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極相色彩のケイオスライン  作者: 路崎舞
第一章『遡行する運命』
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第一章10話『色褪せない追憶』

 互いの名前を伝え合ってから、しばらくレティシアはイリスと他愛のない話で盛り上がった。そうして話の流れでレティシアは、イリスに連れられて彼女の住まいに上がった。



 同居人はニムレットという神父で、イリスにとって親のような存在なのだそう。なんでも、イリスの知る限り最も完成された人格者だとか。


 それを裏付けるかのように、教会の中に入ったどこの馬ともしれないレティシアを、彼は温かく歓迎してくれた。


「あ、そうそう。小さい頃のイリスはわんぱくでして、よく顔と服を泥だらけにしてドタバタ帰ってきたものです。どうしたのか聞くと『水たまりで転んじゃったの』『幸運のタケラケ草を探してて』と目を逸らすものですから、ついつい服に付いた葉っぱを指摘してしまうんです。そしたら可憐で愛らしいイリスは――」


「ちょっ、や、やめてください! 終わり、終わりです! そういう話はなしですなし!! あぁ、レティシアさんも真剣に聞かないで、笑わないでください!」


 食事中、このような流れが五回は繰り返されたことを忘れないでおく。普段大人びているイリスの慌てふためく様子を見て、レティシアは不思議と笑顔になれたのだった。




 それから三人で今後の打ち合わせを行った。


 どうやらイリスには前々から構想を練っていた計画があるらしく、決め手に欠けていた部分がレティシアの参入により解決したらしい。イリスの目的もレティシアと一致していたため、彼女の作戦に協力することにした、という経緯だ。



 目的、役割、日時、潜入方法など、ニムレットも交えて事細かに話し合った。それぞれが持つ情報の共有や擦り合わせを行ったり、与太話に花を咲かせたり……。不謹慎かもしれないがレティシアにとっては楽しい一時だった。


 その一幕での収穫として、帝国肉は肉ではなく人であることも教えてもらった。お父様の「訓戒」と正反対のこの事実はレティシアには到底受け入れ難かったが、イリスが人間であると知っていたため、何とか部分的に飲み込むことができた。


 ひとまずは帝国兵以外の、名前を持つ生命体は人であると解釈することにした。つまりはニムレットも人だ。



 水の味が変だったことは多少気になったが、ニムレットの手料理を一口含んだ時の感覚は暫く忘れることはないだろう。レティシアの味覚を余すこと無く刺激した、絶品だった。



 □ ■ □



 無音。静寂が辺りを支配していた。視界に目立った変化は無く、心地よい香りが鼻腔に届く。程よい温もりが全身を包み込み、心身の疲れを癒してくれる。この世の快適という快適を凝縮したような空間で、イリスは一人、水底に沈んでいた。即ち湯船に浸かっていた。



 食事と作戦会議を終えた後、ニムレットが入浴の準備を整え各々体を清める運びとなった。


 シスターも含む大所帯での生活だったこともあり、教会には大浴場が備わっている。一緒に入るわけにもいかないので、レティシアと相談した結果イリスが先に入ることになった。



 因みに朝派のニムレットは、二人の入浴中にレティシアが寝泊まりする部屋を用意してくれるそうだ。天に旅立ったシスター達の私室を再利用する形となるので、今頃並々ならぬ思いでいることだろう。


「…………はぁ」


 お風呂というのは不思議なもので、ほぐれていく心身とは裏腹に一度は沈殿した悩み事を浮上させてしまう。思わずついてしまったため息はそうした性質によるものだった。湯船の端に置いた腕に顔を乗せ、物憂げに扉を見つめる。


「どうして、歩み寄ると決めてしまったんでしょうか」


 その選択自体に後悔はない。一側面のみで相手を決めつけてしまえば、過去の悲劇を闇雲に繰り返すことになる。


 また、聖女という立場からしても、相手の罪をまずは長い人生の中での一つの過ちであると寛容に捉え、話を聞く姿勢を崩してはならない。それに、親友が死の間際でも外れなかった道を、イリスも歩き続けたかった。



 決断自体に後悔はない。だが、迷いはある。そもそも歩み寄ると決めた相手は敵国の主戦力なのだ。傍から見れば、今のイリスは外患を匿う内憂である。皇帝への忠義を疑われるだけならまだましだ。最悪一族まとめて刑に処されるぐらいの大罪を、あろうことか聖女が犯したと国内に知れ渡れば、どうなるかは想像するまでもない。


「…………ふぅ」


 それを抜きにしても、彼女はその手でイリスの大切な人達を亡き者にした。良き話し相手であり、聖女の職務を支援してくれていた十八人のシスター達は皆、あの瞬間にこの世を後にした。


 レティシアに対する暗い感情は依然としてイリスの胸中を渦巻いている。精神を支配し復讐を形作らんとするこの「黒」い塊に、無心で身を委ねられればどれほど良かっただろう。



 イリスの定めた道とその感情は反発し合う。ただ歩くだけで、破壊を望むヘドロが無遠慮に暴れ、持続的にイリスを蝕んでいく。身体の内部で蠢くこれには、さしものお風呂の熱とて届かない。




「――マリー……あなたなら、どうしましたか?」


 分かりきった問いを、虚空に向けてつい投げかけてしまう。マリー――かつてイリスを救ってくれた親友であれば。誰にも汚されることのない清き心を死の間際まで捨てなかった彼女であれば、全ての事情を知った上でレティシアに対してどのような決断をするのだろうか。あの時みたいに、相手の闇を察して優しく取り除こうとするのだろうか……。



   △▼△          △▼△



 生まれた時から『聖女』であったイリスは、二〜三歳の頃に両親の元を離れ教会に預けられた。『聖女』としての人生を定められ、そうした目に囲まれて育ったイリスは、いつしか「自分」の色を忘れてしまった。

 求められた事を求められたようにこなすのが普通となり、相手が求めている物を感じ取り、それに合わせた言動をとる技術だけが上達していった。


「顔を上げてください、ウィリアムさん。あなたの気持ちはきっとラミリスさんに伝わっていますよ」


「あなたは罪を悔い改めました。一度は外れた主のご加護が再びもたらされることでしょう」


「閣下、私は聖女である前に帝国の民です。主に次ぐ忠誠を、貴女に捧げます」


 辛いことなんてない。これが自分の素なのだから。それ以外の自分を知らないのだから。









「う」


 そのはずなのに、何かを食べるとえずいてしまう。何もしていないのに泣きそうになってしまう。最初は綺麗だと感じた正装も、今やただの布としか認識できない。寝付くのに一時間、目覚めるのが二時間後。疲れは取れず、目も痛いまま。頭痛が酷いのを悟られないよう笑顔を貼り付け、日々のお勤めをひたこなす。


 辛いことなんてない。これが自分なのだから。それ以外の状態を忘れてしまったのだから。




「――お名前、聞かせて貰えませんか?」


「……」


 そんな折、こう尋ねる物好きと出会った。薄緑の短髪がよく似合っていて、透き通った黄色の瞳は宝石を見ているかのようだった。その時、『聖女』は何かを綺麗だと感じる心を思い出した。


「私は『純白の聖女』です。あなたも、それを承知の上で訪問されたのでは?」


「そういうのじゃないです! あなたの、本当のお名前を、教えてくれませんか?」


「……質問の意図が分かりません。あなたの人生に主が瞬かんことを」


 言い直されても理解できず、その場を後にしようとする。職務外での突発的な遭遇である。特に会話の義務も無い。それに彼女をどれだけ観察しても、彼女の求める物が読み取れなかった。


 物好きに対応している時間は『純白の聖女』にはなかったが、せめて笑顔だけは絶やさないようにしつつお決まりの祝福を投げる。それで終わり。残された休憩時間で紅茶でも飲もうと、踵を返した時だった。


「っ、僕はマリー! マリー・エルレディ! サモル村出身で、一昨日帝国軍に入隊したの!」


 慣れないだろうに大声で自己紹介を始めた少女――マリーを思わず振り向いてしまう。肩を震わせて力いっぱい叫ぶ様子に、『聖女』はまた思考を放棄した。笑顔で「そうですか」と応じ、部屋に戻ろうとする。


「好きな食べ物は魚で、嫌いな食べ物は甘いもの全般、趣味は読書で、たまに絵を描いたりする!」


「ふふ、そうなんですね」


「お母さんはサリー・エルレディ、お父さんはアルフレッド・エルレディ! ――あなたの名前は、何っ!」


「ですから、私は『純……」


 そこまで言いかけ、思い出した。 もう何年も、それこそニムレット以外からかけられたことの無い文字列を。『聖女』ではない一人の少女としての、その名を。生き方を在り方を心を色を。思い出して、理解する。


 ――『聖女』としての生き方が辛かったのではなく、その中心にあったはずの「自分」を忘却してしまったことそれ自体に、痛みを感じていたのだと。


「――私は……、私は、イリス。イリス・ミリネスです」


 そう告げた瞬間、何年も『聖女』――否、イリスを蝕んでいた頭痛が静かに消え去った。



 □ ■ □



「僕、実は十一なんだ」


「本当ですか!? 実は私も…………待ってください」


『純白の聖女』が自分を取り戻してから一年後、マリーは突然自分の年齢を打ち明けた。


 神妙な面持ちで話すものだからつい身構えてしまったが、元々そうだろうなと勘づいていたのも相まって、驚きはそれほど無かった。それよりも尊敬する親友と同年代であるという嬉しさが大きい。



 だがそれも束の間、すぐに顔から血の気が引いていく。だって、マリーは帝国軍に所属していて……。


「帝国軍の軍規では、十四歳未満の入隊は禁止されているのでは?」


「そうだよ。だから、これがバレちゃったら僕は『治癒要らず』だね!」


 わははと笑い飛ばすマリーだが、イリスの顔はますます青ざめていく。


『治癒要らず』というのは、治癒魔法が死者には効果を発揮しないことに由来する俗語だ。本人からしてみれば冗談の類なのだろうが、唯一無二の親友が危ない橋を渡っている現状を本人の口から語られても笑えない。


「心配しなくていいよ。これを知ってるのは僕と、上官一人だけだから」


「だからといって安全な訳では無いでしょう! むしろ、その上官が密告でもしたらどうします!」


「それは考えなくて大丈夫。だって、僕は彼の推薦で入軍したんだから」


「…………え?」


 乾いた笑みを浮かべてそう話すマリー。それを聞くイリスの胸中に耐え難い黒い予感が渦巻いた。


「初めて話すよね。今まで黙っててごめん。でも、話したら殺すって上官に脅されてたから、イリスにも言えなかったんだ」


「ぁ、え、ま、待ってください、待ってくださいマリー! 分かりました、分かりましたからもう話さないでください!」


 その言い方が、まるで自身に降りかかる結末を知っていて、それを承知しているかのように――遺言のように聞こえ、意味が無いと分かっていてもそれを遮断する。その遺言を聞き終えてしまったら、彼女が遠くに行ってしまう気がして。


「サモル村はね、宿場町なんだ。帝都とヴァレス――栄えてる都市だね――その間に位置してて、よく旅人さんが訪れるんだ」


 だが、イリスの抵抗虚しくマリーは進めてしまう。彼女が一言話す度にマリーの死までの猶予が一つ、また一つと減っていく気がしてならなかった。


「そんな宿場町に、一人の軍人が訪れた。酔いが回っていたのか、彼は自分の地位をぺらぺらと話したそうでね。それを聞いた村の人達は僕を推薦したんだ」


「……理解ができません。なんで……あなたをっ! そもそも、ご両親は承諾したのですか!? 争い事から最も縁遠い性格のあなたを、死地に向かわせる事を了承したのですか!」


 これまで感じたことの無いような憤りが、瞳を揺らめかせる水分と共に体の奥底から湧いてくる。



 マリーは、生物を殺せない。一年一緒に過ごしてきて分かった事だ。蚊の一匹すら潰す事ができず、問題が起きても殴りかかられても彼女は対話しか解決方法を持ち合わせていなかった。


 だが、仮に誰かを屈服させることのできる力を持っていたとしても、やはりマリーが解決方法として所持するのは対話だけだっただろう。それがマリー・エルレディという人間だ。



 そんな、戦争とは対極に位置するマリーを軍役に就かせようだなんて、どうかしている。


「村の人の独断だよ。二人は仕事でヴァレスの方まで行ってたんだ。誰かの恨みを買ってた覚えはないし、きっと彼らなりの善意だったんだと今になって思うよ。戦争被害が少なく、軍役は至上の栄誉とさえ考えていた彼らにとって、高官に仕える機会は喉から手が出る程欲しいものだった。それを、将来有望な僕に何としても掴み取って欲しかったんだろうね」


「勿論、村の皆視点で、だからね?」と重い雰囲気を茶化しつつマリーが念を押すものの、やはりイリスの憤りは収まる余地が無かった。


「で、でも、それでは軍規違反の理由にはなりません。村の人もその軍人も、そのぐらい分かっていたはず。それなのに何故…………」


 と言いかけた瞬間、思い至ってしまった。最悪の可能性に。両手で口を覆い瞳孔を開くイリスに、マリーが頷く。


「酔い潰させたんだ。軍規も失念するほどに。そうして僕は拍手喝采の中、彼に連れて行かれた。その事を両親がどう思ったのか、僕には知る由もない」


 絶句。理解の範疇を優に超えており、イリスは絶句した。この時何を考えていたのかすら、思い出せない。当時のイリスの思考は混迷を極めていた。



 暫くして。辛うじて言葉を紡げるまで回復した後。


「…………マリーは、どう思っているのですか?」


 分かりきった問いを投げかける。そして分かりきった答えが返ってきた。


「……嫌、嫌だよ。こんなの……戦いなんて、誰かを傷付けるなんて、したくない」


 マリーの目は潤んでいた。


「話してもダメだった。そもそも、地位の低い僕の口は上から押さえ付けられた。――ずっと、我慢してたんだ……僕が耐えれば皆は幸せだって、僕が根を上げれば二人の命も危ないって、そう諦めてたんだ……僕は、死ぬために生まれてきたんだって……でも、やっぱり、ダメだ……」


「ぁ……」


 潤んだ瞳から涙がポロポロと零れ始め、マリーはイリスに抱き着く。今彼女を縛る戒めは何も無い。一年間、誰にも打ち明けられなかった本心を、吐露する。


「怖い……怖いよぉ…………死にたく、ないよぉ…………っ!」


「――――」


 既に決壊していたイリスは、彼女の悲痛な叫びを聞き、ただ眼下にある薄緑の頭を撫でる事しかできなかった。



   ▽▲▽          ▽▲▽



「なんて、らしくもない感傷に浸ってしまいましたね」


 その翌日彼女は戦死した。初陣だった。人の痛みを敏感に感じ取り、心を痛めることのできる優しさの持ち主である彼女には、そもそも他者を害する機能など持ち合わせがなかったのだ。


 その後紆余曲折あり、数年の時を経て、イリスは敵を戦争そのものに定め、戦争終結を志すようになった。

 ――それがイリスなりの、親友を奪った戦争に対する『復讐』だ。


「……」


 断言しよう。マリーと出会っていなければ、こんな決断で苦悶することも無かった。


 立場、結果のみに目を向け、目先の相手を敵と断定し、断罪する。ある意味でその姿勢は好ましい。だって、少なくとも当人はそれが正解であると確信しているのだから。微塵も疑う余地の無い正義を振りかざすだけで道を歩けるのだから。



 だが。マリーと出会ってしまった今のイリスには、自分自身にその生き方を望めない。どんな状況でも、判断の前に相手を知ろうとする背中を散々見てきた。その姿に憧れてしまった。その在り方に救われてしまった。――完璧な『聖女』ではなく、不完全で悩み苦しみながら前に進む凡人として、そう在りたいと、思ってしまった。


 一度心に焼き付けられてしまえば、もう他の生き方は選べない。どう足掻いたって自分自身は偽れないし、一度思い出した後ではあの時のように「自分」を忘却することも叶わない。



 だから、あの時マリーの声に振り向いてしまった時点で、イリスが憎しみと譲歩の板挟みに苦しむのは確定していた。


 

「……私に、答えは出せるんでしょうか」


『純白の聖女』でも、マリー・エルレディでもない、イリス・ミリネスにしか辿り着けない答えを見つけられるのだろうか。癒すことだけしか能がない、自分に。


「――いいえ、何を弱気になっているんですか。一度決めた事です。必ず、私なりの結論を……」


 と、再び決意した瞬間だった。ふと、視界に変化が生じ、硬直する。静寂を守っていた扉が開き、何者かが足を踏み入れる。




 タオルに身を包むレティシアだった。



次回、お風呂回です!

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