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工作活動は遥か未来で  作者: せきれい梶蚊
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第1章 第3節

翌日。

 講義を終えた羽悠真はゆま零士れいじは、珍しく大学に残っていた。

「ありがとう零士。本当に助かる」

「どういたしまして。とは言っても、部長の許可は必要かもだけど」

 二人は講義棟から道路一つ隔てた工学部棟に来ていた。アルバイトが非番のため、放課後の予定が特になかった羽悠真は、零士の所属する部室の一角を借りることにした。

「ダメだったらその時また考えるよ」

 エレベーターに乗り込むと、零士は地下一階のボタンを押す。次に扉が開いた時、そこは窓ガラスがないことを除けば、地上階と変わらない造りのフロアだった。

 廊下を進み、とある部屋に案内される。講義棟の教室と同じくらいの広さ。机が二つずつのペアで置いてあり、全部で10個のグループができていた。設備は薄型コンピュータと3Dプリンター、それに解析用のスキャナーが各グループごとに一つずつ置いてある。

「さすが情報処理部の部室だよ。ハードウェアを見る限りでは、作業するのに充分だ」

「それは良かった。勿論、ソフトウェアもそれに見合うだけのものを揃えてあるからね」

「ソフトはあまり詳しくないけど、零士がそう言うんだったら安心できるよ」

 羽悠真は手近な机に荷物を置くと、そのまま席に座る。零士は携帯端末を取り出して電話をかける。しかし、ほんの数秒で通話を切って端末を仕舞った。

「ごめんね、部長に確認を取れなかったよ。ちょっと探してくるね」

「分かった。ここで待ってるよ」

 零士は入って来た扉の向かい側の扉から部屋の外に出た。その扉はセキュリティチェックが必要で、すぐ横の壁に指紋認証用の機器が取り付けてある。大学の、それも部活動用の部屋なのに管理はしっかりしていた。

 羽悠真が部の設備に驚いていると、突然、近くの入口が開いた。そこにいたのは、学年で一番の美人と評される橘朱音たちばなあかねその人だった。

 艶のある黒髪は肩にかかる辺りで切り揃えている。長い睫毛で二重瞼、整った顔立ちに服装越しでもわかるスタイルの良さ。大学に通わずに芸能界で仕事をしたなら、番組の華として引っ張りだこに違いない。

「え? どうして、ここにいるの?」

 彼に気付いた朱音は、目を丸くして尋ねる。けれど、羽悠真は口を開くことができなかった。思考が現実に追いつかず、情報が頭の中で渋滞を起こしていた。

「あのー、聞いてる?」

「……あ、えっと、すみません」

 羽悠真は咄嗟に謝ってしまう。相手が同級生だと分かっていて彼が敬語を使うのは、公の場を除けば珍しい事だった。彼女が醸し出すオーラや気品は、無意識のうちに羽悠真に壁を感じさせていたのだ。

「ごめんね。驚かすつもりはなかったんだけど、確か、同級生だよね?」

 そう言って、朱音は優しく微笑んだ。けれども、そう易々と気持ちの整理がつくものではない。むしろ、その台詞が彼女の品の良さを物語っている。事実、羽悠真の中で朱音への評価が上がり、まるで次元の違う存在であるかのような位置まで上り詰めていた。

「……はい、そうですけど」

 緊張がほぐれない。眉目秀麗で人当たりの良い性格。同性の友人でさえ数えるほどしかいないのに、久しぶりに話した同世代の女性がこんな素敵な人とは思ってもみなかった。一般的な男性であれば喜びのあまり小躍りしそうなくらいだ。しかし、羽悠真にとっては少々荷が重すぎた。 

「その、僕のことを知っているのですか?」

 恐る恐る尋ねる。片や男女問わず人気のある大学内で指折りの美女。片や知る人を探す方が困難な冴えない男子学生。常識的に考えれば、彼女の方から接点を持ってくることなど考えられなかった。

「うん。君のことは、零士君から聞いているよ」

 突然出てきた親友の名前に羽悠真は困惑の表情を浮かべる。

「私も情報処理部の部員だから」

「そうなんですか」

 納得しかけて、この前の勧誘の場面が思い返される。確か昨日も上級生に囲まれていたはずだ。

「もう部活に入っているんですか?」

「そうなの。この部の先輩と縁があってね」

 入部しているのなら、それを理由に断ればいいはずだ。しかし、羽悠真が見た限りではそんな様子はなかった。何か他に理由があるのだろうか。羽悠真は頭を悩ませる。

「それで、どうしてここに? 零士君を待っているの?」

 今度は朱音の方から質問する。心の準備ができていなかった羽悠真は、答えるのに少し時間を要した。

「え? ええ、まあ。この部屋を使わせてもらえるかどうか、部長に確認しに行きました」

「そうなんだ。なら使っていいと思うよ」

 羽悠真は耳を疑った。零士はそんなことを一言も話していない。

「え、でも、まだ許可をもらっていませんし」

「事後承諾で大丈夫だよ。ダメそうなら私が口添えしてあげるから。ね?」

 朱音は人差し指を自分の唇に当てながら片目を瞑ってみせる。ドラマや映画でもほとんど見ない仕草ではあるが、彼女がすると桁違いの魅力と破壊力があった。具体的に言えば、羽悠真は朱音に見蕩れたまま微動だにしない。

「もしもーし、大丈夫?」

 羽悠真の目の前で朱音が手を上下に動かす。そのおかげで彼は現実世界に舞い戻ることができた。

「は、はい! 大丈夫、です……」

 我に返った羽悠真は、声を尻すぼみにしながら目を泳がせる。朱音を直視するなどできるはずもない。

 しばらく無言が続く。しかし、朱音の不思議そうな視線に耐えかねて、羽悠真の方から口を開いた。

「……では、橘さんの言う通りに、使わせてもらいます」

「どうぞ。それと、私のことは朱音でいいよ」

「え、でも」

「私も羽悠真君って呼ぶから」

 有無を言わせずに心の距離を縮めてくる。

「……分かりました。あ、朱音さん」

 名前で呼ぶのはやはり気恥ずかしかった。異性と親しく話したことは、自分の母親を除き、一度も経験がない。頭では男性でも女性でも所詮は同じ人間だと言い聞かせることはできる。しかし、実際に話してみると思った通りにいかない。

 羽悠真は手荷物から解析したい機器を取り出して、スキャナーの前に置く。すると、朱音がその機械に興味を持った。

「それは何なの?」

「分からないです。今からそれを調べようと」

 スキャナーを起動させながら羽悠真は答える。机には両手に収まるサイズでダークグレーの機械が二つ。円筒状のが一つ。桜の花びらをしたものが一つ。

「ということは購入した訳じゃないってこと?」

「うーん、偶然見つけた感じです」

 羽悠真は言葉を選んで答える。嘘にならないように、されど痛いところを衝かれないよう慎重に。どちらかと言えば、後ろめたい方法で手に入れたものだった。

 朱音は机上の機器をじっと見つめていた。しばらく眺めていたと思うと、部屋の戸棚に向かい、何かを取り出して羽悠真の元へ持ってきた。

「ねえ、羽悠真君はこういうものに興味ない?」

 彼女の手にあるのは人の頭より少し大きめの機器。羽悠真の良く知るヘッドホンだった。耳をすっぽり覆うほどのイヤパッドを、柔軟性の優れたヘッドバンドが繋いでいる。彼が普段愛用しているものと細部は異なっており、市販品では高級な部類に入る丈夫で機能性の優れた仕様になっていた。

 だがこの頭部を跨ぐような形状こそ、ヘッドホンが時代の波に流されずに生き残っている理由だ。

「これ、どこで手に入れたものですか?」

 渡されたヘッドホンを食い入るように見つめ、されども割れ物を扱うように慎重に触っている。朱音の存在を忘れて手の中の物に夢中になっていた。

「これはね、うちの部で作ったものなんだけど、せっかくだし試してみる?」

「はい、是非お願いします!」

 即答だった。

 朱音は微笑みながら、羽悠真がヘッドホンを着けるのを手伝っている。彼は知る由もなかったが、彼の顔は無意識の内に輝いていた。

 羽悠真は自分の携帯端末を操作し、音楽アプリを起動。楽曲を選択し再生ボタンにタッチする。楽曲情報は無線を通じてヘッドホンに伝わる。聞こえてくる音に神経を集中。微かに感じる心臓の鼓動と曲が流れるまでの無音の時間が気持ちを高揚させる。そして、

「……流れてきませんけど」

 いつまでも無音だった。困惑した羽悠真は朱音を見るが、彼女の方は困惑に加えて驚愕の表情を浮かべていた。

「嘘でしょ……」

 朱音は取り外したヘッドホンをあらゆる角度から眺めたり、叩いてみたり、自分の端末を開いてインターネットで検索を始めたりと、とにかく必死になっていた。

 すると、部屋の向かい側の扉が開いた。

「橘さん、一体どうしたのですか?」

 扉から入って来たのは零士だった。訝しげに彼女を見ながらこちらに歩いてくる。

「ちょうど良かった。零士君、これ見てくれない? 上手くいかないんだけど」

 朱音は手に持っていたヘッドホンを零士に渡す。受け取った零士は、しかしヘッドホンを調べることはしなかった。

「橘さん。これを使おうとした理由を教えてください」

 語気を強めて尋ねる黎二。温和な彼が珍しく憤っている。羽悠真は内心驚いていた。

「勝手に持ち出してごめんなさい。でも、理由くらいは察してほしいかな」

 言われた零士は朱音と羽悠真は交互に見つめ、次に机の上を確認する。

「え!? どういうこと?」

「私が訊きたいんだけど」

「まず何の話をしているの?」

 黎二、朱音、羽悠真が三者三様に疑問を口にする。沈黙の空気が部屋を満たした。

 口火を切ったのは朱音だった。 

「零士君。確認だけど、君の友人が何をするつもりだったのか知らなかった、という事でいいのね?」

「うん、本当に何も知らなかったんだ」

 羽悠真は見てしまった。零士が朱音の問いかけに肯定した時、彼女の口角が微かに上がったのを。

「なるほど。そうなると、次は君の番だけど」

 朱音に視線を向けられて、羽悠真は無意識の内に身構えてしまった。彼女の眼に、獅子が獲物に狙いを定めたときの眼と同じものを感じたのだ。

「君は一体、何者なの?」

 朱音は目を細め不敵に笑ってみせる。彼女の周囲にはダークグレーの物体が五つ、宙に浮かんでいた。羽悠真が机に置いたものと同じ、桜の形状をした正体不明の機器だった。

 羽悠真は横目で机を確認する。案の定、桜の花弁を模った機器はどこにもなかった。状況を鑑みれば、朱音の周りで飛んでいるものの一つが、今日、羽悠真の持ってきた機器という可能性は高い。そして、彼がその機器を手に入れた経緯に、昨日の停電中に遭遇した出来事が深く関わっていた。

「ふ、普通の大学生ですよ?」

 羽悠真はそう答えるが朱音の追及は止まらなかった。

「本当にそう思ってるの?」

「え? はい、そうですけど?」

 そこを突っ込まれるとは思っておらず、驚きを覚えた羽悠真は返答にまごついてしまった。

「そう。でも、私にはそう見えないの」

 嘘を言っているつもりは微塵もない。けれども、朱音は信用していない。そのことが羽悠真には不可解だった。

 朱音が羽悠真の顔を覗き込んでくる。彼女の周りを浮かんでいた花びら型の機器も、彼の全身を舐め回すように飛んでいる。

「羽悠真君、他人の気持ちを考えたことある?」

「え?」

「気持ちが読めないと怖いし不安じゃない?」

「……読めるんですか?」

 朱音がまた不敵に微笑む。それは僅かな時間の話で、すぐに表情を元に戻した。しかし、彼女の笑みは羽悠真の脳裏にしっかりと刻み込まれてしまった。

「君、友達少ないでしょ?」

 朱音は彼に答えず、逆に質問で返してきた。

「いない訳じゃ」

「そう、それは良かったね」

 羽悠真は口を開けたまま呆然としていた。今のやり取りからは強烈な既視感を覚える。そう、昨日遭遇した女性にも似たようなことを言われたのだ。

「でも、その友人は相当なお人好し。残酷なことをしてるって分かっていないのでしょうね」

 朱音に横目で見られて、零士は苦笑いしている。

「さっきの質問に答えてあげる」

 朱音にそう言われて、羽悠真は彼女をじっと見つめる。

「気持ちを読むのは当たり前。それが分からない君は、異常だから」

 羽悠真は呆然とするしかなかった。そこへ朱音の台詞がさらに追い打ちをかける。

「それだけじゃない。君の感情や考えていることを他の人が読もうとすると、その前にシャットアウトされてしまう。友人が少ないことにコンプレックスがあるようだけど、それだと皆、怖がって近寄ってこないよ」

「……嘘だろ」

 信じられなかった。二十三世紀の科学技術なら可能だろう。しかし、そんな話は生まれて一度たりとも目にしたことも耳にしたこともなかった。

 朱音は覗き込むのを止めた。近くの椅子に腰かけると話を続ける。

「先進国では常識。『電子念話テレパス』って言うんだけど、聞いたことはない?」

 羽悠真は黙って首を横に振る。

「そう。なら少しだけ教えてあげる」

 羽悠真も椅子に座る。

「私たちは言葉を介さずに意思疎通ができる。昔の著作物にはテレパシーっていう概念があったけど、それは分かる?」

「分からないです」

「まあいいや。それについては後で調べてもらうとして、つまりは互いの脳でダイレクトに会話できるってこと。思い出してみて。君の周りで他の人のプライベートな話、聞いたことある?」

「そういえば、ない、です」

 聞いたことがあるのは、挨拶と店や部活動の勧誘、それと政治家の公式声明だけだった。私的な会話を聞いた記憶はない。羽悠真が社交的な性格であれば早い段階で気付けたかもしれない。しかし、どちらかと言えば内気な彼は、自分から話すタイプではなかった。結果としてそれが、今日まで彼が異常であることを気付かせなかった。

「君の場合、電子念話で話しかけても通じない。アンド君の感情を読み取ることができない。加えて声でコミュニケーションをとるから、友人同士の会話が第三者にも聞こえてしまう。普通の人から見たら、君は近寄りがたい存在だよね」

「それは、そうですけど……」

 言っていることは分かる。今までの自分を鑑みれば辻褄は合っている。けれど、どうしても実感が湧かない。そんな釈然としない気持ちを抱えたまま、羽悠真はふと朱音と黎二が何やら話をしている様子なのに気付いた。

(例の電子念話なのか?)

 朱音が笑みを浮かべながら人差し指を立てる。対する零士は首を横に振る。すると朱音は両手を上げながら首をすくませて、呆れた表情になる。零士は目を細めてじーっと彼女を見つめる。が、驚いたように身体が一瞬だけ震えたかと思うと、半笑いのまま顔を凍り付かせた。よくよく観察してみると上体が若干後ろに遠のいている。

(形勢逆転した?)

 朱音が満面の笑みで首を微かに傾ける。零士は目を逸らすと申し訳なさそうに羽悠真の方を見る。二人の間で何があったのか羽悠真には分からなかったが、朱音にとって良い方向に話がまとまったことだけは察することができた。そして、それが恐らく自分にとって良くないことであることも。

「ねえ、君」

「はい」

 朱音に呼ばれて答える羽悠真。

「昨日の夜のことは覚えているよね?」

「!?」

 桜の花弁を模った機器を手足のように操っているのを見て、もしかしたらと思っていた。無関係の可能性もあったのだが、今の発言で朱音と昨夜の女性は同一人物だという考えに至る。

「でも声が」

「声を変えるくらいするよ。何が原因で正体がバレるか分からないからね」

 電子念話の技術に比べれば、声を変える機器、つまりヴォイスチェンジャーは何世紀も前の技術で実現されている。問題はそこではない。

(昨日の女性が朱音さんってことは、秘密にしなきゃいけない活動をしているわけで、でも僕や零士に正体を明かした? ここは情報処理部だし、大学構内でもあるし、正体明かしてはダメなんじゃ……。そもそも昨日は関わらせたくないような発言をしていたような……)

 状況を整理しようとしても謎が謎を呼び、頭の中で堂々巡りを繰り返す。

「好奇心は猫も殺す」

 朱音の一言に羽悠真は我に返る。

「君は勘違いをしているね。方法は知らないけど、私からこれをこっそり盗った。その償いをしてもらおうって話だよ」

 朱音の手の平の上を花びら型の機械が飛んでいる。それを指差しながら彼女はにっこりと微笑んでいる。一点を中心に球を描くように飛んでいる様は、さながら蜂を連想させた。

「その償いっていうのは?」

「私の協力者になること。異論反論その他諸々は認めないから」

「その他諸々っていうのは?」

「その他諸々。私の裁定次第ってところかな」

「えぇ……」

 選択の余地などない。好奇心と悔しさに負けた昨日の自分が恨めしくなる。けれどもそれは後の祭りだ。腹を括るしかない。

「……分かりました。僕にできる範囲で力になります。ただ」

「ただ?」

「正直なところ、あまり役に立たないかと」

 羽悠真の視線が床に向けられる。そこに何かあるわけではなく、単に気持ちの問題だった。

「心配しないで」

 朱音の優しい声音に羽悠真は思わず顔を上げる。

「危なくなったら私が守ってあげる」

 今日一番の魅力的な笑顔は、羽悠真の心を奪っていった。まるで満開の桜のように。

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