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エッセイ

お金を頂くということ

作者: 迎 カズ紀

 こうして書くと身バレするかもしれないがどうしても文章にして残したかったので記す。

 筆者は大学生だが色々な事情からアルバイトをしていない。日々のお金はどうしてるんやと言われたら、散財するほどお金を使うことがまずなく、ひと月の仕送りを全額使ったことは電気代等々を除けばないだろう。それくらい娯楽にお金を使わないため、「バイトをしなきゃ」とならないのだ。

 そんな筆者がお賃金を頂いた経験は本日を含めて三回である。


 一回目は学科飲み会での二次会の部屋出しだ。足代とは別に部屋を出す人にもお金が与えられることを初めて知った。まあ電気代を使うし、カップ麺を買ってきた人のために湯を沸かす。何より、三時間ほど時間と場所を提供するため、部屋代は必要なのだろう。

 しかし、部屋を提供したからといって特に自分が何かしたわけではない。汚い部屋を全力で掃除する機会を貰えたし、私の部屋に来た人たちは落ち着いて話しやすい好きな方々ばかりで楽しい時間だったし、とても、ウィンウィンである。だからお金を貰うほどのことをした自覚はなかった。


 二回目は地元の友人に誘われたライブの受付のお手伝いである。話すと長くなるし各関係者に迷惑がかかるため控えるが、友人のツテで二日間の短期バイトをさせていただいた。受付で前売り券を確認し、当日券の対応をし、来てくれた人を正の字でメモしお金があってるか確認。ライブが始まってしまえば人が来ることもなく、友人と談笑したり少しライブをのぞかせてもらったりと、死にものぐるいでバイトをしている大学の友人たちに知られたら怒られそうな感じのバイトだった。

 しかしお賃金は二日にしては高く、時給換算すると余裕で千円を超えていた。こんなに貰っていいものだろうかと不安になった。そして、バイトとは楽なものなのだと思い込まないよう努めた。会場で売られていたCDを購入するのでは何も還元できていないが、せめてもの気持ちとして買った。


 さて、本題の三回目だが、筆者は初めて正当な報酬を頂いたように感じた。

 筆者は書道部の偉い役職、ぶっちゃけると部長をしている。しかし部員不足なことと筆者の性格もあり、あまり周りに仕事を与えることをせず自分で全てやってしまおうとする。

 今回は大学行事の看板の字を書くという依頼を貰った。先輩方が卒業し、初めて自分に仕事が回ってきたのである。当然何も分からないまま、依頼されたサイズに模造紙をつなぎ合わせ、過去の写真を見てレイアウト・書体を構想し、道具を用意して書いた。

 自分の字でいいのか分からない。

 部長ではあるが、筆者は十二年間書道の世界に関わっていても未だにド下手クソなのだ。具体的に言えば、努力型の人間である。他の人が十枚で済むところを、良くて二十枚、悪い時は百枚書かなければ上手くかけないのだ。高校の時は活動日以外でも字の練習をして必死に作品を仕上げていたが、締め切り直前に来て仕上げた人のほうが出来が良いことも度々あった。(もちろん、影の努力があったのかもしれない)

 そんなわけで、練習はしたものの自分のこの字で本当に喜んで頂けるのか分からなかった。納品までに乾燥させる時間が必要なので早めに取り掛かり、使った筆の手入れで書いた翌日も部室へ足を運んだ。合計で六時間程度、看板のために時間を費やした。


 御礼金のことは「あるんだろうな」と思ってはいたものの確信は持てず、大学行事の準備・片付けに奔走していたこともありすっかり忘れていた。片付けのあと、お札が一枚入った封筒を受け取り、しばらく信じられない気持ちになった。

 開けてみると五千円が入っていた。五千円。5,000円。ごせんえん。ゴセンエン……?

 頭がフリーズした。千円だと思っていたからだ。

 書く前に、依頼してきた側から百均の八枚入り模造紙を受け取り、うち六枚で完成させた。もし御礼金がなければ、労働は百円以下しか払われていないことになる。

 つなぎ合わせるためのボンドや墨といった消耗品のお金、人件費。それらが合わさって百円の十倍となって帰ってきたら十分満足だった。それがまさか、さらに五倍した五千円だと誰が思っていただろう。


 家に帰りボーッとしながらも、五千円について考えた。書道部への依頼と言いつつ全て筆者が完了させたためポケットマネーにしても許されるだろう。しかしそれをする気はなく、部費に当てて良い紙を買いたいと思った。

 それよりも、自分の書いた字に五千円も払ってくれたことについて考えていた。

 SNS上で度々見かける、クリエイターへの報酬問題。ハンドメイド作品を作る人、絵を描く人。彼らの作品に付けられる金額は、材料費という目に見えるものだけではなく、今まで積み重ねてきた経験・技術といった目に見えないものが含まれているという話題だ。

 それと同じものが、今回の筆者にあったのだ。書道塾で、書道部で。十二年間やってきた書道の力への報酬が支払われたのだ。私の書いた看板の字には五千円の価値があったのだ。

 それに気づいた時、少し泣いてしまった。賞を取るために字を書くことは多く、何度か小さな賞を頂いてきたが、誰かのために字を書いて、報酬を貰ったのは初めてだったのだ。(厳密に言うと初めてではないが、その時の報酬はチョコレートだったため実感が薄かったのだ)

 「凄く良かったよ」という言葉はとても嬉しいものだが、世辞の可能性を否定しきれないうちは不安なのだ。積み重ねてきた時間を認めてくれる、目に見える報酬。それがとても嬉しかったのだ。


 筆者はあまり娯楽にお金を使わない。しかし、できることはしようと思っている。

 作ってくれてありがとう。書いてくれてありがとう。手に入れることができてありがとう。

 頻繁には出来ないが、感謝を込めてお金を払っていきたい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 自分の才能・技能でお金を稼いだということの感動が伝わってきました。 誰にでもできることではないことでお金が得られる、というのは本当にすごいことだと思います。 [一言] これからも、いろんな…
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