくも要求してきた。
駄々をこねられても面倒なので仕方なく了承し、冒頭に戻る……というわけだ。恐らく、その時の記憶をニックは追体験している。
「とりゃ、せい、だぁぁ!!」
綺麗な桃色を揺らし連撃を繰り出すサンドラは、この時点で既に才覚を表していた。
八歳の頃に発現した防御魔法は、これまで前例の無い特殊な能力だった。
そもそも魔法自体の歴史が浅い。先史時代がどうかは分からないが、少なくとも文献には魔法の記述は無い。ニ十年近く前に帝国で突然生じた奇跡、というのが人々の見解だ。
そして魔法とは即ち治癒魔法である。今日に至るまで、治癒魔法以外の魔法は、サンドラのそれ以外確認されていない。――もっとも、王国人の知る範囲内では、という注釈が入るが。
ともあれ、サンドラの特異性はこれ以上語るまでもないだろう。
「お、今のは、悪くねぇな」
ともあれ、天の恩恵を欲しいままにするサンドラは、それだけでは飽き足らず、剣にも手を出した。
動機は家業を継がせようとする両親への反発から。彼女の母と幼なじみだったニックからすると複雑な心境だが、少なくともサンドラ本人視点では、彼らは良き理解者ではないようだった。
他の職に就き既成事実を作る。その手段を考えるにあたり、サンドラの脳裏に選択肢として真っ先に浮かんだのは、他者を護る魔法の存在と彼女本人の性質も相まって、騎士の道だった。
それで見切り発車で国立学校を十歳で受験。首席で合格し、以来鍛錬の日々だったとか。後日真実を知った両親が、こっぴどく叱るのではなく安堵で号泣してしまい、対応に困ったとサンドラ本人は話していたが、その後の彼女を見るに、肉親の涙はお灸にはならなかったようだ。
「えへへ〜、アタシも中々やるように、なったでしょっ!」
もっとも、当時のニックにはこれらの事情を知る由もなかった。三年ぶりに保護者面して顔を出しに行ってみれば、訳も分からず斬りかかられた、という認識である。
「んで、いきなり、どうしたよ」
「アタシ、騎士目指すことにしたのっ!」
「……騎士? お前が?」
「ちょ、何で疑問形なの? そんなに意外なわけ?」
「別にそうじゃねぇよ。ただ、血は争えないなと」
「血?」
「……まさか、聞かされてねぇのか?」
「何のことかさっぱりだけど……多分。詳しい解説を求めますっ」
彼女の母も過去、騎士の道を志していたと告げようか迷ったが、本人が話していない以上無粋だ。はぐらかすことにした。
「あー……ほい」
「うわぁ!? ちょっと、不意打ちしないでよっ! 話逸らすなぁ!」
「はは、悔しかったら一本取ってみ! 何使ってもいーから」
「……それ、騎士が言う事じゃ無くない?」
「いいんだよ。人々を護るためなら手段を選ばない。そんな騎士がいたっていいだろ?」
「…………えいっ」
「あだっ……ん? っんだこれ……髪の毛?」
突如右胸に軽い衝撃を感じ、地に落ち転がっている原因を拾ってみる。……透明な紅色で球状に覆われた、サンドラの髪の毛だった。
「そうだよ。周りに纏わせて球状にしてみたのっ」
「纏……わせる?」
「何使ってもいいんでしょ? イギモーシタテは受け付けないから」
「――いや、話が見えてこないんだが」
幾度も打ち合いを追憶して気付いたが、どうやらニックはこの走馬灯に干渉できないらしい。この会話も、既に先の展開を「知っている」ものだ。
確かここで、サンドラがなんとなく使っていたソレが魔法の類であると勘づくんだったか。
「――待て。それ、どうなってる?」
「どうって……抜いた髪を中心に纏わせてるだけだけど」
「だからそれが分からねぇんだって――いや待て、まさか……?」
「どしたの、ニック。そんな真剣な顔されてもホれないよ?」
「お、おま……何処でそんな言葉知りやがった! 軽々しく惚れるだの惚れられるだの口にすんな! そういうのは恋愛的に好きな相手だけにしなさい」
本当このお転婆娘は。どこでそんな言葉覚えてくるのか。
「はーい、わっかりました〜! ――てへっ」
「…………あー、ともかく、何個か聞いていいか?」
「うん、いいよ? 何でも答えてしんぜましょう」
「お前には今、何が視えてる?」
「むむー、難しい事聞くねぇ……ニックがどうか分からないけど、アタシには綺麗な夕焼けが見えてるよっ!」
「そうだけどそうじゃねぇ。何かこう、大気中に力を感じたりはしないか?」
「あっ! それめっちゃあるっ!! 何年前かなぁ……忘れちゃったけど、その辺りに急に感じるようになったんだよね〜」
「――っ」
即決だった。躊躇いもなく、ニックは自身の左手を浅く切り、血を滴らせた。
「え!? な、何してんのっ!? 血、血ぃ出てるっ!」
「俺に、ソレを使ってくれ」
「はぁ? ……何もかもわっかんないけど、ちゃんと後で教えて、ね……っ!」
無理解をひとまず飲み込んだサンドラが、ニックの要望通りに異能を行使する。当時の見立てでは、治癒魔法かそれ以外かを判別する目的での実験だったが、今振り返ると未成年の前で自傷は流石にやり過ぎだった。反省している。
「……あれ?」
「――やはりか」
そしてニックの狙い通り、魔法は不発に終わった。
これで従来の魔法――つまり治癒魔法とは別枠の力だと確定したわけだが、まだ絞り込める。
分かっているのは人に当たると割と痛いということと、髪の毛などの物体を中心に紅色半透明の膜が展開されること。あとはその硬い膜が実体を持つことくらいか。
今度は、核となる物体に条件があるのかを確認する。
「おっかしいな〜、普段ならここであの感覚が来るはずなのに……」
「じゃあ、次は自分に使ってみろ」
「……命令しないでよ、ニック。何かに焦ってるのは分かるけど、アタシだって一人の人間なんだから。ちゃんとお願いしてよねっ」
「あー、悪い、急いじまった。自分に、使ってみてくれるか?」
「お易い御用っ! とりゃさっ! 『――うんうん、そうそうこの感覚っ!』
今度は成功し、サンドラの肉体は紅色の光の中に包まれる。
これで人体も条件の範囲内であると判明し、同じ人体でもニックの肉体には纏えなかった理由にも見当がつく。
桃色の髪の毛も、今包まれている存在も、いずれも使用者本人に縁のあるものだ。より正確に照らし合わせていくのなら、今度は道端の石ころにでも使用してもらえば良さそうだが――もう暫定して良いだろう。
「……サンドラ、落ち着いて聞いてくれ」
『え、っと、どしたの?』
「お前のソレは魔法だ。それも、治癒魔法とは異なる新たな魔法だ」
『ま、ほう?』
そこでサンドラは光を解き、再び彼女の声が鮮明に聞こえるようになる。
「知らなくても無理はねぇよ。まして、戦とは無縁のこの街じゃ、帝国の話なんてのは上澄みしか流れねぇだろ。――魔法ってのはな、人智を超えた力で、前触れなく発現する。これまでは治癒魔法っつー種類のみで、かつ帝国人の特権だったんだが……お前のはその例外中の例外。名付けるなら防御魔法、と言ったところか。察するに、その本質は内と外とを隔絶する点にある、と思う」
手の甲で小突いても痛いだけ。内部への干渉はできない。そうした性質からそう考えたんだったな。
実際、当たらずとも遠からずってところだったが。
「つ、つまり……」
「あぁ、そうだ」
「お前、絶対人前で使うな」
「アタシは、最強の騎士になれる」
……………。
「もーなんでっ!? 何で使っちゃダメなのっ!?」
「そんな異能お偉いさんの前で使ってみろ! あれだぞ、死ぬまで実験に使われるぞ!」
「もーっ、脅さないのっ。アタシだって、ちゃんとそこら辺は考えたよ? ――でも、大丈夫」
「何が」
「だって、ニックが守ってくれるんでしょ?」
「……ぁ?」
「あり、違った?」
――本当、このバカドラはどこまで把握しているんだか。少なくとも、俺がこいつを守る責任があるってことは分かってやがるな。
「……あまりあてにすんなよ。言っとくが、俺は凡人だ。飲み込みの早いお嬢ちゃんには追いつけねぇ」
「じゃあ、大人のアタシがニックの速度に合わせてあげます。これで問題ないでしょ?」
……よし、話題を逸らそう。
「――ところでお前、王国騎士になる条件ちゃんと知ってるか?」
「まーた話逸らす〜。――専門の先生がいる国立学校を卒業して、試験に合格することでしょ? 順調だから問題ないって」
「ちゃんと分かってんならい………………いや待て、今お前順調って言ったか?」
「あれ、言ってなかったっけ。アタシ、ソファラ国立学校の首席」
「は……はぁ!?」
――そういや、こん時はサンドラの長期休暇と俺の休暇が偶然重なってたんだったな。サンドラが最年少で騎士になるまでの間、帰省期間が被ったのはこれを含めて二回くらい、だったか?
「アタシが凄すぎて皆距離置いちゃうから友達はいないけど――勉強と訓練は、とっっっっても楽しいんだよっ!」
そんな辛い事実を、この少女は何事もないように言ってのける。
そういえば二年前だったか。レティシアという名の少女が、サンドラと行動を共にするようになった。――いや、正確にはサンドラ側が引っ張っていた感じだったな。
最初はなされるがままだったレティシアも、次第に自分からサンドラの隣にいるようになった。あいつに人生で初めての友達ができた。俺はそれが、心底嬉しかった。
だから、俺は全力を尽くしてあの二人の居場所を守ることにした。結局その決意は二度も違えられた。
「それに先生も優しいし、満足してるの」
「お、お前ってやつは本当に…………」
この時ばかりはサンドラの両親に深く同情した。
昔からこうなのだ。当然のように結果が伴うものの、その過程は独断専行、心の赴くままにといった感じで、危なっかっしくて見てられない。彼らが過保護になるのも頷ける。
身体能力は人並みだが、察しの良さと飲み込みの速さ、適応力の高さは群を抜いていた。恐怖というものが欠けており、失敗という失敗を過去に経験してこなかった分、いつか取り返しのつかない事態まで足を突っ込んでしまうのではないかと、当時の俺は不安でならなかった。
――実際、彼女は最期まで失敗しなかった。死に恐れを抱かず受け入れ、命を代価に人々を護り切った。
一度でも挫折を経験していれば、俺がサンドラに模擬戦を申し込んで完敗させていれば、あんな結末にはならなかった。きっと、命を削らずに場を収める方法を模索して実行し成功していたことだろう。あいつはそういう人間だ。
――だからこそ、俺は俺が憎い。あの段階でバカドラに「お前はその程度の人間だ」と虚言を吐き自信を喪失するほど打ち負かし、あいつに永遠に嫌われる勇気を持てなかった自分が、死へと向かうあいつを助けに向かえなかった自分が、崇高な自己犠牲を止められなかった自分が、憎い。
憎いから、どうしようもなく憎いから、今度は間違えない。自分の全てを犠牲にしてでも大切な人間を守り切る。
そう決めたのに。それすらもさせてくれないこの両手が、運命が、自分自身が、やはりたまらなく憎かった。




