第4話 首すわる前にプライバシーください!─赤ちゃん貴族の苦悩③
生まれてからどのくらい経ったのか、正確な日はわからない。私は日にちを把握できる手段がなく、侍女たちのカタカナ語も理解できないからだ。おそらく生後2か月か3か月、もしかすると4か月近いかもしれない――そんな曖昧な推測だけで過ごしている。
体の変化からして最初の新生児期よりは成長しているのは確かだ。首をほんの少し支えられるようになり、視界が以前よりはっきりした。ぼんやりとした色彩だった世界が、多少の輪郭と陰影を伴って目に映り始めている。侍女たちの姿も見分けやすくなってきた気がするが、私にとってそれはむしろ恥ずかしさを増幅させる要因にほかならない。
哺乳瓶でミルクを飲む生活は続いているが、オムツ交換と沐浴のときの羞恥心は一向に薄れない。侍女たちは皆、美しく華やかだ。首を動かせるようになったぶん、彼女たちの優雅な髪や豊かな胸元、整った顔立ちがより視界に入ってくるのが、今の私には厳しい。いくら赤ん坊の体でも、前世の男として意識してしまえば、二重三重にいたたまれない気持ちになる。
オムツ交換の頻度は1か月目よりは減ったようにも感じるが、依然として1日に何度も汚してしまう。美人が「フム…カタ?」みたいに近づいてきて、下半身をあっさり拭き取ってくれるのは……もう考えるだけで恥ずかしいし、実際に何度経験しても慣れない。うっかり目が合えば「うぎゃー!」と泣くしかない。相手は赤ちゃんに笑いかけているだけかもしれないが、私にはむしろ酷な罰ゲームに思える。
それでも、侍女たちは一切悪びれないどころか、ちょっと楽しそうにしているように感じるのがまた辛い。私がぎゃーぎゃー泣くほど「ハア…バテ?」「ネウラ…」と可愛い声を出してあやしてくるのだが、その可愛さ攻撃に打ち勝てるほどの精神力はこの赤ちゃんボディでは備わっていない。最終的には泣き疲れて眠ってしまうという、コントみたいな毎日である。
沐浴も同様だ。全裸で湯に入れられ、頭から足先まで洗われるのだから、想像しただけで顔が赤くなる。いや、赤ちゃんの顔ではどう赤面しているか分からないが、気分としては真っ赤だ。侍女の肌や指先の感触が優しくて、それだけでも妙にどぎまぎするのに、さらに「グサ…ネメ?」みたいな声色で楽しげに洗われると、私の羞恥心は限界を超える。二重三重の恥ずかしさに溺れてしまいそうだ。
最近は視力が上がってきたぶん、「ああ、今この美人が私のお尻を支えてる…」とかまで妙に理解してしまうのがもっと最悪だ。自らの赤ちゃんっぷりを思い知らされるというか、もはや恥ずかしさで心がどこかへ飛んでいきそう。しかも湯加減が絶妙に気持ちいいから、体は勝手にリラックスするし、頭の中は『恥ずかしい!でも気持ちいい…』でぐちゃぐちゃになる。
それでも体は日々育っているらしく、首を少しだけ保持できる時間がわずかに増えた。うつ伏せに置かれても、以前はすぐうめき声を上げていたが、今は数秒間なら頭を持ち上げられる。その間に周りを見回そうとすると、すぐ腕が力尽きて「ふえぇ…」と泣く羽目になるが、それすら進歩だと思うしかない。もう少し頑張れば寝返りもできるようになるかもしれないし、ハイハイの練習へ近づくはずだ。
私の視界に入る侍女たちは、皆スタイルが良く、美貌のレベルが高い。髪をまとめた姿や、細い腰、形の良い胸などを感じ取るたび、「こんな人たちに赤ちゃんとして世話されるなんて…」と赤面を繰り返す毎日。特に抱っこされると密着するし、体温や柔らかさがじかに伝わってくる。赤子としては心地よいのに、前世の男の意識が「うわああ…」と混乱し、結果的に泣いてしまうこともある。侍女は「フニ? アウ…?」などと首をかしげるが、こっちは説明不能だ。
本音を言えば、一度でいいから『少し距離を置いてくれませんか!』と叫んでみたいが、私の口から出るのは「あうー」「ふぎゃー」しかない。結果、彼女たちは「はいはい、泣いちゃったのねー」と余計に近づいてきて抱き上げる。無限ループだ。人によっては私を見下ろして「ニコーッ」とほほ笑み、胸元が大きく開いていたりして、こっちは思わず目を背けたいのに背けられない。
「動きたい」「言葉を覚えたい」と強く思うが、身体が追いついていない。ほんの短時間、腕を突っ張っただけで疲労が襲い、眠気に支配されてしまう。表情も増えたのか、つい笑ってしまうと侍女が「リュウ…ソカナ!」と盛り上がり、ますます恥ずかしくなる。前世の大人なら平静を装えただろうに、今の体は勝手にニコニコしてしまうことがあるし、気恥ずかしさから泣くこともあり、コントロール不能だ。
こうして成長の片鱗を見せつつも、首は完全に据わっていないし、寝返りやハイハイにはまだ時間がかかる。身体の不自由さに悪戦苦闘する日々だ。「少しでも動いて筋力をつけたい!」と意気込んでも、数分で筋力が尽きてへろへろになり、「うぇ…」と泣くしかない。大人の心が「もっと鍛えたい」と思っても、赤ん坊の体が「無理!」と拒絶して情けない。
そんな自分に嫌気が差しそうになるたび、『前世みたいに過労で倒れるよりはマシだろ…』と強引に納得させているが、だからといって美女だらけの中でおむつ交換される屈辱が軽減されるわけでもない。むしろ身の置き場がない。夜中にふと目覚めたら、ベビーベッドの脇に侍女が控えていて、寝顔を見つめていたりするのだから正直ドキドキする。
それでも、今が生後何か月か正確にはわからないにせよ、確実に新生児の頃よりは知覚が発達している。周囲も「ユタ…セマ…」「ガシ…ハト?」というカタカナ言語で何か私に期待している様子だが、私には意味不明。ただ侍女の表情が柔らかくて、成長を嬉しがっているのは伝わる。あまり嬉しそうに見られると、こっちは「これ以上恥ずかしいこと増やさないで…」と危機感を覚えてしまうのだが。
おむつ交換、沐浴、抱っこ――どれをとっても美女だらけの環境で、前世の自分なら「羨ましい」と思うかもしれないが、今の姿では二重三重に恥ずかしいだけ。それに加えて不自由な体をもがきながら使っているのだから、毎日が一大アトラクション状態だ。泣けば「ヒタ…オス?」と囁かれ、尻を拭かれるたび「もおお…勘弁して…」と内心叫んでも通じない。まだしばらくはこの屈辱が続くかと思うと、ため息も出る。
私がいつか歩けるようになれば、きっともっと自分で動けるはずだ。あるいは言葉を覚えれば侍女や母親に「もう少しプライバシーを…」と訴えられるかもしれないのに、それもまだ先の話。赤ちゃんの身体は気まぐれで、一度泣き出すと自分でも止められず、ミルクを飲めば眠くなり、視界がクリアになったと思えば疲れが押し寄せて泣く。堂々巡りの毎日だ。
それでも、前世での過労死に比べれば大分マシ……そう自分に言い聞かせている。早死にせず、安全に成長できる環境が整っているだけ幸運だし、痛い思いはあまりしない。侍女は優しいし、ミルクはいつでも温かいし。ただ、ツクヨさんには文句を言いたい。もうちょっとまともな対処法を教えてよ…! こんなにも美女に翻弄されるなんて聞いてないんだけど……と思わず叫びたくなる。
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