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「そんなに緊張しないで、といっても無理かな」
馬車の中、向かいの席でアルファドが苦笑した。
はい、無理です――ミオンは笑みを返す余裕も無い。乗り込んでからずっと、俯いている。伯爵家の馬車は床も凝っているんだということがよくわかった。しかし細かい模様なので、いつまでも見ていると酔いそうだ。
「……その体制、つらくない?」
「大丈夫です……」
乗り物酔いよりも、大して親しくもない、かといって無視も出来ない人たちと狭い空間を分け合うことの方が、息が詰まりそうで辛い。出来れば窓を開けたいが、馬車全体が豪華すぎて、触るのがためらわれる。席の上でも出来るだけ触れる面積を減らそうと、身体を縮こまらせているくらいだ。たまに馬車が揺れると、席の上に倒れ込みそうになるのが困る。早く到着して欲しいと、切に願うばかりだ。
「無理矢理連れ出したことは謝るよ。でも、ミオンにも見せたいと思ってね」
「見せたい?」
ミオンが顔を上げたので、アルファドは嬉しそうに微笑んだ。
「ミオンが考えた押し花のカードができあがったんだよ」
「押し花の、カード……?」
ミオンが作ったのは、しわくちゃで、ゴミにしか見えなかった紙くずだった。ジュスローはそれを持って、ヤーベイン伯爵家に相談に行き、伯爵家では興味をそそられたようだ、というところまで聞いていた。売り物になるかどうかは、わからないと言われてがっかりしたのだが。
「あれが、カードに、なったんですか?」
期待に、声が大きくなる。アルファドは頷いた。
「うん。ジュスロー先生から見せられたとき、僕では何とも言えなかったんだけど、父がとても興味を持ってね、すぐに職人を探して作らせたんだ。試作品が思った以上に良かったから、そのまま進めてもらって、ようやく昨日、完成品ができあがったそうなんだよ」
しかしその連絡がアルファドの元に届いたのは今朝のことだった。日を改めるわけにも行かないので、アルファドは慌てて馬車を出したというわけだった。
「僕としては考案者のミオンにも一緒に見てもらった方がいいと思ってね。いきなり連れ出すことになってしまって、ごめんね?」
ふるふると、ミオンは首を振った。事後報告で構わないのに、わざわざ一緒に見ようと誘ってくれるなんて、感謝してもし足りない。アルファド様バンザイ。先ほどまでの息苦しさは嘘のように消え去った。
「見てみたいです! ありがとうございます!」
立ち上がってお辞儀をしようとして、アルファドに止められた。そういえば、ここは馬車の中だった。よろけて恩人に体当たりなんて、したくない。
「それならよかった。依頼した職人からはいい知らせが来ているから、僕たちも楽しみなんだよ」
なあ、とアルファドは隣の席に水を向ける。
それまでじっと黙り込んでいたエルは、無表情のまま頷いた。
「あの紙屑がどこまですごいものになったのか、見ものだな」
「エル……」
アルファドは盛大なため息をついた。申し訳なさそうな視線を向けられて、ミオンは「気にしてません」と必死に笑顔を返した。とりあえずエルのことは、いい人だと思ったけどそうでもないと、心の中の評価を修正しておく。逆にアルファドは急上昇中だ。
(そりゃあ、わたしもあれはちょっと……かなり、酷いと思ったけど!)
「あ、そうだ、ミオンは。好きなお茶とかあるかな?」
アルファドの苦労も虚しく、微妙な空気は最後まで取り払われずに、馬車はヤーベイン伯爵家へと到着した。
「…………」
馬車を降りると、別世界が広がっていた。
広場かと思ったら、庭だと言われた。ようこそとお辞儀をする男性の後ろには、大きなお屋敷がどーんと立っている。玄関だけでも自分の家がすっぽり入りそうだ。
(お隣の家が無いっ!)
家と家がひしめく下町の光景とはかけ離れた『家』の姿に、ぽかんと口を開けて立ち尽くしてしまう庶民のミオンだった。
「ミオン? 行くよ?」
アルファドに促されて、ミオンはぎくしゃくと足を動かした。中に入ればまた見たことの無い世界が広がっていて、どこをどう歩いたのかもわからないうちにソファに座らされていた。
(ふわふわだ……)
布張りの柔らかい感触に感動していると、いい匂いがした。メイドが三人、立て続けに入ってきてティーセットとお菓子の載った皿ををテーブルの上に広げていく。もちろん、クリームたっぷりのケーキもあった。久々の再会に胸が熱くなる。
「今、職人を呼んでいるから、先にお茶でも飲んでゆっくりして。お菓子は何が好きなのかわからなかったから、適当に用意させたんだけど、どうかな」
どうもなにも、全部口にしたことがない。クリームのケーキも気になるが、可愛らしい形のクッキーも気になる。ミオンは真剣に悩んだ。どれか一つなんて、選べない。
「……全部食べていいんだぞ?」
「えっ!」
顔を上げると、腕組みしていたエルと目が合った。いつのまにか帽子を外している。綺麗な金髪だった。よくわからなかった顔だちも、改めて見ると整っている。仏頂面なのは、声の通りだったが。
「顔に書いてある」
「えっ!」
慌てて鏡を探すと、エルは、ふっと口元を緩めた。
(だ、騙された!)
よく考えなくても顔に文字が浮かぶわけはないのだが、無性に腹が立った。どう言いかえしてやろうか考えている間に、エルは腰を浮かしてテーブルに手を伸ばした。
「決められないなら、全部食べてみればいいだろ」
言いながら、テーブルの上の菓子をひょいひょいとつまんでミオンの皿の上にのせていく。クリームのケーキは、見かねたメイドが端をナイフで切って乗せてくれた。
「……」
ミオンの皿の上には、あっという間に楽園が作られた。お菓子の山という楽園。しかも、全部食べてもいいという楽園。
「気に入ったらお土産に持って帰るといいよ。あ、ここにあるのは全部食べても大丈夫だからね」
アルファドにも言われて、ミオンを止めるものは無くなった。楽園の攻略開始だ。
(あ、どれがどの味だったのか覚えておかないと)
クッキーにマフィンにメレンゲにと、一つ食べる度に声を上げるミオンに、アルファドが説明してくれるのも楽しかった。詳しすぎるとエルに指摘されると、妹につきあわされて、と照れる様子も面白い。
(そういえば……セオラリアとアリーゼの会話シーンはいつもお菓子だらけだった)
皿の上の楽園の半分を胃に収めた頃、ノックの音がした。
「アルファド様、スナーグが参りました」
「通してくれ」
「かしこまりました――中へ」
案内されて入ってきたのは、猫背気味の中年の男だった。紙包みを大事そうに抱えて、一礼する。緊張でがちがちになっていたが、一目で場違いとわかるミオンを見つけると、きょとんとした顔になった。
アルファドは立ち上がって男を迎えた。
「今日はわざわざ来てくれてありがとう。みんな楽しみにしていたんです。テーブルの上は一杯だから、向こうのテーブルの上に置いて見せてくれますか?」
アルファドの指示で、メイドが部屋の隅にあった小さなテーブルを持ってきた。スナーグは畏まってお辞儀をすると、紙包みをテーブルの上に置く。
(いよいよだ……!)
「――おい」
がさがさと包みを開く様子を見ていると、肩をつつかれた。見れば、エルが横に立っている。
「そこからじゃ見えないだろう」
「あ、はい」
促されて、ミオンはエルの後ろからテーブルに近づいた。怪訝そうなスナーグに、アルファドが紹介する。
「スナーグ、以前に話した考案者のミオンです」
「はじめまして」
ミオンはぴょこんとお辞儀をした。驚きすぎて、スナーグの声がかすれる。
「え、この、お嬢ちゃんが……?」
「そうなんです。でも、ここまでの品になったのはスナーグの力です。貴方に頼んで良かった」
「いや、そんな、滅相もない」
アルファドの賛辞に機嫌を良くしたスナーグは、ミオンを手招きした。
「ミオン、だっけか。ほら、よく見てくれよ」
「はい!――わあ!」
テーブルの上に乗っていたのは、数枚のカードだ。大きさはバラバラで、色合いも少しずつ異なる。日に焼けてしまったような印象はぬぐえないが、ミオンが作ったものとは違い、味わい深いできあがりだ。そして、一番重要な点は、どのカードにも押し花が描かれたように綺麗に配置されていることだ。
(そう、これこれ!)
過去のミオンの記憶がはしゃいでいる。その記憶をこうして現実に引き出せたことに、ミオンは感動していた。
「すごい! 綺麗!」
「絵と間違えそうだ。触っても?」
「どうぞ。こっちは、ご依頼のとおり、部分的に蝋を引いたものです」
スナーグがさらに出してきたのは便せんで、下の一部分が蝋引きされている。蝋が引かれていない上の部分には、普通に字が書き込めるということだった。
「これもいいですね。しかし、折りたたむことが出来ないんじゃないでしょうか」
「ですから、折るときにはちょっと工夫が要りまして、こういう感じで」
スナーグは蝋が引かれている部分を旨く避けて折って見せた。
「なるほど。それなら使えそうですね」
「折り方がわかるようにしないとダメだな。何か印を付けるとか」
「そうですね。その辺りはもう少し考えてみます」
新たな課題と、スナーグは受け取った。引き締まった表情が頼もしく見える。よろしくと、アルファドも頷く。
「では、同じものでいいので、今度は三十枚ほど、頼めますか? 父にも話して、友人に配ってみようと思います。反応が良ければ、本腰を入れて依頼するので、今しばらくは内密にお願いします」
「それはもう。こちらこそ、ぜひに」
早速作成に取りかかると、スナーグは深々とお辞儀をして退室していった。扉が閉まると、アルファドがこちらを向いた。
「ミオン、良ければ好きなのを一つ持って帰っていいよ?」
「えっ、いいんですか?」
嬉しい申し出だったが、簡単に頷いていいものかどうか。内密にしてくれと、スナーグに言っていたことも気にかかる。
「遠慮は要らないよ。君の手柄だしね。でもしばらくは友達に見せびらかすのは、なしにしておいてね?」
「わかりました」
そういうことならと、ミオンはピンク色の小花が散っているカードを選んだ。ルザリア院一番高値が付く花である。
「それからもう一つ」
アルファドに促されて、ミオンは席に戻った。エルも、元の位置に納まる。
「食べながらでいいからね。今のカードだけど、うまくいったらかなりの利益が出ると思うんだ」
「じゃあ、ルザリア院も花が売れなくても大丈夫ですか?」
「そうだね……君の言うとおり、優先的に院の押し花を使うことを契約条件に含めよう」
「はい! ありがとうございます」
これで花が売れなくても大丈夫だ。むしろ、あの花屋に花を売らなくてもいい。きっと悔しがるだろうと思うと、クッキーもさらに美味しく感じられるというものだ。
「礼を言うのはこちらの方だよ。というわけで、ミオン、これはヤーベイン伯爵家からの謝意の一つとしてなんだけど、上の学校に進んでみないかい?」
「上の……?」
花屋が悔しがるところを想像して含み笑いをしていたミオンは、急いで真面目な顔を作った。アルファドは気づかなかったようだが、エルが微妙な表情で顔を背けたのが気になる。
「そう。お兄さんも通っている、王立学院に。君みたいなことを考えられる子が上の学校に進んだら、もっとすごいことが出来ると思うんだ」
もちろん、全面的に伯爵家が応援するよと、アルファドは請け負った。
「えーと……」
どこかで、みぃ、と子猫が鳴いたような気がした。
遅くなりました-!
本日もありがとうございます。
ようやく次から子猫捜索編になる、はず……