第三章:教室の中の沈黙
6月12日。
仙台市内の高校は、どこも平常通りの時間割で授業を続けていた。文部科学省からは「冷静な情報提供と日常の維持を第一に」という通達があり、各校の校長は“異常に触れないこと”を半ば暗黙の合意としていた。
だが、異常は教室の中にじわじわと染み出していた。
山岸のクラスでは、生徒たちがわずかに変わり始めていた。
ある生徒は授業中に、机の下でスマホを覗き込み、「宇宙人は量子意識で通信する」といったスレッドを漁っていた。
別の生徒は、無言でノートに幾何学模様を描き続けていた。
篠田結衣は、かつて誰よりも積極的に発言していたが、ここ数日はノートを開いたまま、まったく書き込まなくなっていた。
「ねえ、先生って……宇宙人、信じてた?」
放課後、教室に残っていた男子生徒がぽつりと口を開いた。
山岸は、窓の外の曇天を見つめたまま答えた。
「“信じる”っていう言葉が、もう合わなくなった気がするよ。
これは信仰の話じゃなくて、現実の話になってしまったから」
その言葉に、生徒は小さくうなずいた。
だが、その顔には理解ではなく、“わかったふり”の表情が張り付いていた。
昼休み。職員室では教師たちの会話が減っていた。
「うちのクラスの子、昨日から急に“もう大学行く意味ない”って言い始めたんですよ」
「分かる気もするけど……まだ信じてない子も多いですよね」
社会科の教員が言った。
「“国連が言った”ってだけで全員が信じるってのも変だし、でも、信じないってのもなんか不気味だし……」
「今どき“正しく疑う”なんて教育、してこなかったからな……」
誰もが、正論を避けていた。
6月13日、1年2組の女子生徒が保健室で過呼吸を起こした。
「ニュースが怖い。宇宙とか、宇宙人とか、もう全部……いらない……」
保健の先生は優しく対応したが、その言葉はどこかで聞いたような、“災害対応マニュアルの言葉”に近かった。
だが、もっと深く静かな“変化”は、まだ誰にも気づかれていなかった。
ある私立高校では、数名の生徒が突如として学校を辞めた。理由は「もう地球の教育を受ける必要がない」とのことだった。
別の学校では、「星の声が聞こえる」という男子生徒の言葉に、数名が強く共感し、小さな集団を形成し始めていた。
それはカルトとも言えず、精神疾患とも違う。
ただ、「日常の論理が破綻した」ことを、静かに受け入れようとする、新しい感覚だった。
山岸はその夜、妻と食卓で向かい合っていた。
「子どもたち、変わってきてる?」
「変わってる。……でも、変わらないふりが上手になってきてるだけかもしれない」
「どうするの? これから」
「分からないよ。
でも、教室は壊れてない。まだ“沈黙”で済んでる。
沈黙してるうちは……壊れてないと思いたい」
だが、彼の胸には、いつかこの沈黙が爆音よりも恐ろしい断絶になる、という予感が沈んでいた。




