高度に戦術的な撤退である
「夢の使徒、ティアブルーム」
カナメが千歳の『別名』を口にすると、彼女はわかりやすく固まった。ギクッ! という地球の擬態語が聞こえてきそうなほどの反応である。正体を隠す兵士にあるまじき素人臭さだ。
「……と、いう人物についての都市伝説を聞いたことがあるか?」
カナメがそう続けると、千歳はこれまたわかりやすく、へなへなと体から力が抜けていった。安心した様子である。バレたわけじゃなかったんだ良かったー! と思っているのが丸わかりだ。
「あ、あー……! うん。あるよね。私も聞いたことあるよ。ティアキュートっていうのの一人なんだよねー。でも噂だしねー、ほんとにいるとは思えないなー私はー! あはははー!!」
白々しい表情である。口笛を吹くようにして唇を尖らせ、あらぬ方向に視線を向けて遠くを見ている。私は何も知りません、と伝えたいのだろうが、もう少し上手くやれと指導してやりたいくらいだ。ティアキュートの存在が一部の目撃者や不鮮明な動画によって噂となっているのは事実なのだから、こうして問われたときの想定くらいしておけというのだ。
なお、カナメがティアキュートのことをあえて都市伝説として話題にしたのは、とっさの時の千歳の隠蔽技術をみるためだったが、結果は零点である。
「いや、それがだな。俺はティアキュートを目撃した」
「うっそ!? いつ!?」
食いつきすぎだ。あと距離が近い。この柑橘類のような匂いはなんだ。離れろ。
そんなことを思いつつ、カナメは情報収集にむけ、シミュレーション通りに会話を誘導する。
「昨日の夜だ。月読高校のグラウンドで巨大な生物と戦っていた」
「学校……? あっ! ……えっと、星乃くんは、なんで夜の学校なんかに……?」
「ジョギング中に通りかかっただけだ」
「そ、そっか」
「不可思議な体験だったぞ」
「へ、へー……」
「わざわざ名乗りを上げて、ポーズを取ったうえで決め台詞を吐いていた。あれはどういう意図なのだろうな」
千歳の顔が真っ赤になった。湯気がでているような錯覚を覚える
「それは、あれじゃないかなー、変身したらそこまで自動でやっちゃうだけとかなんじゃないかなー、なんかこう、テンションあがってやっちゃうだけじゃないかなー……好きでやってるわけじゃないかもしれないよ……」
「変身? 彼女たちは変身しているのか」
「いやいやいや!! 知らないけどね? あくまでも想像ね!?」
なるほどそういうことだったのか、とカナメは一つ情報を得た。ただまあ、これは全体からすればどうでもいいことだ。さらに追い詰めてみる。
土手沿いの道も六割は進んだ。ここを越えると商店街に入るので、そこまでが好機である。
「俺はスマートフォンで戦いの様子を撮影していた」
「マジで!?」
今度は顔が青くなった。体温調整が下手なのかもしれない。
「だから拡大して視聴することも出来るのだが、ティアキュート、特にティアブルームには見覚えがある気がしてな」
実際のところ、当然だがティアブルームと千歳は似ている。違うのは髪の色と長さ、化粧、そして奇抜な服装からくる雰囲気の違いのみだ。別人だと主張することも可能なレベルではあるが、同一人物だと考えることも出来る、ギリギリの範囲だと言える。
「き、気のせいじゃないかなー……」
「そうか気のせいか。それはともかく、多少は驚いた。あのような人物が実在したとはな」
「へ、へぇ……」
「彼女たちは、いったい何のために戦っているのだろうな。千歳はどう思う?」
ここが、カナメが一番聞きたいところだった。ティアキュートの戦いはイデオロギーによるものなのか? それともどこから報酬でも出ているのか? 出ているのなら報酬元の組織はどこか? 絶望妖魔とはなにか?
カナメは質問のあとに千歳を見つめたが、彼女は汗をハンカチで拭きつつ顔をそらした。
「なんで私に聞くのかな?」
「単純に俺の一番親しい人物が千歳だからだ」
「キミは本当に直球だな!! ちょっと恥ずかしいよそれ!」
「気にするな。で、どう思う?」
「さ、さぁ? 私にわかるわけないじゃーん! あははは!!」
「そうか。ならば、動画を他の者に見せて意見を聞いてみるとするか」
「いやいや!! それはちょっと待って!! えっと……考えてみるから!」
よし。カナメは自身の素晴らしい尋問手腕に満足した。あえてこちらの情報も一部開示しておいたことも功を奏したようだ。さすがはエリートである。
続いて、さきほどから通信機越しにうるさいイーヌのアドバイスも一応実行してみることとする。
「汗をかいているな、気分でも悪いのか? そこのベンチにでもかけるといい」
「そうだね……。そうさせてもらおーかな」
千歳が土手を見下ろす木陰のベンチに座ったのを確認したカナメは、近くの自販機で飲み物を買った。ココアである。意味がわからなかったが、これもイーヌの指示だ。それを無言で差し出す。
「あ、ありがと」
「いや。それで? 千歳の見解を聞かせてくれ。ティアキュートはなんのために戦っているのだろうか。俺は巨大な組織からの指令、敵対勢力とのイデオロギー的対立ではないかと考えているのだが」
千歳はカナメの言葉に目を丸くすると、少しだけ笑った。
それから観念したように息をつき、しばらく黙りこむ。その視線は、土手で野球ーをしている小学生たちに向けられていた。
「多分だけど……巨大組織とか、いでおろぎー?とかそんな大きな理由じゃない……んじゃないかなぁ」
千歳はココアを一口飲み、美味しいね、と小さく呟いてから続けた。
「あそこで野球してる子たちいるじゃん」
「球技か。いるな」
「あの子たちのなかにプロ野球選手になりたいって思ってる子、いるんじゃないかな」
「質問の意図がわからん」
「あはは。じゃあそんなスゴイ夢じゃなくてもさ、好きな人と結婚したいとか、部活で頑張りたいとか、そういう気持ちってあるじゃん」
カナメは千歳が座るベンチの横に立ち尽くし、考えた。この女は何を言っているのだろう。たしかに、いくら未開惑星の発展途上民族とはいえ、生活上の目標くらいはあるだろう。銀河帝国軍人であるカナメから見ればくだらないものではあるが、知的生命体なら不思議ではない。だがそれがどうした。
「そういう気持ちって、なんていうかスゴク大切だと思……ってるんじゃないかな。ティアキュートは。そういう小さな、でも素敵なことを守りたいから戦うんだ! ……みたいな感じ、だったりして」
「守る?」
千歳は照れくさそうに笑っていた。夕日に照らされた彼女の笑顔を見ていると、いつも冷静なはずのカナメの心中が乱れる。
「それがきっと、ティアキュートが戦う理由なんだよ」
「……なに……?」
カナメには彼女が真摯な瞳で答えた言葉の意味がわからなかった。
なるほど、絶望妖魔は民間人を襲っている。これまで見てきたが、絶望妖魔に襲われた人物は体内からなんらかのエネルギーを奪われ、それを妖魔に利用されていた。ティアキュートが妖魔を倒すとそのエネルギーは元の人物に戻っていたようだが、ではそうしなければどうなるのか。おそらくは死ぬのだろう。
だが、やはり千歳の言葉は質問の答えになっていないように思う。
守りたいから戦う。だからそれは何故だ。仮に守らずに死んだらどうだというのか? 千歳自身がなにか損害を被るのか? あるいは守ったことによる利があるのか? 大切で素敵なこととはなんだ?
「あれ? 星乃くん? おーい、どしたの? 大丈夫?」
黙っているカナメに気付いた千歳が小さく手を振ってくる。だがカナメはすぐに返答が出来なかった。自分でもどうしてなのかわからないが、カナメはひどく動揺していた。
これはやはり、文化の異なる未開惑星の人類の劣った価値観が理解できないことに起因しているのだろうか。
わからない。ティアキュートの戦いは、自身が命を落としかねないほど危険なものだし、大変なコストがかかっているはずだ。そんな戦いに挑むには明確な理由があるはずではないのか。
たとえは、カナメとて過去にも命がけで戦ったことはある。だがそれは、帝国軍人としての任務だから、あるいは己の野心のためだ。勝てば帝国の発展につながり、それはひいては自身の栄達に繋がる。だから戦う、当然のことだ。
千歳の言っていることは、そういうことではない。だが彼女は嘘をついている様子はない。
「俺には、君の言っていることがわからない」
「えっ、嘘!? 今けっこー頑張ってせつめ……んんっ! まあ、うん、私ティアキュートじゃないし!? 別にいいんだけどね! あはははは!!」
千歳はわざとらしい笑い声をあげたが、カナメはそれどころではなかった。
「……まさかとは思うが、俺がおかしいのだろうか。まったく理解ができない」
「いやー、そんなにものすごいシリアスに悩まなくても……」
「そういえば、クラスの者たちも俺がおかしい人間であると言うことがあるな……」
ふと、そんなことを思い出した。巧妙に溶け込んでいるはずだが、やはりカナメと地球人の間には文明レベルの格差に基づく思考の隔絶があるのかもしれない。潜入調査のうえで由々しき問題だ。なにより、いずれ敵対する相手の戦う動機が理解できないのは不気味だ。
「大丈夫だよ! 星乃くん。そりゃ、まー、星乃くんって変わった人だなー、って思うけど……。それは自分を持ってるってことだと思うし、なんていうかそのー」
冷静さを取り戻すべく特定の呼吸法を実施していたカナメに、千歳は慌てて声をかけた。
「うん。なんかいいなって、私は思うよ」
朗らかな笑顔をカナメに向ける千歳。カナメは、自身の心拍と血流に乱れを覚えた。
それと同じくして、土手のほうから金属音が聞こえた。
「やべっ!!」
野球、というらしいあの球技で使われていたボールが、金属製の棍棒のようなもので打たれてこちらに向けて飛んでくる。かなりの速度だ。軌道を計算するまでもなく、カナメの方を向いている千歳の後頭部に衝突するだろうと思われた。
「……千歳!」
「? なに? ……きゃっ!」
事態を把握した直後、カナメの右手には弱い衝撃と痺れが残った。飛んできたボールは千歳に衝突していない。カナメが彼女の前に出て、ボールをキャッチしたからだ。
「うわびっくりしたー……」
「……ダメージはないか?」
「ん。大丈夫だよ。……っていうか! 星乃くんこそ、手! 平気!?」
「問題ない」
「ホント? 見せて」
「いやそれには及ばない!!」
千歳に手を取られかけ、少しだけ手と手が触れた。なので、カナメは慌てて彼女から距離を取る。これは多分、関節技をかけられる危険性を避ける軍人の習性だとカナメは考える。
「はやっ!」
「け、怪我はしていない。本当だ」
事実を冷静に説明するカナメを、千歳は不思議そうに見つめ、シミジミと呟く。
「星乃くんって、ほんとーに、変わってるよね」
土手のほうから、子どもたちが声をかけてきた。すいませーん、ボールかえしてくださーい、という緊張感のないものだ。
考えてみれば、ティアキュートである彼女があの程度の衝撃をうけたとてさして問題があるはずはない。にも関わらず、カナメはわざわざ今のような行動をしてしまった。
まずい、と感じた。自分は冷静さを失っている。レベルが低いメンタリティや価値観に接することで動揺している。この状態で千歳と接しているのは危険だ。自分がジョーカーであることを逆に悟られてしまう可能性がある。ここは撤退だ。
「お、俺はもう行く!! これから所用があるからだ!!」
「え? ほしの……」
「では!!」
それだけを言い切り、カナメはきょとんとしている千歳に背を向けて駆け出した。この星の人類が行っている陸上競技で世界記録が出せる俊足である。撤退は容易い。ボールを手にしたままだったことを思い出し、投げ返してやる。時速168キロの速球である。多少離れていても届くだろう。
「星乃くーん!」
走るカナメの背中に、千歳の声が届いた。わざわざ大声をあげている。
だが振り返るのはやめておく。この距離ならば攻撃は躱せる。そしてこれ以上のコンタクトは情報漏洩につながりかねない。
「助けてくれて、ありがとねー!!」
ティアキュート、ではなく千歳からかけられた感謝の言葉。カナメもまた大声で答えて、走り去ることにした。
「べ、別にお前のためにやったわけじゃない!!!」
高度に戦術的な撤退である。