序章
サークルで書いていた作品の大幅リメイクとなっています。定期的に投稿できるよう頑張ります。書き終えたら、再び『偽りのスタンダード』に戻ると思います。
初めての体験に違いなかった。
こんなにも頭が冴え渡ることはない。こんなにも自分を客観視することはない。こんなにも詳細な記憶を思い出すことはない。そして、こんなにも無自覚な幸福に満たされることはない。
彼の眼前には、悲劇と絶望が広がっていた。けれども、その瞳は彼のかけがえのない思い出を映し出していた。彼の全身は、筋肉や器官、臓器が揃って悲鳴を上げていた。だが、その感覚は、心地良さと懐かしさが痛みや苦しみを上塗りしていた。
何かきっかけはあったはずだ。そしてそれは、とても重要なことなのだと分かっている。そうと分かっていて、それでもなお、彼はそれを考えることも思い出すこともしない。脳がそれを許しはしない。
彼の意識は既に現実を離れ、己が描く想像の世界に足を踏み入れている。
無数の映像が彼を取り囲む。その一つ一つが彼の記憶。生まれた時から今現在まで紡がれてきた彼の物語。普段の生活では思い出すことすら困難な思い出も、この世界では鮮明に映し出される。
(懐かしいな……)
彼は手を伸ばし、とある映像にそっと触れる。その触れられた記憶こそ、事の発端であり彼がこうなった最初のきっかけ。
(ここから始まったんだよな)
恨みや憎しみはない。負の感情は一切湧いてこない。あるのは量り切れないほどの懐古と感謝の気持ち。そして、何より大切な人への溢れんばかりの思い。
(君にまだ、一度も伝えてなかったな)
その人が目の前に映し出される。その頬を指で優しく撫でると、気持ちがもっと軽くなる。輝かしい日常が愛おしく感じられた。