05
(あ~。やっぱり出てきちゃったか。)
立ち止まることなく流れるように歩く人の波、音もなく残像のように走り去る車の帯、はらはらと落ちる木の葉。薄く白い靄がかかったような景色の中に、そこだけハッキリと見える。黄色い街路樹、その前に佇む藍色の瞳の青年。
琥珀は柔らかな毛布の中にいる。寝る前から既に覚悟をしていた。今夜は夢の中できっと彼を見るだろう、と。ただ、琥珀には分からないことがある、これは彼が見せる夢なのか、自分が勝手に彼を夢の中に登場させてしまったのか。たぶん後者だと思っている。それほど彼の瞳は印象的だった。ただ悲しそうなだけではない、美しく吸い込まれるような深みのある神秘的とも思える物だった。
(声は出るかな?挨拶してもいいかな?)
夢の中の琥珀に恐怖心は無かった。彼のことを知りたいと思う気持ち、自分と目を合わせてもらえるのか、声音はどんな感じだろう、高い?それとも低い?表情筋は仕事をするのだろうか。むくむくと湧き上がる好奇心に一歩、また一歩と街路樹に近づいていく。
⦅ここで何をしているの?誰かを待ってるの?⦆
琥珀の問いかけに彼は下を向く。悲しそうに虚空を見ていた藍色の瞳は確かにこちらを見てくれた。けれど夢の中の琥珀の言葉は声に、音にならなかった。
少し色白の肌に寒椿を思わせる鮮やかな薄い唇がほんの少し弧を描くように見えた。
(この人は怖くない。)
そう思った時には窓から差し込む朝日の中にいた。
「ああ、夢は彼の思いでもあったのか……。」
白い朝日を浴びて何となく琥珀には夢を見た理由が分かったような気がした。自分と彼は波長が合うのだろうと。だから彼が夢に出てこれたのだろうということを。
(今度の週末はバイトを断ろう!それで彼に会いに行こう。)
脳裏に浮かんだフンワリ笑顔の翡翠を両手で押しのけ、次に浮かんだ寒椿の唇に指を突き付ける。(週末に行くから待っていて!)
「今日はなんだか機嫌良さそうだね。」
放課後の美術室。
先週は一心不乱に背景ばかりに目を向けて筆を落としていた油絵だが、今日の琥珀は必要なところにすんなりと筆を落とすことができている。
「え、そう見えますか?」
「うん。その調子!その調子!」
にっこりと笑って去っていく部長の背中を見つつ、琥珀は心配させていたことに気づく。
前日の夕飯時、母の具だくさん味噌汁に苦戦する最中に携帯電話が鳴った。相手は叔父の翡翠だった。
「琥珀ちゃん、いま電話してても大丈夫?ごはん中だった?」
ムグムグ「ん、大丈夫だよ。」
「ああ、ごはん中みたいだね。ごめんね。じゃあ簡潔に。今週末は真珠くんが手伝ってくれるって言ってるから、バイトに入らなくても大丈夫だけど、琥珀ちゃんどっちがいい?」
「じゃあ、お休みで。あ、でもマコちゃん久しぶりだからちょっと顔を出そうかな。」
「うん。分かった真珠くんに伝えておく。ごはん中にごめんね。じゃ。」
「うん。じゃあまた週末ね~」
これで週末の計画は実行できると、琥珀は安堵の息を吐く。
「真珠ちゃんがどうしたの?」
向かいに座る母からの質問にキャベツを咀嚼しながら顔を向ける。
「ヒーさんのお店の手伝いにマコちゃんが立候補したみたい。週末は久しぶりだからマコちゃんを見にちょっと顔をだしてくるね。」
真珠と書いてマコトと読むのは従弟の高校1年生だ。父の1番目の弟の息子で琥珀とは子どもの頃から仲がいい。小さい頃は女の子のように可愛かった従弟は、いつも琥珀の妹に間違われていた。彼の高校合格祝いで久しぶりに会った時には妹と言われた面影はなく、琥珀との身長差が20cm以上で驚いた。そして美少女から美少年に変遷していた。真珠は琥珀とは反対方向だが翡翠の店の最寄り駅から4駅先の高校に通っている。きっと高校でもモテモテなんだろうと従弟の顔お思い出しながら、具だくさん味噌汁との格闘を再開した。
その夜は真珠とおままごとをして遊んだ子どもの頃の夢を見た。