第4話 首すわる前にプライバシーください!─赤ちゃん貴族の苦悩①
生まれてから、どれだけの時間が経ったのか。まだ正確にはわからない。
私は前世で「大人の男」だったはずだが、いまや体は完全に“赤ちゃん”。それも、生まれて一か月そこそこの新生児として日々を送っている。
ここは中世ヨーロッパ風の世界らしく、でも何か魔法的な道具があるらしい。だけど、私の今の知覚ではよくわからない。体はふにゃふにゃ、視界はぼんやり、耳に飛び込むのは「グウタ ラマニ? オソ ヤカネ?」みたいな意味不明のカタカナ羅列で、正直全然把握できない。どうやら侍女が喋っている声らしいが、何を言っているのかは皆目見当がつかない。
赤ん坊はほぼ一日中寝て過ごすというが、確かにそんな感じだ。前世の私なら「こんなに眠れるのか?」と驚くだろうけれど、今の身体は自然にそうなってしまう。ほんの数分起きていても、あっという間に眠気が押し寄せるのだ。
目もまだうまく開かないし、開いても光や影がぼんやり見えるだけ。微妙に色彩の違いを感じたり、誰かの顔の輪郭っぽいものが動いている気がするが、ピントが合わず途端に疲れてしまう。結局、「あー…うー…」と喉を鳴らすだけで精一杯だ。
泣くか、ミルクを飲むか、おむつを汚すか、そして眠るか。生活はその繰り返し。前世の常識だと「そんな単純作業だけでよく飽きないものだ」と思うが、実際の赤ちゃん視点では余裕など皆無。とにかくお腹が空くと泣かずにいられないし、おむつが気持ち悪いと泣くしかない。そうして泣いているうちに体力を消耗し、また寝落ちする。
問題は、そのおむつ交換のたびに私は強烈な恥ずかしさを味わうことだ。前世で30代男性だった意識を持ったまま、侍女が私の下半身をさらっと拭いてくれる瞬間を想像してほしい。「こんな姿、見られたくないんだけど…」と叫びたいが、出てくる声は赤ん坊の泣き声のみ。気がつけば「うぎゃー!」と泣き叫び、侍女が「ウムサ ネコオ? ジャテセ?」とかカタカナ言葉で笑顔を向けている。もうコミカルを通り越して開き直るしかない。
しかし、この世界には便利な道具があるらしく、汚れた布おむつをサッと処理する仕組みが存在している。ツクヨという転生神から「魔法的な設備がある」と聞いたのを思い出す。侍女自身が呪文を唱えているわけではないが、何か装置を操作して布をきれいにしているようだ。おかげで、私がいくら下半身を汚そうとも、すぐに交換が終わってしまう。悪くはないが、変な屈辱感が残る。
ミルクを与えられるときも、哺乳瓶がいつでも適温に保たれているのが不思議だ。ツクヨの話では「温度管理も魔法設備がするから超楽だよ」と言っていたし、たぶんそういう仕掛けがあるのだろう。侍女が「マグナ ツレウ…オホウム…」とカタカナ言葉を呟きながら瓶を用意するとき、一切火を使っていないっぽいのに、ほかほか温かい。それだけで赤ん坊の私が快適に飲むことができる。
もっとも、赤ちゃんとしては哺乳瓶でちゅーちゅー吸う行為自体がけっこう恥ずかしい。せめて前世並みにスプーンやコップで飲むとかできればいいが、今の口や舌はまったく対応できない。結果的に「ちゅぱちゅぱ…」と音を立てて飲み、飲み終えるころには全身がとろけるような眠気に包まれる。あまりに無防備すぎて、時々自分が「本当に大人の意識を持っていたのか?」と疑問になるほどだ。
体はふにゃふにゃ、首もまったく据わっていない。抱き上げられるとき、侍女が私の頭と背中をしっかり支えてくれるのだが、そのときの感触が妙にあったかくて柔らかい。しかも相手は美女が多いので、もうドキドキしてしまう。でも、前世の感覚で「やばい!」と思っても、今の私の身体はただの赤子で、恥ずかしいどころか安心感すら得てしまう。とはいえ、何か“よこしまな気分”になろうとしても、実行不能。勝手に眠気が襲ってきて終わりだ。
侍女たちのカタカナ言葉は、本当に意味がわからない。たとえば「ボタナ メルル? フチョシ…アウネ!」みたいなフレーズをしょっちゅう耳にするが、どんな言語かも不明だし、単語すら拾えない。かと言って、私のほうも伝えたいことがあっても赤ちゃんの声しか出せないのだから、コミュニケーションは一方的。向こうが楽しそうに喋ってくれているのは感じるが、会話の中身は謎だらけだ。
母や父はどうなのかと言うと、ほとんど会いに来ない。出産直後に見たらしい記憶がかすかにあるが、その後は侍女が「オオマ ユリテ… ハカア…」とカタコト言っているのを耳にして、「親は忙しいんだな」と推測するしかない。貴族の家のしきたりかもしれないが、少しさびしいとも思う。まぁ、こんなに侍女が何人もいて世話をしてくれる環境があるだけでも、大切にされているのだろうと考えるべきか。
首もすわらず、寝てばかりの赤ん坊だから、どんなに気合を入れて「自分で調べよう」と思っても、思考は数分で途切れてしまう。目を開けてもぼやけた世界に疲れ、体が重くて動かせず、結局泣いておむつを替えてもらい、ミルクを飲んでまた眠る。これが生後1か月ほどのリアルなのだ。
魔法設備がなければもっと不便だったに違いないが、ツクヨが「この世界はそうとう快適」と言っていたのを思い出すたび、「確かに赤ん坊の世話ひとつでも楽チンなのかも」と納得する。もし前世のように湯を沸かしたり消毒したり布おむつを洗濯したりするのに時間がかかれば、侍女だって慌ただしかっただろう。いまの彼女たちは、むしろ余裕の笑顔で私を抱えてくれる。
ただ、私自身の知覚はまだ未熟で、そのありがたさを実感しきれない。音は聞こえるが意味がわからず、視界は真っ暗に近く、触覚もふんわりしている。あらゆる感覚がぼんやりしていて、しっかり認識できないのだ。例えば、おむつ交換のときも、何か冷たい布が触れたような気がするな…程度で、気づけば終わっていることも多い。焦点が合わないから、侍女の顔も影の輪郭しか見えない。それでいて、ぼんやりと胸の膨らみを感じるたび、なぜか赤面しそうになる。どうしようもない混乱だ。
泣き声を上げると、侍女が「ハナル テコワ…ダイジョン…」と近づいてきて、やさしく揺らしてくれる。私の頭の中では「ありがとうございます」「すみません、恥ずかしい…」などと思っているが、口から出るのは「ふえー…」という泣き声のみ。毎回そんな状態だ。ちょっとコミカルすぎるが、まぎれもなく現実。
こうして、私は0歳の人生をスタートしている。まだ1か月ほどしか経っていないらしく、外の世界は見たことがない。部屋の中もぼやけた風景で、侍女たちのカタカナ語が飛び交うだけ。夜なのか昼なのかもよくわからないまま、常に快適な温度に保たれたベビーベッドで眠りこけている。
それでも、恥ずかしくてたまらないおむつ交換や、哺乳瓶の吸い付き行為も、“赤ちゃんだから仕方ない”と開き直るしかない。前世で働きづめだったことを思えば、こんなにも守られた生活は逆に戸惑うが、身体が成長するまでどうしようもないのだ。
自力で動きたい、言葉を学びたい、そのためには成長が必要。視力や筋力も含め、あと数か月すれば少しは首がすわって、もうちょっと周りを認識できるだろう。それまでは「赤ん坊モード」で生きるしかないのだから、コミカルでも耐え抜くしかない。
泣いてミルクを飲み、おむつを汚し、侍女に抱きかかえられて安心し、また眠る。そのループの裏で、魔法設備が快適さを支えてくれているらしいが、私にとってはまだ何が何やら。成長を待つしか方法はない。
こうして、ほんの一か月かそこらの間に、私は数えきれない恥ずかしさを味わい、数えきれない眠りを経験している。体を思うように動かせず、ぼんやり見える胸の谷間にドキドキしたり、カタカナ語の連呼に耳をすませては「なんて言ってるの?」と首をかしげたり。前世の意識があるからこそ、余計に笑うしかない悲喜劇だ。
それでも、早死にする心配はなさそうだし、魔法が浸透したこの世界ならもう過労なんてごめんだ。こんな赤ちゃんライフを送っていると、前世の苦労が遠い昔の悪夢に思えてくる。いや、実際、眠りに落ちるたびに記憶があやふやになりそうだが、それでも大人の意識は残っているはず……たぶん。
早く視界がクリアになって、周りをちゃんと見たい。侍女の顔もはっきり見えたら嬉しいし、両親がどんな人なのかも知りたい。そう思いながら、私はまた哺乳瓶をちゅうちゅう吸い、ぽかぽかした気分で眠りに落ちるのだった。
生まれてから、どのくらい経っただろう。まだ生後1か月ほどのはずで、視界も相変わらずぼんやりしている。日々、泣いて、飲んで、寝て、それを繰り返していると、時間感覚がまるでない。侍女たちの会話は全部カタカナの羅列で、さっぱり意味不明。私はただ、赤ちゃんの本能に振り回されるしかない。
そんなある日――ちょっとした“事件”が起きた。おむつ交換とミルクのループに慣れかけた矢先、侍女たちが、どうやら母親を呼びに行ったような気配があった。そもそも母親がここに来ること自体が珍しいのに、なんでわざわざ呼んだのかは謎。カタカナ語がちらほら聞こえるが、「グタ…サマ…」だの「ナカイ…」だの意味は皆目わからない。
やがて、侍女が「ウゴト…エヴァッ…」みたいにバタバタしていると、少しして優雅な足音が部屋に入ってきた。母親らしき人のシルエットが近づき、侍女たちが何か説明している。私はベビーベッドの中にいて、ぼんやりその様子を見上げるだけ。目がはっきりしないから母の顔立ちもわからない。けれど、淡い香りと、漂う上品な雰囲気からして、間違いなく母親なのだろう。
すると侍女が私を抱き上げ、母親のほうに差し出すような動きをする。前に見たときは、母親は遠巻きに眺めるだけだったが、今回は何か違う。どこか躊躇している感じの母親に、侍女がカタカナ語で「グウ…トハ」「…サセ…」などと促している。母親は少し戸惑いながらも、小さく頷いたみたいだ。
次の瞬間、私は母親の腕に抱かれた。あまりに不慣れなのか、ぎこちない抱っこ。でも侍女がサポートしつつ、そのまま母親が胸のあたりを緩めていく。え、まさか……?と思った瞬間、ふっと視線が母親の柔らかな胸元に移ってきた。
普通なら「うおー、美女の胸!」と内心で叫びそうになるところだが、その瞬間、全身にどっと恥ずかしさがこみ上げてくる。前世の男としては目のやり場に困るどころか、こんな至近距離で触れるなんて、あり得ないくらいの事件だ。むしろ声を出して拒否したいのに、赤ちゃんの喉から出るのは「あぁ…」という泣き声だけ。心はパニックなのに体が動かず、ただ抱かれるままだから余計にもどかしく、頬が熱くなるような感覚に襲われてしまう。
しかし、母親は侍女の助けを借りつつ、慣れない手つきで私を胸に近づける。どうやら授乳をしようとしているようだ。最初は「え、こんな形で?」と動揺が大きいが、母親も落ち着かなさそうにしている。
唇が温かくやわらかい肌に触れた瞬間、思わず息をのむ。前世の感覚なら興奮してしまいそうだが、赤ちゃんの本能が働いているせいか、「変な気持ち」はさほど湧いてこない。代わりに、口が自動的に吸い付く形になり、甘い液体が流れ込んでくる。哺乳瓶とは違う、直接的なぬくもりと味わい。
飲み始めると、急激に体が落ち着いていく。不思議なくらいホッとするのだ。先ほどまでの恥ずかしさはあるものの、これが“母乳の力”なのか、思わず脱力してしまう。興奮というより、全身がじんわり暖かくなって、意識が安らぎの方向へ吸い込まれていくような感じ。
母親はまだ慣れていないのか、ぎこちなく私を支えているが、侍女が「グア…ネセ…メ!」とか指示を出しながらサポートしている。少しだけ母親の腕が震えているのがわかる。お互い初めての感覚に戸惑っているのだろう。
それでも、内心では「こんな至近距離、恥ずかしすぎる…母親とはいえ美女の胸なんだぞ…」と叫んでしまいそうだが、さっきの安心感が体を支配してしまい、どうにも抵抗できない。むしろ自然と目を閉じ、ゴクゴクと母乳を飲んでしまう自分に恥を覚える。赤ちゃんの本能とは恐ろしい。こんなに恩恵を受けながらも、心のどこかで赤面が止まらないのだ。
やがて、母親が疲れたのか、それとも量が十分だったのか、侍女の手助けを借りて私を離す。短い時間だったが、体がじんわり温かくなっているし、母親の肌の香りに包まれた余韻が残る。前世の俺なら「こんなシチュエーション、どうなるんだ」と混乱しそうだが、今はただ赤ちゃんの体がリラックスしているだけ。
母親は少し戸惑いの表情を浮かべていたが、侍女が一斉にカタカナ語で「コロユ… シタラ…ワネ」みたいなことを言って、手早く私の体を拭いたり、姿勢を直してくれる。母親は少しだけ私の頭を撫で、そっと微笑んだような気がした。視界がぼんやりしていて確信はないが、優しい雰囲気は十分に伝わる。
母親はそのまま急いで部屋を出て行く。貴族の習慣か何かで、母親がいつも直接授乳できるわけではないのだろう。おそらく今回だけの試みかもしれないが、私としては衝撃的な体験だった。恥ずかしくても本能で受け入れてしまったし、思ったより心地よくて癖になりそうだ。
しかし、休まる暇もなく、侍女たちが今度は「マサリ… ヤクタ…」などと囁き合いながら、私を抱き上げて別の小部屋へ連れていく。お湯気が漂い、床が少しぬれているようだ。何をするのかと思えば、また大事件――沐浴らしい。
普通に考えれば、生後1か月の赤ん坊を湯に入れて体を洗うシーンだが、私からすれば全裸をさらされるわけで、もう抵抗もできずに「ぎゃー!」と泣くしかない。
侍女が「ゲトス…ナリ ヘカ?」という感じで笑いながら私を抱き、湯加減を確かめるように足先を浸す。さっき母親の胸を体験したばかりで恥ずかしさのキャパシティが限界に近いのに、今度は美女の手で全身を洗われるのか…と目が回りそうになる。
お湯に浸かると、それ自体は悪くない。実際、赤ちゃんの体には快適な温度らしく、すぐに泣き声が弱まってしまう。けれど、全身をくまなく洗われるのはやっぱり恥ずかしい。オムツ替えでも十分屈辱なのに、さらに肌を隅々までチェックされるみたいだし、侍女の柔らかな手が私の体のあちこちを撫で回すたび、心が「うわああ」と悲鳴を上げる。
しかも侍女は慣れた様子で、「ガチュ…サラ ファメ…」とか言いつつ、首のシワや背中、お尻、足の裏までも洗ってくれる。私が抵抗したくても腕や足をバタバタさせるだけで、すぐに押さえられてしまう。無力だ…。
洗い終わった後はふわっとタオルで包まれ、「ふええ…」と弱々しい泣き声を上げる私をあやすように、侍女が「あやす言葉」をカタカナで並べる。「ムリア…カナ… オトウ…」とか響く中、私は再び「こうやって美人に体を拭かれるって、もういろんな意味でヤバい…」と頭を抱える思いだ。
身体がさっぱりするのは嬉しいが、精神的ダメージは大きい。ほのかに上がる湯気に、侍女の笑顔、ぼんやり見える肌の質感にドキドキしながらも、赤ちゃんだから興奮もどうにもならず、最終的に疲れて眠くなるという始末。ここまで屈辱的かつコメディな状況があるとは思わなかった。
結局、沐浴後はベビーベッドに戻され、ふかふかの布に包まれてまた眠る。体は柔らかいし、ほんのりお湯の余韻が残っていて気持ちいい。心は「もう勘弁してくれ…」と言いつつも、赤ちゃんの本能が「すべてを受け入れろ」と命じているようだ。結果、観念して眠りに落ちるしかない。
授乳と沐浴で恥ずかしさの連続。おむつ交換が加われば三重苦。前世の男としては耐えがたいが、体は新生児でどうしようもない。でも、周囲の人たちはみな優しくケアしてくれるし、私もどこか安心感を覚えてしまう。
こんな情けない姿をさらし続けても、まだ1か月程度。視力も聞き取り能力も未熟で、ただ泣いて飲んで出して寝るだけの生き物。この状態に慣れきる前に、早く成長したいと思う反面、体のメカニズムを変えられない以上、焦ってもしょうがない。
もう少し大きくなれば、ハイハイや言葉の習得など、やるべきことが増えるだろう。そのときにはまた別の恥ずかしさに直面するかもしれないが、とりあえず今は「何されても仕方ない時期」。そう自分に言い聞かせる。
母親の胸のぬくもりで妙に落ち着いてしまった自分に戸惑いつつ、さらに美女侍女たちに全裸を見られて体を拭かれたときの屈辱を思い出すと、もうため息が出る。いや、本当はため息すら出せない。赤ちゃんの身体が勝手に眠りを求めてきて、私の意識はまたぷつりと途切れていくのだ。
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