キハダむき
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あらー、ここらへんの林、ずいぶんとさっぱり伐っちゃったんだねえ。
少し前なら、それこそ虎とかがぬっと顔を出しても、違和感がないような雰囲気が漂っていたのに……こうもつまびらかになっちゃうと、楽しみというか想像の余地というか、いっぺんに奪われちゃった気がして、少し残念になるよ。まあ、枯れた木だったら、ずっと残しておくのもまずそうだけどさ。
そういえば、君は枯れた木の判断って、どうやるか知ってるかい?
親戚のおじさんに剪定の仕事をしている人がいて、聞いたことがあるんだ。どうも細い枝を折りにかかるか、幹の樹皮を剥がすかが、ポピュラーとされているようだ。
折りにかかった枝がしなって、なかなか折れる気配を見せない。折ったとしても水分が多いとなると、まだ元気はあると判断する。
もっとも、枝だけが元気という線もあるから、ダブルチェックとして後者も試す。みずみずしい樹液が出るかとか、色がしっかりあらわれているか、とかが評価基準になるのだとか。
けれどおじさんの話では、それ以上に木の状態を調べることって大切らしくってさ。
少し前の話とのことだけど、聞いてみないかい?
おじさんは、小さいころからこの木の状態チェックを行うよう、親に言われていたらしい。
親もまた剪定の仕事をしていて、先ほど話したようなやり方も説明されたようだ。
ただ少し妙なのが、いかにも葉をつけて元気に見える樹に対しても、行うように言われたこと。それも遠くへ遊びに行った時などでもだ。
「人間だって一見、健康そうに思えても、中がズタボロということだってあるだろう? それを早いところ探ってあげる必要があるのさ。
しかし、木を病院に連れて行ってやることはできないしな。そこから動かさないままに処置をしなきゃいかん。
お前だって風邪菌まき散らすクラスメートが、早退も欠席もできないまま席に座っているのはいい気分はしないだろう? そういうものだ」
流して聞く分には、反射的にうなずきそうだ。
けれども、おじさんはどうも気になる。頼む範囲が広すぎる、という点で
仕事上、必要なことならいちおう理解はできた。でも、どうしてこのようなボランティアじみたことをしないといけないのか、と。そこまで木たちを心配する理由は何なのか、と。
おじさんの疑問に対し、親が教えてくれたのは少し奇妙な内容だったらしい。
その内容を目のあたりにするのは、おじさんが話を聞いてから3年が経ったあたりのこと。
話を聞いた当初のおじさんは、早く出くわしてみたくて、木と見ればすぐに皮をはぎにかかる、はたから見ればちょっと危ないヤツだったらしい。
けれど、小さいころに震え上がった怪談話に似ている。時間を置くと関心が薄れ、自分の身に置いて想像していたのが、どこかテレビ越しにドラマを見るような客観的なものに変わって、思い出のひとつとしてこびりついている。
それでも走り出した慣性はいくらか残ってしまい、3年後の時点では気が向いたときに、数本にのみ手を出す、自称趣味のレベルになっていたとか。
このころ、おじさんたちの住む町に、当時は珍しいショッピングモールが建つという話があったらしい。
すでに工事の立て看板はあったものの、肝心の工期のはじまりに関しては、まだ記述されておらず。
計画が難航しているのか、それとも別の理由があるのか、おじさんには分からない。
ただ予定されている土地は、林ほどではないにせよ、いまだ木々をそこかしこに生やしている土地だったという。
「どうせお別れならば」と、おじさんはひと目の少ない時間を狙って、最後になる木々のチェックを行い始めた。
親が使っていた、お古の剪定ばさみだ。握力が伝わりやすいようにデザインされたという、柄から刃先まで曲線で構成された一品は、すでに扱いなれて久しく、太めの枝も簡単に切ることができた。
それをもって、生えている木一本につき、一枚の皮を少しはがさせてもらうおじさん。
夏の盛りということもあってか、ほとんどの木ははがした先から樹液をうるませ、下にのぞく肌そのものも、多く水分をふくんでしっとりしたものだったとか。
しかし、道路に囲われた予定地のほぼ中央。夏にしてはつける葉の少なめな、その樹の皮を削りにかかって、おじさんは首をかしげる。
皮が固い。これまでの樹皮たちは、ハサミの刃を引っかけて握れば、さしたる抵抗もなくプキプキはがれていったものだ。
それがこの樹は、くぎられたブロックのような樹皮のかけらたちが、頑なにはがされるのを拒んできた。おじさんははがすために、同じ皮へ何度も何度も力を入れ、ようやく手のひらに乗るほどの一片を手にする。
くるっと皮をひっくり返し、おじさんの目に飛び込んできたのは、黄一色の肌だった。そしてもう少しよく見ると、その表面にいくつかの白い筋が浮かんでいるのが見て取れた。
皮をむいたミカンのようだ、とおじさんは感じる。同時に、その出会いに胸がどきりと鳴る。
かつて親から聞いた話。その内容の一部通りの状態だったからだ。
鼻を近づけてみる。
これまでに聞いた、木々独特の青臭さとは違う、メープルシロップに近い香りがほのかに漂った。けれどもこの樹は、カエデの葉などはつけていない。
第一段階クリアと、次におじさんは手の届く高さにある、細めの枝の一本に手をかける。
折れない。それどころか、しならない。
ほんの手の指二本ほどの太さの枝が、わしづかみにされて真下へ引っ張られるように力がかかっているのに、びくともしなかった。
道具に頼らざるを得ない。おじさんは園芸バサミの刃で枝を挟み込んだ。その渾身の握りしめに対しても、枝はかすかな切れ目を入れることしか許さない。
第二段階クリア。
おじさんは頭の中でつぶやきながら、食い込んだハサミの刃を、今度はのこぎりのように上下させ始める。
切り落とすのは難しい。それでも「木くず」くらいなら出るはず。それを確かめれば、第三段階をクリアできるんだ。
額に汗して、ようやくこぼれた茶色い粉を、おじさんは空いた手に受ける。そして鼻へ近づけていった。
最初に飛び込んできたのは、金属にこすり合わされた、ほのかな熱と鉄じみた臭い。
けれどもそれはすぐ、唐辛子を思わせる鼻腔をくすぐる刺激に変わった。くしゃみが出てきそうだ。
いよいよ、と内心で湧き立つおじさんは、当初に皮をはがした幹へ向き直る。
その時にはもう、かの傷跡を中心にして、幹には大きく一本のひびが入っていた。
下は根へ。上は途中の二股へ。幹を両断する勢いで深さを増すひびは、幅も同時に増していき、黄色く染まった地肌をどんどんと露わにしていく。
「自然に溶け込む虫がいるのは知っているだろう?
樹の中ではなく、樹そのものに化ける虫もいるんだ。そいつらは放っておけば、周りの木々を静かに荒らす。それを止めるんだ」
親から説明された、樹もどきの実態。教わっていた通り、おじさんは最初に皮をはがした肌に、思い切りハサミを突き立てた。
そうすれば虫の動きも止まり、じきに息絶える。そう教わっていたゆえの安心が、油断を生んでしまったのだろう。
走っていたひびは動きを止めるが、それも一瞬だけのこと。すぐに幅を大きく広げたばかりか、枝たちにもひびを走らせた樹は、つぎつぎと皮にとって代わり、身体中を黄色く染め上げてしまった。
そして枝たちが一斉にしなり、上下に大きく動く。それは鳥の羽ばたきを思わせるものだったという。
ずっ、と音を立てて根っこが持ち上げるも、次の瞬間には、すうっと樹そのものがあたりの色に溶け、見えなくなってしまったらしい。
代わりに残ったのは、おじさんが手に取ったのと同じ、茶色い粉。空に膜を張るように、盛大に飛び散ったそれらは、あたりの木々にまんべんなく降りかかっていく。
たちまち彼らの葉が落ちていく。そればかりか、はげになった端から彼らもまた、幹へ大いにひびを走らせていく。
それを見届ける度胸が、当時のおじさんにはなかった。とんでもないことになったという自覚と、責任逃れの保身が、その足を自宅へ向けさせていたんだ。
事情を聞いた親は「相手が悪かっただけだ。お前はよくやった」と話してくれたものの、翌日には付近に住む住人がいぶかしがるほど、あのあたりの木々はすっかり姿を消してしまっていたのだそうだ。
親の跡を継ぎ、同じ仕事をしているおじさんだけど、あの樹に化けた虫との出会いは、いまだあの時が最初で最後らしい。それでも樹のチェックをする際は、とても緊張すると話していたよ。