6
「花のお茶の作り方? なあにそれ、初めて聞いたわ」
お茶のことならお茶屋さんに訊けばいいじゃない。
子供らしい短絡思考でルルバの店に突撃したミオンは、今、店の隅で項垂れている。できればこのまま、地面に埋もれていきたい。
「ミオンちゃん、冷めないうちにどうぞ」
ほんわりと湯気を立ち上らせるティーカップが前に置かれても、ミオンは顔を上げなかった。ここにいないことにしてくれるとありがたいです。
全身でそう言っているミオンに、リンスベルはため息を吐く。
「力になれなくてごめんね、そんなに落ち込まないで」
ミオンは慌てて首を振った。でも、顔は上げない。リンスベルのせいじゃない。自分の早とちりの結果の自己嫌悪なのだ。だから二人の顔が見られない。
「ミオン、せっかくだからいただこうじゃないか」
一緒に試飲コーナーの席に着いたジュスローは、実践してみせるようにお茶を口にした。
「うん、おいしいよ。これは入れ方が旨いんだね」
「あら、ありがとうございます」
台本通りのようなやりとりが頭上を流れて、沈黙が落ちる。次はミオンの番と言わんばかりの視線に負けた。ミオンはなるべく二人の方を見ないようにして、カップに手を伸ばした。暖かい液体を口に含むと、こわばっていた身体が緩んでいく。今日もリンスベルのお茶は甘くて美味しい。その甘さに負けて、ミオンはぎこちなく微笑んだ。
「……おいしいです」
「でしょ?」
当然、とリンスベルは胸を張って笑った。それから自分用のカップに口を付けて、満足そうに頷く。
「でも、お花のお茶かぁ。そんなお茶がほんとにあるなら素敵ね」
「物語や、古い文献では時々出てきますが、やはり本職でも本物は見たことありませんか」
「本職って、ここは母の店ですよ、先生。あたしはただの女中でしたから。あ、昔、男爵様のお屋敷でティーカップにお花を添えてお出ししたことがあるけど、そういうものではないのよね?」
「花を茶葉のように乾かして、お茶のように入れて飲むというものですね。実際に試してみた人の体験談もありましたが、結果は、やはり飲み慣れたものが一番と」
「ふんふん、ほんとにやった人もいるのね。材料がわかれば、卸の商人さんに聞いてみるけど」
身を乗り出すリンスベルに、ジュスローは首を振った。
「いや、体験者も言葉の響きだけで勝手に作ってみただけらしいですから」
例えば、『春の日差しのような味』と言われて、材料が即座にわかる人はいないだろう。
「何でもいいってわけじゃないのね」
残念そうに頬杖を突いたリンスベルの視界に、赤と黄色が飛び込んだ。ミオンが持ってきた小さな花束だ。萎れそうだったので、水を入れたカップに挿してテーブルの片隅に追いやられている。
「もしかして、そのお花をお茶にしようとしていたの?」
「だったら話は早いんですけど……」
そういえば、花茶に至った経緯を何一つ話していなかった。ミオンが孤児院での一件を話すと、リンスベルの顔つきが段々険しくなっていった。
「自分勝手な花屋ね。いっそ、あたしが花屋になって買い取ろうかしら」
「お茶屋さんはどうするんですか?」
「母さんがやるわよ。というか、そろそろ腰の調子が良くなってきたから店に戻ってくるのだけど、そうするとほら、あたしの居場所が、ね」
先ほどの勢いはどこへやら、だ。テーブルの花束のようにリンスベルも萎れていく。
「二人でお店やったらダメなんですか?」
「ミオンちゃんみたいに、たまに手伝うくらいならいいけど、いつも二人いなきゃいけないような店でもないでしょ……」
言葉の後半はため息混じりだった。店を暇にしたことを悔いているようだが、その調子では新しい店を立ち上げるなんて、夢のまた夢ではないだろうか。
(そもそも自分で帳簿付けられるようになってくれないとダメなんじゃ)
花屋を開いた途端、帳簿係に指名されるのが目に浮かぶようだ。
「話の途中にすみませんが、もしかして何か仕事をお探しですか?」
ジュスローに問われて、リンスベルは頷いた。
「ええ。先生もご存じでしょうけど、ここは母の店で、出戻りのあたしは母の腰が治るまでの代理ですからね。花屋は、やりたいとしても無理でしょうから、また女中仕事でも探そうかなと」
(あ――)
そういえば、リンスベルは以前、男爵家で女中をしていた。
結婚していて、小さな子供がいた。
「リンスベルさん、それなら――」
「リンスベル、でしたら――」
ミオンとジュスローは同時に口を開いて、顔を見合わせた。同じことを考えていたらしい。ミオンが頷くと、ジュスローが改めて言った。
「失礼。リンスベル、でしたら一つ、検討してもらいたい話があるのですが」
ジュスローは孤児院の現状と、モリーの代わりを探していることを話した。ふんふんと、リンスベルは軽く頷いて聞いている。
「じゃ、雇い主は伯爵家で、給金の保証はあると」
「ええ、ただ孤児院で働くだけなんです」
「そうね……ここからも近いし、しばらくは母さんの様子も見てみていたいし、悪くないかもしれないわ」
「進めてよければ、さっそく院長に話をしておきますが」
「ええ、よろしくお願いします」
リンスベルが頭を下げたので、ジュスローは立ち上がった。以前働いていた男爵家の紹介があれば、間違いないとのこと。
ミオンも一安心したので、帰ることにした。
「これ、ちょっと萎れちゃったけど、貰ってください」
コップに挿してあった花束は、まだ元気が足りない。持って帰るとまた萎れそうだ。要らないものを押しつけるようで申し訳なく思ったが、リンスベルは喜んでくれた。
「いいの? ありがとう。お花なんて貰ったの、久しぶりだわ。枯れちゃう前に押し花でも作ろうかしら」
「押し花?」
花を押すと枯れなくなるのだろうか。そんなすごい技があるなら是非見てみたい。
「ミオン、多分、君が考えているのとはちょっと違うと思うよ」
ジュスローが言うと、リンスベルは花を一本引き抜いた。
「知らなかった? こういうお花をね、紙の間に挟んで重しを乗せてしばらく置いておくと、本の絵みたいに、ぺったんこになったお花ができるのよ。そうすると、綺麗なまま長持ちするの。簡単だから、これ持って帰ってやってみる?」
押し花。
ミオンがその意味を納得すると同時に、かつてのミオンが詳しい加工方法とその結果を囁いた。
「押し花……長持ちするんだ……」
花、売る、利益を上げる。
花、渇かす、売る。
課題と問題点が、どこかに収束していくのが見えた。
「ミオン?」
ジュスローに呼ばれて、ミオンは我に返った。花を持ったリンスベルの手を握る。
「リンスベルさん、それ、教えてください」
「え? いいけど……?」
「綺麗にできるといいね。それじゃ、私は先に失礼するよ。お茶をごちそうさま」
「あ、はい、よろしくお願いします」
「先生、さようなら」
ジュスローを見送ってから、ミオンはリンスベルを振り返った。
「さあ、教えてください」
鼻息荒く迫ってみたが、本当に簡単だった。水分を吸収しやすい紙の間に花を入れて、重しを乗せて押しておくだけ。かつてのミオンが知る方法と、大差は無かった。
数日後、押し花ができあがると、お小遣いからいくつか材料を買い足してジュスローに相談した。その先の加工処理は、恐らくミオン一人でできないからだ。
「これは、ミオンが考えたのかい?」
一通り説明すると、ジュスローは難しい顔でそう尋ねてきた。ミオンはほっとした。その質問が出ると言うことは、今まで出回っていないと言うことで、期待してもいいと言うことだ。
「えーと……いろいろ本も見たし、お店で聞いたりしました」
さすがに以前の自分の記憶に頼りました、とは言えない。が、かつての自分の記憶は今の自分にできない方法や道具を指示してくるので、色々置き換えている。置き換えがうまくいくかどうかは、これからだ。
「そうか……いや、疑ったわけじゃないんだが……まずはやってみようか」
そうしてジュスローの家で試行錯誤の末に作られたのは、三枚のメッセージカードだった。
「できた……」
押し花の蝋引きカード。紙のカードの上に押し花を貼り付け、溶かした蝋で全体をコーティングしただけ。しかも素人作業なのでデコボコで、押し花もずれたりしている。
「ふむ、思ったよりしっかりした紙になったな。蝋が乗ってるなら水にも強そうだが……しかし字が書けないかもしれないな……」
ひっくり返してあちこち調べるジュスローは、問題点を挙げつつもその表情は明るい。
「そのときは、先に書いておいてから蝋をかければいいと思います」
「なるほどな。偽造防止、と考えるのもいいか……そうすると耐久性が……」
椅子に腰を下ろして考え始めるジュスローを、ミオンは慌てて引き留めた。
「先生、この紙、売れませんか?」
「これを……?」
変色したゴミにしか見えない代物に、代金を払い人間はいないだろう。その点は大いに同意する。
「えーと、これは酷いのでこのまま売れないと思うんですけど、綺麗に作れる人に頼んだら売れないかなって」
「ふむ」
「それで、もし売れるようなら、その方法を教える代わりに、ルザリア院の花を使ってくれるようにお願いできませんか?」
ジュスローは目を見張る。
「……そうか、押し花なら、子供達でも作れるな……」
紙と重石は用意しなければならないが、花を挟んでそっとしておけばいいのだから、何の労力も要らない。材料の花は、花屋に売れないような小さな花でいい。要らないものが簡単に売れるなら、好都合だ。
「どうでしょうか……?」
しばらく考え込んでいたジュスローは、ミオンの肩を叩いた。
「ミオン、これはとても面白い考えだと思う。けれども私もそういう商売には素人だ。だから、どうしたらいいか、ヤーベイン伯爵様に相談してみようと思う。これはルザリア院に関わることだしね」
「はい、お願いします」
それでいい。まずは、第一歩だ。カードが形になっただけでも一歩どころか十歩くらい進んだはずだ。
(カードがダメでも、他にもできるものはあるし)
ミオンはジュスローに後を託すと、より分けて置いたカードを持って、ルルバの店に向かった。こちらは花をのりで貼っただけだが、色も綺麗に付いているので、自分でも良くできたと思う。
「リンスベルさん、こんにちは」
相変わらず店は閑古鳥が鳴いていた。リンスベルは相変わらず暇そうにしていたが、さほど悲観的では無かった。ヤーベイン伯爵家との話が進んでいたからだ。
「昨日、ルザリア院に行って院長先生とモリーさんに挨拶してきたわ。母さんも来週から店に出るって言うから、様子を見ながら通うことになったの」
給料も男爵家に勤めていた頃よりも多いと、リンスベルは大喜びだ。
「これもミオンちゃんのおかげよ」
「お話ししてくれたのは先生です」
「でも、ミオンちゃんがうちに手伝いに来てくれてなかったら、そんな話回ってこなかったでしょう? だからミオンちゃんのおかげ。はい、決まり」
にっこり笑って言い切られては、ミオンも恥ずかしげに笑い返すことしかできない。照れ隠しに、カードを渡すとリンスベルは大げさなくらいに喜んでくれた。
「よーし、今日は好きなお茶をごちそうしちゃう。どれがいい? 一番高いのでもいいわよー」
ルルバの店は庶民向けだが、少量だが高値の茶葉もある。試してみたい気もするが、ミオンの幼い舌は茶の味がよくわからない。
「やっぱり高いのはおいしいんですか?」
「そうじゃないかしら。あたしもあの辺のお茶は飲んだこと無いのよね」
「お茶屋さんなのに……?」
「ここは母さんの店だから」
胸を張って言い切ってから、リンスベルは言い訳するように続ける。
「ほら、高級な食堂の料理人が毎日お店に出す料理を食べてるわけじゃないでしょってことで」
「……」
一理ある。
納得するミオンの中に、同時に一つの疑問が生まれた。
「……じゃあ、高いお茶を作ってる人は、高いお茶を飲んでいるわけじゃない?」
「それはまあ、そうでしょうね」
ミオンは店内を見回した。ここにある茶葉は売り物だ。リンスベルでさえ、簡単には手を付けない。
それなら茶葉農家の人たちは何を飲んでいるのか。
「売り物にならないお茶を飲んでるんじゃないの?」
「やっぱりそうなのかなあ……」
本人に聞くのが一番早いが、茶葉は王都の外で栽培されている。気楽に行って帰ってこられる距離ではない。
(誰か知ってる人いないかなあ……)
もやもやした思いを抱えていたせいか、リンスベルが入れてくれた店で一番高いお茶は、いつものお茶と変わらないという悲しい結論で終わった。
さらっと流して準備の準備編を終わらせるはずでしたが…あともう一回くらい続きそうです…。
今回も、お読みくださってありがとうございました!