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極相色彩のケイオスライン  作者: 路崎舞
第一章『遡行する運命』
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第一章13話『ただいま』

『いいですか。私達の目的は、帝国と王国との不毛な戦争を終わらせることにあります』


『そのために、王国に到着後、王城に乗り込みます。国王陛下に謁見し、平和的に手を止めてもらうのが理想です』


『しかし、事はそう簡単に運ばないでしょう。これまで幾度も停戦の機会はあったのに、彼の王はそれをしなかった。対話で決意を変えるのは困難を極めるでしょう』


『その場合、レティシアさん、あなたの力に頼ります。一度国王を仮死状態にし、強引に対話のテーブルにつかせるんです。――安心してください、細胞が生きてさえいれば、私なら治癒できますから。レティシアさんは、死なないぎりぎりを攻めてくだされば充分です』



   ▽▲▽          ▽▲▽



 とは、昨晩イリスと今後について話し合った際の会話の一部だ。


 終戦――その目的を達成する過程で、レストランと孤児院への寄り道は無駄だった。なので、これはレティシアの我儘であり、レティシアなりのけじめの付け方なのだった。


「――――」


 中に入って右の通路、その突き当たりがお父様の書斎だ。荘厳な扉を前に、心を落ち着かせるべく深呼吸。大気の循環を味わい、心が洗われていくのを感じる。


 ――もう、覚悟はできている。コンコンと戸を軽く叩き、入室の許可を求める。

 

「入りなさい」


「失礼します、お父様」


 お父様の返事を合図に扉を開け、一礼してから足を踏み入れる。「訓戒」には記されていないものの、孤児院に住む孤児の間では暗黙の了解だった。


 正面、お父様が綺麗な椅子に座り何やら筆を(したた)めているのが観測できる。


 ……と、姿勢のいい背中姿がレティシアの訪問を察知し、振り返らないまま声を投げた。


「おかえりなさい、三百九十六」


「――ただいま、お父様」


 このやり取りも、普段と同じだった。訪問するレティシアに、応答するお父様。だがしかし、その中でも常と異なる点が一つある。


 ――レティシアの愛剣が、姿勢よく座っているお父様の背中に向けられる。お父様は日記を書く手を止め、閉じ、静かに確認する。



「――それは、生を放棄するという意思表示で合っていますか?」


「いいえ……これは、恩返しと償いのための叛逆です」


「ふむ、そうですか」


 レティシアの返答におもむろに頷き、お父様が立ち上がる。


「あなたの決意は分かりました。パレット孤児院の最高傑作が、自らの信念のために父へ刃を向けるのです。その葛藤は凡人が乗り越えられるものではありません。――しかしお前はそれを超克した。これは賞賛に値することだ。だが……」


 そこで言葉を切り、お父様はこちらに体を向け、剣を物ともせず近付く。自ら腹部を剣先に接近させるお父様に、思わずレティシアは後ずさってしまう。


「一度反旗を翻したのであれば、揺らぎは捨てないとな。克服した葛藤も、再度浮上してしまえば意味が無いぞ?」


「ぃ……ぁ………」


 動揺する隙を突かれ、前触れのない蹴り上げによって愛剣が上空へ弾き飛ばされる。レティシアの手を離れ宙を舞う長剣を、お父様が器用に掴み取り、長足で腹部を蹴り飛ばす。衝撃をもろに受け、レティシアの身体が背面、扉に勢いよく激突する。


「が、く…………ぁ」


 吐血。見慣れたそれは、やはり赤黒かった。


「お前は優等生だからな。本能と『訓戒』の癒着も当然のことだ。何も恥じることは無い」


「ぅ……く……かっ」


 再び腹部を蹴られ、頭を扉に叩き付けられる。


 ――痛い。おかしい。感じないはずの痛みが、レティシアを蝕む。こんなことは、ありえない。ありえないのに、起きている。あの時も、お父様に顔を見せに行った時も、そうだった。痛い。頭の中が揺れる、揺れる。お腹の中が熱い、痛い、痛い、痛い怖い痛い痛い苦しい辛い痛い何でどうして知らない知りたくない思い出したくない痛い怖い怖い怖い怖い怖い痛い痛い分からない何であのときの「痛み」がまた――――――。

   △▼△          △▼△



 三百九十六は、物心ついた時には既にパレット孤児院の一員だった。当時、お父様は厳しいながらも優しく、よく美味しい料理とお菓子を作ってくれたものだ。あの日々は、今となってもレティシアの良い思い出として残っている。


 生活に変化が生じたのは、三百九十六の自我が発達してきた六歳の頃。その誕生日を境に、お父様の態度は一変した。


 まず、訳も分からないまま一時間ぐらい殴られ続けた。泣いても謝っても手は止められず、ひたすらに耐えて耐えて耐え続けた。その時のお父様の顔は、今でも忘れられない。



 その日から毎日、訓練と称した暴力時間が制定された。最初こそ激しい鈍痛に身を焼く思いだったが、次第に痛みを感じなくなっていった。

 お父様曰く、痛覚を制御する術を身に付けたのだそう。戦闘時と、お父様の面前。訓練の結果、三百九十六はその二場面では痛覚を無効化できるようになった。



 レティシアに残されたのは、お父様への根源的な恐怖だった。



   ▽▲▽          ▽▲▽



「恐怖は、希望より強固な楔となる」


 理解の外側、制御不能な鈍痛に蹲るレティシアを、奪い取った剣を携えたお父様が冷酷な眼差しで見下ろす。


「お前に剣術を教えたのは誰だ?」


「ぐ……ぐぅぅぅぅ……っ!」


 お父様の革靴が、レティシアの左肩を強引に上向かせ、壁に押し潰す。骨が潰されるギリギリのところで踏み止められ、あまりの灼熱に声が焼かれる。


「――つまらんな」


 ――不意に、左肩の激痛が和らぐ。カランと、レティシアの足元に見慣れた愛剣が投げ捨てられた。


「来い」


 徒手空拳で相対するお父様が、レティシアに剣を持つよう促している。言われるまでもなく、足元に転んでいる剣をとり、激痛に苛まれる体に鞭を打ち、立ち上がる。


 ――左腕は使えない。腹部は燃える鈍痛で安静を強要してくる。全身には衝突の衝撃がじんじんと色濃く残っている。


「――――ぅ」


 視界がぼやける。痛覚の影響もあるが、レティシアの目元に淡く浮かぶ「涙」が原因だ。怖い。痛い。早くイリスに治癒してもらいたい。


 ――でも。それは今ではない。奥歯を強く噛み締め、前を向く。超えるべき「壁」が、そこにある。


「…………行きます」


「言葉は不要。さっさと来い……!」


 それを合図に、レティシアはジグザグに地を、家具を踏み、距離を詰め、切り払う。

 それをお父様は後ろに跳んで躱し、着地。そのまま、剣を振り切ったレティシア目掛けて突進する。


「……ふ」


 迫り来る肉弾を、レティシアは右へ跳んで何とか回避。地に足を付け、体勢を整える――隙を与えてくれないのがお父様だ。


 そのままの勢いで壁に衝突――する間際に反転、壁を蹴り、レティシアが着地した瞬間を狙って再び突進、殴りかかってくる。


「……づぅぅぅぅっ!」


 それをレティシアは振り向きざまに剣で食い止め、その拳の威力と恐怖に意識が持っていかれそうになる。だが、なんとか踏ん張り、相殺する――、


「……ぐ、ぅぅぅ!?」


 刹那、腹部が鈍痛で再燃する。先程の後遺症だ。腹筋にも力を入れて踏ん張ったせいで、刺激してしまった。思考を劈く鈍い激痛が、体を精神を支配する。


「――っ」


 ――だが、痛みに支配されている場合ではない。それでは「本懐」を果たせない。

 ぎりぎりと、歯をこれでもかと食い縛り、左足を地に縫い付ける。ありったけの力を右腕に集約させ、振り払う。


「ふ」


 そうして拳を押し返す寸前、見切りを付けたお父様が後退、手を引っ込め距離をとる。


 ――『相手に休む隙を与えるな。好機と見たら、なりふり構わず攻め立てろ』


「は――ぁぁぁあ!」


 疾駆。間髪入れず、畳み掛けるように追い縋り、三度、剣筋をはためかせる。それは、お父様が得意とした御業だった。


「――く」


 一撃、届かない。

 一撃、お父様の厚い腕に阻まれる。

 一撃、お父様の胸に切り傷を刻んだ。


「……しっ」


 その隙を逃さず、更に肉迫。肩の付け根に剣を突き立てる。ぐさりと、内部に深く突き刺さる感触が手を伝った。お父様は一瞬苦痛に顔を歪ませるも、すぐに自らに迫る死を感じ、怯えた声音で懇願し出した。


「ま、ま、待ってくれ……頼む、殺さないでくれ……」


「――――」


 取り合わず、更に剣を深く突き刺し、引っこ抜く。おびただしい量の血飛沫があがり、聞くのも痛々しい悲鳴が鼓膜を通過した。


 あまりに呆気ない、拍子抜けの決着に、けれどレティシアは嘆息しない。むしろ、純然な哀しみを以て、お父様に応対する。



 レティシアは、幼い時分からお父様の元で生活していた。記憶すら残っていないような時期から、お父様のお父様たる所以を幾度も見てきた。触れてきた。


 だから、レティシアにはお父様の真意が分かった。





 ――お父様は、死を求めていた。


「――――」


 この剣で、もう誰も塗り潰さないと決めた。この手は、もう誰の命も奪わないと決めた。


「お父様……」


 眼下、死に怯える演技をした、死を望むお父様が膝をついている。お父様は、顔を上げ、恐怖に震えた顔を貼り付け、恨み言をなぞる。


「お、前を育てたのは、間違いだった。お前、など、消えてしまえばいい」


 お前は生きなければならない。私に抱くのは憎悪と殺意だけでいい。


「こんなこと、が、許されると、思っているのか。道具の分際で、思い上がるのも、大概にしろ」


 私にとどめを刺し、新たな自分を掴み取れ。肩書きも身寄りもない「レティシア」として、自由に世界を見て回るといい。


「やめろ、剣を向けるな、こんなこと、して、心は痛まないのか!? 私を、痛め付けて、『黒』で塗り潰して! それで、満足か!? 魔女め……」


 そうだ、それでいい。これからすることに、心を痛める必要は無い。私は、お前を痛め付けて、消えぬ「黒」を与えた。感じるのは憎悪だけでいい。私をその手で殺して、私が捨てさせた空っぽの器を「人」の心で満たすのだ。





「――全部、知ってたよ」


 教育方法がお父様の本意でないことも。その一言一言が、嘘偽りで象られていたことも。


 ――お父様が、私を愛してくれていることも。全部。


「全部、分かってたよ」


 お父様が、私の為を想って地獄の訓練を施し力を身に付けさせたことも。なのに私を傷付ける度に、瞳の奥が微かに揺らいでいたことも。




「だから、ありがとう、お父様。私を、レティシア・パレットにしてくれて」


 血に濡れた愛剣を腹部へ深く差し込み、お父様に抱き着く。返り血が付着し、咳き込むお父様の吐血が黒色のケープにかかるが、気にならない。今はただ、お父様の存在を心で感じ、想いを伝えるだけだ。



   △▼△          △▼△



『イリス、王城に行く前に寄りたい所があるの』


『――続けてください』


『まず、レストラン。いいお店だから、イリスに紹介したい』


『――――――――続けて、ください』


『パレット孤児院……私の家。お父様に恩返しがしたい』


『恩返し、ですか』


『そう――私の剣で、お父様を救ってあげたいの』 



   ▽▲▽          ▽▲▽



「本、棚に、隠し通路がある。だが、絶対に、入ってはならない。お前ごときに、その資格は、ない」


「うん、分かった」


「中には、黒い箱が、ある。何があっても、帝国の『癒し手』の手に、渡ってはならない」


「うん、気をつけるよ」


「お前、は、私の、道具だ。私の、『訓戒』に束縛された、不自由極まりない人生を、送るがいい。それが、私からお前に送れる、最後の呪いだ……」


「うん――ありがとう」


 それを最期に、お父様の息が絶える。厳しい表情に形作られた死に顔の、口元が僅かに綻んでいるのを、レティシアは当然のように見逃さなかった。



 □ ■ □



「ぇ」


 お父様をゆっくり横たわらせたあと、軽く室内を散策していたレティシアは、ふと入室時にお父様が何かを書いていたことを思い出した。


 ゆっくりと歩き、つい先程までお父様が向き合っていた机を見下ろす。その上に置かれていたのは、『三百九十六』と番号の付された一冊の本だった。



『すまない、三百九十六。私にできるのは、お前が少なくともこの国の中では命を狙われないで済むよう立ち回り、教育し――そして、その手で私やこの国を滅ぼすのを感情面で後押しすることぐらいだった。

 三百九十六、お前には、私や上の人間――国王を恨み、私達に復讐する権利がある。だから私は、来る時のために知り得る限りの剣技と知識を全て、お前に叩き込んだ。

 上の目を欺く手前、その方法は私の本意では無いものとなったが……お前は気にしなくていい。こんな真実も知らないまま、私を恨んでくれ。

 私がしてきたことは、如何なる理由があろうとも到底許されるものでは無い。私自身が、特にそう思っている。

 この程度の告解で罪滅ぼしになるなどと烏滸がましいにも程がある。そもそも時が来たら燃やすのだから、この日記には自己満足、自己救済以外の価値はない。私だけがこの罪の羅列を憶えていればいい。

 ……これほど不器用で、権力に屈するしかお前達を守れなかった愚かな父を、許してくれとは言わない。だが、我儘を承知で願う。


 ――どうか、私のことを憶えていて欲しい。そして、いつか必ず、私の命に終わ』








「……は」


 日記をゆっくりとポケットに仕舞う。


 ふと机の下を見ると、一部分だけ、色の少し違うタイルがあるのに気が付いた。試しに触れてみると、ちょっと動いた。直感に確信を得たレティシアは、徐々に横にずらしていく。


 そこには、地下に続く木製の梯子があった。その梯子の反対側、壁の凹部分に本が五冊ほど綺麗に収納されているのが辛うじて見えた。


 その内の一冊。背表紙には、『四百十五』の文字が赤で上塗りされていた。



   □■□          □■□



「――全然違うよ! ヨロイムシはこうっ!」


「え、っと……こう! でしょうか」


「あははは! イリスねぇね、なんか変ー! もっと! もっとしーにも見せてー!」


「イリス姉さん、見て見て! 私、お花を摘んできたの! 青色のお花が好きなんだ!」


「わぁ……綺麗ですね。ふふ、よくお似合いですよ」


「いいす、おんぶちて」


「はい、いいですよー。じゃ、ごーさん、私の後ろに回ってください」


「わぁい! ともあち! ともあち!」


「えー? もう終わっちゃうのー? 次はケンマトイやって!」


「分かりました。でも、順番です。もう少し待ってくださいね、ろろさん」


「やったぁ! うん、頑張って待ってる!!」


「ええ、お願いしますね」


 と、イリスは四百六十六――最初会話に参加していなかった十三人の孤児の一人に笑いかける。



 ――レティシアを待っている間、孤児院の子供たち十三人の相手をする中で、イリスは彼らの保護者の本質を感じ取った。


『侵色』をこの世に生み出した、人の心を持ち合わせない極悪人。それがイリスの、レティシアの「お父様」に対する忌憚のない評価だった。


 一人の少女を、人間性を削ぎ落とされた血も涙もない殺戮兵器へと仕立て上げるその所業は、イリスには――いや、一般的な感性を有する人間には受け入れ難いものだ。



 彼が成した事実は変わらないし、それに対するイリスの評価も不変だ。そこは揺らがない。


「わーい!! ごー、たのちい!! いいす、すき!!」


「ふふ、ありがとうございます。ごーさん。でも、順番ですから、そろそろ降りましょうね」


 ――だが、子供たちを見て思う。彼が孤児たちを愛していたのも、紛れもない事実なのだと。


 だって――彼らの笑顔に偽りは無い。愛情を込められて育てられなければ作れない表情だ。だからこそ、彼の行いとの矛盾が不気味だが、それは部外者の考える所ではない。






「――楽しそうだね、イリス」


「ひ……ぁ、す、すみません。覚悟はできていたつもりでしたが、いざこうして目の当たりにすると、やはり……」


 ――背後、返り血が付着し、満身創痍で酷い有様のレティシアを見て、イリスは思わず悲鳴を上げかけてしまった。


 が、すぐに取り直し、五百十四をゆっくり降ろし、治癒魔法をかけながら、レティシアが孤児院から出てきたことの意味を考える。


「ということは……」


「うん――お父様に、恩を返せたよ」


「そう、ですか」


 そうイリスに儚く微笑むレティシアの目元は赤く腫れていた。


 ――庭の花が揺らぎ、子供たちのはしゃぐ声が響き渡る。孤児院の院長が自分の心を信念を人生を愛を殺してまで護ってきたものは、確かにここに在った。

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