5
ミオンはベッドの上にのっそりと起き上がった。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。今日もいい天気だ。
「……」
今は雨季ではないので、毎日いい天気なのは仕方ない。が、こうも毎日同じことを考えていると、どこかでループしているのではと疑ってしまう。
――分岐でセーブして。スチルを取ったらロードして。
記憶の断片が脳裏を掠める。
「……?」
わくわくする作業だった、と記憶の断片は言い残していった。意味は、全くわからない。
「……まあ、あの子を助ける方法じゃないことは確か。うん」
みぃと鳴いたあの子猫は、以前のミオンでは助けることができなかった。謎を振りまくばかりの記憶の断片だが、最近ようやく、子猫の姿を置いて行ってくれた。グレーの体毛に、ふさふさの尻尾だけが黒のしましまだった。逆三角の小さな顔には大きめの耳と、子猫特有の青い目。
可愛いすぎる。思い出しただけでも、身もだえそうだ。
「……うん、ぼんやりしてる時間は無い」
あっという間の一年だった。得たものは、ご近所の地図と少しばかりの体術と、就職先候補。少し、友達も増えたかもしれない。ミオン個人の人生としては、とても充実していた。
しかし、肝心の、秘密教団の「ひ」の字も見当たらない。そういう意味では、一年を無駄に過ごしてしまったことになる。
「……うーん、やっぱ、やりなおし?」
最初から秘密教団を探しておけば良かったのだろうか。『秘密教団を知りませんか』と尋ね歩く十才の子供。その一文だけでも怪しすぎて泣けてくる。涙を振り切って突き進めば両親の嘆きが目に浮かぶので、やはりこの案は却下だ。
「秘密教団てことは……知ってても、秘密だよねえ……」
つまり存在を知っている人間は限られている。ピンポイントで尋ねなければ、答えは出てこない。
「うー、ん……?」
では、秘密教団の存在について、知っているのは誰か。むろん、教団関係者と――ミオン自身だ。
ミオンはもう一度ベッドに寝そべった。ゆっくりと目を閉じる。二度寝の誘惑を断ち切る為に、声に出す。
「あのとき、アリーゼは子猫を追いかけて……」
子猫を攫った人物を追いかけたアリーゼは、行き着いた先が魔神を召喚して王国を支配しようとする秘密教団のアジトであることを知る。その召喚の儀式に、子猫や他の動物たちが生け贄として使われると知って、なんとか助け出そうとしているうちに逆に掴まってしまった。現れたのは片目しか描かれていないマスクを付けた教団の男。アリーゼに向かって、『喜べ。魔神召喚に成功したら、最初に犠牲者になる栄誉をやろう』と高飛車に宣告した。
「そんなので喜ぶとは本気で思ってたのかなあの人……って、それは今は関係なくて」
絶体絶命のアリーゼの元に駆けつけたのは、王国の騎士達だった。アリーゼは動物たちを助けに行こうとしたが、遅かったと告げられた。生け贄は捧げられてしまったが、その後の儀式を阻止できたので、魔神召喚はなされなかった。
「そのあとは……」
アリーゼを直接助けたのは、現騎士団長の嫡男ギノ・ノモローメ。ギノ本人も騎士団に所属しつつ、学院に籍を置いている。ギノはアリーゼをクアンバド王国第二王子テルスター・ダイ・クアンバドの前に連れて行く。テルスター王子とギノは、王国内を騒がせている一味を密かに追いかけていたと説明した。
「そう、そのために、アリーゼを囮にして……」
アリーゼが掴まったことをギノは知っていたし、指揮を執っていたテルスター王子に報告もした。テルスター王子は教団内がアリーゼに気を取られている時が好機と判断した。結果としてアリーゼは助かったが、一歩間違えれば生け贄の動物たちと同じ運命だった。黙って危険な目に遭わせたと、王子はアリーゼに謝罪をした。
「それで……教団の正体が……」
アリーゼは王子とギノを許し、結局、魔神を召喚しようとしていたのは誰だったのかと尋ねる。テルスター王子は、まだ確定ではないと前置きした上で、言った。
『おそらくは、ハベト族の――』
「ミオン? 今日は学校でしょ?」
母に呼ばれて、ミオンは飛び起きた。ぐらりと視界が揺れて、もう一度枕に顔を埋めた。長々とシナリオを思い出していたせいなのか、今日は目眩が長い。しかし早く起きないと、また怒られてしまう。
ミオンはそろそろと身体を起こして、深呼吸した。王子が言いかけた正体に、聞き覚えがある。ハベト族、だっけ。聞いたことはある。以上。
「こういうときこそ先生に聞いてこよう」
都合良く解釈して、ミオンは学校に向かった。
ミオンの知恵袋たるジュスローは、学校が終わった後、ルザリア院へ向かう道すがらに教えてくれた。
「ハベト族とは、王国の西側の自治領を治めている一族だね。昔はあの辺り一帯がハベト族の国だったんだが、クアンバド王国が併合したんだよ」
「へいごう?」
「クアンバド王国の一部にすることだよ。普通は戦争をして奪うことが多いんだが、ハベト一族の場合は前王の時代に話し合いが行われて、その結果、クアンバド王国の一部になることになったんだ。ただし、自治権を認められたので、前とあまり変わらない生活をしていいってことになったんだよ」
「前は、どんな生活をしていたんですか?」
「我々とそんなに変わらないよ。大きな違いは、ハベト族はバイアムという神様を信仰している。その神様は聖なる山であるウェーカー山に住んでいるとされているんだ。だからウェーカー山を含むトクリム山脈の一帯がハベト族の土地なんだ。朝と夕には山に祈りを捧げているそうだよ」
対してクアンバド王国は、全能の神マルティドを崇めるマルティド教を国教としている。ゲームのミニマップにも出てきた大神殿が、マルティド教の総本山だ。ミオンも、お祭りの時に連れて行ってもらったことがある。人が多すぎて中に入れず、外からお祈りを捧げただけという、なんともお粗末な思い出だ。
「ハベト族の人たちは、それでいいと思ってるんでしょうか」
「難しい問題だね。ハベト族の偉い人とクアンバド王国の王様が話し合って決めたことだから、みんな従っているけど、全ての人間が満足する方法を見つけられた人は、まだ世界中のどこにもいないからね」
ジュスローの言葉の後半が、記憶の声と重なる。
それは王国側も同じことだと、テルスター王子は言った。ハベト族の自治権については未だに問題の種になっている。ハベト族も領内が落ち着いてくれば独立を叫びだそうと画策している者も多い。今回の魔神騒動は、両者が利益の一致する点だけを取り上げた結果じゃないかと疑っているというのが、王子の意見だった。
(あー、そうそう、そんな話だった)
記憶の中でイケメンの王子が眉間に皺を寄せて、途切れた先の記憶を語っていた。そういえば第二王子テルスターは、金髪碧眼の絵に描いたような王子様だった。品行方正だが思い込むと一途になるという、情熱的な一面もあった。
彼の親友のギノは、青みがかった銀髪という変わった色合いの髪に、薄青の目をした酷薄そうな表情をしているイケメンである。主に王子を冷静に諫める係だが、やっぱりこの人も、こうと決めると頑固になるという、よくにた友人同士であった。庶民のミオンからしてみれば、とっつきにくいことこの上ない人々である。同じ庶民出身のアリーゼは、よくこんな人たちを相手にしていると思う。
(しかも恋愛対象……じゃなくて攻略対象だっけ)
フラグを立ててイベントこなして好感度あげるのよ――記憶の断片が囁くが、理解できない。それって恋愛と違くない?
ゲームだからいいのよ――開き直った答えが返ってきて、なんだか頭が痛い。
「ミオン、大丈夫か?」
思わず頭を振ってしまったのが、ジュスローの目には気分が悪いように見えたらしい。
「何でも無いです。顔の前に虫がいたみたいで」
「そうかい?」
それならと視線を戻したジュスローは、足を止めた。話しているうちに、もうルザリア院の前で、門から一人の男性が出て行くところだった。身なりからして、街の人のようだ。男性もこちらに気づくと、ジュスローに会釈をして立ち去った。
「?」
隣を見上げると、ジュスローは考え込むような目で男の背中を追っていた。
「あら、二人ともいらっしゃい。今日もよろしくお願いしますわ」
マーキン院長が玄関口に立っていた。男性を送り出したところのようだ。ジュスローは笑顔で挨拶した。
「こちらこそよろしくお願いします、院長。ところで、今の方は確か、トスタ通りの花屋のご主人ではありませんでしたか?」
「ええ、ロストージュさんです。隣の地区なのによくご存じですのね、先生」
「同じ通りに行きつけの本屋がありましてね。もしかしてここの花を売っている先はその花屋でしたか」
最初にルザリア院に来たときに、庭の花は売り物だと説明された。時々、小さくて売り物にはならない花を貰ったこともある。ジュスローは、しかし売り先までは知らなかったようだ。
「ええ、伯爵家からの紹介で他よりは高めに買っていただいていたのですけど、娘さんの結婚が決まったそうで物入りになるからと……」
早い話が、買い取り価格の値下げに来たようだった。ジュスローも困った顔で顎を撫でる。
「そうでしたか……私も何かの折には、他の花屋に聞いてみましょう」
「ありがとうございます。ごめんなさい、こんなところに立たせたままで。さあ、どうぞ」
中に通されると、耳に馴染んだ子供達の声が聞こえてくる。廊下で、洗濯物を抱えたモリーと出会った。
「こんにちは、モリーさ、ん?」
お辞儀をする前に、ミオンの目に飛び込んできたのはモリーの左手に巻かれた包帯だった。先週来たときにはそんなものは巻いてなかったはずなのだが。
「あ、これかい? たいしたことないんだよ。ちょいとつまづいちゃってね」
恥ずかしい話なのよと、ひとりで笑いながらモリーは洗い場の方に足早に去って行った。
その姿を見送ったマーキン院長が、小さくため息を吐く。
「ジュスロー先生、花屋の前に、モリーの代わりになれるような方をご存じないでしょうか」
「モリーの?」
え、モリーさん止めちゃうの?――声には出さなかったが、マーキン院長には心の声がダダ漏れだった。違うのよ、と苦笑が返ってくる。
「モリーはよくやってくれるのだけと、さすがにそろそろ小さい子供の面倒を見るのは大変そうで……あのケガも、コルドが椅子から落ちるのをかばったせいで捻ってしまって」
ルザリア院一のやんちゃ坊主の名前に、ジュスローもミオンも納得した。
「そうでしたか……しかしそちらは伯爵家の方に申し出た方が良いのでは?」
「何度か問い合わせているのですが……伯爵家に雇われて、わざわざこちらに働きに来たいという人は少なくて」
モリーは例外中の例外だったと、マーキン院長はマーキン院長は神のご加護に感謝を捧げた。が、ご加護は次のご加護を呼んでくれないようだ。
「かといって、院の経営状態では他に人を雇うこともできませんし」
子供達もがんばって日銭を稼いではいるが、雀の涙だ。そしてマーキン院長は子供達の稼ぎには手を付けようとせず、院から独り立ちするときの餞別に持たせてやっているので、収入はゼロに等しい。
「では、そちらも折を見て探してみましょう」
「よろしくお願いします」
それから、いつもどおり勉強が始まったのだが、モリーのケガの分を年長の子供達が補うため、あまり進まなかった。洗濯や掃除、乳飲み子にはミルクをやっておしめを取り替える。入れ替わり立ち替わりの落ち着かない雰囲気に、ジュスローが白旗を揚げた。
「ミオン、今日はもう引き上げようか」
「そうね、少し早いけれど今日はもうお開きにしましょう。わざわざ来てもらっているのにごめんなさいね」
お詫びにとマーキン院長が渡してくれたのは、小さな花束だった。黄色と赤の、小さな花が満開だ。ミオンはありがたく受け取って、ジュスローと共にルザリア院を後にした。
「先生、お花って、どうしたら売れるでしょうか」
この花束に値段を付けて通りを歩いたら誰か買ってくれるだろうか。花屋に卸す代わりに売り歩くのはダメだろうか。
花、売る、利益を上げる。
課題はこの三つで、以前のミオンの知識に頼っても『単価、あるいは価値を上げる』としか思いつかない。
「そうだねえ……花屋さんが買ってくれるのがいいんだけど、値段はそんなに高くできないからねえ。それに花は切ってしまえば長持ちしないし、渇かして飾りにするのも、こういう花じゃ不向きらしいからね。かといって、匂いがする花は虫が付きやすいから子供達だけじゃ育てにくいんだよ」
ミオンが考えることなど、とっくに試され済みだった。
(他になんかないのかな)
黄色と赤の花束は、渇かしても元の可愛らしさは水分と共に消えて無くなるだろう。匂い袋に入れられるような花は育てられない。
花、渇かす、売る。
花、渇か、す……。
「先生、お花を渇かして、お茶にするのって、聞いたことありませんか?」
花茶やハーブティーの類いなら、ルザリア院の庭でも何とかなるのではと思ったのだが、ジュスローは首を傾げた。
「ミオンはよく知ってるね。本でそういうのを読んだことはあるけど、実際に作ったり飲んでる人は聞いたことがないなあ」
ジュスローは懐疑的だが、本に出てくるのなら、希望はあるかもしれない。
「先生」
ミオンは足を止めた。
「これから一緒に作り方、聞きに行ってみませんか?」
ついに感想までいただいて、生きてて良かったなとしみじみしております。
ブックマークも大感謝です!
今回もお読みくださって、ありがとうございました。