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回想録 <マギー> 1

「わたし、ミオン・ハルニー。これからよろしくね」


 最初は、ありきたりな出会いだった。

 寮の部屋で初めて顔を合わせたとき。ぎこちなく微笑む相手に、マギーは余裕の表情で返してみせた。


「マギー・ナトワーズよ。これから仲良くしましょうね」


 名乗れば、大抵は同じ反応が返ってくる。マギーはそこまで予想して構えていたのだが、


「えーと……わたし、こういう立派な学校に通うのは初めてで……マギーって呼んでもいいのかな。それともナトワーズさんって呼ぶべき?」

「……マギーで結構よ」


 なんとか笑顔は保てたと思う。それにしても予想外の反応だ。

 部屋に持ち込まれた品々を見ても、相当な高級品ばかりばかりだ。だからきっと、ナトワーズの名前に反応すると思っていたのに。

 これは何かの罠かしら――マギーは警戒した。少し探りを入れなくてはいけない。表面上はあくまでも親しげに、マギーはまず手近のクッションに目を向けた。


「私も、ミオンと呼ばせてもらうわ。それにしてもあなた、とても趣味がいいのね。こちらキゼーメの店の品でしょ? 私も昨年買い求めましたけど、こちらの新しい色の方が素敵ね」

「ありがとう。これは……えーと……」


 ミオンはクッションをなで回しながら、何故か、遠い目をした。


「うん……確かこれは、こっちの色がいいって選んだと思う」


 また、微妙な反応が返ってきた。ここは、気づかない振りでやり過ごそうと決めた。


「……キゼーメの品はどれも豊富な色彩使いですものね。生地選びにいつも時間が掛かるわ」

「うん……クッションを買いに行って、生地から選ぶなんて思ってなかったから……」

「……」


 心の奥底で、マギーに待ったを掛ける声が響き始めた。なにかおかしい。目の前の少女と彼女の待ち物は、あまりにちぐはぐだ。


「あのね、マギー、わたし、このクッションとか、全部ヤーベイン伯爵様に買ってもらったの」


 持ち物と持ち主の関係性をどう探ろうかと悩む矢先に、相手から暴露してくれた。ミオンは伯爵家に縁のある孤児院で手伝いをしていたことで、学院に入れてもらったそうだ。本人自身は下級役人の娘で、生まれも育ちも王都の下町。マギーが感じた通り、高級な品々には無縁の生活を送っていた。


「まあ、そうでしたの。伯爵様に見込まれたなんて、素晴らしいわ」


 褒めそやしながら、マギーは今後の道筋に当たりを付けていた。こういう子は扱いやすい。これまでの生活に無かった物を与えるだけで、簡単に傾いてくれる。ヤーベイン伯爵という切り札すら、簡単に渡してくれるだろう。


(嫡男様はともかく、令嬢のセオラリア様にもお近づきになれるし)


 入学早々、いい拾い物をした。単に、それだけの出会いだと思っていた。


***


「……エリューサス殿下と、一緒に、お茶、ですって……?」


 ちょっとした拾い物は、とんでもない拾い物に急変した。糸屑だと思って引っ張ったら、金糸と宝石のついた絹に繋がっていた、とでもいったらいいのだろうか。しかも糸屑自身は、自分が何に繋がっているのかよく分かっていないという、信じられない事態だ。


(そもそもどうして離婚前提で商売の話になってるのよ……)


 詳しく聞いてみたいが、本人が苦悩しているのでそっとしておいた。それよりも、今後の自分の立ち位置を早急に決めないといけない。今後、ミオンに近づく人間は二種類だ。利用しようとする人間と、排除しようとする人間。どちらに付くのが、得なのか。


(……どうせ、数年で別れてしまうのだし)


 学院の女生徒は大半が修了前に退学することになる。自分だっていずれはきっとそうなると思う。それなら、この危なっかしい糸屑をどこまで引っ張っていけるのか、試してみるのはどうだろう。

 とても魅惑的な考えだった。うまくいけば何よりも得がたい宝石が手に入る。そうすれば――うるさい親戚連中を黙らせることが出来る。


(ナトワーズの後継者は、私だけよ)


 その力を付けるために、学院に入学したのだから。


***


「――あら、また手紙貰ったの?」


 予想通り、ミオンに対する嫌がらせが始まった。ミオンは、他人を巻き込むことを嫌がって隠そうとしていたが、隠し方が稚拙すぎる。出会ってからの時間は短いけれど、今までそんな嫌がらせとは無縁の、脳天気な人生だったことがよく分かった。


(本人が気づいてなかっただけかもしれないけど)


 犯人の目星もついているが、ミオンは知りたくないようだった。かといって放っておけば相手はつけあがって、手紙どころで済まなくなる。特に今回送られてきて手紙は、無駄に高尚な言い回しを多用しているところからしても、一刺ししておきたい相手だ。どうしようか。


「……うってつけの人がいるじゃない」


 策士は策に溺れさせてしまえばいい。マギーは、あくまでも友人が心配で仕方ないといった態度で、アルファドに相談した。アルファドは、どこまでも紳士的な態度で手紙を受け取り、内容に軽く目を通した後に微笑みかけてきた。


「君、マギーだっけ。ここに書いてあるこの詩文、どう思う?」

「いくつか引用がありましたけど、『水面の花』だけは疑問が残ります」


 これは試験だ。この手紙の、どこを突けば送り主に致命傷を与えられるのか答えてみせよと問われている。模範解答は出来たはずだ。

 アルファドは、ちょっとだけ悩むような素振りをしてから口を開いた。


「そうだねえ、この詩文は解釈が多数あるから、よく議論されるんだよね。各地から選りすぐりの新入生も入ってきたし、また意見交換でもしようかなあ。これ、僕がしばらく預かってもいいかな」

「はい。お願いします」

「いい素材を持ってきてくれてありがとう。エルも、じゃない、エリューサス殿下もこういうの好きだから、喜ぶと思うよ」


 最後に向けられた笑顔を、マギーは直視出来なかった。周囲が冷え冷えとしていたのはきっと、気のせいではないはずだ。

 そして結果は、あの通り、だ。覚悟を決めて相談しにいった甲斐があったと思うのだが、一番の被害者であるはずのミオンが、手紙の送り主に同情的だったのは今でも納得いかない。


「だって、こっそり隠して書いた物を公開されて、『あれ書いたのあいつだよ』とかこそこそ言われたら、部屋から一生出たくないと思うし」

「……そのこっそり書いた物があなたを脅しているって言う事実はどうなのよ」

「あれは読めなかったから脅されてると思えなかったし、いいかなって……」


 この辺から、少しずつ、ミオンの人となりがわかってきたように思う。よく言えばお人好し、悪く言えば鈍感。クロシェナが夕食の場に乗り込んできたときには、どうやって交わすのかを考えてるのに精一杯だったというのに、ミオンはクロシェナにぶつけないように椅子を引くのに一生懸命だった。そのことに気づいた瞬間、その場で全部投げ出さなかった自分を褒めてほしい。

 しかも、どうにか撃退して次からの対処法を伝授すれば、ミオンは渋い顔だった。


「でも……絵のことを言ったとき、クロシェナ様、今にも死んじゃいそうな顔してたし……あんまり酷いこと言い過ぎると後で仲直りしにくいじゃない?」

「仲直りって……」


 さすがに気力が尽き果てて、ふて寝した。

 後は勝手にしろと突き放すつもりだったので、エリューサスからクロシェナに再び絵を描かせろなんて無理難題を突きつけられた時も、他人事だった。そもそもそんなのは、本人の気持ち一つだ。他人が横から口を出す問題ではない。ただ、エリューサスが口に出せば命令になってしまうので、ミオンにやらせようということなのだろう。


(……でも、なんでミオンなのかしら)


 よりによって、クロシェナが今一番敵視している相手だ。どんなにミオンが歩み寄ろうとしても、反発しか生まれないのは目に見えている。

 ミオンもそれは分かっていた。それでも、最善の方法を考えていた。そして、問題の本質を見抜いた。


「噂が出てきた目的って、実は侯爵様の評判を悪くすることじゃなくて、クロシェナ様に絵を描かせないことだったんじゃないかなって思ったの。わたしの考え、どこか間違ってる?」

「……間違ってないわね」


 ミオンの考えも、ミオンを選んだエリューサスの考えも、間違っていなかった。

 試作品の画集を前に、クロシェナは「仕方ないわね」と言いつつも嬉しそうだった。あれから何かと付けてはミオンのことを気にしているのも、遠回しの感謝のつもりなのだろう。

 画集は、今では王都で流行の品になった。幅広い分野に転用されて、埋もれていた写真や印刷の技術も勢力を伸ばしつつある。それでいて、絵画という分野にダメージは無い。新しいギルドを後援する商会も、潤っている。憂き目を見たのは、王室専用絵師たちだけだ。彼らだって解雇されたわけでもなく、ただ、これまでの特権が無くなっただけなのだから、全体を見れば八方丸く収まっている。

 これだけの偉業を成し遂げたミオンの感想はと言えば、


「これでクロシェナ様に文句言われなくて済む……」

「あなたの問題ってそこなの?!」


 つい、声を荒げてしまったことは、反省している。


***


「新しくサロンが出来る予定なんだ。主催者は中級科のクアイド・ダーフィ」


 新しい年まであと一ヶ月というときに、マギーはアルファドに呼び出されていた。


「君と、ミオンに誘いが行くからよろしくね。サロンが出来たら、僕とエルもたまに呼ばれる予定だから」


 予定、予定、予定。そういいながら、アルファドの話は完全に決まった未来だ。マギーは、頷くだけだ。そろそろ原因がどこにあるのかも分かっている。


「クアイド・ダーフィって誰なの」


 寮に戻ってから問い詰めれば、ミオンはしどろもどろで説明を始める。人が留守の間に何をやっているのか。そういえば、よく地図を眺めては、ため息を吐いていたような気がする。


「それでね、いくらアル様でも誤解されたままじゃ辛いでしょ? だから何かみんなとお話し出来る場所があったらどうかなって」

「……」


 誰もアルファドを『誤解』していないと思うのだが。ヤーベイン伯爵家の嫡男は、第一王子のためならどんな泥でも被るというのが一般的な見解なのだが、ミオンには通じないらしい。学院に入れてもらった恩が目を曇らせているのかもしれない。


(……ただのお人好しとも言うけど)


 しかしこれでさらに王族に近づけると思えば、ミオンのお人好しにも感謝を捧げたい。先日の葬儀の時にも、親戚方から婿取りの話がうるさいくらいだった。弔問客も商会に取り入ろうとしている人間ばかりで、弔意なんて欠片も見えなかった。ここはひとつ、王族にも繋がりがあることを見せつけて黙らせることも視野に入れたい。

 そんな打算づくめで参加したサロンだったが、意外にも楽しかった。資料集めとしてクアイドには容赦なくこき使われたが、サロンでは決していい加減な話はしないという筋の通った態度には感心した。

 そんなクアイドが、迷子犬の探し屋を紹介したときのミオンの態度は少しおかしかった。


「迷子猫も探してみたいです」


 どこから迷子猫が出てきたのか、そのときマギーには分からなかった。

 それから話は少し不可解な方向に進んだ。


「マルティド教団からの正式な回答は『そのような事実は存在しない』だそうだ」


 辻説法の見習い神官が子犬や子猫を集めているという噂を耳にしたミオンは、アルファドの注意も無視して一人で確かめに行き、案の定、エリューサスとアルファドの二人がかりで怒られた。謹慎まで言い渡されて反省しているかと思えば、


「フィルフィーの新作、買ってきてくれるよね?」

「それも含めての謹慎でしょ!」


 ちっとも反省していなかった。


「だいたい、いきなり青い顔で帰ってきて、そのまま泣き寝入りされて一番びっくりしたのは私よ?!」

「はい、ごめんなさい!」


 説教を追加しておいたら、さすがにしょんぼりしていたので、一晩で許してあげることにした。


「眠れなかった? 夕べは私も言いすぎたわ」

「ううん、大丈夫……わたしも黙って勝手なことしたから……それでいろいろ考えてて」

「フィルティーのことなら、買ってきてあげるわよ」

「ありがと……でもそれだとマギーが怒られちゃうし。それならわたし、もう学院を辞めたほうがいいかなって」

「お菓子くらいでそこまで悲観的にならなくてもいいと思うけど……」


 いいながら、本当にミオンの悩みがお菓子なのかと、マギーは疑問に思った。ミオンならあり得るが、ミオンにだって他に悩みがあるかもしれない。例えば、今回エリューサス殿下の元に現れたアビアナ王女殿下、とか。

 ミオンも一応、年頃の女の子だ。エリューサスに多少の憧れを抱き始めたっておかしくない――可能性はとても低いが。そこに『エリューサスの婚約者候補』という存在が登場して、多少なりとも動揺しているのではないか――可能性はとてつもなく低いが。


「ねえ、ミオン。全然望みが無いわけじゃないのよ。アビアナ殿下がいらしたからって別に急にあなたのことを遠ざけることもないはずだし」


 そんな、揺れる乙女心を精一杯理解したつもりのマギーだったが、ミオンは、あくびまじりにこう言った。


「……なんでアビアナ様が関係あるの?」

「なんでって……じゃああなた、なんで急に学院を辞めるなんて言い出したのよ」

「えーと……ちょっと人生設計をやり直そうかなみたいな?」

「もっと具体的に」


 詰め寄ると、ミオンの背中が面白いくらいに真っ直ぐに伸びた。


「猫一匹飼うのにどのくらい働いたらいいかなって考えてました!」


 長い長い長い沈黙の後、マギーはふらりと立ち上がった。


「……さっさと支度しなさい。朝食に遅れるわ」

「はい……」


思ったより長くなったので分けます……続きは早めに投稿いたします。


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