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――子猫を助けたら。
寮では飼えないから、実家に連れて帰って。父は、頼めば最後は許してくれるだろう。母は、自分で世話ができないならダメと言うと思う。それなら学院を辞めて働いて、子猫と一緒に楽しく暮らす――はずだったのだが。
「メザヤの奴は、騎士団本部で締め上げられてるそうだ」
「そうですか」
計画は大きく狂って、ミオンは今また、アビアナの別邸の居候になっていた。
たぶん、子猫を助けるときにロネとティオナの手を借りた時点で、軌道から外れたのだと思う。
計画が狂ったのは、騎士団も同じだった。ロネに叫ばれて、張り込んでいた騎士団員は大慌てだった。秘密裏に行動している自分たちの存在を、一庶民に看破されたのだから、一瞬でも乱れたのは仕方ない。続いて予想外の侵入者が四人に増えて、秘密教団側も混乱した。その混乱に乗じて、ミオンは子猫と共に脱出した。
それ以外は、シナリオ通りに進んだ。騎士団はアリーゼを救出し、教団員を取り押さえた。シナリオと違っていたのは、アリーゼが救出されたのは魔神召喚の儀式の前だったことと、生贄用に集められた動物が一匹残らず解放されたことだ。
今度こそ、ミッションコンプリート――子猫を抱えてうきうきと礼拝堂の外に出たミオンを待っていたのは、エリューサスとアルファドとアビアナだった。
「話を聞かせてくれるよね?」
アルファドが笑顔を向けてきたとき、ロネとティオナが痛ましげに視線を逸らしたのをミオンは知っていた。そういえば、どうしてこの二人はこの場にいたのだろう。後を付けられていたとしか思えないのだが、その理由もよく分からない。
まだ騒ぎの収まらない騎士団を横目に、ミオンは馬車に乗せられて、アビアナの別邸へと連れられてきた。事態が収まるまでここにいろと言われて数日が経つが、未だに誰も何も言ってこない。どうしてあんな所にいたのかと質問攻めに遭うと思っていたが、それも無かった。何も言われないというのも逆に怖い。訊かれたときのために、言い訳は一応用意しておいた。子猫相手に練習もしてみたが、緊張感がなさ過ぎて練習にならなかった。
子猫相手に独り言を繰り返していると思われたのか、イプスがたびたび様子を見に来てくれた。イプスはあれからハベト族領と王都を行き来していたそうだ。アビアナの直属という位置づけで秘密教団の事後処理に追い回されているとぼやいていた。以前より楽しそうに見えたことは、言わないでおいた。
「よりによって、解読者のあの子を人質にしたんじゃ、言い逃れは出来ないだろうな」
「そうですか」
今日はアビアナから事件のその後を話してこいと言われて来たそうだ。その場にいなかった人間に報告させるのもどうかと思うが、知らない人間から事務的に聞かされるよりは気が楽だった。
王宮では、アリーゼがどうしてあの場にいたのかも議論になっていたが、唯一の神託の解読者とされているアリーゼを危険に晒したことの方が大きな問題になっているらしい。騎士団を指揮していた第二王子の責任を問う声も上がったが、現在は沈静化しているとのこと。
「第一王子がうまく立ち回ったらしいって、姫さんがいってたな」
「そうですか」
エリューサスなら、そして背後にアルファドがついているなら大丈夫だろう。元々テルスター達は入念に計画を練っていたわけだし、アリーゼの乱入は誰にも予想外だったからだ。
(そういうシナリオだしね)
過去の記憶を探っても、この一件でテルスターは汚点を残すどころか、エリューサスに一歩近づいたと自信を付けたことになっている。ギノも同様だ。ただ彼の場合は、任務と人命を秤に掛けて揺らぐ己を自覚するイベントでもあったのだが、街人Aの役割を終えた今となっては、どうでもいいことだ。あとは各人が頑張ってアリーゼと幸せになって欲しい。
「これで教団は完全に終わりだろうが……今回のことも含めて、あいつら目立ったことはそんなにやってないからな。投獄されるかどうかも怪しい」
「そうですか」
魔神召喚も未遂、アリーゼを生贄に捧げるのも未遂に終わっている。王都への呪詛など表沙汰になる前に防いでしまったので、教団の罪は曖昧になってしまった。叩けば埃が出る身なのは間違いないが、メザヤはシャグマに責任をなすりつけようとしているそうだ。メザヤらしいと、イプスは嗤った。
「死人を盾にするなんて、って姫さんがかなり怒ってたな」
「そうですか」
イプスの方は、もう怒る価値も無いと言わんばかりだから、割り切れているのだろう。
一方で、従兄弟を一方的に貶められようとしているアビアナは、今回の事件におけるハベト族の関わりを完全否定するのに大わらわだった。シャグマこそがメザヤに利用されたのだと訴え、ハベト族こそが一番の被害者であることを有力者に主張して回る。同時にハベト族は武力による独立を望んでいないことも改めて宣言する。難問だが、これにもエリューサスとアルファドの援護がつくから、大丈夫だろう。
「……そんなの、今更の話なのにな」
ミオンは毛糸の束を振る手を止めて、振り返った。
「今更なんですか?」
「お嬢ちゃん、聞いてたのか」
意外そうに聞き返されて、ミオンは当然ですと頷いた。
「イプスさん、独り言のつもりだったんですか?」
「いや、どう見ても人の話を聞いてる態度じゃないだろ、それ」
イプスが顎で指したのは、ミオンが持っている毛糸の束だ。その先には、今にも飛びかかろうとして尻尾を揺らしている灰色の子猫の姿がある。
「遊んでいるのは手だけですから、大丈夫です」
ミオンは毛糸の束を振る作業を再開した。子猫がぴょんと飛びかかる。毛糸の端を掴んで噛みついて、またぴょんと離れて身構える。ソファの上から下まで縦横無尽に駆け巡っているので、ぽすっ、ぺしっ、とすん、ころん、と気の抜ける音が、合いの手のように会話に加わっていた。
「……そのソファ、もうぼろぼろだな」
「この部屋の物なら好きにしていいと言われたので……」
ミオンだって心が痛まないわけではない。この部屋は、かつてアビアナの遠縁の姫として招かれていた際に使っていた部屋だった。以前と異なっているのは、ソファのあちこちから糸が飛び出ている他、椅子の脚の爪研ぎ傷や、トイレが間に合わなくて絨毯に粗相をした跡があることか。子猫と一緒に過ごした数日で、一生掛かっても返しきれない負債を背負っている自覚は、ある。壁とベッドがダメになる前に帰りたいものだ。
「で、何が今更なんですか?」
話を蒸し返すと、イプスは額を指先で掻いた。
「ごまかされてくれなかったか」
「えーと、話したくないことだったらごめんなさい」
「いや、いいんだ。今更ってのはな、メザヤがシャグマを盾にしてたのは最初からだったろうにな、ってことだよ」
「最初から……?」
確かメザヤはシャグマに勧誘されて教団に入ったのではと問い返すと、イプスは頷いた。
「ああ、そうだったな。でも今考えても、あいつは最初から自分の考えを通すことしか思ってなかったんだろう。聖獣に襲われたときも、あいつはシャグマを守るどころか真っ先に逃げ出したしな」
だからメザヤがシャグマに罪をなすりつけようとすることは最初から分かっていたと、イプスは言った。
「もしかしたらあいつが俺たちに聖獣をけしかけたのかもしれない……ってのは被害妄想だな。忘れてくれ」
「そうします」
「お嬢ちゃんは良い子だな」
イプスは笑いながら去って行った。
エリューサスとアルファドとアビアナが揃ったのは、そんなやりとりがあった翌日のことだった。
「長く待たせてしまってすまなかったね。もっとも、アビアナ殿下が最上のもてなしをしてくれたと思うけど」
大きな丸テーブルを囲んで、ミオンは順番に出席者の顔を見た。イプスの話では、三人ともしばらく多忙な日々を送っていたらしいが、疲れた様子は見えなかった。いつもどおり、アルファドが口火を切れば、アビアナが当然とばかりに顎を反らす。
「きちんと今回の事後報告もさせてありますわ」
イプスは今回同席していない。肩の張るお茶会はゴメンだと、さっさと逃げていった。お茶会と言っても茶菓子の無い、本当にお茶のみの会なのでミオンも辞退申し上げたいところではある。
「それは助かります。で、ミオン、君はその間にいろいろ言い訳を考えていたと思うけど」
「はあ……」
当然だが、ミオンの考えることなどお見通しだった。何を言っても信用されないのに何か言わなければならないというのは非常にやりにくい。
「今回の事件で、どうしてあの場に居合わせたのかは、特に訊かないことにしたよ」
「はい、えーと実は…………は?」
既に回答準備に入っていたミオンは、危うく自爆するところだった。
「何か言いたいなら言ってもいいけど?」
「い、いえっ、そういうことじゃないです、けど……」
どうして、という思いは表情に残ってしまったらしい。アルファドが視線を横に流すと、エリューサスは、珍しくため息交じりに口を開いた。
「昔から、お前は何かをずっと探しているようだったからな」
「……」
「ロネから聞いた。子猫を見つけて、追いかけていったと」
「……」
「見つけたときには、本当に嬉しそうだったとティオナも言っていた」
「……」
「俺には分からない理由がお前にはあったんだろう。だから訊かないことにした」
これでどうだと言わんばかりに、エリューサス。ミオンは、ただただ、目を丸くして頷くしかできなかった。
「あの……ありがとうございます?」
「そこで何でありがとうなの?」
笑いを含んだ声でアルファドに問われて、ミオンは首を傾げた。自分でも理由は分からないが、礼を言うべきだと思った。
「アルファド様には分からないようですね」
「アビアナ殿下はおわかりになると?」
「当然ですわ。そこまでエリューサス殿下に信用されているのなら、安心です」
アビアナが何故か誇らしげな顔で頷きかけてくる。
(信用……なのかな?)
この温かい気持ちをその一言で片付けたくなくて、ミオンは答えを保留した。それよりも、アビアナの言葉に続きが気になって仕方がない。
「あの……安心って、何がでしょう……?」
「実はね、ミオン、あの子猫、あなたにすごく懐いているでしょう?」
「はい、まあ、ええ……えへへ……」
みぃと鳴いてすり寄る仕草を思い出して、ミオンはこみ上がる笑いを抑えきれない。
「それで、あの子の世話をあなたに頼みたいのだけど」
「もちろんです!」
頼まれなかったらこちらから頼みたいくらいなので、問題は無い。
「あ、でも寮では飼えないので、父と母の説得を一緒にしていただけると――」
「あの子を飼うのは無理よ」
アビアナの非情な通達に、ミオンは息が止まるかと思った。
「え……飼えないって……どうして……」
「あの子が雄か雌か調べてもらうのに、獣医に診せたでしょ? そのとき分かったのだけど、あの子猫、本当は子猫ではなかったの」
世界の秘密を打ち明けるかのような、厳かな声でアビアナは言った。そういえば、結果を聞いてなかったなと思い出す。名前を決めたいので早く教えて欲しいのだが。
「……もう大人だったとか?」
「そうではなくて。あの子、猫じゃなくて……聖獣の仔だったのよ」
「え?」
聖獣と言えば、実は獣ではなく神託の解読者を指すと教わったばかりだが。
「それも違うわ、ミオン。解読者の話ではなくて、本当の獣の方の聖獣の話よ?」
ミオンの心を読んだかのように、アビアナは先回りした。ミオンは記憶を選び直した。そちらの聖獣と言えば、シャグマを葬り、イプスの片目を奪った大型獣のことだ。
「あの……熊みたいな狼っぽい、聖獣、ですか……?」
「その聖獣よ」
アビアナはようやく意思の疎通が出来たことにほっとした。が、その表情はすぐに曇った。
「あの子がどこからどうやって王都に来たのかは分からないけど、少なくとも親はトクリム山脈のどこかにいるわ。そしていなくなった子供を探しているの」
新年が明けてから、人里近くで聖獣と思われる獣の痕跡が多数見つかることが続いていると、アビアナは言った。これまで人の近くには寄りつかなかった獣の異常な行動の理由がわからず、付近の住民は不安な日々を送っていたという。今回、ミオンが拾った子猫が聖獣の仔であることが判明したことで、親が子供を探して出てきているのだろうと言うのが、ハベト族領王宮が出した結論だった。
「えーと、それって……返さないとダメってことですか……」
「残念だけど、そういうことになるわ。それでね、その役を懐かれているあなたに――」
アビアナの言葉の後半は、もうミオンの耳には届いていなかった。
(そんな……せっかく……助けたのに)
絶対にイヤだとごねるのには、ミオンは内情を知りすぎてしまっていた。いくら懐いていても、どんなに可愛くても、このままミオンの側に置いておけば、ハベト族の人々が冤罪で聖獣に襲われかねない。しかも子猫だと思って育てていたら、巨大な熊狼になりました、では笑い話にもならない。
(でも……ずっと……みぃ、って鳴いてたんだよ?!)
そんなの詐欺だ!――体中の力が抜けるような感覚に堪えきれず、ミオンはテーブルに突っ伏した。
ねこねこ詐欺の被害者はこちらです。
今回もお読みくださいまして、ありがとうございました!




