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「〇〇君なら遊ばれても良いかな~って思わない?」
「あ~。確かにあれだけのイケメンならその単純思考、分からなくもないかも。」
「単純って、もーお!相変わらず言葉が酷いよ、サキちゃんは。」
淡いブルーに胸から肩にかけてフリルのあしらわれたビキニがなんとも可愛らしい雰囲気を倍増させているリリアの言葉は、デザインは同じだがピンクの花柄のビキニ姿のサキに一刀両断にされた。
都心から一時間半ほどかかる砂浜にはたくさんの家族連れや若者のグループで賑わっている。ワイワイと楽しそうに話す女子集団の後ろには、荷物を両手に持ち本日の接待に精を出す男子の集団。波の音と海の家から聞こえるBGMのせいか、前に歩くリリアの言葉は正確には聞こえてこない。「〇〇君」「遊ばれた」「酷い」注意深く聞き耳を立てるナオキは眉間に皺を寄せる。
(やっぱりアイツか。こんなに可愛いリリアを傷つけるなんて……。)暗い嫉妬に心が支配され右手のクーラーボックスのショルダーを握りこむ。楽しそうに響いてくる笑い声の中、ナオキはひっそりと息を吐いた。
***
10月にしては肌寒い日。通り沿いには洒落た店が立ち並び、朝早いわりにオープンカフェは満席でコーヒーの匂いが漂ってくる。街路樹は紅葉して冬への準備を始めている。空は高く透き通るような快晴で数日前までの暑さが嘘のように過ごしやすい日だった。
(も~。今日からは大丈夫って言ってたのに!)
水瀬 琥珀は穏やかな休日を恨めしく思うように眉間に皺を寄せて小走りに走る。身長は150cm程度で小柄な少女。風になびく髪は長く、人波を縫うように進む足は恐ろしく早い。
(ん?)
それほど少なくない人波の中、流れる景色に何かが目に飛び込んできた。
(青……い人?)色なのか、光なのか、何かが引っかかったように感じて数歩あるいた先で頭を引っ張られるように振り返る。そこには黄色く紅葉した街路樹を背に佇む青年がいる。
(きれいな人……)虚空を見つめるような青年には印象的な藍色の瞳。その美しい瞳に吸い寄せられるように魅入ってしまい数秒足が止まる。(……あ!こんな事してる場合じゃなかった)意識を無理やり引きはがすように先ほどまでの進行方向に向け振り返る。
(きれいな人だったな~。朝から良い物見れたかも。イケメンに感謝!)
心の中で唱えると先ほどと同じように小走りを再開する。
「ヒーさんおはよ~!」
「ん~。おはよう。今日もよろしくね。」
「3週連続なんだから、バイト代はずんでよね!」
「モチロン デストモ……」
父と11才違いの叔父、水瀬翡翠は小さい店舗ながらシフォンケーキ専門店を経営している。本人もシフォンケーキのようなフワフワホワホワしたタイプの人間で、少年の頃から見目が良く、女には不自由しないと言われ続けてはいるが……、女運が悪く28才独身。
見た目のイケメン度合いに反して残念感があるとは琥珀の父の言葉である。
その女運の悪さなのか2人いたバイトの女性同士が翡翠を巡って熾烈な争いを始め、来店客にまで影響が出そうだったので辞めてもらったのがひと月前。平日は火曜日と木曜日のみの営業で客足も落ち着いているので翡翠一人でも営業できるものの、休日は混雑するので高校生の姪の琥珀は頼み込まれてバイトに来ている。
まだ暗い早朝から翡翠一人でシフォンケーキの仕込みを始め開店は9時半。売切れたら閉店する。平日はのんびり営業だが休日は忙しい。まだ高校生の琥珀だが叔父の店が大好きなので子どもの頃から手伝いをしていて、一人でもなんなく店に立つことができる。
住宅街にひっそりと佇む知る人ぞ知るといったシフォンケーキ専門店なので、混雑するといってもそれほど大変な時間はない。常連の近所のおばあちゃまや子供連れに笑顔を振りまき楽しくまめまめしく働く。臨時バイトと言っても結構な頻度で就業しているので客の間でも評判がいい。いわゆる看板娘だ。
「今日も一日お疲れ様~。はい、バイト代」
「ありがと~!」
「それとこれ、新作なんだけど豆乳と栗の粉入れてみた。今度、感想聞かせて。」
「おお。秋っぽくて美味しそう。ありがとう。」
「うん。じゃあまた来週。」
「え?来週は来ないよ。」
「またまた~。」
「またまたじゃないよ!来ないからね。じゃ、バイバイ!!」
「はいはい。気を付けてね。」
なんだか不穏な言葉に見送られ、ちょっぴり来週の覚悟をしつつも琥珀は店を出た。
(16時か~。流石にこの時間になると寒いかも)首元に巻いたマフラーをかき合わせつつ駅へと歩く。通いなれた道、常連さんの家。庭先にみのる黄色いオレンジ。7時間ほど立ちっぱなしだったけれど疲れていない。お客さんの笑顔を思い出して琥珀もニコニコと住宅街を歩く。(ヒーさんにはもう少し良い人が側に居てくれればいいのに。)フワフワホワホワの叔父の顔を思い出しそっと溜息をついたところで大通りに出た。
歩道すら広いその道は朝とは違い車の交通量も多く、大勢の人で数メートル先も見辛い。身長150cmしかない琥珀には歩く人の壁だ。立ち並ぶカフェやデザイナーショップ、洒落た雑貨に目を奪われつつも人壁の流れに沿う。(栗って言ってたから紅茶はアッサムがいいかな?それとも思い切ってマロンフレー……いやいや、それじゃあ試食にならないかな?……ん?)叔父の作るシフォンケーキの繊細な味わいを思い出しながら歩いているとふと何かに目を奪われる。
(光?青?……ん?)目の端で光るように残像が残っている。人壁で景色は見えづらい筈なのに何かが青白く右耳の上のあたり、こめかみを引っ張るような感覚を覚えて振り向いた。黄色く紅葉した街路樹とそこに佇む藍色の目の青年。(あ、朝のイケメンだ。……あれ?)早朝に見た青年は……、早朝に見た時と全く同じ姿勢で佇んでいる。虚空を見つめる藍色の瞳すら1mmも動いていないように見える。その瞳に気づいた瞬間、寒気がすーっと背中を撫でた。
広い歩道には大勢の人が居た筈なのに琥珀の目には藍色の瞳しか目に入らない。まるで視線を固定されたように青年の顔を凝視する。1分か10分か……。自分と青年、そして街路樹だけの世界。