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後編


 気が付くと私は暖かくふわふわのベッドの中にいました。これだけ上質なベッドは幼少の頃以来ですから、もう一度目を閉じて惰眠を貪りたいところ。ですが。


 目は閉じておくものの、状況の整理が第一ですね。私はスコラの策略で、人身売買の疑いのあるシャーチー伯爵の手に落ちました。屋敷を出たところで眠らされたため、ここがどこなのかも、ここに至るまでの経路や時間もわかりません。


 できるだけ音をたてないよう布団から顔を出して周囲を見渡します。倉庫だった私の部屋とほとんど変わらないサイズのお部屋ですが、窓があるおかげか広く清潔感があるように見えます。シンプルで機能性を重視したと思しき調度類と、場違いに思えそうなほど可愛らしいお花。


 窓の外は、霧? 霧というには真っ青なお空、というか空しか見えません。霧と言うよりどちらかといえばまるで雲を間近で見るような……。


「くもっ?」


 あまりの驚きに、飛び起きてしまいました。

 雲――天高くをゆるやかに舞い、ふわりふわりと柔らかく、ときに太陽を隠し、ときに雨を降らせるあの雲に見えるのです。


 と同時に窓の外を、鳥の群れが飛びます。まるで並走するかのように。ええ、そうです。この鳥の群れは通り過ぎていかないのです。


「お目ざめですか、レディ・ヴェル」


 低い男性の声とともに小さく陶器がぶつかる音がして、続けて衣擦れの音。恐る恐る音のした方へ顔を向ければ、そこにはクワスル様がいらっしゃいました。テーブルの上の茶器からは湯気がたっています。


「えっ、クワス……えっ、クワスル様っ? ちょ、ちょっと待ってください。何がなんだか」


「これは最近ヘイムルにて開発された新型の飛空艇で、現在はヘイムルへ向かっています。お元気そうで安心いたしました。もうすぐ到着しますから、お話はそれからにしましょう。今はゆっくりお休みください」


 それだけ言って、クワスル様は部屋を出ていかれました。小さな部屋に私ひとりが残されます。呆気にとられて開いたままの口を手で覆い、ベールがないことに気づきました。


「あーっ!」


 怪物然としたこの姿をクワスル様へお見せしてしまった! あまりのショックにベッドの中へと潜り込み、その心地良さにまたウトウトし始めたとき、部屋が、いいえ恐らくこの飛空艇が大きく揺れました。


 籠を振り回される小鳥の気持ちがわかった気がいたします。まさかこんなにも恐ろしいなんて!


 そんな大きな揺れとともに、飛空艇はヘイムルへ到着したようです。着陸時の振動は二度と味わいたくありません。


 けれど、クワスル様に手を引かれて一歩外へ出ると、そこはおとぎ話の世界でした。せっかく見つけてすっぽり被ったベールも、思わずめくりあげてしまいます。


「まぁ……!」


 目の前に広がる光景に、私は言葉が何一つ出てきません。


 まず第一に建物が大きく、天高くそびえています。しかも一つや二つではありません。アスガリーの王城よりも背が高くて四角い建物がいくつも並んでいるのです。

 その間を、背に人間を乗せた飛行型の魔獣のような生き物が飛び交っています。


「驚きましたか?」


「ええ! あの、空を飛び回っているのはなんでしょう? それにあちらで光り輝いている大きな建物は? 向こうに平がる緑は森でしょうか? それからそれから、」


 一度口を開いたらもう止まりません。目に入る全てが新鮮で、次から次へと知りたいものが出てきてしまうのです。


「あははは!」


「あっ、ごめんなさい。つい」


 クワスル様が声を出して笑うところを初めて見ました。と同時に公爵令嬢らしからぬ態度に反省します。ああ、いくらなんでも度を越し過ぎていました。自己嫌悪です。


「いいのです。ヘイムル人は好奇心を尊びますから。しかし先ずは我が家にご招待させてください、レディ・ヴェル。貴女の疑問へお答えする時間はたっぷりありますから、安心して」


 おとぎ話のような不思議な世界を背景に、柔らかく細められた青い瞳があまりにも印象的で、私は時間が止まってしまったような錯覚に陥りました。なのに心臓ばかりがばくばくと忙しなく動いて、ただ上の空のまま「はい」と呟いたのでした。


 クワスル様のご自宅までは、彼の作り出した馬のかたちをした魔法生物で向かいました。翼の生えた馬を見るのも初めてなら、風を切って空を飛ぶのも初めてです。ここはやはり、おとぎ話の世界なのでしょうか?


 彼のご自宅へ到着するとまず、ヘイムルの子どもたちが使うというローブをいただきました。なんと、フードに取り付けられた布で口元さえも隠せるようになっているのです。もし私がヘイムルで生まれていたならと思わざるを得ません。


 応接室では、カワウソによく似た二足歩行の魔法生物がお茶の準備をしてくださいました。


「かっ、かわいい……」


 我慢できずに触ってみると、びっくりしたように身体を硬直させましたが、すぐにまたお茶の準備を始めます。


「どこから話すべきかわかりませんが」


 お茶の準備が終わってカワウソがどこかへ行くと、クワスル様はそう前置いて、言葉を選びながら少しずつ説明してくださいました。


「アリオル……シャーチー伯爵、ですね。彼はヘイムル人で、簡単に言うと密偵ということになりますか。ただ主な業務は、ヘイムルの血が混じった人物を探し出すことです」


「ヘイムルの血、ですか?」


「はい。正確には先祖返りの兆候が見られた人物です。彼らを保護し本国へ移送、必要な処置をして――」


「待ってください、先祖返りとは? 必要な処置とはなんでしょう」


 クワスル様のお話が全く予想外の方向へ進み、思わず途中で止めてしまいました。クワスル様は前髪をかきあげ、「そうですね」と呟きます。


「ヘイムル人は、あなた方の言う『人間』とは少し体の作りが違います。魔力の最大量に天地ほどの差があるせいなのですが、それによって成長過程が変わります」


「成長過程……ですか」


「はい。成長の促進に必要な体内物質が、魔力を増やすことと大きな魔力に耐えうる身体を作ることに優先されます。そのため成長期は環境ストレスに弱く、様々な病気や怪我にかかりやすくなります。それを防ぐため、外皮を鱗様に厚く覆い――」


 ポカンと口が開いてしまいました。布とフードが顔を隠してくれるのがせめてもの救いです。


 私たちアスガリー人の常識では異質と言わざるを得ません。いえ、なんらかの理由でそういう体に生まれる子はいるかもしれません。しかし必ずということならやはり異質。


 ですが私はその異質さよりも、私自身に思い当たる節があるということに驚いたのです。


「そ、それではまるで私が」


「お察しの通りです。貴女はヘイムル人の身体的特徴を持って生まれた。レギン家には過去にヘイムル人女性が嫁いでいますね」


「ええ、確かに。嘘か実か、以来レギン家は優れた容姿を持つようになったとか」


 私の言葉に目で肯定を示したクワスル様が、深く息を吸ってからまた口を開きました。


「体内に魔力が充満すると次に身体の変化が訪れます。あなた方の指す成長期がやってくるのです。そして身体が大人になれば、外皮も自然と剥がれます」


「つまり私は……」


「幼体のまま、ということになりますね。極端に栄養が不足したり、なんらかの要因で魔力不足に陥ると、いつまでも身体ができあがらないのです」


 私の口から、はぁー、と大きな息が漏れ出ました。私は病気ではなかったのです。ただ、生まれる国を間違えてしまっただけ。


「私は普通の人間になれますか……?」


 言ってしまってから、私は失言に気づきました。ヘイムル人にとっては、私の姿は決して怪物なんかではないでしょうに。けれどクワスル様は申し訳ないとでもいうような笑みを浮かべて、小さく頷きます。


「ええ。時間はかかるでしょうが、しっかり栄養をとり、不足した魔力を補って本来の姿を取り戻していきましょう」


 ぽろりと涙が溢れました。辛くとも泣くことなどほとんどなかったのに、希望や喜びは簡単に私の涙腺を壊してしまいます。


 それから、ヘイムルへ連れ出すのが遅くなったことへの謝罪を受けました。私が王太子の婚約者であったために、シャーチー伯爵も身動きがとれなかったそうなのです。

 ずっと気にかけてくださっていたのですから、謝罪などとんでもないこと。伯爵へ感謝を伝えていただくようお願いして、私は療養生活を送ることとなりました。



 ヘイムルへ来て半年ほど経ったでしょうか。よく食べ、魔法術式の概論や文化を学び、この国での生活にもすっかり慣れました。


 ただ、身体にはなんの変化もないまま。

 不安な気持ちがムクムクと大きくなった頃、クワスル様がお出かけに誘ってくださいました。


「なんて綺麗なんでしょう!」


 連れて行ってくださったのは、一面のお花畑でした。色とりどりのお花が咲き乱れています。空気も一段と清浄な気がして、大きく深呼吸をひとつ。


「ここはアスガリーにも輸出している魔石の栽培場です」


「魔石を……? 栽培、ですか」


 クワスル様が手近な植物をひとつ摘みました。花の盛りはとうに過ぎて、重そうに頭を垂れています。

 けれどクワスル様がその花びらを1枚ずつ剥がして行くと、中には艶やかな虹色の玉がありました。アスガリーではおなじみの魔石です。


「ね、見たことあるでしょう。詳しい仕組みの説明は端折るけど、ここは大気も土地も魔力を多く含有しているのです」


 そう言って魔石を放り投げ、私の手を取りました。一体何が始まるのかと身構える私に「大丈夫」と声を掛け、もう一方の手も取ります。


「あの」


「目を閉じて力を抜いてください。僕の魔力をお渡しします」


 言われるがままに力を抜くと、両手の先から温かなものが流れ込むような感覚がありました。お湯に手を差し入れたような心地良さです。それが全身を巡り、次第に呼吸が楽になっていきました。


 今まで息苦しいと思ったことなどないのに、まるで川の流れを堰き止める大岩がなくなったかのような気分です。


「すごいです! なんだか身体がとても軽くなったよう」


「それが正常な状態なのです。貴女は魔力欠乏症だったのですが、栄養を先に補給しておかないと必要な魔力さえ受け止められないので」


「なるほど、そういうことだったのですね」


 軽くなった体で周囲を見渡すと、小さな光の粒がキラキラと輝いていました。まるで大気中の魔力が見えているかのようです。


「レディ・ヴェル、魔法生物の創造術式は覚えていますか?」


「ええ、はい。恐らく」


 クワスル様が私の手を離し、前髪をかきあげました。その青い瞳は楽しげに煌めいています。


「では、創ってみましょう。先ずは手の平に乗る程度のものから」


「私にできるでしょうか」


「今日はたくさん練習できますからね、有翼馬の創造を目標に頑張ってみましょうか」


 なんということでしょう! あの素敵な翼を持った馬や、可愛らしいカワウソをこの手で創り出せるというのです!

 きっと人生でいちばんワクワクしたと思います。体中が、すぐにもやりたくてムズムズするくらい!


「はいっ!」


 お花畑の端っこまで届いてしまいそうな大きな声で返事をして、練習を始めました。


 途中で何度か休憩を挟みながら、私がついに有翼馬を造り出したときにはすっかり夜でした。濃紺の夜空には、魔法石そっくりの星々が輝いています。


「やった、やりました! ご覧になって、クワスル様!」


「ええ、素晴らしい出来ですね。おめでとうございます」


 創り出した馬の首にぎゅっと抱き着くと、ぶるると息を吐いて甘えるように私の背中にお顔を擦りつけました。それをクワスル様が少し離れたところから見守ってくださっています。


「クワスル様はなぜここまで私に親切にしてくださるんですか? ヘイムル人の保護について業務上の関りはないと伺いましたけど」


 この国で生活するうちに、シャーチー伯爵の仕事にクワスル様は業務上なんの関りもないことを知りました。

 乗り掛かった舟だからかとも思いましたが、魔力を分けてくださったり、1日中魔法の練習に付き合ってくださったりするのはさすがに親切が過ぎます。


 馬は散歩でもするように傍を離れました。私はゆっくりとクワスル様の方へ歩を進めます。


「僕は、貴女に命を助けていただいたことがあるのです」


「それは一体……?」


「貴女がナルファー大聖堂で保湿クリームを塗った少年は、実は急性の魔力欠乏に陥ってたんです」


 そう語るクワスル様の表情はまるで、懺悔でもするかのように切実さを感じさせるものでした。

 思い浮かぶのは火傷のような痕が痛々しい男の子です。あの火傷はもしかして、いま私の肌にある外皮と同じものだったのでしょうか。


 私は何も言わず、ただ続きを待ちます。


「あの日、貴女は恐らく無意識のうちに僕に魔力譲渡をしていた。おかげで僕は一命をとりとめましたが、代わりに貴女が慢性の魔力欠乏症になったのだと考えられます」


「そう、でしたか」


 俯くクワスル様に、私は確かに残念な気持ちになりました。今までの親切は全て、自責の念から生まれたものだったのでしょうから。

 けれど、それ以上に私は嬉しかった。


「クワスル様が生きていてよかった」


 心からそう思います。

 私はこの方に恋をしているのだと、いま気づきました。


 ハッとした様子で顔をあげたクワスル様の頬に手を伸ばします。触れる直前で私はその手を止め、馬のほうへと振り返りました。

 私に対して自責の念を抱いていたら、この手を拒否することはできませんから。彼の気持ちを無視して触れてはいけないような気がしたのです。


「レディ・ヴェル……?」


「ずいぶん遅くなってしまいました。そろそろ帰りましょう? あ、私あの馬で帰ってもよろしいでしょうか」


 努めて明るく振る舞う私に、クワスル様は苦笑しつつ頷きます。



 魔力欠乏状態から脱し、初めて魔法生物を創造したあの日からさらに半年が経過しました。今ではすっかり外皮が剥がれ、人間らしい肌を取り戻しています。さらに初潮も迎え、体つきも女性らしくなりました、たぶん。


 鏡の前に立つのも楽しみになりました。肌はきめ細かく滑らかで、くすんだクルミ色の髪にも潤いがあります。鱗様の肌もあいまってトカゲみたいだと笑われた金色の瞳も、今なら自信をもって他者と視線を合わせられそう。


 一般的に綺麗かどうかなど、私にはさっぱりわかりません。でも私は今の私がいちばん好きです。……とはいえ。大人になったなら、もうクワスル様のお世話になる理由はありません。これからについて、しっかり話をしなくてはならないでしょう。


「私、きっとヘイムルに残ってみせるわ」


 鏡の向こうの自分にそう語りかけると、魔法生物のカワウソが「クルル」と返事をくれました。


 あの日以降も、クワスル様との関係性に変化はありません。

 ただアスガリーの社交界について質問を受けることが増えたため、まさか私をアスガリーへ帰そうとしているのではないか、と戦々恐々するばかり。

 だってシャーチー伯爵に確認しないのなら、きっと私のことでしょう?


 フードを深く被り、クワスル様の書斎へ向かいます。

 部屋に入るなり、眉間に皺のよったお顔で腕を組むクワスル様が目に入りました。机上に広がるお手紙が、あまりいいお話ではないのでしょう。


「難しいお顔をなさって、何かありましたか」


「以前にもお話したかと思うのですが、王太子妃の護衛としてアスガリーに来るようにとの書面が」


「今までにも何度か繰り返しそんなお話があったと仰ってましたね。でも断ったのでは?」


 クワスル様を専属の護衛にするのだと息巻いていたスコラの計画が、実現に向けて動いていることに驚きを禁じ得ません。


「そのはずだったのですが、僕に言っても埒が明かないと思ったのか北楼へ要請したようです」


「まぁ!」


 ヘイムルの国政は、裁定を司る北楼をはじめとした十人の議員が担っています。そしてクワスル様もその十人のうちのおひとり。アスガリー風に言えば公侯爵級の方に、一護衛騎士をやれと言っているのと同じことなのです。


「我々ヘイムル人は生態を秘匿していることもあって、他国との関係が希薄です。だからといって、これは無知にもほどがあります。さてどうしたものか」


「お恥ずかしいばかりです……」


 恐縮する私にクワスル様は優しく微笑まれました。手近な椅子へ掛けるよう手で指し示し、「さて、」と話題を切り替えます。


「何か僕にお話があるようですね、レディ・ヴェル? もしかして、お体の具合が良くなりましたか?」


 私はクワスル様の言葉に驚いて、無作法にも口が半開きになってしまいました。フードで顔は隠れているのに、まるで表情をすっかり見られているみたいです。


「どうしておわかりに?」


「それは……。もうずいぶん前から、声も香りもローブから時折見える指先も、全てが大人の女性だと示していましたから」


 そう言って席を立ち、ゆっくりとこちらへ歩み寄っていらっしゃいます。


「それで、私――」


 近づくクワスル様から目が離せません。綺麗になった肌を見てほしい、これからのことを一緒に考えてほしい、そう思いながらフードへと手を伸ばします。


 が、その手を目の前に立ったクワスル様が掴み、私は動きを止めました。


「もしよろしければ……このフードをとる栄誉を僕にいただけませんか」


 その場に(ひざまず)き、目線を合わせたクワスル様の青い瞳に吸い込まれてしまいそうです。


「はい」


 私の口から漏れたのは、ともすれば些細な物音にも掻き消されてしまいそうなほど小さな声でした。それでもクワスル様は安心したようにほっと息を吐いて微笑みます。


 口元を隠す布がはらりと外されたとき、私は急に恥ずかしくなって俯きました。クワスル様のしなやかで大きな手が、左右からフードに触れます。

 膝の上に重ねた両手をぎゅっと握りました。心臓がばくばくと大きな音をたてていますが、これは彼にも聞こえているでしょうか。


「すごく綺麗です、レディ・ヴェル」


「あっ、はい、おかげさまで元の肌に……」


「ええ。肌も、その表情も、全てが」


 その言葉に感極まって、私は子どものようにわんわんと泣いてしまいました。もう誰も私を怪物だとは呼ばないのです。けれどこの1年、いいえ私が怪物の姿になってからずっと、見守り寄り添ってくれたクワスル様が綺麗だと言ってくれた。もうそれだけで満足だと思えました。


「私、ヘイムルで生きていきたいのです」


 呼吸を整え、どうにか絞り出した言葉はまるで子どものお願いのようでした。少しでもクワスル様のお側にいたいと思ったら、もうそれしか言えなかった。


「なるほど……。それでは先に、やるべきことをやってしまいましょう」


「やるべきこと?」


 顔を上げた私の目に飛び込んで来たのは、新しいイタズラを思いついたみたいに無邪気な笑顔でした。


 アスガリーから北楼へ届いた書面の件で、対アスガリー政策についてはクワスル様に一任されたのだと言います。それで、どのように対応するべきかを一緒に考えてほしいと。


「お恥ずかしながら、外交は門外漢なのです。仮に断交しても我が国は全く問題ないことは確認しています。だからこそ、一任されたわけですが」


「断交、ですか」


「貴女がアスガリーに戻りたいとお考えになった場合に備えて、これまで良好な関係を続けましたが……。過去にケリをつけてみませんか?」


 そう言われて、私はふむ、と頭を悩ませます。


 見せていただいたアスガリーからの書面には、ヘズ王太子殿下の署名。スコラに言われるがまま、書類をしたためたのが目に浮かぶようです。

 スコラに対して、恨みつらみがないとは言いません。ただそれ以上に、彼女を未来の王妃に据えるのは不安があります。


「この1年で、アスガリー王国内の勢力図に変化があったかご存じでしょうか?」


「ああ、そういえば。レディ・ヴェルから伺ったお話について調べたのですが、ちょっと面白い情報があります。少し前に、誰もが訝しむ不可思議な人事があったとか」


 と、私たちは対アスガリー政策に関して、シャーチー伯爵の協力も得つつ計画を練ることになりました。目標はスコラおよびレギン公爵家の権勢を削ぐことと、可能ならヘズ殿下の廃嫡でしょうか。



 アスガリー王国の建国記念パーティー。悪夢のような婚約破棄から1年が経って、私はまたここへ来ました。

 キラキラと輝くシャンデリア。贅を尽くした衣装をまとう貴族たち。そのどれもが去年と全く同じに見えます。


 ホールの中心では、王太子のヘズ殿下とその婚約者のスコラが、貴族たちに囲まれて談笑しています。

 クワスル様は足首まである長いマントを翻し、ふたりの元へと真っ直ぐ進みました。私もヘイムル人の証たるマントを羽織っていますが、少し離れたところから見守ります。


 ベールもなく、顔を露わにしてここへ来るのは勇気が要りましたが、誰も私がヴェルとは気づきません。


「アスガリーの若き星にご挨拶を。ヘイムルより北楼アルビズの名代として参りました」


「ああっ、クワスル様! いらしてくださったのね!」


 ヘズ殿下が何か言うより先に、スコラが小走りでクワスル様のほうへやって来ました。1年経っても礼儀がなっていないのは相変わらずのようです。

 眉を顰めたヘズ殿下がクワスル様へ声を掛けました。


「先日、俺は北楼へ宛てて書面を送ったのだが」


「ええ。その件についてご回答申し上げるため、僕が参りました。……ところで、昨年ここで僕が『レディ・ヴェルに反証の機会は与えないのか』と問うたのを覚えていらっしゃいますでしょうか」


 殿下もスコラも一瞬だけ怪訝な顔をしましたが、思い出すと嫌悪感を隠そうともせずに「ああ」と声をあげました。スコラは広げた扇で表情を隠します。


「そんなこともあったか」


「お姉さまは悲しみに暮れてご自分のお命を……! わたくしがもっとお心に寄り添っていたら!」


 震えるスコラの肩を殿下が抱き寄せました。扇の陰から口元が弧を描いているのが見えます。どうせやるならしっかり演技すればよいのに。

 けれど、私が姉として最初で最後の躾をしに参りましたからもう大丈夫。公爵令嬢たるもの、自分の行動の責任くらいはとらないといけません。


「ヴェル・ド・レギン公爵令嬢の死については心より哀悼の意を表します。そのレディ・ヴェルの心に沿うため、僕は昨年の事件について調査したのですが……反証の機会をいただいても?」


 ホールの中にいる全ての人の視線が、クワスル様に集まります。衆人環視の中で、ヘズ殿下はクワスル様の申し出を断ることができません。


「よい」


「ありがとうございます。あの日はレディ・スコラへの折檻と窃盗が問題になっていましたね。先ず衣類の盗難ですが、こちらは簡単でした。確かにレディ・ヴェルの着る衣類は全て、レディ・スコラが懇意にするデザイナーに作らせたものだった」


「そうでしょ、嘘じゃありませんもの」


 スコラが得意気に首肯しました。調査し反証をあげると言っているのに、なぜこうも自信ありげな表情ができるのでしょう。この神経の太さは見習いたいものです。


 クワスル様はそれに構わず、懐から書面を取り出して続けます。


「しかし、レギン公爵直々の指示によって、レディ・ヴェルのために仕立て直しされていました。注文書はこちらに。必要であれば証言する針子を連れて来ることも可能です」


「つまり、盗んだものではないということだな」


 ヘズ殿下が提示された注文書を確認し、苦虫を噛み潰したようなお顔をなさいました。簡単な調査さえせず、スコラの虚言を信じたことが明かされたのですもの。そんなお顔にもなりますね。


「お、お父様が直させただなんて知りませんでしたわ!」


 慌ててスコラが言い繕いましたが、会場内の視線は冷たいままです。


 クワスル様がちらりとこちらへ目を向けました。私は彼にだけわかるよう小さく頷いて、横に立つ女性の手を取ります。クワスル様も頷き返して、言葉を続けました。


「あの日レディ・スコラは、姉に折檻されたと言って腕をお見せくださった。その後レディ・ヴェルはこの世を儚んだわけですから、貴女は日頃の暴力から解放されたはずですね?」


「ええ、もちろんよ。お姉さまが亡くなったのはとても悲しいけれど、もう恐怖しなくていいのだと安心してしまったのも事実ですわ」


「では念のため、美しい白魚のような腕を確認させていただいても?」


 スコラがぎゅっと自分の腕を胸に引き寄せました。その顔色は白魚も驚くほどに蒼白です。殿下がスコラの肩からどかした手を、彼女の腕に伸ばしました。


「いやっ」


「なぜ嫌がる? すぐにそのグローブを外し、己の正しさを証明してみせよ」


 なおも嫌がるスコラでしたが、殿下が近衛に指示してグローブを外させました。その腕には無数のみみず腫れ。昨年より一層ひどくなっています。


「これはなんだ……」


 ヘズ殿下の呟きに呼応するように、クワスル様がうやうやしく私を手で指し示しました。私は女性を連れて会場の中心へ進み出ます。


「ご説明くださるご婦人をお連れしました」


 青ざめた顔のこの女性の名は、ダコタ・ル・ナルヴィネリ。

 昨年、王都を散策しているときにスコラの侍女へ威圧的な物言いをしていた男性、成り上がりのナルヴィネリ子爵の奥様です。


「申してみよ」


 ヘズ殿下は私と目が合っても、ヴェルであるとは気づきません。殿下の後方、私たちを見つめる出席者たちの中にお父様やお母様もいらっしゃいますが、同様に気づく気配はありませんね。


「やめて……!」


 スコラが掠れた声で制止しようと一歩前へと踏み出しますが、殿下の護衛がその腕を掴みました。


 ダコタ様はカタカタと震える手でご自身のグローブを外し、釣り鐘型の袖(ベルスリーブ)をまくり上げます。

 そこには、スコラの腕にあるのと同じ折檻の痕が赤く残っていました。同じ人物から折檻を受けたことは聞くまでもないでしょう。


「一体、どういうことだ?」


 殿下がスコラを問いただしましたが、スコラはふるふると首を振るばかりで何も答えません。

 私がダコタ様の背をゆっくり撫でると、彼女は俯きつつも口を開きました。それは消え入るような声でした。


「これは、主人の嗜好なのです……」


 衝撃の告白にざわつく会場の中で、クワスル様の瞳は確かにナルヴィネリ子爵の姿を捉えています。子爵を見つめたまま、冷たく笑いました。


「世の中には、折檻を悦ぶ男女がいるそうですね」


「嘘だ嘘だ嘘だ! 俺は知らない!」


 クワスル様の視線の先でナルヴィネリ子爵が後ずさり、そして踵を返して走り出しました。が、ヘズ殿下の采配ですぐに騎士に取り押さえられます。


「ザック・ル・ナルヴィネリか。あの男はそなたの口添えで要職につけてやったな?」


 殿下がスコラをじろりと睨みました。


 以前、クワスル様がおっしゃっていた「誰もが訝しむ不可思議な人事」というのがこれです。影響力のない子爵家が、突如として要職への大抜擢。

 シャーチー伯爵に調べていただいたところ、ナルヴィネリ子爵は高位の貴族女性と多く関係を持っていたことがわかりました。そして女性たちには肌を隠したがるという共通点が。


 スコラの露出が少なかったのも、父が言うように「慎み深い」からというわけではなかったのですね。


 私とクワスル様は、アスガリーへ到着してすぐにダコタ様とお話をしました。スコラとナルヴィネリ子爵の関係、そして彼らの嗜好について明かすには、ダコタ様の許可が最低条件ですから。

 彼女は夫の浮気癖に愛想を尽かしていらっしゃり、人知れず他国で第二の人生を送るお手伝いを条件に、ご協力いただけることになったのです。


 ――主人の地位は愛人によって与えられたもの。夜の嗜好が明らかにされるより、この生活を続けるほうが私にとっては屈辱でございます。


 ダコタ様の言葉が忘れられません。スコラとナルヴィネリ子爵は、自身の快楽と栄誉のために彼女の心を殺したのです。


「わた、わたくしは」


 スコラが何か言いかけたとき、王族用の扉が大きく開かれて国王陛下がご入場されました。真っ直ぐ会場の中心までいらっしゃり、ぐるりと見渡してからクワスル様へ目を留めます。


「なんの騒ぎか。……ヘイムルの使者かね?」


「北楼アルビズの名代クワスルが、回答書をお持ちいたしました」


 私はクワスル様の口上に合わせて懐から書面を取り出し、陛下の御前で広げます。そして会場中に響き渡るよう読み上げました。


 内容としては、クワスル様への招聘状に関する回答です。公侯爵クラスの人物を、王太子の婚約者の一護衛にしようなど極めて無礼である、という文句が滔々(とうとう)と記されています。そして。


「よって、ヘイムル共和国はアスガリー王国との一切の取引を停止し、国交の断絶を宣言する。在アスガリーヘイムル人については――」


「待て、待ってくれ」


 国王陛下は手を挙げて私が読み上げるのを止めました。こめかみを二度三度と揉んでから、眉根を寄せて口を開きます。


 ヘイムルから取り寄せる魔石に頼った生活をするアスガリーにとって、一切の取引停止は死活問題です。国王陛下としては絶対に飲めないお話でしょう。


 視界の隅で、お父様も顔を真っ青にしているのが見えました。それもそのはず、レギン公爵家の収入のうちの2割が、ヘイムルから輸入した商品の専売利益なのです。


「どうにか、どうにか考え直してはいただけぬか。これはヘズの無知が引き起こしたこと。必ず罰を与え、教育を――」


「無知にも限度がありましょう。それにヘズ殿下はたった今、聞くべき者の意見を聞かず、信じるべき者の言葉を信じなかったことが証明されました。加えて、王族の地位を私的に利用している。再教育で改善されるとは考え難いですね」


 殿下が強く唇を噛みました。クワスル様の挑発にギリギリのところで耐えているようですね。


「しかし……今一度、機会をいただけないだろうか」


「うーん、では貴女の判断に従いましょうか」


 なおも再考を懇願され、クワスル様は私を振り返りました。ここまでは完全に計画通りです。湧き上がる笑みを隠し、私は考える振りをします。


「そうですね……。これは国家間の体面の問題ですから、取引停止は撤回できかねます。いったん、断交を3年の期限付きにするのが良いでしょう。その間に、王太子という立場にふさわしい振る舞いを――」


「お前はなんだ、何を偉そうに……っ!」


「黙れ、ヘズ!」


 私の言葉を遮ったヘズ殿下を、国王陛下が怒鳴りつけました。怒りに満ちたその額に浮く血管が切れやしないかと、ハラハラしてしまいます。

 一方で殿下が思った通りに反応してくださったことに、心でニッコリしてしまいました。


「しかし父上、従者風情が」


「だからお前は! どこの国が相手であろうが同じだが、(こと)ヘイムル共和国において、代表が従うと言ったならその相手こそが国の代表だろう」


 ぐ、と殿下が口を噤みました。


 ヘイムルは完全能力主義ですから、意見を求める、従う、という言葉はつまり相手のほうがその分野では上位であり、優先されるということになります。


 クワスル様が余裕ぶった笑みで「まぁ、」と仲裁に入ります。


「僕が先に紹介しなかったので勘違いなさったのでしょう。ヘイムルの文化に疎い方ならそれも仕方ありません」


 仲裁というより、さらにヘズ殿下を煽っていらっしゃいますね。そろそろ笑いをこらえるのも難しくなってきました。


 私はクワスル様に促され、国王陛下へ淑女の礼(カーテシー)をとります。


「申し遅れました。クワスルの補佐、ヴェル・エラ・クワスル・セ・スヴェルタルでございます」


 静まり返った会場の中で、最初に声をあげたのはお父様でした。


「ヴェル? そうだ、その声は確かにヴェルだ」


 次にスコラが叫びました。


「ヴェルですって?」


 それら一切を無視して、ヘズ殿下が私の方へと近寄っておいでになりました。


「おお! そなた、まさかあのヴェルか。であれば、そうだ、婚約破棄を撤回しようじゃないか。俺のもとに戻って来ると良い。そうだ、それがいい」


「馬鹿者!」


 国王陛下がヘズ殿下を制止しましたが間に合いません。私へと無作法に伸びて来た殿下の左手を、クワスル様が掴みました。


 右手に拳を握った状態で、殿下の動きが止まります。呼吸と心臓の働き以外の全てを止める恐ろしい魔法です。この魔法を選んだことに、クワスル様の静かな怒りが透けて見えるようです。


 異常を察知した護衛騎士たちが剣を抜きましたが、国王陛下がそれを制止します。


「わかった、全て承知した。3年の期限を設けてくれたことに感謝する。ヘズの王位継承権は剥奪した上で、ヴェル・ド・レギン公爵令嬢との婚約破棄に関する一切について改めて調査し、関係者には処罰を下す」


 国王陛下は私の目を真っ直ぐ見つめ、そうおっしゃいました。私の意図が伝わったことに安堵して頷き返します。


 ヴェル・エラ・クワスル……これはヘイムル語で「クワスルの妻のヴェル」を意味します。私の名乗りで国王陛下はお気づきになりましたが、ヘズ殿下は気づかなかった。無知に無知を重ねた、ということですね。


 まぁ、妻というのは嘘ですけれど。クワスル様が「廃嫡へのダメ押しになるかもしれない」と提案してくださったのが成功しました。


「ちょっと、あたしはどうなるのよっ?」


 叫ぶスコラを誰もが白い目で見たとき、お父様がこちらへ走り寄っていらっしゃいました。


「ヴェル、ああ、会いたかった。クワスル様、ヴェルは当家の娘です。結婚したというなら――」


「レディ・ヴェルは亡くなったのでは?」

「失礼ですが、私はあなた方を存じ上げません」


 クワスル様と私が口々にそうお伝えすると、お父様は脱力したようにその場に崩れ落ちてしまいました。


 これで、アスガリーでやるべきことは全て終えました。ダコタ様のことはシャーチー伯爵に任せてありますし、私たちは国王陛下へ挨拶をして退席することに。


「これは独り言だが……儂が事の次第を知ったときには全てが手遅れだった。手遅れとなるまで知らなかったこと自体が問題であることも、重々承知している。すまなかった」


「これも独り言ですが、3年後のアスガリー王国を楽しみにしていますわ」


 3年というのは、アスガリーが備蓄している魔法石を可能な限り節約した場合に、国民が生活を維持できる最大期間です。

 そして、第二王子殿下が成人するのも3年後。ここからが正念場となるでしょうね。


 クワスル様が光の粒でできた馬を創り出すと、静かだった会場も騒然としました。大きな翼を生やしたその馬に跨り、さらに私を引き上げてくださいます。


 今にも飛び立たんとした私たちの背に、スコラの叫び声が飛んできました。


「なんなの? なんなのよ! あんたバケモノだったじゃない!」


「バケモノは貴女の心ですよ、レディ・スコラ」


 そうして私たちはひとりでに開いた窓から飛び出します。夜空は星がキラキラと輝いて、パーティーホールよりもずっと綺麗です。


「はぁー! すっきりしました!」


「貴女のおかげでアスガリーの未来も明るくなるかもしれませんね。過去にケリはつきましたか?」


 クワスル様の言葉に私は思わず苦笑します。レギン公爵家と完全に縁を切り、ヘズ殿下を王太子の座から下ろし、かつ国民への被害を最小限に……というのはなかなかの難問でした。


「ええ、もちろん。私も公爵令嬢として、そして王太子の婚約者として学んだ全てが役にたちましたから、今はとっても晴れやかな気持ちです」


「では、これで落ち着いて今後について話ができますね」


 翼の生えた馬はあっという間に王都を駆け抜け、ナルファー大聖堂の中庭へと降り立ちました。夜の大聖堂はシンと静まり返っています。


「先日も申し上げましたが、私はヘイムルで生きていきたくて……」


 そう伝えるのがやっとでした。

 ここは私たちがそれと知らず出会った場所。クワスル様にとっては命を救われた場所であり、私にとっては罪悪感を植え付けた場所です。


 初めて出会った木を見つめるクワスル様の表情はわかりません。


「僕は優しくないと言ったことがありますが」


「はい」


「3年間の断交となったとはいえ、一国の王に僕の妻だと名乗らせました」


 その言葉の意味を理解するのに、たっぷり数十秒を要しました。いえ、言っている意味自体は十数秒で理解できましたが、その裏にあるクワスル様のお心がわからないまま。


「つまり、偽証罪を避けるのなら嘘を真にするしかないということですね?」


「ヘイムルで国籍を用意する最も簡単な手段でもありますし、生活の基盤を作るという意味でも合理的です。ないとは思いますがヘズ殿下やレギン公爵から報復があった場合にも、僕がいればお守りすることだって――」


「ひとつ確認させてください。それは、罪悪感ですか? あなたの命を救った代わりに、私の人生が大きく変わったから」


 再度、私たちの間に沈黙が訪れました。

 クワスル様の青い瞳は真ん丸に開かれたまま、じっと私を見つめています。しばらくして、その瞳を閉じると前髪をかきあげて大きく溜め息をつきました。


「なるほど……そういうことですか、なるほど。鈍感、いや……それは、そうですね。僕の配慮不足でした、申し訳ありません」


「はい?」


 途中に悪口が挟まれたような気がいたしますが、クワスル様にぐっと両の肩を掴まれて、私の思考は停止いたしました。綺麗なお顔がとても近いのです!


「僕は優しくありません。なんの下心も持っていなければ、全てシャーチー伯爵に任せていたことでしょう。僕が出張ったのは、つまり、その、ああもう、どうしてこういう時に言葉が出て来ないんだ」


 いつも冷静なクワスル様には珍しい、真っ赤なお顔です。ずっと期待してはいけないと自分に言い聞かせてきた私ですが、もうそれを我慢できそうにありません。


「では私から言わせてください! 私はあなたをお慕いしています。どうかお側に」


「なっ――」


 クワスル様は真っ赤だったお顔をさらに赤くして、その場にしゃがみ込んでしまいました。肩に触れる空気が冷たくて、クワスル様の手のひらがいかに熱かったかわかります。


 視線を合わせるように私もしゃがむと、クワスル様はぽつりぽつりと言葉をこぼしました。


「初めて出会った日、貴女のお名前を勘違いしたところからずっと空回ってばかりでした。すごく遠回りしたあげくに大事なことも言えず、本当に不甲斐ない」


「遠回りなんかじゃありません。怪物と呼ばれた日々があるからこそ、今があるのですわ」


「ヴェル……っ!」


 クワスル様が膝をついて私をぎゅっと抱き締めました。


「ふふっ、可笑しなクワスル様」


 いつも余裕綽々なクワスル様からは想像もできない必死なお姿が、とても嬉しくて、愛おしくて、でもちょっとだけ可笑しくて笑ってしまいます。

 そのうち、耳元でクワスル様の笑い声も聞こえてきました。私たちの未来は、きっとこんなふうに楽しい日々が続くのだと、そう思えたのです。



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