表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
街人Aの出番は一瞬ですよ?  作者: 鈴森蒼
王都大掃除編
54/60

52

『わあ、見て! 可愛い子猫!』


 声が上がったのは、通りの反対側からだった。

 思わず振り返ったアリーゼは、視線の先にグレーの毛皮に覆われた小さな子猫を見つけて微笑んだ。


「本当に可愛い」


 撫でさせてくれるかなと一歩近寄ると、子猫は「みぃ」と小さく鳴いて、手前の路地に駆け込んでいってしまった。


「あ、待って」


 綺麗な毛並みだった。どこかの家で飼われている子だろう。迷子になったら可哀想――様々な思いが一瞬のうちに駆け巡って、アリーゼは走り出していた。子猫が入ったのは、すぐそこの路地だ。


「いない……」


 曲がってすぐ、子猫の姿は見えなかった。一本道の路地は突き当たりで右に折れていて、隠れる場所も無い。アリーゼは曲がり角まで来て、足を止めた。


「……?」


 曲がり角の先に、人がいた。町でよく見かける風体の中年男性は、小声で悪態を吐きながらその場で足踏みしていた。奇妙なダンスを踊っているのかと思った。それだけ見ると近寄りがたい感じの人ではあるが、男性が曲げた腰を伸ばした時、両手の間に子猫が捕まえられているのが見えた。


「やっと捕まえたぞ。ちきしょう、いてぇじゃねぇか! 大人しくしろ」


 飼い主とは思えない発言の数々に、アリーゼは一歩前に出た。男はこちらに背を向けていた。大きめの布袋を片手にぶら下げて、きょろきょろと周囲を見回していた。


「ち……」


 男は最後に背後を見て、アリーゼの存在に気づいた。舌打ちして視線を逸らし、そそくさと路地の奥へと小走りに立ち去った。


「どうしよう」


 悩んだのは一瞬で、アリーゼは男の後を追いかけた。うまく説明出来ないが、男が怪しいと直感的に思った。

 男が入った路地は先で左右に道が分かれていた。左の視界の隅で影が動いたような気がした。アリーゼはそちらに向かった。次は右。もう一度、右。その次は――そうやって人影を追いかけて何度も路地を曲がった後で、男が建物の中に入っていくのが見えた。


「ここは……」


 周囲の建物より一回り大きい建物は、妙な威圧感をアリーゼに与えてくる。ここはあの男の家なのだろうか。扉から少し離れた位置に窓があったので覗いてみたが、中は暗くてよく分からない。


「見えないか……」


 アリーゼはゆっくりと建物沿いに歩いた。少し先にもう一つ扉があるのが見えた。しかも、最後の通行人がうっかりしていたのか、細く、開いている。

 アリーゼは周囲を見回した。人影は無い。わざとゆっくりと歩き続けて、住人のような振る舞いで扉を開けて、中に滑り込んだ。

 ――パタン。

 扉は小さな音を立てて閉まった。細い廊下が、アリーゼの前に伸びている。はめ殺しの窓は曇っているが、歩くのに不自由の無い光を通している。アリーゼは深呼吸してから、一歩ずつ足下を確かめて進んだ。吸い込んだ空気に、微かな異臭を感じたが、何の臭いなのかは分からなかった。


「あの人、どこに行ったのかな」


 進むと、曲がり角に当たった。その先は急に暗くなっている。高い位置にある小さな採光孔から、気持ち程度の光が入っているが、床に届く前に霧散している状態だ。正面に、天井から落ちる外光とは違う光が見えた。アリーゼは壁に手をついてゆっくりと進む。


「……声?」


 廊下の突き当たりは、また扉だった。立て付けが悪いのか、隙間から光が漏れていて。近寄ると、光だけでなく、話し声も漏れ聞こえてきた。


「……が、……、お…………よう、……」


 はっきりと聞き取れない。アリーゼはそっとドアノブに手を掛けて、隙間を広げる。


「生贄の数は十分だ」


 衝撃的な言葉がいきなり聞こえて、アリーゼは息を殺して耳を澄ませた。中にいるのは複数の男性のようだ。主に一人が話していて、時たま「そうだ」「そのとおりだ」と賛同の声が上がる。最初に聞こえた言葉から想像出来るように、話の内容は、恐ろしいものだった。


「魔神……?」


 子供の頃、近所の老婆が様々な昔話を聞かせてくれた。その話の中には『マルティド神に取って代わろうとした悪い神様の話』もあった。神になる資格があると思い込んだ獣をマルティド神が諫めて大地の深くに封じた話だった。部屋の中の男たちが話しているのは、その封じられた獣を呼び覚ます計画だった。


「獣と貶められた偉大なる存在を正しい位置に戻すことこそが我らの勤め」

「彼の存在はこの王都の下でまどろんでおられる」


 一人の男が話し終えると、続いて別の男が生贄を捧げて魔神を蘇らせるための具体的な段取りについて説明を始めた。アリーゼは身震いした。こんな事、真面目に語り合うなんてこの人達は正気じゃない。これ以上聞いているとおかしくなりそうだった。アリーゼは静かに後退を始めた。


「生贄って、もしかしてあの子猫……?」


 子猫を袋に詰めた男は同じ建物に入った。それと今の話を付き合わせると、イヤな想像しか思い浮かばない。


「あ」


 進むときとは反対側の壁を伝う手に、別の感触があった。扉だった。暗くて見過ごしていたようだ。扉に耳を近づけると、か細い鳴き声が聞こえた。


「犬……?」


 鳴き声は子犬のようだった。扉を少しずつ開けて中の様子が見えるようになったとき、アリーゼは思いも寄らない光景を目にした。


「なに、これ……」


 部屋は、廊下より明るかった。はめ殺しの窓が外の明かりを薄く採りこんでいた。狭い部屋の中には、鉄柵の嵌め込まれた箱がいくつも積み上げられていた。箱の中には大小様々な犬や猫が押し込められていて、アリーゼを怯えた目で見つめていた。


「助けないと」


 この動物たちが男たちの言っていた生贄だとするなら、放ってはおけない。檻から出して、それから――


「そこでなにしてるんだ?」


 背後で声がした。扉を全開にして、男が立っていた。アリーゼの逃げ道は、どこにも無かった。


*****


「あ、ほんとだ。かわいいねー」


 ポーナが振り返って、同意する。ミオンは指さしたまま、通りの反対側でさらさらの金の髪をなびかせた彼女――アリーゼを見ていた。アリーゼも子猫を見て微笑んだ。子猫はアリーゼを見上げてから、「みぃ」と一声鳴いて路地に飛び込んだ。子猫を追いかけたアリーゼが路地に入るのを確認して、ミオンは小さく頷いた。

 任務完了。ミッションコンプリート。街人Aの役目はこれでおしまい。


「ポーナ、わたしそろそろ戻るね」

「そ。私はもう一件買い物してから帰るわ」

「気をつけて。それじゃあ、またね」


 ポーナに別れを告げて、ミオンは通りを渡った。ポーナがすぐ隣の雑貨店に入るのを確認してから、走り出す。

 新規任務開始。ネクストミッションスタート。この先はただのミオンとして、慎重に、確実に、行動しなくてはならない。


(大丈夫。わたしはもう、アリーゼとは出会わないから)


 話しかけようとしても機会が掴めなかったのは、シナリオにミオンの出番が無かったからだ。ミオンはその条件を逆手に取った。

 アリーゼは今子猫を追いかけて、見慣れない建物の中に入り込もうとしている。別ルートで教団を追いかけていたテルスター達は、アリーゼの存在に気づきながらも、任務を優先する。教団は、アリーゼに見られてしまったので急いで儀式を行い、ついでにアリーゼも生贄に捧げようとする。

 ミオンが子猫を救える機会は、アリーゼとテルスターと教団が出会う直前のわずかな時間だけだ。どこかで誰かと鉢合わせする可能性はとてつもなく高いが、シナリオに登場していないという絶対条件が、ミオンの行動を後押ししてくれる。


(アリーゼより先にアジトに入って)


 何度も繰り返した道筋を辿りながら、ミオンは路地を駆け抜けた。イプスと来たときもそうだったが、この辺りは人通りがほとんど無い。以前は教団の信者があちこちにいたらしいが、テルスター達が仕事に励んだおかげで、教団は身を潜めている。おそらくこの礼拝堂で魔神召喚をもくろんだのは、呪詛を消し去った場所なら、騎士団の監視の目も緩んでいると踏んでのことだろう。


(結局、魔神がなんなのか分からなかったな)


 見覚えのある、扉の並んだ建物の前でミオンは深呼吸する。誰もいない。ミオンは目指す扉に早足で近寄って、手を伸ばす。鍵は掛かっていない。もともとこの扉に鍵は掛からないのだと、あの後イプスから聞いていたので、ミオンは落ち着いて扉を開けて中に入り込んだ。


(アリーゼはもう、見つけたかな)


 集められた動物をどうやって助けるかが、一番の難問だったが、これもイプスからの情報で解決した。あの檻は、実は鍵も何も無くて、ただ上から蓋をして押さえてあるだけだった。上から順番に出していけばいいのだが、どこまで素早くやれるのかが成功の鍵となる。


(まだ早いかな……)


 この先、タイミングを掴むのが難しい。建物の中は静まり返っているようだが、ここから詳しい様子は分からない。まずはあの礼拝堂まで行ってみようと、奥の扉に手を掛けたとき、背後の扉が開く音がした。


「――っ?!」


 部屋の中は、以前に入ったときのまま、テーブルと椅子しか無いので隠れることも不可能だ。ミオンは身を固くして立ち尽くした。


(迷子になりました、知り合いがここにいると聞いてきました、あとは、あとは……えーと!)


 言い訳を必死に考えている間に、やってきた誰かは距離を詰めている。狭い部屋だ。一歩歩けば、すぐ後ろに立つことが出来る。


「こんな所に、何があるんだ?」

「サ、サームス先輩……?!」


 肩に手を置かれて、おっかなびっくり振り返れば、逆光に透けた芝生、もとい緑の短髪のロネが、そこにいた。


「今更、言い訳は不要よ」


 注いで入ってきたのはティオナだ。二人とも下町の住人っぽい、簡素な出で立ちだった。あわあわしているミオンの前で、冷静に状況を把握している。


「騎士団が付近を張り込んでいる。目標はここだな?」

「だとするなら危険よ。何も無いなら今すぐ出ましょう」

「……あの! 先輩たちに、お願いがあります!」


 ロネとティオナがどうしてここにいるのかは分からない。が、テルスター達が教団を追い詰めていることを知っている。下手な言い訳は時間の無駄だ。


「秘密教団が、まだ動物を集めていたんです! ここのどこかにいるんです! もうすぐ生贄にするって言ってるんです!」

「何を……」


 急にすがりつかれて、ロネは戸惑ったようにティオナを振り返る。ミオンは構わず奥へと引っ張った。


「こっちにいったんです。今ならまだ、助けてあげられるんです。お願いします!」

「……よし」


 決断すると、ロネは早かった。ミオンの前に出て扉を開けて先に進む。


「急ぐわよ」


 ティオナに促されて、ミオンも進む。ロネ、ミオン、ティオナの順に廊下を進んで、礼拝場に続く扉を開ける。明かりの灯った部屋は、先ほどまで誰かいたような気配が残っている。


「誰もいないな」

「声が聞こえない?」


 ティオナに言われて耳を澄ますと、どこからか罵声が聞こえて、横手の扉が開いた。ロネは全員を廊下に下がらせて、身を潜める。


「あれは……例の解読者の子じゃないか」


 扉から出てきたのは男が二人と、その間に挟まれた少女が一人だった。金髪の少女が顔をこちらに向けた一瞬で、ロネはアリーゼだと判別した。


(アリーゼは、動物を助けようとして見つかって)


 ミオンはぎゅっと手を握り合わせた。ここから教団は儀式を急ぎ出す。その前に、檻から放つことが出来なければ、五年掛けた計画は水の泡だ。


「サームス先輩、いま、あの人達が出てきところにお願いします」


 男たちが別の扉へと消えたのを確認すると、ロネは無言で動き出した。


(どうか、間に合って)


 ロネの背中を追いながら、ミオンは必死に祈っていた。


「どこだ?」

「たぶん、ここの部屋全部です」


 ロネはすぐさま手前の部屋の扉を開けた。檻の箱が積まれた光景に、ぎょっとする。怯えた子犬が吠えだしたが、一匹だけだ。他は全部、檻の奥に縮こまっている。


「いつの間に、こんなに集めてたんだ……」

「他に部屋も同じだったわ。三人だけでは無理よ」


 いつの間にか、先に見て回ってきたティオナは、手が足りないと判断した。


「一度出て、応援を頼まないと」

「でも! もう、時間が!」

「――みぃ」


 頭上で、小さな鳴き声がした。ミオンが振り仰いだ先、一番上に積まれた檻の中から、灰色の毛玉がもそもそと動いていた。青い目が、ミオン達を見下ろしていた。


「……あの子だ……」


 五年前からずっと探していたあの子猫が、すぐ側にいた。思わず手を伸ばして、それだけでは届かないことに愕然とする。


「わかったわかった。少し下がってろ」


 ロネはそう言うと、ひょいと積み上がった檻の上に飛び乗った。


「サームス先輩、その檻、上が蓋になってるんです」


 ミオンに言われて、檻を調べていたロネは上蓋の両端に手を掛けて力を込めた。鉄と木がこすれ合う音がして、蓋はすっぽりと抜けた。ロネは中に手を差し入れると、子猫をすくい上げた。


「こいつ独りで降りられるかな?」

「わたし、受け止めます!」


 ミオンは精一杯両手を伸ばした。さすがに投げるのは可哀想だと思ったのか、ロネは片手に子猫を乗せると、腹ばいになってミオンの手に乗せてくれた。


「みぃ」

「……やっと、会えたね」


 誰にも聞こえないように、ミオンは子猫に顔を埋めて呟いた。


「お、これちょうど良いな」


 檻は、蓋が外れるだけでなく、鉄柵も簡単に抜けた。ロネは一本を手に持つと、ミオンとティオナに離れるように言った。二人が廊下まで出ると、すぐ横にあったはめ殺しの窓を鉄棒で壊した。

 ガシャン!

 ガラスが壊れたところから、ロネは叫んだ。


「即時突入求む! 自分は学院生のロネ・サームスだ! 中に女の子が捕まってる! 急いでくれ!」

「なんだお前達は!」


 ほぼ同時に、礼拝場に続く扉が開いて、怒鳴り声が響いた。


「中に入って」


 ミオンを部屋の中に押し込んで、ティオナは男に先制攻撃を仕掛ける。すかさず檻の上から降りてきたロネが援護に入り、ミオンは子猫を抱きしめて二人を応援する係に回った。


「もう、大丈夫だよ」


 遠くから大勢の足音が響いてくるのを聞きながら、ミオンは腕の中の子猫を優しく撫でた。

祝・子猫救出!

お読みくださって、ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ