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「この調子なら、新年は家に帰れそうだぞ、お嬢ちゃん」
エリューサスの突撃夕食会からさらに十日ほど経った朝のこと。ミオンが席に座るのを見計らって、イプスが言った。
「ほんとですか?」
「おう。夕べ、姫さんにも話したが、残り五,六カ所くらいやっつけりゃ、大丈夫だろう」
早ければ、六日で終了と言うことだ。ということは、別邸暮らしも最短で六日限りとなる。ふかふかのベッドともお別れだ。
(あと六日だと……一度、学院に戻った方がいいのかな。試験中だし、このまま家に戻っちゃおうかな……でもマギーにも会いたいし。どっちに帰るにしても荷物まとめておかないと。あとそうだ、お土産どうなったんだろ。どうせなら自治領に一度連れてってもらうのも……)
「お嬢ちゃん、考え事があるのは分かるが、早く食ってくれ。まだ終わりじゃないからな? 隣で困ってるぞ」
気づけば、パンを手に取ったところで停止していた。隣でじっと待っていたメイドが、ジャムかバターかと問いかけてきたので両方受け取る。
「それと、今日はここだ」
イプスから差し出されたメモを引き寄せると、今日は所々、見知った名称が書き込まれている。
「分かるか? お嬢ちゃんの学校の近くになるから、変装は念入りにしておけよ」
イプスはいつも、一カ所につき大小二枚の地図をくれる。小さい地図は目的の場所から道二本分までの地図で、大きい方は近くの大通りまでの地図になる。大きい地図に書かれているその大通りは、ワノバス通りの端に繋がる道だった。
ワノバス通りは学院生に人気の通りだが、この時期では、ほとんど姿は見られないはずだ。学年によってはぎりぎりまで試験があるし、新年を迎えるために早めに寮を出ている学生もいる。
(こっち側だと、お菓子屋さんはなかったしなあ)
図書と調度品の店だったと思う。だからきっと、ほとんど人がいないとミオンは請け負ったが、
「そうか……俺にも縁の無い店だが……余計なお世話かもしれんが、お嬢ちゃんは通った方がいいんじゃないか……?」
花瓶敷き以外にも選べるようになれという遠回しのアドバイスだろうか。ミオンは神妙に頷いておいた。それならまずは下町の市場のこぢんまりした店から始めよう。あんなに大きな店で品揃えが多いと全部見るだけで時間が掛かってしまう。
「まあ、はぐれてそっちに行かなきゃいいだけだがな。今お嬢ちゃんは王都にいない人間だってことを忘れるなよ」
「はい」
念を押されなくても分かっている、つもりだ。はぐれる回数だって減っている。完全に迷子になる前にイプスを見つけられているから、はぐれていないと言ってもいい。
(この通り沿いで……横道に入って……あれ?)
いつもどおり、朝食を食べながら地図を覚えていると、既視感が沸いてきた。学院近くだからか。直接の用が無い地域だから、どこかに向かうのに通っていたのかもしれない。
「そろそろいいか?」
「はい」
最後のお茶を飲み干して、ミオンは帽子を深く被った。使用人住宅区域から荷馬車に乗って出かけるのも、もうすぐ終わりだ。御者台のあの人は、最後には名前を教えてくれるだろうか。今日も御者は無言で会釈して、馬車を動かした。
「ここで降りるぞ」
大きい地図の端に当たる場所で、ミオンとイプスは荷馬車から降りた。地図を思い起こしながら歩いていると、やはり既視感がわいてくる。
(これってもしかして……)
イプスと共に、ミオンはゆっくりと路地裏に入り込んでいった。周囲の壁の落書きにも、一応注意を払う。どれもただの落書きだった。やがて路地は、大きな建物に遮られた。ミオンは思わず壁沿いに視線を動かした。三階建てくらいだろうか。一階部分には等間隔に窓と扉が並んでいるので、集合住宅のようだ。はめ殺しの窓は汚れて曇っているので、カーテンがなくても中を覗くのは難しそうだ。扉の方も似たり寄ったりの状況だ。
「……少し止まれ」
イプスは、足が痛むかのように、屈んでさすり始めた。ミオンは祖父の様子を見る孫の振りで、その場にしゃがみ込み、周囲を窺う。いまのところ、うまくいっているようだ。
「さっきも言ったとおり、ここはちょっと面倒だ」
「はい」
荷馬車に揺られて目的地に着くまでの間に、イプスから説明を受けるのもいつもどおりだった。今日の目的地は、いつもより広いので、手間取るかもしれないと言われている。
「無理だと思ったらすぐに引くからな」
「わかりました」
人通りが途切れた時を見計らって、イプスはすぐ側の扉に手を伸ばした。鍵は掛かっていなかった。金具がきしむ音が響くのではとミオンはドキドキしていたが、意外にもスムーズに開いた。イプスは一人分の隙間を空けると、一気に滑り込む。ミオンも吸い込まれるように手を引かれて入り込んだ。
中は、がらんとした部屋だった。はめ殺しの窓から入る薄明かりに、テーブルと椅子が、浮かび上がっていた。人がいる気配も、人がいた気配も無い。その部屋に入って、ミオンはまた、既視感を覚えた。
(やっぱりそうかも)
イプスは部屋の様子には無関心で、真っ直ぐに奥に進んだ。奥に、ひっそりと扉があった。扉を開けると、冷えた空気がミオンの顔を撫でた。
(広い……)
集会場のような空間が、そこにあった。天井も高く、おそらく二階部分まで吹き抜けになっているのだろう。明かりは上の小窓から差し込む自然光だけだが、窓の数が多いので先ほどの部屋より明るい。床の上で光を受けているのは、乱雑に置かれた大量の椅子だ。
「ここは月替わりで使う礼拝場なんだ。今月は使っていないが、たまに人が出入りすることもある」
気をつけろと再度念を押されて、ミオンとイプスは礼拝場の中に入った。場所が場所だけに、壁の落書きでは無く、椅子や燭台のような調度品に呪詛が刻まれている。祝福の品だと説明されているらしい。呪いの椅子にありがたがって座っていたのかと思うと、信者の人たちが少し可哀想に思えた。
(これ、いくつあるんだろ……)
目算で二十脚以上ある椅子の一つ一つに呪詛を刻むのも大変だったろうが、消す方も大変だ。少しでも手伝えないかと指で擦ってみたが、全然落ちなかった。
「予想通り、他は無さそうだな。そっちはどうだ?」
壁や床に刻まれている様子は無かった。終わりかと思えば、イプスは別の扉へと向かう。そちらの中は広めの部屋になっていて、明らかに人が使った形跡があった。椅子やテーブルの他に、ソファや食器棚のような物まである。棚は空だった。一通り部屋の中を見て、呪詛らしき物が無いことを確認すると礼拝場に戻る。
「あとは、あっちか」
扉はもう一つあった。開けると今度は廊下があって、片側に扉が並んでいた。
(えーと、集会場の入り口はあそこで……他の部屋からは入れないってことかな)
外側に並んでいる玄関のうち、一つだけが当たりのようだ。間取り図を考えると同時に、ミオンは確信を得ていた。
(――多分、ここだ)
ドキドキしてきた。身体が、熱くなってくる。
(アリーゼはきっと、ここにきたんだ)
正しくは、来る予定、だ。過去の記憶では終わってしまったゲームのイベントだが、ここではこれから起きることになるはず。
地図を見たときから感じていた既視感は、アリーゼがゲームで辿った道筋だったから、ということのようだ。
(そういうことだよね?)
過去の自分に問いかけてみれば、肯定が返ってきた。
周回すると必ず起こるイベントだったし、いつの間にか覚えていたのかしらね――そんな分析まで加わっている。
(やっと見つけたんだ!)
街人Aに目覚めて五年弱。ようやく、手がかりを掴んだ!
誰もいなければ、ミオンはきっと叫んで飛び跳ねていただろう。今はイプスがいるので、両手を握りしめて感動を押し殺しておく。やっとだよ、ついにここまできたんだよ、もうすぐだから待っててねと、幻の子猫に向かって心の中で語りかけて興奮をごまかした。
「ここは、どうしてたっけな……」
何も気づいていないイプスは、手前の部屋から扉を開けて中に入り込んだ。気づいていたら何か一言会っただろうが、気づかなかったので何も言われなかった。興奮を少し抑えて、ミオンも後に続いた。そこは狭い個室だった。この部屋も使っていた気配がある。家具、壁、床、天井までを見回って、次の部屋へ移動した。
「……イプスさん」
イプスに続いて次の部屋に一歩入ると、身体がすっと冷えた。
その部屋も、狭い部屋だった。家具は無く、壁際に大きな箱が積まれている。箱には、鉄柵がはめ込まれていた。箱が檻だと気づいて、ミオンは微かな異臭の理由が分かった。
「この部屋って……」
「あー……たぶん、お嬢ちゃんが思ってる通りだ」
振り返ったイプスは、しまった、と、参った、と足して二で割ったような顔をしていた。それが、ミオンの確証を強めた。
「そう、ですか……」
今度は浮かれ気分を握りつぶすつもりで、ミオンは両手に力を込めた。シナリオ通りなら、アリーゼがこの場所に来るまで、教団は『聖獣の眷属』を生贄に捧げ続けているはずなのだ。
目を背けて、逃げ出したかったが、ミオンは踏みとどまった。この建物が本当に魔神召喚に使われる場所なら、この部屋の檻にはいずれ生贄にされる子猫や他の動物が押し込められるだろう。
(だから、ちゃんと、見なきゃ……!)
ぐっと腹に力を込めて顔を上げていると、視界が遮られた。
「ここは大丈夫だな、うん、よし、出るぞ」
「え」
両肩に大きな手が乗せられて、ミオンは押し出されるようにして部屋の外に出た。イプスは後ろ手に扉を閉めて、小さく息を吐いている。
「お嬢ちゃんはここで待ってろ。あとは俺が見てくるから」
「わたし」
一緒に行きますと言いかけた声が、震えていた。イプスが優しく肩を叩いてくる。
「あと一部屋だから、いい。動き回るなよ」
「はい……」
イプスが次の部屋に入っていくのを見届けて、ミオンは檻のあった部屋の扉から一歩離れた。
(外から入って……横の扉を開けて……)
ここまでの道順を再確認しているうちに、気分が落ち着いてきた。部屋に黒いシミは無かったから、あの異臭は、ここにいた動物たちの臭いだろう。集められた後にどうなったのかは、予想するしか出来ない。だから、誰かが、例えばクアイドが依頼した何でも屋が助けてくれたのだと考えることも出来る。
(次は、わたしが助けるから)
みぃ、といつもより近くで鳴き声が聞こえたような気がした。
「大丈夫か?」
振り返ったら子猫ではなくてイプスが顔をのぞき込んできた。ミオンは頷いた。下がった体温は、徐々に上がってきている。
「それじゃ出るぞ」
建物を出て、荷馬車に合流するまで、特に危ない目には遭わなかった。馬車が動き出すと、少しずつ緊張と混乱がほぐれていく。
「イプスさん」
「おう」
「メザヤさんに、聖獣って、神託の解読者のことなんですって、教えたらダメですか?」
「お嬢ちゃんはいつもいきなりだな」
「すみません」
「謝ってもらうことじゃなくて……いや、いい。メザヤにか。そうだな……お嬢ちゃんには悪いが、無駄だと思うぞ」
「やっぱり信じてくれないでしょうか」
「逆だ。すぐには鵜呑みにしないかもしれないが、自分なりに調べて、納得するだろうな……って、だからそんな期待いっぱいの顔をするなよ。いいか、その先が、お嬢ちゃんとメザヤの違いだ。メザヤはきっと、生贄の対象を変えるだけだ」
「え」
「聖獣は、人なんだろ?」
一言ずつ区切るようなイプスの声と、別の記憶の声が重なった。
『連れて行かれるのが犬や猫から人に代わらないとは限らない』
以前に、アルファドが言っていた。誘拐犯の目的も見えない頃だったが、真実を言い当てていたようだ。
「メザヤの奴なら、都合よく解釈して、教団の敵になる奴だけを生贄にするだろうさ。今だったら、真っ先に俺が指名されるな」
会って話したことの無いミオンでも、イプスの言うとおりになりそうだと分かった。
「……やっぱり、話すのはやめておきます」
「そうしてくれ」
次に再会したときに、アルは真実を言い当てていたとミオンに褒められ、悪党の考えることはよく分かるんだなとエルに落とされるという後日談があるとか無いとか。
それでは今回もお読みくださいまして、ありがとうございました!




