08
(う~ん。連れて来たものの、何をどうすればいいのかな?)
まずは彼の話を聞きだして、成仏できないでいる理由を探せばいいのか、と琥珀は都会には珍しい開けた空間の青空を見上げる。
『ここって来たことある?』
まずは敵の生活圏を調べようと水を向けてみる。
「うーんと、どうだったかな。来たことが有るような、無いような……。」
彼もまた、鯉探しを止めて空を見上げる。
『休日は何をして過ごしてるの?』
一瞬、普段の生活を質問しようかと思ったけれど、名前と同様に覚えていなければ、彼が混乱するかもしれないと思い、休日と言ってみた。
「休みの日はね、カフェに行ったり、買い物に行ったり。あと、一人暮らしだから料理の作り置きとか作ってるよ。」
思いのほか、具体的な答えが返ってきた。
『カフェってことはコーヒーが好きなの?』
「コーヒーも好きだし、紅茶も好きだよ。あ、でもブラックのコーヒーは苦手かな。なんでか声が枯れるんだよね。」
これも具体的に答えられるんだ、と琥珀は自然と笑顔になり言葉を続けた。
『あー。私も渋みのあるお茶とかコーヒーで声が枯れるよ。』
琥珀の言葉に彼が勢いよく振り向くのが分かった。
「え!!!天使……ってお茶飲むの?てか、声が枯れるの?」
『うん。お茶も飲むし、声も枯れるの!』(天使設定、面倒くさいい……。)
琥珀は内心で頭を抱えながらも、ついつい言い切ってしまった。
「そっかー。天使ちゃんとっても可愛いもんね。」
満面の笑顔で彼に琥珀の顔を覗き込まれた。
(うん。なんのこっちゃ。)
琥珀は顔面偏差値の高い親族に囲まれて育ち、本人自身も幼いころから可愛いとか美人とか言われ続け、他人からの評価に対し気に留めない性格に育った。が、そんな琥珀に彼の言葉は大きな疑問符を植え付けた。
(可愛いと天使でも声が枯れると納得できるのか?この人は、いわゆる不思議ちゃんなんだ。)
植え付けられた疑問符をパキっとへし折るイメージを展開して琥珀は思考を放棄した。
(もう帰りたい。)そう思ったと同時に肩がぶるりと震えた。
「じゃあ、僕はそろそろ行くね。」
『え?そう。』
「うん。そろそろ行かないと遅刻しちゃうから。じゃあ、また遊びに来てね天使ちゃん。」
そこには彼の姿がすでに無かった。
***
「フンワリ。おいしいー。やっぱり翡翠くんのケーキは絶品ね~。」
成仏の手がかりを何も得られなかった、としょんぼりしながら琥珀は帰宅した。今はリビングで母と二人で翡翠のシフォンケーキを食べている。
「あれ、お父さんは?仕事だっけ。」
琥珀の父と母はとても仲がいい。リビングは広いのに気が付くと二人で隣同士に座りお茶を啜っている。休日もたいてい二人で過ごしているようで、琥珀は12才を過ぎたあたりから親とは別行動をするようになった。
「うん。今日はね休日出勤なんだって。お父さんにも翡翠くんのケーキ、取っておいてあげましょうね。」
どれがいいかしら、とシフォンケーキを一つ一つ並べ始めた母を見ながら琥珀はふと気が付いた。
「……あれ?」
「どれ?」
口をついて出た琥珀の独り言に母が返事をよこす。
「うーんと、えっと、あ!この間、試食でもらった栗の粉のが美味しかったよ。」
「お父さん栗好きだしそれがいいわね。え~っと、これこれ。」
なんとか捻りだした琥珀の言葉に、母は笑顔でケーキ選びを終えた。
(駄目だ。なんか今、閃いたのに……、消えちゃった。)
がっくりと肩を落とし琥珀は自室に下がった。
***
琥珀は自室でパソコンのモニターを茫然と眺めている。
(なんだっけ、えっと……)
先ほど母との会話の中で閃いた事を思い出そうとしているのだが、母の合いの手で忘れてしまい思い出せないでいる。
(えっとほら!あああん、なんだっけ。)
だんだんと前かがみになり、両手で頭を支える。モニターには地下鉄の入口付近の地図が拡大表示されている。
「あ!そうだ。あの人はずーっと私の事を“天使”って言ってた。て、ことは……、自分が死んでいることを理解してるってことだよね。」
もしかしたら彼は死んでいることに気づいていなくて、街路樹の前で佇んで成仏できないのかもしれないと思い、琥珀は慎重に言葉選びをして会話をした。
それなのに自分を天使と呼ぶ人間は、自分が肉体を持たない存在であることを理解しているのではないか。
それに、あることにも気づいてしまった。
「彼、遅刻するって言ってた。」
琥珀はとうとう机に突っ伏してしまった。
(付いていけばよかった。そしたらきっと待ち人が現れたりして、彼は成仏できたんだ。)
初めから立っていた大きなフラグをすっかり見落としていた。愕然とする琥珀はその後しばらく動けなかった。