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街人Aの出番は一瞬ですよ?  作者: 鈴森蒼
王都大掃除編
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(泣いてもいいかな)


 初めて街人Aの記憶を思い出したのは十歳の時。あれから五年掛けてようやく救い出した子猫と一緒にいられた時間は、十日にも満たなかった。


(しかも実は子猫じゃありませんでしたとか、ひどい!)


「――話は最後まで聞け」


 襟首に衝撃が走った。ぐえ、とおかしな声が出る。


「エル、様……?」


 襟首を掴んでミオンを無理矢理引き起こしたのは、エリューサスだった。


「お前がやりたくないというならあの子猫……じゃないな。あの聖獣の仔は、箱詰めして送り返すだけだ」

「箱詰め?! いくらなんでもそれは可哀想です!」

「しかしもうあの獣は、お前以外の世話を受けつけないと聞いている」

「……」


 礼拝堂から連れ帰ってから、片時も離さなかったのだから当然の成り行きだ。獣医に診せるときだって、ミオンがずっと側で宥めていた。今は部屋で眠っているので大人しくしているが、目を覚ませば鳴きながら部屋中を走り回ることだろう。


(でも……街じゃ暮らせない……)


 獣の成長は早い。あの子も、あっという間に大人になってしまう。そうなってからでは、山に返しても生きていけない。ミオンだって、それくらい理解している。


「お前が一緒に行けば大人しくしているだろうし、親元に返すのも容易だろう。拾ったんだから最後まで責任をもって返してこい」

「……わかりました」


 厳しいが、エリューサスの言葉は不思議と心に染みた。あの子の幸せを願うなら、それが一番の方法だった。イヤだと泣き叫ぶ感情に蓋をして、頷いた。


「ありがとう、ミオン」


 これでハベト族も安心だとアビアナに抱きしめられて、ミオンはちょっとだけ泣いた。

 そうして、ミオンは再びハベト族領へ向かうことになった。アビアナは一足先に戻ったので、ミオンはイプスと、メイドのノミルビと馬車を共にした。子猫改め聖獣の仔は、おそらく雌だろうと判断されたので、ティーネと名付けた。山に返すのに名前を付けるのはどうなのだろうとイプスに相談すると、


「成獣の仔だと分かったのに『ねこちゃん』呼ばわりの方が問題だろ」


 問題点がずれているような気もしたが、ミオンは納得することにした。どちらにしろ、名前が無いのは不便なのだ。


(自分の名前だって分かる頃には、お別れかもしれないけど)


 大きくなってから、何かの拍子に再会したとき、名前を呼んで気づいてもらえたらいい。ミオンは何度も名前を繰り返した。「ティーネ、空が綺麗だよ」、「ティーネ、ご飯は美味しい?」「ティーネ――」

 対する答えはいつも「みぃ」だけだったが、ミオンには何より嬉しい答えだった。


「――聖獣が現れているのは、ここからもっと山の方なの」


 道中は何事もなく、無事にハベト族領王宮に到着すると、アビアナの計らいで領王夫妻への挨拶のみで終わった。肩の凝る式典は一切無し。一泊して疲れを癒やした後にはまた、馬車の旅が始まった。今度はアビアナも一緒だ。


「王家の直轄地の一つで、以前はお祖父様の従兄弟の奥様が滞在されていたのだけど、今は離宮の管理人が住んでいるだけなの。彼らだけなら引き上げさせてしまうのだけど、村がいくつかあって」


 管理人と言っても、一人や二人ではないのだろうと、滞在経験のあるミオンには容易に想像がつく。周囲の村は、離宮の管理人に食材等の生活必需品を提供することで生計を立てている者がほとんどだった。聖獣がうろつくようになっても逃げる先が見つからないそうだ。


「今は警備も厚くしているから、安心して滞在してもらえると思うわ」


 馬車の窓から覗くと、ワトズナ離宮と呼ばれる建物は新緑の山々の中に厳かに佇んでいた。周囲を取り囲む灰白色の壁には、ハベト族領王の紋が描かれていて、キラキラと反射している。わざわざ取り寄せた貝の装飾なのだとアビアナが教えてくれた。


(お爺さんの従兄弟の奥さんって、アビアナ様の何になるんだろ)


 ハベト王家の家系図を思い浮かべて、ミオンはじわじわと心をむしばんでくる悲しみを見ないようにしていた。どんどん別れの時が迫ってくる。ティーネもそれに気づいているのか、時折、心配そうな表情で見上げてくる。


(ほんとに、子猫にしか見えないのに)


 例えば、耳。三角で内側は薄ピンクで、ぴこぴこ動いて可愛い。

 顔。逆三角形で青い目は大きくて、鼻と口が小さくて、可愛い。

 前足。柔らかい肉球と、小さな爪が可愛い。繰り出されるパンチはなかなか強力。

 胴体。毛並みが未だ揃っていないせいか、ちょっとぼさぼさで可愛い。

 後足。前足よりちょっと頑丈な感じで可愛い。身長の三倍以上はジャンプ出来る。

 尻尾。黒の縞が入っていて、ふさふさでよく動いて可愛い。

 結論。とにかく可愛い。


「みぃ……」

「あ、ごめん」


 ミオンの膝の上で大人しくしていたティーネは、ミオンが手を放すとぴょんと跳んで、同乗していたアビアナの膝の上に移動した。


「あら、どうしたの」


 アビアナが嬉しそうにティーネの背中を撫でた。


「触りまくっていたら嫌がられちゃいました」

「可愛いものね」

「それもあるんですけど、大きくなったら熊みたいになるとは思えなくて」


 実際に襲われたイプスでさえ、本当に成獣の仔かと疑っていた。アビアナだって、聖獣の成長過程に詳しいわけではないから、獣医の言葉を信じるしかない。獣医曰く、『腹部に生えている紫色の体毛』が決め手だそうだ。成長すると、この紫色の毛が聖獣特有の模様を描くらしい。ティーネは確かに、お腹に紫色の毛がぽよぽよと生えている。


「どんな獣でも、小さい頃は小さくて可愛いものだから、ね」

「そうですね……」


 アビアナの膝で丸くなるティーネは、撫でられて目を閉じていた。あとどのくらい、そうやって膝の上にいてくれるのだろう。


(もうすぐお別れだから、大きくなるところは見られないね)


 馬車は中庭を通り抜けて、玄関前で止まった。アビアナからティーネを受け取って、ミオンは馬車から降りた。

 直後、悲鳴が聞こえた。


「――聖獣が!」

「兵はどうした!」

「お早くお逃げください!」


 次々と叫びが連鎖する。すかさず、馬車を降りたアビアナが指示を飛ばした。


「ミオンを中へ! 早く!」


 周囲にいた使用人達がミオンを取り囲み、離宮の中へ入るように急き立てる。


「みぃ!」

「ティーネ!」


 何を思ったのか、ミオンの腕からすり抜けたティーネは、門の方へと走った。ミオンも使用人達の手を振り切って追いかける。


「ミオン!」


 中庭の真ん中でティーネを捕まえたとき、急に日が陰った。大きな気配を感じてミオンはゆっくりと顔を上げた。


「わ……」


 ミオンの背丈の倍以上はあると思われる、大きな灰色の獣が一頭、そこにいた。獣はミオンを威嚇するように見下ろしてきたが、ティーネが一声鳴くと、雰囲気が変わった。


「みぃ」


 ティーネの前足に腕を叩かれて、ミオンは我に返った。ティーネはミオンに頭を押しつけた。そのぬくもりにほっとしている間に、ティーネはまた腕からすり抜けていった。


「あ」


 ティーネは迷わずに巨大な獣の方に走っていった。灰色の大型獣は足下にじゃれつく小さな獣を愛おしげに見つめていた。


(……迎えに、来たんだ……)


 一通りじゃれついて満足したティーネは、ミオンを振り返ってもう一度鳴いた。


「みぃ」

「ティーネ」


 ミオンが呼んでも、戻らなかった。やっぱりまだ、自分の名前だと分かっていなかったようだ。親聖獣はティーネをくわえると向きを変えて走り出した。その先は高い塀なのだけども、難なく飛び越えて、見えなくなった。


(いっちゃった……)


 別れを惜しむ暇も無かった。ぽかんと、身体に穴が開いたように気がした。


「ミオン」


 アビアナに呼ばれて、ミオンは振り返った。アビアナの表情が曇った。それから、視界がアビアナでいっぱいになった。抱きしめられたと分かると、鼻の奥がつんとなった。


(ティーネが、行っちゃった!)


 耐えきれず、ミオンは大声で泣いた。


***


「お加減はいかがですか」


 瞼が熱い。顔が重たい。

 横から聞こえたノミルビの声に応える声が、がらがらだった。あんなに泣いたのは、何年ぶりだろう。アビアナに抱きついた後は、案内された部屋のベッドに潜り込んで、一晩中泣き通した。何度か誰かに声をかけられた気がするが、掛布をきつく巻き付けて気づかないふりをした。


「すこし、冷やしましょう」


 抵抗する気もなくて、ミオンは濡れた布の感触に目を閉じた。あれからどのくらい経ったのだろう。一晩だと思っているだけで、本当は一日か、二日か、それともそれ以上経っているのか。時間の感覚が、無かった。


「お腹は空いていませんか?」


 ミオンは首を横に振った。何も欲しくなかった。このまま放っておいて欲しい。


「……では、また後で参りますね」


 ノミルビは静かに退室していった。ミオンは再び溢れてきた涙を布で拭った。どのくらい泣いたら、悲しくなくなるだろう。


(ずっと悲しいままかもしれない)


 あの暖かくてふわふわの身体に触れることは二度と無いのだと思うと、涙と嗚咽が際限なくこみ上げてくる。今から追いかけて、一緒に山で暮らそうか。


(ティーネ……)


「――みぃ!」

「?!」


 顔の上の布をむしり取って、ミオンは跳ね起きた。今、確かにティーネの鳴き声が聞こえた。耳を澄ますと、今度はノックの音がした。


「ミオン? 起きていますよね? 今開けるから待ちなさい!」


 ノックをしたのはアビアナのようだった。が、呼びかけてくる内容がおかしい。


「こら、そこで回らないで! ぶつかるわ! ほら!」


 ガチャリと扉が開いた途端、隙間から何かが飛び出してきた。思わず両手を伸ばしたミオンは、信じられないものが手の中に収まっているのを見つけた。


「ティーネ?!」

「みぃ!」


 ぐりぐりと頭をミオンにこすりつける灰色の毛玉――ティーネがそこにいた。え、なんで、どうしてと戸惑いながらも、ミオンはしっかりと、ふわふわの感触を抱きしめていた。暖かかった。


「まあ、酷い顔してるわ」


 遅れて入って来たアビアナが、ミオンの頬を撫でた。疑問が今にもあふれ出しそうなミオンの唇をそっと押さえて、微笑む。


「とりあえず、顔だけ洗って。支度が出来たらまた来るわ」


 ノミルビに後のことを言いつけて、アビアナは出て行った。


(支度……?)


 ティーネがどうしても離れなかったので、ノミルビに手伝ってもらって、ティーネを肩に乗せたまま顔を洗い、次に頭に乗せたまま着替えを済ませた。


(ティーネ……山に帰ったんじゃ、なかったの?)


 都合の良い夢を見ているのかと、ティーネの身体に手を伸ばすと、向こうからすり寄ってくる。本物ですよと、ノミルビに笑いながら言われても、まだ信じられなかった。


「少し落ち着いたようね」


 支度が出来たことを伝えると、ほどなくアビアナと、もう一人、灰色の髪の女性がやってきた。化粧気の少ない顔は、母と同じくらいの年齢のように見える。ミオンと目が合うと、優しそうな微笑みが浮かんだ。


「あなたが、ミオンね」


 近寄ってきた女性は、小柄で華奢だった。着ているのは緑色のシャツにスカートと、離宮の客にしては質素だ。


「初めまして。私はアローザ。あなたと同じ、聖獣の一人よ」

「初めまして。ミオン・ハルニーです」


 名乗り返しながら、ミオンは思わずティーネと目の前の女性を見比べてしまった。女性の言う聖獣が、神託の解読者を意味すると思い出したのは、女性が笑い出した直後だ。


「そうよ、その子も聖獣。一番新しい一族の仔なのよ」

「みぃ」


 分かっているのかいないのか、ティーネが元気よく鳴いた。

 まずは座りましょうと促されて、ミオンはノミルビが用意してくれた椅子に腰を下ろした。ティーネを膝に乗せ直すと、アローザが目を細める。


「この子をを助けてくれてありがとう」

「いえ……」

「この子から全部聞いたわ。この子を攫った人間のことも、あなたが助けてくれて、優しくしてくれたことも」

「……あの、それ……ティーネから、聞いたんですか?」


 まさかね、と半信半疑で尋ねれば、アローザは口元に手をあてて上品に笑った。


「疑うのも当然ね。でも私もこの子も同じ聖獣よ。話せないわけがないでしょう?」

「えーと……」


 ないでしょう、と言われても、納得出来ない。戸惑うミオンを真っ直ぐに見つめて、アローザは言った。


「あなたも、いずれはこの子と話せるようになるわ。この子だけじゃない。あらゆる聖獣とね」

「あらゆる……?」


 アローザの言葉はとても誘惑的だった。優しく響いて、ミオンの心の中に根を下ろす。


「ええ、あらゆる、よ」


 頷いたアローザは、片目をつむって見せた。


「でも、少し練習しないといけないわ」

「はあ……」


 肩すかしを食らった気分で、ミオンはティーネを見下ろした。ティーネは気持ちよさそうに微睡んでいる。


(……話せる、のかな)


 二度と会えないと思ったティーネが膝の上にいるというだけでもまだ信じられないのに、練習すれば話せるなんて、やっぱりこれは夢の続きだろうか。


「……どうしたらいいんでしょうか」


 夢なら、覚めるまでは、泣かないでいられる。このままティーネを撫でていられる。ティーネと話も出来るらしい。好いことずくめだ。

 アローザは微笑んだ。


「簡単なことばかりよ。まず最初は、しばらくこの子と一緒に暮らしてもらうことね」


 そんなことならお安いご用だ。ミオンは微笑み返した。もうずっと、目が覚めなくてもいいと思った。


「わかりましした」


 ミオンが頷くと、立ち上がったのはアビアナだった。満面の笑みで、宣言する。


「これで決まりね。早速引っ越しの準備よ!」

次で最終話の予定となりました。


今回もお読みくださって、ありがとうございました!

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