回想録 <マギー> 2
人生設計をやり直した方かいいのは自分かもしれないと、マギーはカップの中で冷めていくお茶を睨み付けていた。
「……今度は、王女殿下の、お手伝いですって……?」
サロン開催まで日があるのに、緊急の招集とは何事だろうと思ったら、これだ。隣でミオンが、ちらちらと視線を投げてきているのには気づいたが、今顔を上げたら、場もわきまえずに説教を始める自信がある。エリューサスの前でそのような失態は避けたい。
(落ち着かなきゃ……説教したところで現状は変わらないのだし)
そもそもメンバーに話をすること自体、ミオンにも予想外だったようだ。弱腰ながらもアルファドにくってかかっている態度には、拍手を送りたい。
「僕としては、ミオン一人に任せて、うっかり君たちが巻き込まれるよりは、最初から話しておいた方が良いと思ったんだけど」
アルファドは、最大限の譲歩をしたとでも言わんばかりだった。
「最初から巻き込むつもりだったのがよくわかる発言ですね」
クアイドが鋭く切り返しても、何のダメージも与えられていない。
「酷い言いがかりだよ。僕はただ、ミオンが何か始めたらみんな気になるだろうと思っただけだよ。ねえ、ジェラールだって、こんなこと、黙っていられたらイヤだろ?」
「……その前に、どうしてミオンなんかに手伝わせようとするんですか……」
ジェラールは今にも息の根が止まりそうな顔をしていた。血縁だけに、受けた衝撃は自分より遥かに大きいだろうとマギーは予測する。
(クロシェナ様の一件から、けっこう心配していたし、ね)
兄弟姉妹のいないマギーには、羨ましく思える。危うい位置に立っているという自覚が無いから、目を掛けてやってくれないかと少し前に頼まれていたことを思い出して、マギーは腹を括った。ミオンの行動を制することは出来なくとも、起こってしまったことから目を背けないようにすることは出来る。
「で、どうするの」
手を握って問いかけると、ミオンはびっくりした顔のまま、左右に振った。
「どうって……だから、ケンカは売らないけど」
「売りなさいよ」
半分以上は自棄だった。けれども、これ以上、受け身でいることは精神衛生上、よろしくない。
「このままぼんやりしてたら、またどこかの犬とか猫が攫われるでしょ。あなたそれでいいの?」
「それは……よくないけど……」
「だったらクロシェナ様の時みたいに、さっさとアビアナ殿下のお手伝いする方法を考えて、私たちに教えなさいよ」
「え、ええ……?!」
ミオンが狼狽える向こうで、アルファドがほくそ笑んでいるのが少し憎たらしかった。
***
ジェラールへの同情を、こんなに早く撤回するとは思ってもみなかった。
「探してる相手に勧誘されるって、どういうことなのよ……?」
ミオンがしたり顔で頷いているのが腹立たしいが、ぐっと堪えてエリューサスに知らせに向かった。もちろん、アルファドも一緒だった。
「なるほどね。意味ありげな悩み相談からっていうのは、詐欺の常套手段だよねぇ」
「詐欺、ですか」
「相手の目的と自分の目的を巧みにすり寄せるのが成功の秘訣だよ」
ミオンに余計なことを教えないで欲しい。もっともミオンがその『秘訣』を活用出来るとは思えないが。
ともかく、ジェラールへの誘いが詐欺なのか、新たな人生への第一歩なのかは、確認しなければ分からない。その点は、ジェラール本人が一番理解しているだろう。だからきっと、誘いに乗るはずだというのがアルファドとエリューサスの一致した意見だった。
「ジェラールは大切な学友だしね。詐欺なら未然に防いで守ってやりたいし、新しい門出なら影ながら祝ってやらないとね」
友人への想いに溢れた言葉の数々が、アルファドの口から発せられると途端に胡散臭く聞こえるのは、もはや特殊能力の類いかもしれない。
「絶対、半分は面白がってると思うんだ」
「半分? 甘いな、全部だろ」
アルファドからジェラールの後方援護――こっそり後を付けて様子を観察する計画を聞かされたニスモアとクアイドの反応に、ミオンが不安そうな顔を見せると、エリューサスが手招きして言った。
「どのみち、こうなることはジェラールも予測済みだろう」
本当にこの方は、人をよく見ていると思う。
***
ジェラールが呼ばれた先に行ったら、ミオンの知り合いがいた。
しかも、ジェラールは置いてけぼりで、二人で話が盛り上がっていたと言うから、やっぱりジェラールには同情を寄せておこうとマギーは思った。
「それで……どうしてわたしが神託を見ていたのかって話になって」
「結局そこに戻ってくるんだ。うん、どうして?」
「お兄ちゃんから見せてもらった記号が、神託の文字に似てると思ったんです」
当初の目的を忘れて話していたのが、神託の文字と、教団が使用している記号の相似についてだったそうだ。結局、イプスと名乗った男と秘密教団の関係は全く分からないままに終わってしまって、ミオンは責任を感じていたようだった。一人でずっと、一生懸命に考え込んでいる。食事は誘えば条件反射で摂っているので、マギーはそっとしておくことにした。
(というか、いつも、ミオン一人に考えさせているのよね……)
一緒に考えてあげるというのは容易い。けれども、今までミオンの救いになるような助言をしたと自負出来るほど、マギーは自惚れていなかった。今日もミオンは、午後から一人、図書館にこもってしまった。マギーは黙って見送るしかない。
(お腹が減ったら帰ってくるでしょうから)
思ったとおり、夕食時に食堂に駆け込んできたときには、思わず笑い出すところだった。待っててくれてありがとうと、はにかむ様子はいつもどおりだったので、もう大丈夫だろう。
そう思ったのだが、尋ねてみると、思いがけない言葉が返ってきた。
「わたしが調べて、探すのは、限界かなって思ってる」
「……そうかもしれないわね」
ミオン一人に頼り切るのはそろそろ止めないといけないかもしれない。このままでは、ミオンだけが潰れてしまう。
(でも……誰も代わりになれない)
無力さだけが、マギーの足下にわだかまっていた。温かい食事は急に砂を噛むように味気ない物に変わる。きっと、ミオンも同じ思いをしているに違いない。しかしどんな言葉を掛けたら良いのか、わからない。
「だから……見つけるのが無理なら、出てきてもらえばいいのかなって」
「……なんですって?」
マギーの足下の闇を、ミオンは簡単に蹴飛ばして追い払った。ように見えた。
「えーとね、探し出すのが難しいなら、向こうから出てきてもらったらいいんじゃないかなって思ったんだけど……マギーはどう思う?」
どう思う、と訊いておきながら、ミオンの意識は皿の上から転がっていったイモの上にあるのが癪に障った。
「……私の意見を聞きたいというなら言うけど」
「うん、聞きたい」
「そんなこと考えるあなたの頭の中を一度じっくり見てみたいと思ったわ」
そうしたらもっと一緒に悩んであげられるのに、とは言わないでおいた。
***
相手から出てきてもらう、というミオンの曖昧な提案を、形にしたのはアビアナだった。シャグマにしか分からない暗号文となって公示された後、全ての依頼が打ち切られたのでうまくいったのだろうとマギーは胸をなで下ろした。これで全部終わったのだ。ミオンはアビアナに呼ばれていたから、そこで何か打ち明けられたのかもしれないが、マギーは、特に訊きたいとは思わなかった。他のメンバーも、同じ思いだったと思う。
(神託の解読者もちゃんと見つかったし、やっとこれで静かになるわよね)
進級試験が終われば新年の休暇になる。ミオンは一度も王都から出たことが無いと言っていたから、王都外の実家に招くのもいいかもしれない。ミオンが一緒なら、うるさい親戚方の声も気にならないだろう。
「えーとね、わたし、ハベト族領に行くことになったの」
計画は、打ち明ける前に水の泡になった。
「アビアナ様に、神託と、守人の文字が似ているっていう話を詳しく聞きたいから来て欲しいって言われたの。でもシャグマさんのこととか、言えないことも色々あるでしょ? それで、エル様の所にあった絵を見て感動したアビアナ様が、クロシェナ様にハベト族の土地の絵も描いて欲しいってことにして、わたしはそのおまけで連れて行ってもらえるっとことにしたの。あ、画集にするかもしれないからギルドの人も行くんだって」
だから何も心配ないんだというミオンの言葉を頭から信じるほど、マギーはお人好しではなかった。写真画ギルドはナトワーズ商会の後援で運営されている。そこから動向を探るつもりだったのだが、王都を出てからしばらくして、ミオンからは隔離されてしまったと情けない知らせが届いた。
(こうなったら直接出向くしか……)
新年の休暇を利用してハベト族領に向かう方法を探していると、ギルド員からミオンと接触出来たと報告があった。それまでは王族と過ごしていたので近づけなかった、と言い訳が書いてあった。
(でもそれって、いまさらじゃない……?)
報告に不審な点はいくつもあったが、確かめる術は無かった。そのうちにミオンも実家に戻ったと聞いて、マギーはようやく安心した。
(あとは自分の問題を片付けておかないと)
商会の後継者として油断の無い振る舞いをみせつけておいてから、マギーは学院に戻った。門の所でぼんやり突っ立っている姿を見つけたときには、あやうく怒鳴りつけそうになって、急いで新年に挨拶にすり替えた。
「ミオン! おめでとう!」
「マギー! おめでとう! なんか大人っぽい! 似合ってる! 上級生のお姉さんって感じ!」
「あのねぇ……あなたも同じ学年だって忘れてない?」
「え、忘れてないけど……」
中級科に進んだことは覚えていても、自分が『上級生のお姉さん』になっているとは思ってもいないようだ。
(それなら、自覚を持ってもらいましょうか)
土産と買ってきたお揃いの髪飾りに、いきなり出番が出来たのは予想外の喜びだった。
***
「――お嬢様、馬車の用意が出来ました」
呼びかけられて、物思いに耽っていたマギーは、夢から覚めるように顔を上げた。
「ありがとう。今行くわ」
外に出れば、既に馬車の扉を開けて御者が待ち構えていた。マギーが乗り込むと、メイドが荷物を持って後から乗り込み、扉が閉められた。
鋭い掛け声が響いて、馬車が動き出した。ゆっくりと景色が流れ出すと、同乗していたメイドが微笑みかけてくる。
「ハベト族の自治領って、どんな所なんでしょうね」
「王宮がある街は、王都と変わらないそうよ。でも、私たちが向かうのはもっと奥の離宮だから、ずっと田舎でしょうね」
「あら、そうなんですか」
田舎と聞いて、メイドは残念そうな顔になった。王都生まれ王都育ちの彼女には、期待外れの旅になってしまったらしい。
(それもこれも、山奥の離宮なんかに引っ越すあの子がいけないのよ)
唐突な別れは、何度思い返しても腹立たしい――あんなに幸せそうな顔で別れを告げられたら、ごねることも出来やしない。
顔を見たら、まず言ってやらなきゃいけないと、マギーは心に決めていることがある。
「あら、ミオン、あなた、猫を一匹飼うんじゃなかったの?」、と。
(どんな言い訳をするのか、楽しみね)
人の悪い笑みを浮かべるマギーを乗せて、馬車は一路、ハベト族自治領へと進んでいった――。
お読みくださってありがとうございます。
駆け足で書き綴ってみましたが、いかがでしたでしょうか。
こうして書いてみると、マギーもジェラールに負けず劣らずの苦労人だったようです……。




