03
「琥珀ちゃんお疲れ様~。」
「お疲れさまでした。」
商品を全て売り切ってから店の片付けを手伝い、一息ついたところでバイト代の入った封筒とともに翡翠が厨房から出てきた。
「あれ、その箱は?」
「うん。これはね~、幸次君にリクエストされてたバースデーケーキ」
「幸次君って、橋本のおじ様?」
「そうそう。」
並木通りに面した重厚な外観のフランス料理店を思い出す。翡翠が親しげに呼ぶ幸次君とは店のオーナーで上品なスーツにロマンスグレーの紳士ではなかったか?と琥珀は首を傾げる。
「ではでは、ご一緒に参りましょう!」
「え?」
「幸次君の奥様の76回目の誕生日だよ~。長生きにあやかりたいし、ケーキを届けるだけだけど一緒に行こう。」
「届けるだけ?」
面倒なことに巻き込んでくれそうな叔父の笑顔に琥珀は問いかける。
「うん。お誕生日は奥様と二人でお祝いするのが幸次家の伝統なんだって。だから届けるだけ。」
「それなら、まあ。」
ドアにカギをかけシャッターを降ろし叔父と連れ立って店をあとにする。
「今日はそれほど寒くないね。ここのところ寒い日が続いていたからなんだかホットするね~。」
と言いつつも少し寒そうに首をすくめる叔父に琥珀は微笑む。
「ヒーさんは本当に寒がりだよね。体脂肪が足りないんじゃないの?」
「いや。筋肉量は足りない方だと自覚しているけど、体脂肪は十分だと思うよ。これ以上、脂肪が増えたらぼっこりお腹になっちゃうよ。」
ぽんぽんと手のひらでお腹を鳴らす翡翠の腹部に琥珀の視線が向かう。
「でも、その方が料理人ぽく見えるんじゃない?」
小柄な琥珀は自然と上目遣いになり隣の叔父に声をかける。
「琥珀ちゃんは義姉さん似で良かったね~。翠玉兄さん似の女の子は想像できないもんね。」
琥珀の父はエメラルドの和名である翠玉と名付けられ、和名の響きに似た男らしい顔と体躯をしている。因みに父が長男で次男は瑪瑙、翡翠は三男で末っ子だ。
琥珀が生まれた際には瑠璃と名付ける案があったが、男子3人の名をつけた祖母が全力で琥珀を推薦し、その名に決定した。なんでも様々な物を内側に取り込んで輝く琥珀のような女性になって欲しいとの願いが込められているらしい。
琥珀本人は『瑠璃も琥珀も画数が多くて面倒くさい。』と小学生の時に零していた。
住宅街を抜け並木通りに出ると先ほどの静けさが嘘のように車と人でごった返している。この切り替わりが琥珀には異世界へ迷い込んだように感じられる瞬間でもある。
繁華街が異世界なのか、住宅街の方が異世界なのかはその時の気分で変わる。両方を内包するこの街は不思議な場所だと琥珀は思っている。
***
帰りも行きと同様に並木道を避けて通る予定でいた琥珀は、薄っすらとした不安を抱えつつ叔父の隣を歩く。
「琥珀ちゃん……、何か心配事でもあるのかな?」
自分の不安を悟られたくないと思うと直ぐにばれてしまう。この翡翠という叔父の感の良さにも困ったものだと溜息を飲み込んで笑顔で見上げる。
「う~ん、この間、帰り道でかわいい服を見つけて、買っちゃったんだよね……。だから最新機種のスマホは諦めようかと思って……。」
心配事など無いと言いたかっただけなのに、つるっと思ってもいなかった言葉が口を出た。琥珀は内心で冷や汗をかく。(何?この感覚。自分の言葉じゃ無いみたい……。)
「じゃあ、もっとバイトしてくれれば良いよ。最新機種なんてあっという間に手に入るよ。」
いつもホワホワしているくせにこの話になると素早いのはなんなの?と翡翠を見る琥珀の眉間には盛大な皺が寄った。
「美少女の姪っ子に睨まれるのも悪くはないけど、叔父さんは笑顔の方が好きだな~。」
「はいはい。もうお店につくよ」
叔父の軽口のお陰か不安が霧散していくのを感じ、琥珀は素直な笑顔を見せた。
(うん。琥珀ちゃんはどんな表情でも美少女だけど、こっちの方がもっと良いね。)
琥珀はなんとか藍色の瞳の青年がいる街路樹のある場所を通り過ぎ、目的の場所へと到着することができた。チリチリと疼くように引かれるコメカミ付近の感覚を、『気のせい!気のせい!!何でもない。何にもない。』と気力を総動員してやり過ごし、叔父のふんわり笑顔に助けられた。(ヒーさんはお父さんよりお母さんと姉弟って言われた方が納得なんだけどな……。)