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ルルバの店に、ルルバが戻ってきた。
あるべき場所にあるべき人がいるだけで、店の様子が全く違う。小太りの、笑うとえくぼができるのだけが特徴の、どこにでもいる小母さんなのに、店のドアを開ける人が間違いなく増えている。リンスベルに言わせると、「客足が戻っただけ」だそうだ。自分の言葉に深く傷ついたリンスベルをミオンが慰めたのは、また別の話である。
「ミオンちゃん、今日は一緒にいこうか」
本日はルルバの店の手伝い日だ。いつもどおりに店に行くと、ルルバは出かける支度を済ませて待っていた。お気に入りのクリーム色のスカーフを頭に巻いて、リンスベルから贈られたという布製の古い肩掛け鞄を提げている。市場に茶葉を仕入れの行くときはいつもこの格好だ。そして普段はミオンは留守番役だった。
「市場に行くんですか? わたしも一緒に?」
「そうよ。ミオンちゃんが探してるものがあったみたいよ」
見たいでしょ?――茶目っ気たっぷりに訊かれて、ミオンは音が鳴るほど大きく頷いた。
「行きます、絶対行きます、連れてってください!」
ミオンの探しているもの。それは『茶葉農家の人は何を飲んでいるのか』の答えだ。
子供の、取るに足らない疑問に、ルルバは一緒になって考えてくれた上で、懇意にしている卸商人に尋ねてくれたのだ。売り物にしない茶葉だろうと、卸商人も言っていたそうだが、どうやら結果は違ったようだ。
(お茶じゃないならなんだろう。ジュースとかかな)
店の戸締まりをして、ミオンはルルバと共に市場に向かった。庶民が毎日の買い物をする市場と違って、卸商の集う市場は大通りの先の広場の一角にある。同じイドリ地区だが、まだ探検していない区画だ。
「今日は荷が多いみたいだから、はぐれないようにね」
ルルバが怒鳴るように言う。卸商用の市場は、想像以上にごった返していた。一歩踏み入れると、喧噪と、熱気と、匂いが塊になって押し寄せてくる。道幅は広いのだが、荷馬車と荷物と荷を運ぶ人足と売り買いする商人が次々と現れるので、ミオンはルルバの鞄の紐をしっかりと掴んで歩いた。左右に流れていく様々な荷物が気になるが、目を奪われていると確実に迷子になるので、ルルバの背中だけを見て歩く。
(集中集中……あれなんだろ)
オレンジ色の果実を満載にしたカゴを、人足が運んでいく。目で追いかけていると、ルルバの背中に衝突してしまった。
「わふっ!?」
「あら、ミオンちゃん、大丈夫?」
「ん、なんだい、今日はかわいらしいのが後ろに付いてるのか」
ルルバの陰から除くと、木箱に囲まれた一角で、ごま塩頭の日焼けした男がおかしそうにこちらを見ていた。初老のこの男が、懇意にしている卸商らしい。
「あんたの娘……にしちゃ小さいか。孫か?」
「うちの新しい看板娘だよ。そんな怖い顔で近寄らないでちょうだい」
しっしっ、とルルバは追い払うマネをする。
「ミオンちゃん、だいじょうぶ、小母さんが守ったげるからね。このむさ苦しいのはヤムシーっていって、顔に似合わずいい仕入れをしてくれるんだよ」
「仕入れに顔は関係ねえだろ」
呆れたように、ヤムシー。口じゃかなわないと、垂れた眉毛が雄弁に語っている。少し可哀想になったので、ミオンはルルバの背中から顔だけ出して、挨拶した。
「ミオンです、こんにちは」
「おう、さすが看板娘だな」
ミオンの頭を撫でようとしたヤムシーの手を、ルルバが払った。
「汚い手で触らない」
「あんたな……金にもならない頼みを聞いてやったんだぞ、俺は」
「そうそう、それだよ。どうだったんだい」
ミオンとルルバが揃って身を乗り出すと、ヤムシーはにやりと笑った。
「焦りなさんな。ほら、これだよ」
木箱の上に置いてあった布袋から取り出したのは、どうみても、枯れた雑草の束だった。
ルルバは一瞬だけ眉を顰めたが、手にとって匂いを嗅いだ。
「……香りは強いね」
はいどうぞと渡してくれたので、ミオンも真似して匂いを嗅いでみた。わら束みたいな色になっているのに、清涼感のある香りが鼻から肺の中まで通る。市場のごちゃごちゃした匂いが、一瞬で消え去ったかのようだ。
「あと、こっちと、こっちだ」
さらに別の袋の口を開ける。出てきたのも、やっぱり枯れた雑草の束だった。一つは全体的に黄色っぽくて、もう一つは咲く寸前の花が付いているものだ。
「そんなにあるのかい?」
ルルバが目を見張った。ヤムシーは頷いた。
「俺も驚いたよ。聞いたらみんな違うものを飲んでやがったんだからな」
茶葉の産地はあちこちにあるが、今回、ヤムシーが仕入れに回ったのは王都近郊のロハ、シーニー、マクミンの三カ所で、その三カ所とも、常飲しているのが栽培している茶ではなく、自生している草だったと語った。最初の匂いの強い草がロハ地方、黄色っぽいのがシーニー地方、花が付いているのがマクミン地方で飲まれていたものだ。
ルルバは何度も頷きながら、ミオンを見た。
「ミオンちゃんの思ったとおりだったねえ」
「なんだい、この看板娘のアイデアかい?」
アイデアではなくただの疑問だったのだが、ミオンが何か言う前にルルバがヤムシーをせっついた。
「これ、試してみたかい?」
「あ? ああ、一応な。だが、好みが分かれると思うぜ?」
ヤムシーの表情は苦い。美味しくないと、顔にはっきり書いてある。が、ルルバは気にしなかった。
「そりゃそうだろうさ。飲んだことのないものなんだからね。お茶でも酒でも同じだろ」
「まあな。持ってくんなら、最初の約束どおり、半額でいいぜ」
「ありがとさん。入れ方は同じでいいのかい?」
「同じだな。売れそうならまた連絡をくれよ」
「あいよ。ああ、あと、いつもの茶葉、三つ頼むよ」
「わかった。後で運ばせる」
無事に商談を終えると、ルルバは布袋を受け取り、また人混みをかき分けて元来た道を戻る。市場から大通りに出たときの空気のおいしさは忘れないと思う。
普通の声で話が出来るところまで出てから、ミオンは思い切って訊いてみた。
「ルルバさん、おいしくないお茶、買っても良かったのですか?」
美味しくなければ売り物にならない。そんなものに金を払うくらいなら、もっと茶葉が買えるはずだ。ミオンはようやくルルバに要らない出費をさせてしまったのだと言うことに気づいた。
「美味しくないお茶か。そうね。でもヤムシーがマズいって言ってるだけで、あたしらには美味しいかもしれないでしょ?」
「ルルバさんもマズかったら?」
「誰か美味しいって言う人に売ればいいよ。そうだ、これを飲んでる地方から出てきた人に売ればいいじゃないか」
何も気にすることは無いんだとルルバに笑い飛ばされて、ミオンはようやく頷くことが出来た。
「さて、それじゃ順番に入れてみようかね」
店に戻ったルルバは、さっそくティーポットにお湯を注ぐ。草の名前を聞くのを忘れたので、それぞれの地方の名前を仮に付けておくことにした。まずは、ロハ。一番香りの強い草だ。
「……うん、おいしくないね」
「飲みにくい、です……」
続いてシーニー、マクミンと入れてみるが、どれも独特の風味が強すぎて、ミオンもルルバも一口以上が進まない。それぞれの地方で常飲されているという話だから、慣れればお茶のように飲めるのかもしれないが、慣れるほど飲める気がしない。
「薬草茶って感じねぇ……葉っぱの量を少なくしてみようかしら」
「甘くするとか」
「ああ、ピナいれるのもいいかもねえ」
ピナというのは、お茶に混ぜる甘味の元だ。リンスベルがミオンに入れてくれたお茶が甘いのも、ピナのおかげだ。刻み目を付けた茎をお茶の中で一回しするだけで、さっぱりとした甘味が付く。そして調子に乗ってかき回しすぎると、苦くなるのは実体験済みである。
分量をもう一度量ろうと、ルルバが腰を上げたとき、店の扉が開かれた。
「いらっしゃいませ」
ルルバは方向転換して客を出迎える。ミオンはテーブルの上の茶器を急いで片付ける。奥の洗い場に運ぶ前に、ちらりと客を見て、驚いた。
「あれ……アルファド様?」
店に入ってきたのは、ヤーベイン伯爵家の嫡男、アルファドだった。こんな庶民向けの茶葉屋には使いの人間すら送らないような身分の人である。よく似た他人かとミオンが疑ったのも無理はない。
「久しぶりだね。最近はここで手伝いをしているんだってね」
アルファドも真偽を疑われていると察したようで、苦笑しながらミオンの前まで歩いてくる。本物かどうかよく見ろと言うことか。
「ミオンちゃん……こちらのお坊ちゃまとお知り合いなのかい?」
逆に後ずさったのは、ルルバだ。自分の店に不似合いな客の登場に、多少なりとも動揺している。
「はい、ルザリア院を建ててくださったヤーベイン伯爵の……伯爵の……えーと……?」
動揺しているのはミオンも同じだ。アルファドを紹介する適切な単語が浮かんでこない。ヤーベイン伯爵さんちの子です、ではマズいのはわかる。
「伯爵様のご子息様でしたか。失礼いたしました。こんな狭苦しい店にようこそおいでくださいました」
幸い、ルルバはその先を言わなくてもわかってくれた。慌ててふくよかな身体を揺らす。それがお辞儀だとわかる人は少ない。アルファドは苦笑を浮かべて、過度に畏まるルルバを制した。
「気にせず、いつもどおりにお願いします。今日こちらに伺ったのは、お勧めの茶葉をいただきたいのと、それから、ミオンをしばらくお借りできないかと思いまして」
「茶葉に、ミオンちゃん、ですか?」
「わたし?」
なんで、どうして?――わけがわからないのはミオンも同じで、ルルバと見つめあっている間に、もう一人、客が入ってきた。客の応対を忘れたルルバに代わって、アルファドが振り返る。
「エル、もうすぐ終わるから」
入ってきたのは、帽子を目深に被った少年だった。アルファドと同じくらいの年齢のようだが、長身で、並んで立つとアルファドが見上げる格好になる。
「俺も見てみたいだけだから」
エルと呼ばれた少年は低く答えると、物珍しそうに店内を見回した。アルファドと親しいのだから、こちらも名家のご令息なのだろう。シャツとズボンと丈の長い上着はどれも簡素な仕立てだが、店内を見回す仕草が下町の少年とは一線を画している。
アルファドは、少年を追い出すことを諦めてルルバに向かって再度問いかけた。
「連れが失礼しました。それで、しばらくミオンをお借りしてもいいでしょうか」
店に不似合いな客その2の登場で、ルルバの思考は完全停止状態だ。二回呼ばれて、ようやく我に返る。
「あ、はい、はい、いえ、あの、その、この子はうちの子じゃなくてお預かりしている子ですからご勘弁いただきたく……」
「それならご心配なく。今使いの者がご両親に連絡していますから。それに、行き先は僕の自宅です。決して怪しいところに連れて行ったりしません」
ミオンは危うく茶器を落とすところだった。アルファドの自宅と言うことは、当然ヤーベイン伯爵家以外のどこでもない。
(え、え、お屋敷!?)
お城で暮らすお姫様の物語に憧れたことはあるし、友達と貴族ごっこなんて遊びをしたこともある。しかし想像が楽しいだけで、実際に行くとなると、しかも自分一人だなんて恐ろしすぎる。
「はあ……それなら……ミオンちゃん、おぼっちゃまがそうおっしゃってるけど……」
すでにルルバという壁は崩された。ミオンは運びかけていた茶器をテーブルの上に戻して、アルファドを見た。ここは毅然と、お断りしますと言ってやるつもりだった。
「あの……何かお話ですか? ここじゃダメですか?」
予想と違う言葉が口から出たが、想定内の誤差だ。揺るぎない心と態度があればいい。
「うん、できればウチに来て欲しいんだ。お茶とお菓子も用意してあるよ」
お菓子。魅惑的な言葉だ。クリームたっぷりのあのケーキはあるだろうか。いや、お菓子なんかに釣られてはいけない。しかし滅多に食べられないお菓子ではある。今を逃したら次はいつ会えるのか。どんな機会でも大切にしなさいと先生も行っていたのだから、話くらいは聞いてもいい。ケーキにも会いたい。
「あの、ジュスロー先生とか、誰か一緒に――」
「失礼、それは?」
店内を見ていたエルが割り込んでくる。彼が興味を示したのは、テーブルの上に散らばっている草の束だ。
「それは卸の商人から買い求めたものなんですよ。ミオンちゃんが新しいお茶を探してくれて試していたところなんです」
「ミオンが?」
問いかけるようなアルファドの視線に、ミオンは慌てた。
「わたしが探したわけじゃなくて。お茶農家の人がお茶を飲んでるのかどうか調べてもらって、それで」
「お茶農家? ふーん……」
エルは草の束を一つ取り上げて、香りを嗅ぐ。他の束も同じように匂いを嗅いでから、アルファドを振り返って言った。
「アル、これも一緒に」
アルファドが深いため息を吐いた。
「わかったよ。ルルバ、それも譲ってもらえませんか?」
「おぼっちゃま、申し訳ありませんが、これはまだお出しできるようなものではなくて」
分量すら不明なものを売ることは出来ないと、ルルバは当然の理由で断った。が、エルは構わないといって勝手に袋に詰めている。ミオンもうっかり手伝ってしまった。
「ということなので、ルルバ、すまないけど頼みます」
アルファドの白旗は最初からずっと振られっぱなしだ。
「はあ……」
そうまで言われては、ルルバも引っ込むしかない。何しろ相手は貴族様だ。言われたとおりに草の束と、店で一番高い茶葉を包んだ。従者がいるのかと思ったが、誰も連れてきていないというのでミオンが手を伸ばした。この中で一番身分が低いことくらい、わかる。
が、エルに横から奪い取られた。
「邪魔をした」
用は済んだとばかりに、エルは出口に向かう。ミオンは慌ててドアを開けてやった。エルは無愛想に礼を言う。
「すまない」
「いえ……」
悪い人ではないようだ。アルファドの友人なのだから少しは安心だろうか。できればもう少し笑顔が欲しい。
エルの人となりを分析していると、最後に店を出てきたアルファドに肩を叩かれた。
「それじゃいこうか。大通りに馬車を待たせてあるから」
ドナドナドーナードーナー――過去の記憶が、不安を煽る歌を歌っている。
このまま走って家に帰りたい衝動と闘いながら、ミオンは伯爵家の馬車に乗り込んだ。
いつもお読みいただいてありがとうございます。
ぽつぽつとキャラが揃ってきました……そして子猫捜索編までもう1話お待ちください。(今回ルルバさんが予想以上に活躍してしまったのですよ……)
それと、毎回ですがブックマーク、ありがとうございます!