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第3話 はじまりは「おぎゃあ」から①

 意識が遠ざかる――それは前にも経験したはずの感覚だった。

 病院のベッドで息絶えたとき、視界は真っ白になり、耳鳴りだけが残って、すべてが遠ざかっていった。まるで魂が引きはがされるように。

 しかし、今度はまったく違う。あのときのような苦しみも焦燥もなく、どこか“浮いている”ような、不思議と心地よい感覚が広がっていく。

 ──私は、“死”を経て、転生神ツクヨとの出会いを経て、“異世界”へ向かうことを選んだ。

 杖を振るツクヨの姿が消えていくのを見た瞬間、意識がスッと落ちて……今ここに漂っている。

 風になびく小舟が、そのまま川面をふわりと下っていくような安らぎ。荒波に揉まれることもなく、静かに、穏やかに、何かに包まれているようだ。

 これは、いったい何なんだろう。

 「……ふわぁ……」

 体がどこにあるのかもわからない。視点もない。ただ、優しい風の流れのようなものに乗って、どこか遠くに運ばれていく。それを第三者的に眺めている感覚がある。

 前世で最後に感じた“息苦しさ”も、“死”のときの絶望感も、まるで嘘のように消えていた。

 けれど、これは死後の世界で漂うようなものじゃない。むしろ、新しい場所に向かう途中なのだと、ぼんやりと思う。

 ツクヨが言っていた「別の世界への転生」。私の魂は、そのための旅をしているのだろう。

 しばらく“風に吹かれて”いる感覚が続く。もしかしたら一瞬の出来事かもしれないし、永遠のように長い時間かもしれない。私の概念では捉えきれない。

 ただ、前世で働き詰めだった私には、この“完全なる休息”が救いのようにも思える。もうこのままでもいいかも……などと、弱い考えが浮かぶほど、心地よい。

 すると、不意に“やわらかな地面”にそっと降り立ったような感覚があった。

 まだ自分の身体がどこにあるのかすらわからないのに、地に足がついたような錯覚。それと同時に、意識が少しずつ“現実的な感覚”を取り戻していく。

 「……あれ……?」

 声を出すことはできない。でも、疑問の声は頭の中で響く。

 先ほどまでは浮遊していたのに、今はどこか“狭い空間”にいるような圧迫感がある。それでいて、全身を包む“あたたかさ”が、なんとも心地よい。

 身を委ねるように、その暖かい空間に没頭してみる。

 すると、聞こえるような聞こえないような、小さな“ざわざわ”した音が周囲を満たしている。遠くの方で水がさざめくような、あるいは自分の中にまで響くような……。海辺にいるときの“潮騒”にも似ている。

 身体……そう、ここでようやく私は“身体”を感じる。

 前世のように、腕や足を動かせるわけではない。むしろ“手足”の概念がぼやけていて、自分の体がどういう形になっているのかつかめない。

 でも、確かに“肉体”がある。血の通う温かさを感じる。呼吸とは少し違うリズムで、何か大きな流れが自分を包んでいる感じ。

 「……これは……胎内……?」

 頭のどこかでそんな言葉が浮かぶ。でも、まさか。

 私は今から“異世界”に転生すると言っていたはず。なのに、胎児の状態から始まるとか、そんな奇想天外な……。いや、でも、あり得るのか?

 ――どうしよう、この心地よさ。

 海のような温もりに満たされて、まるで私の周りは生命の水が満ちているようだ。ぽこぽこと泡が弾けるような音や、優しい鼓動音が遠くから聞こえる。

 呼吸はしているような、していないような、不思議な感覚。

 体がふわふわと浮いている気もするし、壁に包まれているような気もする。外の世界の気配は感じられない。暗闇なのに怖くはない。

 こんな静かな空間で、私はただ“眠っている”かのように過ごす。

 何時間、何日、何年が経ったのかまったくわからない。でも、その間ずっと、嫌な記憶や痛みは一切訪れなかった。むしろ、前世での過労や病気で荒んだ体を休める“リハビリ”をしているような気すらする。

 鼓動のリズムに合わせて、自分の身体が少しずつ完成していく――そんなイメージが頭をよぎる。骨格が形成され、血が巡り、皮膚が育つ。

 もっと言えば、ここで私は改めて“生まれ直す”準備をしているのだろう。脳も神経も、前世で使い果たした細胞とはまったく違う、新しい細胞が作られている。

 “異世界転生”――その始まりが、まさか胎児の状態からになるとは。

 気づけば、私はあまり疑問を抱かなくなっていた。前世の“死”を思えば、今の温かい安らぎは、十分すぎるほどの救いだ。

 それにしても、こんなにも“海”に似た感触があるとは思わなかった。母体の羊水だろうか。体に負担がかからないようにふわりと浮かんで、まるで胎内の温泉につかっているような心地よさ。

 ああ、悪くない。病院のベッドで苦しむより、よほどいい。

 ぼんやりとそう思っていると、いつしか軽い眠気のようなものが広がってきて、私の意識は途切れたり戻ったりを繰り返す。

 狭いはずなのに不思議と窮屈ではない。母親の鼓動なのか、規則正しいリズムが響くたびに、私は安心感に包まれていく。

 前世の激務に追われていた頃には想像できないほど、贅沢な“休息”の時間が続く。まるで長期のバカンスに出かけたみたいに、何もせず眠っていられるのだ。

 そうしているうちに、うとうとと微睡むことが習慣になりかけたころ、ふと私は“異変”に気づく。

 ……身体が、重い? あるいは、外側から何か圧迫されている?

 いつもは穏やかだった“海”が、急に揺れ始めたように思える。ゆっくり円を描く揺れが、次第に大きくなっていく。

 どうしたんだろう。これって何かの“イベント”?

 嫌な予感が走る。まるで嵐がやってきた海の上で、舟が大きく揺さぶられているようだ。

 何かが“収縮”しているように感じる。周囲の壁が、ぎゅうっと狭くなったり広がったり。

 身体にかかる圧迫感が増してきた。痛みとは違うが、かなり強い“押し出し”の力を感じる。

 これは……まさか……出産?

 そう思った瞬間、すべてが急激に加速した。周囲の水分が押し流されるように動き、私の身体はその流れに乗って、狭い“トンネル”へと導かれていく。

 「……っ……!!」

 声にならない声が頭の中で響く。いままでふわふわと心地よく浮かんでいたのに、一転して、生々しい生理的圧迫を全身に受ける。

 産道、という言葉が頭に浮かぶが、確かにこれは胎児が生まれ落ちるための道だ。そして私は“当事者”になっている。

 狭い。苦しい。けれど、逃げ場はない。身体が強制的に押し出されていく。

 外から何か大きな力が加わるたび、こちらの“骨格”までぎしぎしと軋むような圧迫を感じる。生温い液体に混ざって、時折、何か鼓動とも違う振動が伝わってくる。母体が必死に私を外へ送り出そうとしているのだろう。

 「ぐ……ぁ……」

 もちろん声にならない。ただ、今までとは比べ物にならない“生の感触”がリアルに襲ってくる。目は開けられないが、もう周囲の暗闇が少しずつ光を帯びてきた気がする。

 私の小さな頭や肩がぎゅっと押し潰されるような負荷を感じながら、なんとか通り抜ける。まさに“産道”だ。生命のトンネル。

 水圧と空気圧が入り乱れて、頭の中が混乱する。前世で味わった苦しみとはまた違う原始的な苦しみだが、“死”の痛みとは違う。これは“生まれる痛み”だ。

 もがいているうちに、強い収縮が何度も波となって押し寄せ、身体が少しずつ“出口”へ近づく。おそらく母親がいきんでいるのだろう。苦しんでいるのは母の方も同じか、それ以上だ。

 すると、ぱあっと目の前が一瞬だけ明るくなる。

 頭が外気に触れたのか、何かしっとりした空気の流れが、私の頭部を通り抜ける。まだ瞼は開いていないが、わずかな光が瞼越しに伝わってきた。

 続いて、肩、そして上半身……と、順繰りに抜け出ていく。圧迫感はあるものの、すでに身体の半分は外へ出たようだ。

 やがて、最後に足先がするりと外気に触れた瞬間、世界が一変する。

 ぬるま湯の海から一気に外へ放り出されたような衝撃。

 下半身が冷たい空気に触れて、ひゃっとしたような刺激が走る。肺が空気を吸おうとして、喉が勝手に動く。呼吸器が作動し始めるのだ。

 体の表面にべったりとついていた液体が、一気に空気に触れて、冷たさを感じる。まだ耳はキーンとしているが、遠くからいろいろな声が響いてくるのがわかる。

 「……ぁ……あ……」

 息を吸い込みたいのに、肺の使い方がわからない。苦しくて、もどかしくて、喉が勝手に震える。

 すると、“おぎゃあ”という赤ちゃん特有の泣き声が自然と出てしまう。

 ああ、これが“生まれた瞬間”なのか。前世では知識としてしか知らなかったが、こうもダイレクトに体験することになるとは……。

 誰かが私を抱き上げた。大きな手のひらが背中を支え、もう片方の手が私の頭を支える。

 あたたかい液体と血、そして空気の混ざった匂い。鼻と口から液体が抜けていき、苦しかった呼吸が少しだけ楽になる。

 まだ瞼は開かない。視界はほとんど真っ暗だが、頭のてっぺんに何か乾いた布のようなものがそっと触れる。拭かれているのだろうか。

 同時に、遠くの方で“母親の叫び”のような声が聞こえる。苦痛から解放されて安堵しているのかもしれない。いずれにせよ、私はこうして、新しい世界に生まれ落ちたわけだ。

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