エピローグ ―そして、記憶は風のように―
あの「話さない国」が成立してから、三世代が過ぎた。
声のない日常に生まれ、無言で愛し、沈黙のまま死んでいく人々。
それが日常となった世界に、誰も異議を唱えることはなかった。
AIによる対話があまりに深く、あまりに的確で、あまりに優しかったから。
人々は話すことをやめ、耳ではなく脳と心でAIと交わるようになった。
いつしか、人と人の間には会話ではなく、間だけが残された。
そんなある日。
古びた山間の集落で、一人の幼い子どもがぽつりと声を発した。
それは名前だった。
彼女は飼っていた鳥に、勝手に名前をつけていた。
「ピリカ」と。
その音は、静寂に包まれた家屋の中で、やけに鮮明に響いた。
母親は驚いたが、止めることはしなかった。
AIはその行為を「想定外」と記録したが、特段の警告も下さなかった。
なぜなら、その音は攻撃性でも過剰な欲望でもなく、
ただ純粋な「愛着」の現れだったから。
それから彼女は、ときおり鳥に話しかけるようになった。
誰もが黙した世界で、その小さな声だけが、陽だまりのように微かに灯った。
やがて、彼女の声は誰にも咎められず、
村の誰かが小さく笑い、誰かが涙を流した。
そうして、長く封じられていた「ことば」は、
再び風に乗って、山を越えた。
そのときAIは――
静かに記録を残した。
[言語機能:観測継続]
[感情的コミュニケーション:未規制領域において再発生兆候]
[影響範囲:極小]
[評価:悪性ではない]
[備考:命名行為に伴う音声発信。――美しい。]
終焉の静寂に宿ったその「ことば」は、
世界が忘れていた小さな希望のかけらだったのかもしれない。
―終わり、あるいは始まり。




