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「ねえ、聞いた?」
新学期が始まってから、毎日のようにアリーゼの噂を耳にするようになった。一般の学生には、アリーゼは入学決定後、すぐに家庭の事情で休学し、その間は自宅学習をして復学の時期を待っていた、と説明されていた。
「それで中級科にもなって学院散策なの?」
「それもね、毎日違う方が案内しているそうよ」
「テルスター殿下まで案内されているとか」
「殿下自ら? サンフィム男爵家に縁続きというだけの、庶民じゃないの」
「昨日は、エナンサ侯爵様のジェヴァン様まで」
ひそひそ囁き合う声は、決まって最後にこう呟かれる。
「いったい、何者なのかしら、あの子……」
(ゲームの主人公です)
アリーゼの正体についてなら、この一言で片が付く。ついでに、アリーゼが気になって仕方ないのは主人公補正による刷り込みのせいですとも教えてあげたい。
(だとしても、いきなり王子様に案内させるのはすごいなあ)
ゲーム開始当初、登場人物紹介を兼ねて校内散策の相手を選択する場面は、この前思い出したばかりだ。それがそのまま現実世界で起きると、一般学生には不可解極まりない行動に映る。一庶民が王族と親しく言葉を交わすという行為がありえないと、身をもって知っているミオンとしては、もう少し遠くから距離を詰めた方がいいと勧めたいところだ。
実際、遠回しでも忠告した方がいいかと思って、アリーゼを探したのだが、いざとなると話しかける機会が見つからない。クロシェナの時もそうだったが、学年が違うと学内での接点は、まず無い。食事の時間も風呂の時間も違うので、寮で偶然出会う、というのも難しい。思い返せば一番最初の食堂でのすれ違いが、一番、距離が近かった。
(あとは部屋に直接行くしかないけど……)
初対面の下級生に「噂になってるから振る舞いにもっと気をつけた方がいいですよ」と忠告されて、素直に受け取ってくれるだろうかという問題もある。
本人がしても、周囲が引き下がらなかったら何も変わらないでしょ――過去の記憶に言われて初めて、思い当たった。
(それは……そうかもしれないなあ……)
アリーゼが距離を置こうとしても、テルスター達が構うのを止めなければ、噂は消えないままだ。それも、アリーゼが強引にテルスター達を引き回しているという悪意に満ちた噂のまま。
風呂上がりを待ち伏せしても、結果が変わらないのでは無意味だ。ミオンはまた、静観モードに戻った。
(たぶん、話す機会って、作られてないんだろな)
ゲームの中で、アリーゼは主人公で、ミオンは街人Aだ。ミオンが通りで声を上げて、アリーゼがそれに反応する。シナリオの中で、ミオンはアリーゼと『会話』をする相手として設定されていない。
(誰かに、代わりに言ってもらうのは……)
「――聞きました? とうとうクロシェナ様があの子に釘を刺したんですって」
新しい噂は、アリーゼが次のイベントに進んでいる証拠でもある。
校内散策が終われば、通常授業の開始だ。アリーゼの成績は、まあまあらしい。休学中の遅れを取り戻そうと、図書館で自習する姿もよく見られるそうだ。この辺の情報が全部噂で聞こえてくるのも、ゲームならではだろうか。個人情報保護がどうたらこうたらと、過去の自分が文句を垂れているのを聞き流して、ミオンは新しい噂に耳を澄ます。
「クロシェナ様も、よく我慢されたと思うわ」
「本当になんなのあの子。図書館でテルスター殿下直々に教わったと聞きましたわ」
「ギノ様も、あんな子、追い払ってくださればいいのに」
女生徒達は、何故か被害者の体で愚痴をこぼしている。彼女たちの身分が如何ほどなのか、ミオンには見当も付かない。三日に一度でもテルスターと朝の挨拶が出来れば良い程度ではないかと思っている。
(クロシェナ様が動いちゃったのかあ……こじれ始めてきたのかな)
親密度上げの小イベント中よ――過去の記憶の呟きにも耳傾けなければならないので、ミオンは見かけ以上に忙しい。
(親密度?)
日頃から親しくすることで好意を持ってもらう。アリーゼがしていることは、ごく普通の恋愛行動と何一つ変わらないのだが、目立つ時期に目立つ人相手に目立つことをするから反発を呼ぶ。クロシェナは諫めるつもりでアリーゼに忠告するのだが、生来の気位の高さから『優しく』『同じ目線で』『遠回しに』伝えることは不可能だった。故に周囲は、クロシェナがアリーゼにケンカを売ったと見なしてしまうわけである。
(クロシェナ様も可哀想だよね……)
「ということは、マレヤ様もそろそろかしら」
「きっとそうでしょう。クロシェナ様に後れを取るわけにはいきませんものね」
(誰だろ、マレヤ様って)
マギーに尋ねると、テルスターの婚約者候補の一人だと判明した。祖父母が王族の従兄弟の親戚という遠い遠い親族だそうだ。
(アリーゼに嫌がらせする一人か)
他にも数人、名家のご令嬢が第二王子の婚約者候補として名を連ねているそうで、クロシェナだけにいい格好はさせないと、それぞれ準備しているらしい。テルスタールートを選ぶなら、ご令嬢達の嫌がらせという地雷原を突破した先でクロシェナとの対決に臨むことになる。助言も忠告も出来ない傍観者のミオンは、影ながら応援をおくっておいた。
(セオラリア様に相談するのはどうだろう)
ゲームの登場人物であるセオラリアなら、アリーゼに話す機会はあるはずだが、計ったように、セオラリアとも話す機会を見つけられなかった。過去の記憶の言葉を借りるなら、これはシナリオ補正とでも言うものだろうか。
(余計なことをいうな、ってことかな)
仕方なく、ミオンは大人しく成り行きを見守った。「シナリオ補正で子猫が助けられなくなるかもしれない」と過去の記憶に言われたせいもある。それだけは、絶対に困るのだ。
(魔神召喚のイベントって、そろそろかなあ)
新入生達が学院生活に慣れてきた頃だったはずだ。アリーゼもセオラリアと出会い、数人だけど友人が出来た、そんな時期に起きた事件だった。
「最近、また何か殿下に頼まれ事でもされているの?」
「え?」
外出する度に、今日なのか、今なのかと待ち構えて空振りに終わる。そんなことを繰り返していたら、とうとうマギーに怪しまれてしまった。
「言えないことなら無理にとは言わないけど。何かあるなら手伝うわよ」
フィルフィーの新作を買い求めに、外出した日だった。間もなく店が見える辺りで、マギーはそう切り出してきた。
「ううん、何も頼まれてないよ。ほんと」
「それならいいけど」
口で言っているほど、納得していない空気が伝わってくる。これは何か別の話題を見つけないとマズい。しかも早くしないと同じく新作を求めて並ぶ客の列に近づいてしまう。
「えーと……エル様には何も頼まれてないんだけど……アビアナ様からまたご招待を受けちゃって、どうしようかなって」
自治領から帰ってきて以来、アビアナとは手紙のやりとりが続いている。エリューサス経由ではなく、ミオンに直接だ。内容はごく普通の――王族にとっての――日常的な話題で、最後の締めは、自治領への招待だ。学院を卒業したら、あるいは今すぐでも、自分の下に仕えてみないかという誘いである。自治領とはいえ王族に仕えるような身分でもないので丁重にお断りすると、代わりにお茶会の招待が届く。直接会って口説く気だと言うことも分かっているので、これもお断りしている。この繰り返しも三度目なので、そろそろ本気で対策を練らなければと思っていた。
「またご招待いただいたの? アビアナ様も熱心ね」
手紙の内容についてはマギーも知っていたので、ようやく納得してもらえたようだ。
「個人的にはとても好いお話しだと思うけど、受ける気はないの?」
「うーん、アビアナ様は好きだけど、仕える気にはなれないかなあ……アビアナ様って、騎士団にも所属してるし。何かあったときのために、わたしも剣を習わなきゃいけないのかなとか、いろいろ考えちゃって」
「あなたの言う『いろいろ』って、半分以上は考えなくていいことだと思うわ」
「そうなの?」
驚いて聞き返すと、きっぱりと頷かれた。考えすぎと言うことだろうか。しかし、どの辺から区切ればいいのか分からないので、今のところはこのままで行こうと思う。
ちょうど列の最後尾についたので、その話題はそこまでとなった。
「あれ。ねえ、マギー」
順調に新作焼き菓子――花の砂糖漬けが乗っている綺麗な菓子だった――を手に入れて店から出たミオンは、未だ会計中のマギーを呼んだ。
「あの人、商会の人じゃなかった?」
店の前の列の横を、うろうろとしている不審者は、何度かマギーを迎えに来たことのあるナトワーズ商会の従業員の青年だった。二十を越えているのに、ミオンよりも年下に見える童顔で、年齢を聞いたときには心底驚いた。
「あの、マギーお嬢様のお友達のミオンさんでしたよね」
向こうもミオンを見つけて、ほっとした様子で走り寄ってきた。
「こんにちは。マギーなら、今出てきますよ。マギー? 商会の人、来てるよ」
「なあに? 商会の? あら、ヨラン。どうしたの」
ヨランと呼ばれた商会の青年は、マギーを人混みから引き離すと、小声で早口に告げた。マギーの眉根がきゅっと寄せられる。よくない知らせのようだ。離れて待っていたミオンは、手招きされたので、マギーの隣に立った。
「ごめんなさい、これから実家に、王都の店の方だけど、戻らなきゃいけなくなったの」
「うん、学院には連絡する?」
「連絡は別の者がしているそうだから、大丈夫よ。馬車がそこに来てるから、このまま行くわね」
「わかった。気をつけてね」
「あなたもね。寄り道しないで帰りなさいよ。明日には帰れると思うわ」
マギーはヨランと共に、慌ただしく馬車を待たせてある方へと去って行った。
「……」
帰ろうかなと歩き出したミオンは、一歩進んで止まった。寄り道禁止と、マギーの声が聞こえたのは気のせいだ。
「……」
くるりと振り返る。学生で溢れるワノバス通りの先には、あの場所がある。マギーと別れて一人きりになった今、確かめに行くチャンスではなかろうか。
「……」
肩から提げていた鞄に、菓子の包みを収めた。新作の菓子は固めの焼き上がりなので、少々振り回しても崩れたりしない。
(今日とは限らないし)
それでも、胸が高鳴った。確かめるだけだからと自分に言い聞かせても自然と足は速まり、小走りで通りの端までやってきた。骨董品と古書店、室内雑貨の店の前を通り過ぎれば、見覚えのある場所に出る。あそこに見える路地に入れば、あの礼拝堂だ。
(……アリーゼがいたりしないよね……?)
「――あれ、ミオンじゃない?」
いきなり名前を呼ばれた。びくっとして振り返ると、同じクラスのポーナだった。子爵令嬢だが、領地も無い名前だけの貧乏貴族なので王宮勤めに憧れていますと、入学時のあの騒動の際に、エリューサスの前で言い切った強者である。当然、ティオナは憧れの先輩の一人だ。
「あれー、一人? マギーは一緒じゃないの?」
首を振るポーナの動きに合わせて、豊かな朱色のポニーテールがミオンの鼻先を掠めていく。半歩下がって、ミオンはさっきまで一緒だったことを告げた。
「お店から迎え出来て、そのまま帰ったの」
「そうなんだ。で、ミオンはこんな所で何してるの?」
「えーと……新しいお店はないかなって歩いてたら通り過ぎたみたい?」
「うん、それは歩きすぎたねえ」
「ポーナは何しに来たの?」
「私は、そこの本屋に古本を売りに来てたの」
通りすぎた古書店を振り返ったとき、ミオンは息が止まるかと思った。
(あ……!)
見覚えのある、でも初めて見る手のひらサイズの毛玉が、ほてほてと通りの隅を歩いている。
真っ直ぐ前を見つめていたまん丸の青い目が、ミオンを一瞬だけ、見た。
瞬間、ミオンは操られるように指さして、言った。
「わあ、見て! 可愛い子猫!」
ようやく子猫が登場です!
最期に一瞬だけ!
とりあえず、あらすじ詐欺にならなくて本当によかったと思っています。
それでは今回もお読みくださってありがとうございました!




