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天才(馬鹿)とサンタは紙一重  作者: 紫雲
発見器と出会い編
6/9

Dr.Baka

老婆に案内されるまま奥の部屋に入ると、重そうな扉の先に、古びた寝台で横たわるひとりの少女がいた。

金髪をしているが、あちらこちらに汗がにじみ、息も荒い。見れば顔は赤く上気し、胸元が上下に忙しなく動いている。


「この子が、わたしの娘さ」


老婆は苦しむ娘を心配そうに見つめながら、小さくため息をついた。

「もう何日も高熱が下がらないんだ。熱だけじゃなく、咳も出ていてね。近所に医者はいるけれど、病因が分からないっていうんだよ」


「武藤さん……」

隣に立っていた琥珀が心配そうに吾析の袖を引く。吾析は少女のもとへ近づき、額に手を当てたり、胸の音を聞いたりと簡単な診察を始めた。


「どうやら肺の奥に強い炎症が起きているらしいな。しかもかなり悪化してる」

吾析は険しい顔で言いながら、少女の呼吸音と熱の様子を確かめる。そして、独りごとのように続けた。

「痰が詰まって息が苦しそうだ。胸膜炎の一歩手前か、もしかすると肺炎をこじらせてる可能性が高い。放っておけば命にかかわる」


「そんな……」

老婆が肩を落とした。


「ふむ……俺なら治せる。いや、治してみせるさ」


吾析はまるで既に勝算があるかのように、不敵な笑みを浮かべる。琥珀も老婆も、ぽかんと吾析を見つめた。


「大きな町の病院まで行く余裕はない。俺がここで薬を作るしかないな。幸い、素材となる薬品類はある程度持ってきているし……足りないものはこの近所で何とか集めるしかない。琥珀、お前も手伝え」


「は、はい。わたしにできることなら」


こうして吾析は、“謎の肺炎”に苦しむ娘を救うため、治療薬を作り出すことを宣言したのだった。



---


翌朝。吾析はまだ寝付けぬ様子の娘を一瞥すると、琥珀と連れだって家を出る。

「まずは必要な化学反応を考える。肺炎を引き起こしているのは細菌感染の可能性が高い。ならば、広域的に効く抗菌薬を合成するしかない」


「抗菌薬……前にサリチル酸を合成して解熱剤にしたときのように、また薬を“作る”んですか?」


「ああ。ペニシリンのように微生物由来の抗生物質を狙う手もあるが、時間がかかりすぎる上に培養環境もない。それよりは“サルファ薬”のほうが早い。化学合成系の抗菌薬だな」


吾析は鞄からメモ帳を取り出し、ざっと式を書き殴る。そこにはベンゼン環やスルホンアミド基を示す構造式が描かれていた。


「サルファ剤……たしか、ベンゼンを起点にしてアミノ基とスルホン基をくっつけるんですよね?」

「そうだ。以前、サリチル酸を作るために使ったベンゼン、硫酸、水酸化ナトリウム……そして今回は塩素酸化合物や硝酸が要るかもしれないな。まあ、ここが田舎ってのが面倒だが」


「そんなもの、どこで手に入れるんです?」

「硝酸は塩硝土(えんしょうど)──つまり昔から火薬の原料として知られる硝石(しょせき)が手に入れば、硫酸と反応させて少量ずつ精製できる。イギリスなら農村地帯に“硝石置き場”なんてのがあるかもしれない」


吾析はそう言うと、村の人々に聞き込みを始めた。幸いにも「昔、畑で取れた硝石の袋が納屋に眠っている」という話を聞き、老婆の近所から譲り受けることに成功する。


「これで硝酸を少量だが作れそうだ。……長時間かけて蒸留すれば、何とか使える分だけは確保できるだろう」


続いて、吾析と琥珀は山のほうへ足を向ける。山の小さな沢へ行き、水に溶けたミネラル分を集めようというのだ。

「金属イオンが含まれた土や石の粉が欲しい。反応の際の触媒や中和調節にも使えるしな。……あと、ここから汲む水を一度イオン交換樹脂に通して不純物を除去すれば、調合に使える精製水が手に入る。ま、ちょっとした実験室さ」


「サンタクロースを探すための旅……のはずが、なんだか化学実験の連続ですね」

琥珀はやれやれと言いつつも、どこか楽しそうだった。



---



それから二日ほどが過ぎた。老婆の家の一室は、吾析が持参した器具や薬品で小さな「研究室」と化している。

娘の容体は危ういところを保っているが、吾析が一日数回、解熱目的のサリチル酸系薬を少量ずつ投与し、何とか持ちこたえていた。


「さあ、ここからが本番だ。まずはベンゼンをニトロ化してニトロベンゼンを作る。その後、それを還元してアニリンに変えるんだが、俺がいるからには失敗しない」


吾析は自信たっぷりに鼻を鳴らすと、用意した硝酸と硫酸を慎重に混合し、ベンゼン溶液へゆっくり滴下していく。

「温度が上がりすぎないように……よし。いい感じだ。これでニトロベンゼンを得たら、次は還元だな」


還元には本来なら触媒や水素ガスなどを使うが、吾析は金属片と強塩基を組み合わせて自作の還元法を試みる。

「このあたりは企業秘密だ。天才のひらめきってやつさ」


やがてアニリンが得られると、今度はスルホン化の工程に移る。アニリンをさらに処理し、スルホニル基を導入していくのだ。


「最終的に“スルファニルアミド”──いわゆるサルファ薬の基本骨格を合成する。副反応をどう抑えるかが腕の見せどころだが……まあ何とかなるだろう」


吾析は一晩かけて工程を進めた。途中、琥珀が交替で火加減や撹拌を見守る。部屋の中は独特な薬品のにおいに満ち、寝ずの番が続く。



---



三日目の朝。吾析は反応生成物を慎重に精製して、不純物を取り除く。固体として得られた白色の粉末を、さらに必要分だけ水溶液に溶解した。


「……できた。これが俺特製の抗菌薬だ」


「すごい……!」

琥珀は手作業だけでここまでやり切った吾析に驚嘆を隠せない。彼女もまた何日も寝ずに手伝っていた。


「あとは娘にこれを投与する。飲みやすいように溶解液を少量ずつ、まずは慎重に口から入れるんだ」


吾析と琥珀は、まだ意識が朦朧(もうろう)としている娘を起こし、ゆっくりと薬を飲ませる。

「サルファ薬は腎臓への負担があるから、水分も必要だ。こまめに水を……ああ、そうか。イオン交換樹脂で精製した水があるな。あれを飲ませよう」


しばらくすると、娘の呼吸がほんの少しだけ穏やかになってきた。

「まだ気は抜けないが、まずはこれで細菌増殖を抑える。解熱剤であるサリチル酸系も併せて投与しているから、熱が落ち着いてくれば回復は近い」


さらに一日が経過した頃、娘の熱は徐々に下がり始め、荒かった息が落ち着きを取り戻していく。


「お母さん……」

娘は小さくかすれた声を出す。隣で見守っていた老婆が、心配から安堵へと変わった顔をして娘の手を握りしめた。


「よかった……本当によかった。ありがとう、ありがとう……」

老婆は吾析の手を強く握って涙をこぼす。


「いや、礼には及ばない。むしろこれは俺の自己満足みたいなもんだ」

吾析は照れくさそうに目をそらす。


その横で、琥珀が少し笑いながら言った。

「自己満足って言い方、かっこつけすぎですよ。でも本当に、武藤さんのおかげです」


少女の顔に、わずかではあるが血色が戻ってきている。

「これで一安心……ではないが、あとはしばらく安静にして回復を待つんだ。もし二次感染とか合併症が出るようなら、また対策を考える。が、まあ大丈夫だろう」


「ありがとう……本当にありがとうね。何日もろくに寝ていないんじゃないかい?」

老婆にそう声をかけられて、吾析はごまかすようにあくびをひとつした。

「ふぁ……まあ、いつものことだ。それより娘さんを休ませるのが先決。あとは俺たちが少し片付けをしたら、邪魔にならない場所で休ませてもらうとするか……」


こうして吾析は、再び自作の薬を使ってひとりの少女の命を救うことに成功した。

琥珀は治療の一部始終を横で見守りながら、「天才」の称号がただの自惚れでないことを、改めて思い知らされるのだった。


一方、その“天才”はというと……

「さて、これでひとまずは目標達成。次はサンタクロース探しに戻るか……」

などとつぶやきながら、鞄の奥にしまった“サンタクロース発見器”を見つめていた。



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