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極相色彩のケイオスライン  作者: 路崎舞
第一章『遡行する運命』
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第一章11話『湯に当てられて』

「……………………は。な、な――――っ!」


「え? 何で?」


「それはこっちのセリフですっ! 何で、何であなたが入ってくるんですか!! 私、まだ呼びに行っていませんよ!?」


 動転のあまり声を荒らげてしまったが、どうやらレティシアも理解が追いついていないようだ。


「な、何であなたがぽかーんとしてるんですか!

………………………まさか」


「……ニムレットさんが」


「〜〜っ!!」


 その単語を聞いた瞬間最高潮に達した憤慨が、イリスの声にならない声に乗って漏れ出た。


「何なんですか! 本当何なんですかあの人はっ!!」


 あの人のことだ。大方「お二人は知り合ったばかりでしょう。入浴は人の本心を自然とさらけ出してくれるものです。仲を深めるには絶好の機会ですよ」とでも言い出したのだろう。


 だとしても、本人の了承を得ない気遣いをされる身にもなってみて欲しい。彼の行いが裏目に出たことは過去一度も無かったが、その度にイリスは今のように心も思考も感情もぐちゃぐちゃに掻き乱されるのだから、いい迷惑だ。


「……まぁ、結果的には助かっているので良いんですが……いえそういうことではなく!!」


「邪魔しちゃってごめんね、イリス。今出るから」


 一人憤怒に身を焼くイリスを後目に、レティシアが気を遣い去ろうとする。


「ぇ、あ、あの、待ってください!」


 タオルで覆われたその背中に思わず待ったをかける。足を止め振り返るその顔と瞳が綺麗だという感想は外に置いておいて、もごもごする唇を無理やり動かし、言う。


「その…………………………ぃ、です」


「?」


 消え入るような声でなんとかそう呟けたものの、本人には届いていなかった。二重の羞恥で更に顔に血が上り、湯船に顔を沈めて再度口を動かす。


「だから…………入って、いいです、よ……」


 掻き消えそうな声量だったが、今度は伝わったらしい。レティシアは一瞬躊躇いつつもおずおずと足を踏み入れ、身を清め始めた。


 そもそもお風呂の順番を話し合った時も、レティシアはイリスと一緒に入浴することに抵抗がなく、むしろ同性とはいえ難を示したのはイリスの方だった。



 六歳まではニムレットと入浴していたが、十六になり羞恥心が育まれた今となっては黒歴史だ。シスター達は二つに分かれて入浴し、中には背中を洗いっこする人もいたようだが、イリスは羞恥心が拭えず誰も入浴しない時間帯に一人湯船に浸かっていた。


 それを見かねたフローラが「ねぇ、リス。今日こそあーし達と一緒に入らない?」と度々誘ってくれたものの、やはり寂しさより羞恥心の方が圧倒的に強く、「すみません、フローラさん」と断り続けていた。



 そのため、レティシアだからという理由ではなく、相手が誰であっても一緒に入るには抵抗があった。



 だが、いざ入ってしまえばどうだ。自分は湯船に顔を沈めていればいいし、目も合わせる必要も無い。これまで感じていた拒絶感もお風呂の魔力の前には効力を発揮しなくなっていた。


 それに、本人に非がないのにそのまま追い返すのは心苦しい。全てはニムレットのせいだ。こうなったのも全てニムレットが悪い。だからこの状況も不可抗力なのだ。



 そう自分に言い訳をしているうちにレティシアは身を清め終わり、イリスの隣に入浴してくる。横並びとなった二人の間に気まずい空気が流れたが、それを打ち破ったのは、顔を背けるイリスをひた見つめるレティシアだった。


「大丈夫? 顔、赤いよ?」


「わひゃぅ……だ、大丈夫です。こ、これは条件反射というかそういうのですから……」


「そう。それなら安心した」


「と、ところでレティシアさんは好きな食べ物とかありますか?」


「うーん……すぐには思い当たらないかも。割と何でも食べれるから」


「そ、そうですか……」


「あ、でもサンドラが紹介してくれた食べ物は好きかな。ハズレは一つもなかったよ」


「――ふふ、そうですか。私も是非食べてみたいですね」


「だったら、明日食べてみる?」


「良いんですか!?」


「作戦決行まで少し時間あったでしょ。その時間で紹介するよ……あ、でも、もう一回食べてみたいのがあるから、今回はそっちにしよう」


「それは楽しみです! でしたら、私の方からも行きつけのお店が何軒かあるので、機会があればご紹介しますよ。美味しいサラダやお肉、アフタヌーンティーもありますよ」


「あふたぬーんてー? って何?」


「平たく言うとお茶会のことです。お菓子をつまみながら紅茶を嗜み、皆で団欒のひと時を過ごすんです」


「……おちゃ?」


「香りも後味も良い飲み物です。中でも紅茶と呼ばれる飲み物を主に飲みますね。……王国にはないのですか?」


「どうだろう。少なくとも、私は知らないよ」


「……では、レティシアさんは普段、何をお飲みで?」


「水かコーヒーかな。属国に有名な産地がある、ってサンドラが言ってたっけ。確かマリアルドって国だったと思う」


「こーひー、ですか……この三十年は文化の面でも両国の間に何も生まなかったようですね」


 王国が帝国に攻め込み、両国の関係悪化により国交が途絶え、輸出入も完全に停止してから三十年。


 現代の帝国人の多くは王国の食べ物や飲み物を知らず、王国人の多くは帝国の食べ物や飲み物を知らない。



 戦争が始まる前までは、帝国ではコーヒーが、王国では紅茶がそれぞれ流通していたのかもしれない。しかし、戦時中に生まれたイリスもレティシアも、相手の国の特産物を自国で見聞きした覚えはない。両国の認識は、三十年前の戦争開始時点で停滞していた。


「そういえば、レティシアさんはオシャレとかするんですか?」


「うん。私は興味無いけど、サンドラが『レティーは可愛いんだから、着飾らないと損でしょ?』って」


「ふふっ、サンドラさんは慧眼ですね」


「けーがん? 分からないけど、肯定する。サンドラは凄いんだ」


「――えぇ、そうですね」




「レティシアさんは、騎士なんですか?」


「ううん。騎士はサンドラ、私は兵士だよ」


「そうなんですか……騎士と兵士は何が違うんですか?」


「私も詳しい事情は知らないけど……騎士は学校に行かなくちゃいけなくて、兵士は国が良いよって言ったらなれちゃう、だった気がする」


「兵士緩すぎません!?」


「そう? それが普通だから、特に気に止めてなかったけど…………そういえば、今の私は特務兵でもあるのか」


「……といいますと?」


「今って戦争中でしょ? 人手が足りなかったらしくて、騎士と兵士が混ざった臨時部隊が昔作られたんだって。で、そこの階級の一つが特務兵なんだ」


「……なるほどです。混成部隊の中での位置付け、ということですね。ところで職務内容を聞いても?」


「隊長からは『とにかく斬れ』としか言われてないよ」


「……………………戦争、必ず終結させましょうね」


「? よく分からないけど、うん。そうだね」




「――ど、どうしました? ぐいっと、距離詰めて……ち、近いです……よ……?」


「……ん」


「ひやぁぁぁぁ!?!?!?」


「温かい……石鹸みたい……安心する」


「いえ、いえいえいえいえいえいえ何を!!? 何をしているんですっ!??」


「イリスも生きてるんだね」


「当然です! それより、どうしていきなり私の……私の左手を……!」


「イリスが人間だって、実感したくなったの。肉なら、冷たいはずだから」


「あぅ……そ、そうですか…………それなら――はい、仕方無い……です、ね?」


「――うん」


「はぅっ……え、ぁ、え、――――っ!?!!」


「心臓。聞こえる。早い。温かい――イリスも、私と同じ。本当に人なんだ」


「〜〜〜〜っっ、満足、しましたっ!? 気が済んだのなら早く、顔を、退けてくださいっ!!」





「猫好きなの?」


「こ、この流れで聞きますか…………まぁ、好きですよ。――どうしてそう思ったんです?」


「ニムレッ「またですか! またあの無神経神父ですかっ!!」」



 □ ■ □



 ――気付けば一時間弱も、イリス達は他愛のない話で盛り上がっていた。最初は動揺し、気が動転していたものの次第に緊張も解れ、自然と顔を見て話せるようになり、レティシアとの会話を心から楽しんでいた。


 ……途中、レティシアの突飛な、大胆な行動がイリスの脳を白で埋め尽くしたが、レティシアに悪気は無く、むしろ自分の誤った認識を正そうと――無機質な肉の塊ではない、イリス・ミリネスという一人の人間の実在を確かめようとした結果なのだと察して、自分に努めて言い聞かせて何とか持ち直した。



 ――彼女なりに変わろうとしている兆候だ。一人、前例ができればその後の抵抗も少なくなる。レティシアが一人の少女として歩み直すのに、この日のイリスの犠牲は不可欠だった。


 ――と、合理的に解釈するイリスだったが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいと、今夜枕に顔をうずめて悶え苦しむことになる。



 ともあれ、マリーがいなくなってから五年、この日イリスは誰かと話すことの楽しさを思い出した。



   □■□          □■□



 食事と入浴を済ませ、レティシアはニムレットに貸し与えられた部屋に入る。彼の用意した部屋は、ニムレットの無言の計らいにより、イリスの隣室である。


 何かあれば駆け込める。その安心感と積もりに積もった疲労感が、レティシアを有無を言わさず深い眠りへと誘った。









「――ぇ?」


「おや、起こしてしまいましたか」


 無理解。無理解が脳内を埋めつくした。何者かの気配を感じて睡眠から覚醒したレティシアが見たのは、糸より細い糸目でレティシアの顔を眺めるニムレットの顔だった。


「――え?」


 うん。やはり分からない。どういう状況なのだろうか。


「まぁまぁ、私の趣味はこの際置いておきましょう」


 どの際なのだろう。


「それより、イリスのことであなたに伝えておきたい事があります――イリスが卓越した治癒魔法の使い手であることは知っていますね?」


「うん。私も、右足に空いた穴を数秒で埋めてもらった事があるから、分かってるつもり」


「そうだったんですね。えぇ、レティシア殿の経験通り、イリスの治癒魔法は他の癒し手のそれとは格が違います。細胞が死んでさえいなければ、欠損部位の設計図と欠損を補う材料が揃っていれば、体が欠損状態を記憶する前ならば、どんな重傷でも大体は完治まで持っていく事ができます」


 レティシアが受けた治癒もそれに該当するのだろう。穴が空いた部分が欠損していても、元の状態の設計図がレティシアの身体に残されていて、補う部品の原材料が確保されていたから修復することができた。


 内部まで手が回らなかったのは、本人から聞いた所の、反射で行われた治癒だったことと治癒時間が短かったことに拠る。そういうことだと二人は解釈している。


「ですが、この世に万能の治療薬はありません。治癒魔法の場合、その不完全性は魔力の消耗量に表れています。擦り傷などであれば問題ありませんが、およそ自然治癒では完治しない類の負傷――たとえば指の喪失や肩に空いた穴でしょうか――これらは一回の治癒に想像を絶する魔力を消費するのです。大気中から一度に取り込み魔法へと変換できる魔力量には限度があるので、不足分は自前で補う必要があります――ここまでお話すれば、レティシア殿もお分かりですね?」


 以前、似たような話をサンドラから聞いたことがある。確か――、


「……魔力不足で倒れちゃう?」


「可愛らしい表現ですが、概ね合っています。ですが、正確にはこう言うべきでしょう――限界を超えて自前の魔力を使用した場合、長期間の昏睡状態に陥る」


「……死んじゃうの?」


「そこまではいきません。ただ、幾度も昏睡を経験する度に昏睡期間が加速度的に延びていくのは確かです。前回が三日、その前が一日半、更に前は一日と二時間でした。消費速度によっても変わってくるので確実な事は言えません。しかし、私の見立てでは、次は良くて一週間。最悪の場合、生きたまま目を覚まさないなんて事も有り得ます」


「ですので」と前置きし、ニムレットは目から僅かに瞳孔を覗かせる。


「イリスのこと、どうかよろしくお願いしますね――『侵色』殿?」


「――っ!? あなたは……」


「ほほ、なーに、私は人の寝顔を眺めるのが趣味な老骨に過ぎませんよ。では、明日も早いでしょう。ゆっくり、おやすみなさい」


 そう言い残し、ニムレットは部屋を後にする。


 レティシアの正体を知っていてなお、受け入れた。彼の言動には疑問が尽きないが、それについて考える優先順位は低い。気配に起こされた形のレティシアの周りには、まだ心優しき睡魔がまとわりついていた。


 眠気に誘われるまま、二度とニムレットが就寝中のレティシアの視界に現れないよう強く祈りながらレティシアは再び目を閉じた――。

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