第一章1話『侵色』
ただ、生きていただけだった。誰かの道具となり、死を遠ざけるために必死に走る人生。何度も転んだ。何度も肉にぶつかった。だけどいつしか障害物は無くなり、残ったのは固くて柔らかい「黒」のみ。
何も感じず、何も考えず、ただ教えられた「生き方」に沿って走ればいい。それだけで良かった。それ以外のすべてが無駄だった。それなのに、あの日全てが一変した。
「――ぁ」
――すぐにでも塗り潰せる、透き通るような『純白』との接触が、少女――レティシア・パレットの全てを変色させていった。
□■□ □■□
「な、なんで……」
後ろからそのような問いかけが聞こえてくる。絶叫を押さえ付けて発せられ、不可解を宿したその声に、レティシアは顔だけ振り返り、口を開いた肉を見下ろしてこう答える。
「――それが、私の生き方だから」
嘘偽りなく本心をそのまま告げたつもりだ。そこに相手への思いやりこそ無かったが、悪意も介在していない。ただ、問われた事に対して誠実に応答しただけ。
これで満足するだろうと首を戻し、その場を離れようとするレティシア、
「う、あ、あぁぁぁぁッ!!」
だが彼女の予想に反して、肉の顔は驚愕と恐怖の二色に染まり、血反吐混じりの絶叫を漏らした。
このような問いを受けたのはこれが初めてでは無い。投げかける言葉こそ違えど、意味するところはほとんど同じだった。だが、どんな場面であろうとレティシアの返答は変わらない。そうとしか返せない。
そう、レティシアにはそれしか返せないのだ。
だって――『二十に一つの敵肉は、殺さず表皮だけを切り刻め』と、そう教わったから。
『それでも立ち上がろうとするのなら、四肢が千切れる寸前まで生かしたまま切断しろ』と、そう教わったから。
そしてこの「訓戒」だけが、レティシアの判断基準なのだ。
「――」
「なっ……!」
刹那、警鐘を鳴らす本能に従い僅かに右に跳ぶ。流し目に見やると、先程まで心臓があった座標を剣先が貫いていた。
予想外の結果に奇襲肉は硬直し、次の行動に移せない。その隙を黒い死神は見逃さない。
疾駆、通過、切断。その口から苦鳴が漏れる間もないままそれが活動を停止したのを確認し、剣に付着した返り血を振り払う。そうして、先程生かしておいた瀕死の肉に再び目を向ける。
「ふ……ふぅ……うっ……ま、魔女……」
「誰のこと? 私はただの絵筆だよ。あなたを『黒』に染める、ただそれだけの道具」
やはり、肉の言うことは分からない。それに、まだ活動しているのだから嬉しいはずなのに、何故この肉は苦しんでいるのだろう。そんなに歯を食い縛らなくとも、死んだりしないというのに。
正当に嘆く権利があるのは、そこら中に散らばっている「黒」に染色された肉塊達だ。活動停止した肉の数は奇襲肉含めて五百七十一――どれもレティシアの手によってどす黒く染色されている。
無論、戦場に赴いたからにはその覚悟はあったのだろう。しかし、こうもあっさりと生を濃密な「黒」で上書きされては、肉々も文句の一つや二つあるに違いない。
だからこそ、それらの活動源に終わりをもたらした存在として肉塊の罵詈雑言を甘んじて受け入れる責任が自分にはある、とレティシアは考える。
「……」
だが、一度活動回路を断たれた肉は何も語らない。同郷の味方兵に意見を聞こうにも、今のレティシアは作戦の一環で単独行動中だ。そのため、この事について考えることは無駄であると判断し、思考途中のそれを即座に廃棄した。
「ころ、して」
「だめだよ。それは教えられてない」
瀕死肉の胴体から離れかけた右腕が、縋るように漆黒のスカートを掴む。しかし、この肉の息の根を止めることはレティシアの「生き方」に含まれていない。
無駄な行いは「生存」の障害になる。どれだけ頼まれてもレティシアはこの肉を終わらせない。それに、分からなかった。
「生きること、それが全てじゃないの?」
どうしてこの肉は生を拒み終わりを懇願するのだろうか。
ただ生きる為に生き、他のすべてを知らないレティシアにはどうしても分からない。分からないから、思考を放棄し目の前の問題に目を向ける。
「大人しくしてれば助かるはずだよ。だから、手を離し――」
と、そこまで口にした瞬間、右足からすとんと力が抜ける。見ると、小さな穴が空いていた。
「み、じめに、しね」
再び振り返り、脂汗に涙に血に塗れた好戦的な笑みを視界に映す。錯乱した目は血走り、口元からは血泡が漏れ出ている。
右腕は既に持ち主の元を離れており、大方射出式の何かを右腕に仕組んでおいたのだろうと目星をつける。大した早業だ。
――とまぁ、ここまでのすべてが無駄だ。だが、レティシアはこうも教わっている。肉の無駄を観察する行為は必要な無駄であると。
そして、肉の無駄がレティシアを少しでも損傷させるような事があれば――、
「――あぁ、やっちゃったんだね」
「ぁ?」
肉体が穿たれてなお、無表情を保っているレティシア。彼女の発した呟きの意図が読めず、更に困惑するうつ伏せ肉だが、結果は瞬時にやってきた。
身体を翻し、「生き方」に抵触した廃棄肉に一振り。血飛沫が僅かに見え始め、終わりを懇願した肉が斜めに両断される。それを見届けながら、剣を握る右腕を雷にも勝る速度で乱舞させる。
大気をも置き去りにする神速は血飛沫が舞う猶予を与えないまま、二つに分かたれた肉を細かに切り刻んでいく。廃棄肉は瞬く間に無数の肉片に分裂し、骨は赤く染まり、しかしそこに肉片は一つも付着していなかった。
この間僅か一・八秒。文字通りの瞬殺だった。
「……」
――レティシアの手にかかった肉は、本来の色を鈍く輝く「黒」に上塗りされる。黒みがかった赤で肉の全身余すこと無く染色し終えたレティシアは、剣を払い色落とし。
これが、少女の異名の由来である。相手がどれだけ明るい個性を持っていようと、強靭な意志を持っていようと、鮮やかな色で満ち溢れた才能を持っていようと、尽くを同質の「黒」に染め上げる。
それは精神的にも身体的にも、視覚的にも嗅覚的にも聴覚的にもそうだ。
対象の、先天や後天を問わない全ての色を、不変の「黒」で上書きする。
レティシアが染め上げるのは肉だけに留まらない。彼女が歩いた戦場は、染色肉を介して赤みがかった漆黒の沼地へと様相を変える。
それはやがて草木一つ生えない純黒の大地となり、腐敗した肉を養分に濃密な死を育んでいく。
そうした、味方でさえ震え上がる惨状を目にした誰かが、いつか彼女をこう呼び始めた――『侵色』のレティシア、と。
「――」
暗雲濃く立ち込める赤色の戦場でまたひとつの敵肉を『侵色』し終えたレティシアは、負傷した右足をものともせず駆け出す。
少女の足が動く度に肉が倒れる。少女の腕がしなる度に悲鳴が上がる。負傷を感じさせない見事な剣捌きを以て、レティシアは数だけの帝国肉を『侵色』していき――。
□ ■ □
「――ふぅ」
しばらく走り、辺りを見回すが、立ち上がっている者はいない。
この場所には単独で攻め込んでいる。ここが敵陣営の野戦病院であることを踏まえると、奇襲と言った方が適切か。
そのため、この場に生存者がいれば例外無くレティシアの任務対象ということになる。
お父様曰く、負傷肉は無傷肉の行動や思考の阻害に大いに役立つのだとか。
現に、少し離れた所に張ってあるテントの下では、横たわっている損傷の激しい肉々の傍ら、無傷肉達がずらりとしゃがんで手をかざしていた。
――活動している肉は、『侵色』しなければならない。
「……」
しかし、まだその機ではない。未回収の負傷肉もテントに連れ帰って貰わなくては手間だ。
そう考え、レティシアは本隊との合流に向かう演技をした。しばらく走ったあと草むらに隠れ、テント付近を観察し、機を見計らう。
そうして暫く待って、暴れる気力も失せたもののまだ駆動している最後の肉が、担架に乗せられ運ばれたのを見届けて、遂にレティシアは動き出す。
――『治療中の『癒し手』は腕を両断する』
「――しっ」
前傾姿勢となり、空気抵抗を可能な限り軽減した体勢で戦場を駆ける。全力疾走にも関わらず無音、相手の死角をひた進む少女の急接近に気付ける肉はいなかった。
そうしてすぐに救護用のテントに辿り着くと、瞬時に自身の「生き方」に沿って行動を開始した。つまり、治療者の両腕を吹き飛ばした。
――『その後、間髪入れずに首を断つ』
「ぇ」
一息で、滑らかな鋼の残像が肉をなぞる。その数二十ほど。
そもそも『癒し手』は希少な存在である。それをこれだけの数戦場に引き連れて来るとは、帝国も余程必死なのだろう。
――この数日間、『癒し手』は王国本隊との戦いで負傷した肉を後方で治癒し、戦線復帰させてきた。レティシアの任務はその循環の破壊――治癒肉の『侵色』だった。
「……」
行動の成果を確認するべく顔だけ振り返る。
そこに広がるは死臭が充満した人工の赤い――いや黒い湿地だ。至る所から黒肉の黒い悲鳴が発生し、『癒し手』を失い黒に溺れた負傷肉のもがき苦しむ様子が視界に移る。
――戦争における最たる障害は、戦死した仲間でも一騎当千の敵兵でもなく、負傷した味方である。レティシアに「生き方」を伝授した人間は、この道理を理解していた。
「あなたも」
「ぁ」
しかし彼が何を理解しようが何を考えようが、道具であるレティシアには関係ない。一番遠くにいて、最後に残った癒者の役目を終わらせようと、相手の眼前まで歩を進め、腕を振り上げる。
相手が若年だろうと女の子だろうと、肉である以上は迷わない。ただ生きる為に生きるだけだ。
刹那、対象の肉と目が合う。恐怖に澄んだ青い目が見開かれ、瑞々しい唇がワナワナと震えている。
まぁ、無駄だ。彼女が何を感じ何を思った所でレティシアの為すことは変わらない。だから、か弱い白髪肉の末路も決まっていて――、
「ひ」
「――なに、これ」
一閃。それが届く寸前で剣の軌道が止まる。
「温……かい」
直後に全身から湧き上がるその感覚は、これまでに体感した事のない未知のものだった。そして未知ながらにも、この感覚は目の前の肉が引き起こしたものだと確信できた。
恐怖で涙を流しながらも力強い眼でこちらを見つめ、両手を向けている白肉。これの治癒魔法だ。
その治癒の感覚が、この未知の温もりということなのだろうとレティシアは分析する。
が、だからこそ分からない。
「分から、ない」
何故、敵である自分に治癒魔法をかけたのか。何故、こんなにも温かいのか。――何故、恐怖を宿した眼の奥に別の、哀れみを隠しているのか。
「何、で」
手から剣が離れ、足から力が抜け、地面にぺたんと座り込む。理解できない。
今自分がしている行為が「生き方」に反している自覚がレティシアにはあった。だが、動け動けとどれだけ念じても、体はビクともしない。剣もひとりでに動いてはくれない。
この瞬間、レティシアは人生で初めて「生存」以外のことを考えていた。
『『侵色』、『侵色』、応答願う。こちらヴァイン、帝国軍の撤退を確認。至急、本隊と合流しろ』
「――」
『おい、『侵色』? 聞こえているか? とにかく、私達と合流だ。いいな?』
「――――――はい」
突如、自動無線機から隊長の声が聞こえ、我に返る。そうだ。生きる事以外を考える必要はない。ただ、教えられた術に関わる事物だけを記憶していればいい。それでいいはずだ。それ以外を知らないはずだ。
――それなのに、どうしてレティシアはこの白肉を無視できないのか。
「……」
「どう……して……」
「……」
「どうして……泣いてるの?」
「――? ぁ」
音程の定まらない声でこちらを恐る恐る指さす白肉。その訳が皆目見当もつかず疑問符を浮かべつつも、指の指し示す自分の顔へと左手を持っていく――未知の感覚が手を伝った。見ると、そこには透き通った水滴があった。
「あ、みくろ姉!」
それに気付いたのと、本隊の中でも近場で戦闘していた同郷の四百十五がレティシアを発見したのは同時だった。
「隊長から聞いてる? 撤退だよ撤退、ほら早く!」
と、飛び跳ねながらこちらを手招く四百十五に再び正気に戻り、白肉から視線を外す。
幸い彼に背を向ける形で座っていたため、白肉のことも水滴のことも気付かれてはいないだろう。だから、水の痕跡を消してから、そのまま彼のいる方へと歩き出す。
「……待ってください!」
後ろから白肉の声がした。しかしもう振り返らない。
何を頭に浮かべても、意識が持ってかれそうになっても、それら全ては無駄だと定義し、捨てる。荒治療ではあるが、何もかもが分からないこの現状。レティシアにとってはこれが最善の方法だった。
「みくろ姉、あの肉は?」
「あれは…………負傷肉だよ」
――二十歩程足を進めた時。後ろから衣服の擦れる音と共に、何か大きいものが地面に落ちる音が聞こえた。それが、最後だった。
『極相色彩のケイオスライン』、始まりました〜っ!
今後ともお付き合いいただけますと嬉しいです✨
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