07
相変わらずの姿で「彼」は佇んでいた。
大勢の人が楽しげに行き交う姿を視界に移しつつ、琥珀は黄色い街路樹の斜め前に立った。
(会いに来てみたけど、これからどうしよう。話しかける?独り言を話す不審人物になっちゃうよね。)
街路樹のそばには地下鉄のホームへと降りる階段とエレベーターがある。
(そうか。歩道の方を向いている姿勢で気づかなかったけど、彼はここで誰かを待っていたのかも。)
単純な事に気づいてしまい嬉しくなった拍子に斜め上に顔を向けると、彼が爽やかな笑顔でこちらを見ていた。
「こんにちは。天使ちゃん。」
先ほどまで虚空を見つめていたはずの彼の目がしっかりとこちらを見ている。
『天使ちゃん?』明るくふわっとした髪質の真珠が脳裏をよぎり琥珀は混乱した。
「会いに来てくれたんでしょ。待ってたよ。」
ああ、夢で逢いに行くって言ったから私の事かと、琥珀は内心でポンと手を打った。
(あれ、私の……『声が聞こえ……、ますか?』
「え?ちゃんと聞こえるよ。」
ニコニコと笑う顔には寒椿を思わせる鮮やかな唇が動いている。声は低くもなく、高くもない。明るい声音だった。
(うわあ。聞こえるんだ。あれ?でも、夢で逢う約束……、してたかな?ってそれより……、考えが読み取られたり……。)
彼が夢に現れた時から恐怖が霧散していた琥珀だが、嫌な状態に気づき背筋が冷えるのを感じた。
『ええと、私の心が読めるの?』
「ん、天使ちゃんの心?」
見るからにポカンとした表情になった彼をみて、あ、それは無いみたい。と琥珀は安堵した。
『貴方の名前を教えてもらえますか?』
「ナマエ……。あれぇー。」
彼は首を傾げ、困惑した顔で人差し指をコメカミに当てる。
(流石に、そう上手くは行かないよねぇ……。)
ちょっと聞いてみただけだもんね、と琥珀は苦笑いをこぼし、歩道に顔を向けそのまま心の声で語りかける。
『貴方はここで……、何をしているんですか?』
本当は誰を待っているのかと問いかけたかったけれど、彼の混乱に拍車をかけたり、もしかしたら誰も待っていなかったのに、待ち人が居ると思い込ませるのも不味いと思い、琥珀は言葉を慎重に選ぶ。
「天使ちゃんを待っていたんだよ。この間、約束したでしょ。」
(あ、駄目だ。既に混乱してるわ。)
琥珀はどっと疲れた気分になって肩を落とした。
「天使ちゃん!天使にも名前はあるの?」
(う~……天使にも名前はあるだろうね。でも、真名とか聞くし、名前を教えるのはまずいのかな?)琥珀は最近読んだラノベを思い出していた。フィクションなのは分かっているけれど、何となく本名を教えるのに躊躇した。
『うーんとね、ちょっと発音しづらいから……、天使でいいよ。』
「わかった!天使ちゃんね。」
楽しげに響く彼の言葉に(何だ、このやりとり……。)と琥珀は本日2度目の苦笑をこぼす。
(とりあえず、ここは人通りも多いし、不審人物に見られたくないから場所を移動しようかな?でも、この人は移動できるんだろうか……。)
街路樹の前、一人で百面相しているであろう自分の姿を客観的に考察した琥珀は、冷静な判断と疑問を顔に浮かべる。
『えっと……、私に付いてきて。』
「うん!」
(あ、すんなり付いてきた。)
ここ数週間、彼は街路樹の前に佇んでいたので、もしかしたら移動は出来ないのかもしれないと思ったが、しっかりとした足取りで琥珀の歩調にも合わせてくれる。
(おお。ちゃんと人をよけて歩くんだ。でも、相手の方は視えて無いみたい。そりゃそっか。)
昼近い歩道はいつものように大勢の人で混雑している。人波に合わせて歩く琥珀の横を「彼」も歩く。(流石に……、浮いたりはしないのかな?)
「彼」の足元には影も無い。本人は人を上手に避けているけれど、どうみても、めり込んだでしょ!と思える人もいる。けれどその矛盾に彼は気を停めない。
(人気が多く無くて、静かなところ……、どこが良いかな。)
彼が矛盾に気づき、混乱したりしたら困ると思い琥珀は思考を巡らせる。
亡くなっているであろう人を神社に連れて行ってもいいのか、と考えてみたものの、まああの場所なら大丈夫だろうと、都会の喧騒とはかけ離れた、夏場は緑の多い神池に向かうことにした。
「は~。ここは落ち着くねー。」
琥珀の目論見は的中した。彼には何の問題も無いようで、神池にかかる橋の欄干に手をかけ鯉の姿を探している。だがしかし、この場所もいまひとつ琥珀の心は休まらない。池に面して記念館の窓が設置されている。(盲点!まあ、しかたないか。他に思い当たる場所も無いし……。)琥珀はくるりと振り返り記念館に背を向けて立つ。