【最終話】第七話・運命の車輪
サグ・ヴェーヌ共和国、オーガやタイタンたちが闊歩する巨人の国。彼らから見れば、単に俺たちが小さすぎるだけなのだが。リグレットはサグ・ヴェーヌの国境前の検問にかかる橋の前で立ち往生していた。橋を渡る金子がないのだ。
「だからぁ、アンタたちが食べ過ぎるから、ヘソクリまでなくなったじゃないの」
ラニが剣幕でリグレットを怒鳴る。ガルフは素知らぬ顔でそっぽを向いていた。リグレットはラニの手を取り
「ここで、一儲けしよう」
リグレットのマヌケなのにまっすぐな眼を見るとつい許しそうになる、とラニは戸惑った。父とも違う、敬愛していた兄とも違う、幼馴染のスダッズとも違う、独特のなつっこさというか。
「それは、人たらしって、言うんだ」
ガルフがちいさな両翼をはためかせて上空からラニにいった。
「金は必要だよな」
リグレットはそういうと、上空に落ちていた石を放り投げた。こぶし大ほどだ。
「ほらぁ、みてつかーさい。このミニドラゴン、芸をいたしますよぉー、ハイ!」
上空二十メートルほどに投げられた石が落ちてくる。猛スピードで落ちる様に、橋のたもとにいた商人たちは悲鳴に近い声をあげた。
ラニはレイピアを抜いた。三メートルあたりで斬り落とす。粉々にならないまでも、けが人は減ると思ってのことだった。そのとき、ガルフが小さく息を吸うのをラニは感じた。大気が小さく揺れた。ほんの少し、鼓膜がゆらっと揺れるあの感覚。そして轟音が鳴り響く。
「ごぉおおおおお」
ガルフの小さな口がめくり変えるように開き、まさにそこから火山が噴火したかのごとく炎が吐き出された。【大火】クラスの火力。リグレットは両手を叩きながら、ギャラリーたちの注目を自身に向かわせた。
「ハイハイ、ご覧に頂いた通り、ミニドラゴンの火炎芸いかがでしたかぁー。お心づけをぜひ、ほら」
リグレットは鎧を脱ぎ、バケツの陽に持った。ギャラリーたちにおひねりを入れるように促す。上空ではガルフが八の字飛行を繰り返し、ギャラリーたちのおひねり欲を更に搔き立てる。
「ほら、お前も、その兜を脱いで、おひねり集めなさいよぉ」
みるみるカネが集まった。こぼれんばかりだった。リグレットはそのカネを堂々とサグ・ヴェーヌのメンフィ橋の守衛たちに渡した。
「これで、通してくれよ。いいよな」
守衛二人はカネを堂々と分け合った。
「よし、通っていいぞ」
守衛の一人がいったと同時に、その男の首が落ちた。
「この、サグ・ヴェーヌ公国の守衛が買収されるとは、しかも白昼堂々と」
巨人というほどではなかったが、鎧や脛あて、肘当ての装備を見ると上位職の上官であることは間違いなかった。
「あなたがたは、公然と賄賂をこの者たちに贈り、公然とこの橋を通らんとする。許しがたき事だ。だが、公僕にありながら賄賂をもらうこの者たちを断罪せねばならぬ」
カネを持って逃げようとするもう一人の守衛に、上官らしき男はひとこと、斬る、といった。
右足を下げ、左足をつま先だけ少し前に、その男は構えた。ラニがあの剣は?とリグレットに耳打ちする。「あれは、刀だな。菊の時雨か、銘刀十選のひとつだな」といった。
守衛は腰を抜かしたがカネは離さない。むしろ、さっき首を斬られた同僚のカネも革の胸当てにしまい込もうとするありさまだ。脛当てからは札束と小銭がパンパンにはみ出て、身動きがとれない。
「止めるわよ」
ラニが上官らしき男の刀に、小石を投げつけた。わずかな動き、足運びが土埃さえも舞い起させないほど、その動きで小石を一閃した。小石は砂粒となり、はらはらと乾いた石造りの橋に落ちていく。その隙をついて、ラニは刀を短刀で抑え込んだ。刀を半身返し、つばぜり合いのような形になるが、ラニは負けていない。
「あぁ、やっちゃったよぉ。リグレットぉ止めてよ」
ガルフは上空から言った。困ったふりして状況を楽しむリグレットは、動かない。
するっと男の刀から力が抜けたかと思うと、短刀をはじき、ラニの喉元に刀を突きつけた。
「どういうつもりだ、そなた、斬られる覚悟はできているのか?」
「馬鹿じゃないの?そんなもん、あるわけないでしょうが!」
ラニはそう言い放つと、落ちた短刀に目をやった。男はそれを隙と見誤った。刀がラニの左半身に襲いかかる。
「リグレット!まずいぞ」
リグレットは両手を頭の後ろで組んで、余裕の見物をしている。
「大丈夫、さすが魔法剣士を目指しているだけあるな」
【グラビ・グ】
重力系の呪文。重りが身体に貼りつくかのごとく、足は地面にめり込みしばらく思うように動けない。術者の魔力により効果の幅があり、賢者クラスの詠唱の場合、体重の二十倍がかかると言われている。重力の二十倍である。
ラニの【グラビ・グ】は男の刀に向けて放たれた。魔法使いでもないただの剣士にとって、詠唱難度の高い呪文は、リスクがある。
詠唱手順や精霊承認にミスがあると、自分に跳ね返りかねない。即死系の【死の誘惑】は、たいてい使いこなせず、死の精霊・ボッチの怒りを買い自死してしまうケースが多い。
男の刀に放たれた【グラビ・グ】は成功した。刀が男の手ごと、橋の石だたみにめり込んだ。男は前のめりに倒れ込み、思わず銘刀菊の時雨を手放した。
ラニの息遣いが激しい。リグレットは落ちた首と胴体を合わせ、蘇生魔法【エイム・リバウム】を詠唱した。男の身体側が首に吸い寄せられる磁石のようにピタっとくっ付き、切断部がみるみる肉と血管、神経たちが自立する生物のようにつなぎ合わさっていった。
斬られそうになった守衛はカネを抱えたまま、一目散に逃げて行った。道中、零れ落ちるカネに子供や大人たちが群がって行った。首がつながった守衛は、意識を取り戻すと立ち上がり、逃げようとした。リグレットはその男の両手にくしゃくしゃの紙幣をたくさん掴ませた。腰をパンと叩き、「そら行け!」と言った。
前めりに倒れ込んだ男はゆっくりと他違った。同時に、ラニに顔面を叩かれた。
「簡単に人を斬るんじゃない」
「おぬしは?」
「私は、ラニ・ジューダス。剣士だ。ンイングの街をこの男たちと目指している」
「リグレット、転職師だ」
リグレットは落ちた菊の時雨を拾い上げ、男に渡した。【グラビ・グ】は解除されていた。
「ドーゴ・イチノシンだ。侍大将だ」
「ガルフです。今はドラゴンですが、元人間です」
「おめぇよぉ、いきなり刀振り回すんじゃねぇよ。これ菊の時雨だろ、こんなもんで人間斬っちゃぁ、刀鍛冶の思念が落ちるぞ」
「はい。ごもっともで」
ドーゴは、リグレットから刀を返してもらった。
「おめぇは、アイツらの上官か?」
「はい、ソレガシは、サグ・ヴェーヌ共和国で召し抱えられました侍です。十人ほどの部下を抱え、この橋の守衛および周辺をうろつく賊どもを捕らえるのが任務でして」
すっかりドーゴはすっかり油気が抜けていた。任務に忠実な男だとリグレットは思った。同時に、融通が利かない。
「しっつれいねぇ、私たちが賊に見えたの?」
「い、いやそういうわけではなく、あからさまにその、賄賂を渡されているようで」
「ねぇ、アンタ彼女とかいないでしょ?」
「彼女とは?」
「えーっとなんて言うんだっけ?ガルフ?」
「側室じゃぁないし、そうだねぇ、許婚かな?」
「そうそう、許婚いないでしょ!」
ラニがずかずかとドーゴの心の中に土足で侵入する。父親譲りの図々しさだ。
「そ、それがしは、独り身…です」
「いい歳してそうなのに、独り身なんだ」
「まだ二十五です」
「じゃぁアタシより年上じゃーん、十八だもん」
「ラニ殿、誠に失礼いたしました」
ラニはドーゴのほっぺたをギューッとつまんだ。ガルフとリグレットはお互いを見つめ、これはややこしそうな展開になるなとぼそっと言った。
突然大地がうなるような轟音が響く。ラニの腹の虫だ。すっかり日が暮れていた。
「ウチで食事していかれませんか?」
「いいのか?」
三人は口をそろえていった。
「た、たいしたものはありませんが」完
リグレットたちはドーゴの家へと向かって行った。
偶然にして必然。運命の車輪のごとく世界を変える四人がいま揃ったことを、リグレットはおろか、だれもまだ知らない。
【第一章】完