010.レディ(9)
やっと落ち着いてRLの世界へ没入した俺はこっそりとヘルダンジョンへつながる滑り台へと腰をかけていた。
「押すなよ? 絶対押すなよ!」
一人で決まり文句を喋ると、吹き出しでビュッと喋った内容が頭上に浮かぶ。
それを合図とばかりに闇へと続く滑り台を滑り落ちていった。
数秒だろうか、暗闇の中を滑り続けやがてレールは消滅する。ふわり、と浮遊感を感じたかと思うと見た事のある地形のダンジョンの中に降り立っていた。
「ン……」
思わず声が漏れる。ヘルダンジョンのはずなのに、何度も経験したことのある通常ダンジョンと遜色がなかったため、肩透かしを食らったためである。
落ち着かなかったものの、先ほどまで詠唱の練習を続けファイアボールだけはスクロール無しで出来るようにしてきたのだが、精霊種もいないだろうココでは特に必要もなさそうであった。
構造は地下洞窟系、道幅も広く明かりも十分にある。壁も地面も硬く、罠などの類もなさそうであった。
もしかすると、初プレイでヘルダンジョン完全攻略が出来てしまったりしてな、とそんな思いすら浮かび上がっていた。
「敵も普通、か?」
うねうねと動くソレはスライム。速度も、色も全てが普通。
まだアイテムが何もない為、直接接触しないようスルーする。無駄に体力を減らす必要はどこにもないのだ。
すると、すぐさま物干し竿をみつける俺である。
「物干し率たけぇなおい」
思わず声に出して突っ込んでしまうが、いくら幅が広いといっても振り回すには不利な地形である。
だがしかし、刺突(仮)としては十分に使えるので装備すると、先ほど遭遇したスライムの位置まで戻った。
戦闘の結果、一方的に倒すことができドロップ品は無しという内容で終わった。
こりゃいよいよ三時間コースか? そんな思いが脳裏に浮かぶが、次の瞬間背中に激痛が走った。
「ぐっ」
思わず振り返りざまに物干し竿を回転させながら構えて見せる。アニメなどのキャラの動きを参考にした、ソレッぽい棒術だったのだが今はその動作が幸いした。
背中に牙を突き刺したソレは警戒して一定の距離をとるよう離れていった。
「蝙蝠系、に噛まれた? いや、でも……」
体力は8と、2程減っている。
攻撃を受けたのだからわかる。
背中に攻撃を受け、エフェクトが浮かび背後からの攻撃を受けたという事も、わかる。
当然、背中に攻撃をうけたのだから背中が痛むのは……。
「ありえない」
デバイスの制御配下は視界、手・足への触感、手への重量感、そして腰へのサポート。
そして空調による空気感が主になる。
決して痛みを伴う仕組みはどこにも無い。
勿論、視覚や空気感だけでスピード感などの再現が出来、脳がそれらを処理して想像を絶する体験をすることが出来るのがVRだ。
だからこそ、没入感が凄いVRは受けるのだ。
ああ、何冷静に思い返しているんだ。これは『異常』である。
まさか、ログアウトが出来ないなんてそんな事無いよな? と恐る恐る指をピンアウトするとウインドの中にはしっかりとログアウトの文字が浮かんでいた。
ここは早々にログアウトしようとするが、ふと目の前にいる『痛みを与えてくる』蝙蝠が気になった。仕様はわからないが、何かレアドロップの示唆ではないかというゲーマー魂が俺の体を動かしていた。
「ぅ、、、、はぁっ!」
物干し竿をアイテムボックスへ格納するとダダダッ、と両手でデバイス周辺にある枠を掴み全力で駆けていた。補助具を使いこなすのも重要な要素である。
両手でスーパーの袋でも持っているような不自然な姿のまま移動を開始すると、蝙蝠の目の前に到達した瞬間アイテムを装備して連撃を放つ。
手ごたえあり、と思ったと同時に蝙蝠の姿は霧散して消え去っていた。
「お、おぉ……」
ドロップ品は蝙蝠の牙、となっていたがどういう事か手に持ってもアイテムの詳細が表示されなかった。
『こんばんは。明日暇?』
何とかアイテム詳細が出ないかと持ち方を変えたり探っていたら、サクラから突然そんなメッセージが届いていた。ヘルダンジョンに潜ってからまだ数分しか経っていないはずなのに、リアル時計が午後の10時を記していた。
スライムとの戦闘してた時、確かまだ19時にもなってなかった、そう記憶している。
軽く混乱しながらも、遊びの誘い文句に俺は勿論忙しいよ、と返信した。
『本当?』
『勿論、ゲームでな!』
『……』
わざわざ……をメッセージで流してこなくてもええやん。
『難波に噂のクレープ屋が来るらしいから、明日10時にグラン華月前に集合ね!』
『ワカラナクネ?』
思わず素で返信してしまった。いきなりオフ会をご所望ですか、このサクラさんは。
いや、そもそも難波なんて滅多に行かないよ俺?
それにクレープとか、何年食ってないだろう。
いや、そこじゃない。確かにゲームのパートナーとして頑張ろうって意気込んだよ?
でも、変なオジサンと二人でオフとか御免被るし、名前どころか連絡先も何もかもを知らなさすぎる。
ゲーム内で出会った翌日リアルで会いました、とか犯罪臭しかしない。
『あっ、ごめん。新しい番号ここで伝えとくね』
完全に女性らしきその言葉と妙に本物くさい番号がメッセージで届いてしまった。
『絶対だよ、明日来なかったらもうこのゲームしないからね!』
『ちょ、おま』
何という脅し方だ。サクラのような人材こそ、俺の相棒に欲しかったタイプなのだ。
この際、中身がネカマだろうが何だろうが行ってやろうじゃないか。
だが万が一があってはシャレにならないため、しっかりと対策を練りあげておくこととする。
一つ、人通りの多い場所での集合なので身の危険を感じたら即退散。こちらを知らないので、向こうだって探しきれないだろう。
一つ、知人へ行き先をさりげなく伝えておく。後はスマホのGPSを活性化させ、音声入力をONにする。
これでいつでも危険が迫った場合は拡散、そして110番というスムーズなガードを実現させる。
……まぁ、よっぽどのことが無い限りは逆に俺の方が危険人物になるか。
運動神経もそこそこだが、この日の為に筋トレを欠かさずやってきた為握力なんかは80kgを既に超えている。なので心配するならば相手の方かもな。
そう、自信家の俺は思考の軌道修正をするとパソコンで難波、と検索する。
「うわぁ……」
唖然とする。何故改札口が何個もあるのだろうか。いや、何ていうダンジョンなんですかここはぉぃぉぃ。
グラン華月への道順を探していると、ぼふんと謎の重量感が頭の上にのっかる。
『まさか、リアルにもモンスターかっ!?』
「へぇ、グラン華月いくんだぁ」
「って綾さんいきなり何ですかっ!?」
たった一日でイベントに慣れてしまう自分が恐ろしい。
どいてください、と言うと頭の上から重量感が消え去った。
「何してるんですか? そもそも、どうやって入って来たんですか」
「やーね、合い鍵貰ったのよ? いいじゃん、それくらい」
「って酒臭っ、また飲んだんですか!?」
「だっーって、部屋の中に知らない男の子の服やバスタオルがあったりー? 上の階の部屋の鍵があったらー、飲みたくもなるでしょー?」
「知りませんよっ! ってか返してください」
「ほれ、ここにあるわよーホホホホホ」
胸の谷間に挟んで見せる鍵を俺は容赦なく抜き取った。
ついでに握力に任せて掴んでやった。
「イダダダダダダ、ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ」
「本当、本気で謝ってくださいよ」
「うぅ、私の初めてがこんなのなんて……グスン」
あれ、やりすぎたか?
「グスン、グラン華月に行くのならこのチケットあげるわよ」
「ン……?」
財布から取り出したチケットを受け取ると、そこには。
「たこ焼きチケットて、華月の劇をタダで見れるのかと一瞬期待してしまったじゃないか」
「このたこ焼き、めちゃくちゃ美味しいんよぉ? 甘くて、スイーツで」
「……やだなオイ」
「それはそうと、この道を通って、こういくのがおススメよ」
画面上に表示していた地図に指をはわしてコースを教えてくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして。明日はデートかぁ、羨ましいなーお姉さんにもその青春の一粒わけてほしーなぁ!」
再び胸をわしづかみにしてやると、再び平謝りしながら部屋から逃げ去っていった。
「本当に、何なんですかあの人は……って鍵がねぇし!」
どうやら、失恋した暴走女は今後も俺をからかいに来る気のようだ。
合法胸掴に密かに感謝しつつ、サクラをパートナーとして確定させるべく意気込む俺であった。