49
新しい年が明けた。
王都の人々はつつがなく新年を迎え、夜通しで祝った。国王の挨拶も例年通り行われたし、広場という広場では絶えず興行が催されていた。今年も王都は安泰だと、酒杯を鳴らす人々の中に、例年よりも警備兵の数が多いと気づいた者は片手ほどだったろう。念のためにと配置された警備兵は、酔っ払いを取り締まっただけで終わったらしい。
「無事に終わったようね」
王都に掛けられていた呪詛は消えた。
新年を祝うラッパと祝砲が聞こえたとき、アビアナは静かに祈りを捧げた。ミオンも、いつになく真剣に祈った。
(たまにしかお祈りしなくてごめんなさい。王都を守ってくれてありがとうございます)
全ての呪詛を消し去れたのは、新年の数日前だった。急いで実家に戻ることも出来たが、アビアナたちと共に別邸で新年を迎えることを選んだ。王都が無事だったら自治領に行きましょうというアビアナの誘いがあったからだ。
約束通り、自治領行きの馬車に乗り込んだミオンは、これで実家と学院に戻っても言い訳に困らないと単純に喜んでいた。新しいお菓子屋さんを開拓出来たらエリューサスに自慢しよう、なんてことしか考えていなかった。その考えが、どんな菓子よりも甘かったことに到着してから気づいた。
知らないうちに、ミオンは非公式の国賓扱いになっていた。つまり、到着初日から予定はぎっしり詰め込まれていて、朝から晩まで護衛が必ず付いてくる。ひとりで町をぶらつくなんてもっての外。歓迎会から始まり、お茶会に晩餐会に舞踏会、聖職者との懇談会、守人の言葉と神託の関係を語る会なんていうのもあった。何を語ったのかなんて覚えていない。イプスがものすごい勢いで質問攻めに遭っていたのだけ、覚えている。
目の回るような毎日を過ごす中、一度だけ、シャグマの母親と会った。他の王族と同じ部屋にいて、紹介されただけで言葉を交わすことはなかったが、去り際に小さく礼を言われた。言葉を返せなかったことが、少し心残りだった。
「あなたも有意義に過ごせたのかしら?」
最後にクロシェナと合流して、王都へ帰還となった。クロシェナの寛大な計らいにより馬車が一緒だったため、道中はずっと描いた絵について感想を求められた。ハベト自治領王にも気に入られたそうなので、王都に戻ったら画集を作って贈るつもりだとも聞かされた。クロシェナのハベト行きは、ミオンが学院を出るためのただの口実だったが、良い結果に繋がったようだったので、これは喜ばしいことだった。
侯爵家の馬車で実家に戻ったので、両親は驚きすぎて声も出なかった。ジェラールはもう慣れてしまったのか、ごく普通に挨拶して見送りまでこなしていた。よく出来た兄だと思う。
「とにかく無事に帰ってきてよかったわ」
母に抱きしめられて、ようやく身も心も安まった。両親に甘えて、山のように持たされた土産を近所にも配り回っているだけで日が過ぎていった。
ちなみに、どんな土産話をしてもジェラールは終始疑いの眼差しだった。一足先に学院に戻るという朝、「よくがんばったな」と言って出て行ったので、やっぱりいろいろバレているようだった。あとでアルファドを問い質そうと思う。勇気が出たら。
そうして、ミオンは学院に戻ってきた。
(帰ってこれた……!)
学院の正門前で、ガラにもなく感慨に耽っていた。門は新年と新学期を祝う飾りに覆われている。在学生も新入生も、それぞれの想いと一緒に門の中に入っていくこの光景が、今年も見られたことが嬉しかった。
(アリーゼはもう来たのかな)
今年はとうとうアリーゼが来る。そしてミオンが街人Aとして彼女の人生の一端に登場する。その先は、ちょっとだけ予定を変更してもらって、子猫を救い出す。できれば、他の動物たちも全部。魔神は出てこないのだからみんな救われてもいいはずだ。
「ミオン! 新年おめでとう!」
馬車が一台止まったと思ったら、マギーが駆け下りてきた。ミオンも駆け寄った。
「マギー! おめでとう! なんか大人っぽい! 似合ってる!」
「ありがとう。でもなんで急に――」
ミオンの賞賛の理由が分からないまま礼を言ったマギーは、視線を追いかけて悟った。
「あ、髪型ね。今日はご挨拶しながら来たから、それでよ」
まんざらでも無い様子で、マギーは頭を左右に傾けた。赤ワイン色の髪は、複雑に編み込まれてまとめ上げられ、髪と同じ色の石が並んで付いている髪飾りで止められていた。制服姿にもよく合っている。ただし一人では出来ないので、明日には元通りだそうだ。
「そうなんだ。上級生のお姉さんって感じ」
褒めたつもりだったのだが、とたんにマギーは肩を落とした。
「あのねぇ……あなたも同じ学年だって忘れてない?」
進級試験を免除してもらえたので、ミオンも無事に中級科の学生だ。本来なら寮で受け取るはずの進級通知を、ミオンはアビアナの別邸で受け取っていた。ハベト族自治領に連れて行ってもらったのは進級祝いも兼ねてのことだった。
「え、忘れてないけど……」
「……そうみたいね」
何かを諦めた口調で言って、マギーはミオンの髪に手を伸ばした。
「ここまで複雑には出来ないけど、簡単にだったら編んであげられるわよ」
「でも、わたしじゃ似合わないかも」
「似合うように編んであげるわよ」
なんなら今すぐと、マギーにがしっと腕を掴まれたミオンは、ひきずられるようにして寮に戻った。帰寮手続きをしていると、荷物が届いていたので部屋に置いてあると伝言があった。荷札を確認すると、アビアナからだ。土産として贈られた物のようだ。
(うわー、これも配らなきゃ)
やはりここは最初にエリューサスに届けに行くべきだろうか。それともアルファドに挨拶して託すべきだろうか。
(そういえば、結局あれからエル様には会えなかったな)
護衛事件の後、アビアナとの夕食会が予定されていると言っていたが、急用で中止になったのだ。それきり、何の連絡も取れないまま、今に至っている。年末年始は公務も多数控えているから仕方ないと、アビアナが言っていた。アビアナ自身はあまり忙しくなさそうだったので、王族にも色々あるようだ。
サロンの時についでに渡すのでは失礼かな、なんて考えているうちに部屋に付いた。土産は同室のマギーに最初に渡すべきだと、そのとき気づいた。
「はい、ここに座って」
部屋に入って懐かしむ時間も無く、椅子に座らされた。マギーは運んでもらった荷物からあれこれと道具を取り出して検分している。
「マギー、わたしも荷物を」
「後でもいいでしょ」
後にしなかったら承知しないという迫力に、ミオンは素直に従った。マギーは上機嫌でミオンの髪に手を伸ばす。
(中身が気になるんだけど……しょうがないか)
自分で持ってきた荷物は鞄一つだが、部屋に置かれているアビアナからの贈り物の量が予想外だった。実家に贈られてきた荷物の三倍はあるように見える。学院生全員分あるのではないだろうか。傷む物は贈ってないと思うが、分けるのに一苦労しそうなので、マギーにはその場で好きなものを選んでもらおう。
「ほら、前向いて」
「あの、マギー」
荷物を見ていると、マギーに無理矢理正面を向かされた。鏡に映っている自分は、とっくに以前の冴えない姿だ。実家にすぐに帰らなかったのも、髪の染料がなかなか落ちなかったせいもある。
「なあに」
「わたしが休んでる間、なにかあった?」
マギーは一瞬だけ手を止めたが、すぐにまた動かし始めた。ほつれ毛を引っ張られて、涙がにじむ。
「何も無かったわね。授業があって、サロンがあって、試験があっただけよ。あ、そういえば、ニスが本格的に店を出すから今年で学院を辞めるそうよ」
「そっか。うまくいくといいね」
あの壮絶な試食会も終わりだと思うと残念な気がする。店に行けばいいだけなのだが。
「大丈夫じゃないかしら。最後は殿下のところの料理人の一人と意気投合したらしくて、一緒にやると言っていたわ」
「あ、それならちょっと安心かも」
王族の台所に入れる人と一緒なら、満足のいくメニューが出来るだろう。やっぱりアンコを開発させるべきよと、過去の記憶が騒いでいるが原材料がよくわからないので諦めてもらうしかない。
「で、あなたはどうだったの?」
「んー……ちょっと忙しかったかなー」
どこからどこまで話そうかと、ずっと悩んでいた。マギーには全部話してしまいたいが、ミオンのために手を尽くしてくれたエリューサスやアビアナの好意も無駄にしたくない。だから結局、何も話せなかった。
「そうみたいね。髪も荒れてるし」
髪を染めていたせいで傷んでしまったことをノミルビが気に掛けてくれて、自治領滞在中も側付きを勤めてくれた。髪の手入れのためのあらゆる美容液を試してくれたらしいが、すぐには直らなかったようだ。
「……髪くらいで済んで良かったわ」
(あー、やっぱりマギーだ)
思ったとおり、ほっとしたように言われて、ミオンはくすぐったい気持ちでいっぱいだった。マギーにはマギー独自の情報網がある。どこまで知っているのかはわからないが、おかえりと言われただけでミオンは満足だった。
その後は、髪を編み込む音だけが響いていた。
「はい、これでどう?」
マギーが櫛を置くと、鏡に映っているのは以前より少しだけ大人っぽく見える自分の姿だった。
「あ、待って。あとこれ。私からのお土産ね」
振り返ろうとして、顔を戻される。鏡越しにマギーが見せてくれたのは、ピンク色の石の付いた髪飾りだった。マギーとお揃いの品だ。
「え、いいの?!」
「安物よ。はい、できあがり」
「ありがとう!」
マギーがつけてくれたのは後頭部なので、いくら鏡の前で頭を振っても見えなかった。
「そんなに動かしたら崩れちゃうでしょ!」
「ごめんなさい……」
最後に怒られて、ミオンは鏡の前から退出した。外してから眺めよう。それより先に荷ほどきに取りかからねば。
「ねえ、ちょっと早いけど、食堂に行きましょう」
できあがりにマギーも満足したのか、早くも見せびらかしたい一心のようだ。
「え、と、でもまだ荷物が。ほら、あれ、アビアナ様が送ってくれたお土産で」
食堂に行くなら他の友達にも会うだろうから、先に荷物を開けてしまいたいのだが、またもやマギーに一蹴された。
「まだ戻ってきてない子もいるから、後にしなさいよ。一緒に配らないと、文句言われるわよ」
「そうだね……」
憂鬱の種が一つ増えた。エリューサスに全部渡して順番に配ってくれないだろうか。自分が渡すよりずっと価値が上がると思うのだがどうだろうかと相談すると、マギーは薄ら寒い微笑みを浮かべた。
「髪飾り、返してもらうわよ?」
「ごめんなさい」
横着はよくなかった。しかし誰に何を配るのかを考えるのは大変だから、やっぱり教室でつかみ取りを開催するのはどうだろうか。
前を行くマギーの髪飾りを眺めながら食堂に入ると、入れ違いに出て行った生徒とぶつかりそうになった。
「あっ、ごめんなさい」
「いえ、こちらこ、そ……?」
相手は急いでいたのか、振り向きざまに謝罪を述べて去って行ってしまった。失礼なとマギーが隣で怒っていたが、ミオンはそれどころではなかった。
(今のは……)
残像が残るほどに綺麗な金髪だった。耳に残る綺麗な声だった。身のこなしも軽やかで、良い香りが残っていた。彼女の足下の影すら、輝いて見えるようだった。立ち去ってからも、幻が微笑んでいるかのような錯覚が残っていた。
(アリーゼだ)
これが主人公補正ってやつなのね――過去の記憶が感心したように呟いているのに、ミオンは深く同意した。
ついにアリーゼ登場となりました。次で子猫が……出てきたら良いなあと思っています……。
それでは今回もお読みくださいましてありがとうございました!