46
「それでは……まずは引っ越しの準備からね」
アビアナが鳴らした呼び鈴が、全ての合図だった。
(引っ越し……アビアナ様、また別のお屋敷に行くのかな)
呼びだした執事とメイドにてきぱきと指示を出すアビアナを横目に、ミオンは残りのお茶とお菓子を堪能していた。カップケーキは出来ればお土産に欲しい一品なので、なるべく手を伸ばさないようにする。でも、もう一つくらいなら、大丈夫だ。
「引っ越し? ここを引き払うのか?」
怪訝そうに、イプス。隠れ家がバレて逃げ出す盗賊めいた物言いに、アビアナは眉を顰める。
「おかしなことを言わないで。どうして私が引っ越さなければならないのですか」
「じゃあ誰が引っ越すんだ……って、そうか、俺か」
「今あなたを解き放つことも不可能です」
「猛獣扱いか、俺は。じゃあ誰の――」
さらに問いかけようとして、イプスは気づいた。
「ああ、お嬢ちゃんか」
「そうです」
「え?!」
まるっきりの他人事で話を聞いていたミオンは、いきなりのことにお茶をこぼしそうになった。
「えっ、あっ、ごめんなさい、あの、わたし?!」
カップを押さえてあたふたしていると、呼ばれていたメイドが手早く片付けてくれた。ついでにお茶を入れ直すかと聞かれて、ミオンは断った。もはやゆっくり飲んでいられる心境ではない。
「あの、アビアナ様、わたしが引っ越すってどういうことですか?」
「王国のために、手伝ってくれるのでしょう?」
「それと引っ越しがどういう関係が」
「学院から通うつもりでいたの? さすがにそれは無理よ。部屋は用意させるから、しばらくはここに滞在なさい」
「ここって……」
ハベト王族専用の別邸に引っ越してこいと言われて慌てない庶民が何人いるだろう。ミオンはもちろん多数派、慌てる方の庶民だ。
「このお屋敷に?! そっちの方が無理です! わたし、ただの庶民だし、こんなお屋敷の納屋にだって住めません!」
「俺なんかただのゴロツキだったが、ここの客間で寝起きしているぞ。飯と風呂もついてるし、待遇は俺が保証する」
「どうしてイプスさんが保証するんですか!」
「せっかくミオンが来てくれるなら、午前と午後のお茶の時間も一緒に楽しめるわね」
アビアナがわざとらしく呟く。
「そうそう、今日のお茶菓子はどうだったかしら? 気に入ったのがあれば次も用意するように言うわ」
「カップケーキが特においしかったです」
引っ越す話は別として、きちんと答えるべき質問だ。
「これね。覚えておくわ」
アビアナが頷くと、控えていたメイドがお任せくださいと請け負った。
お店の名前を是非、と言いかけて、ミオンは我に返った。
が、一歩遅かった。
「ミオンの都合があるのも分かるけど、今回は時間も無いの。わかってね?」
「時間が無いって……何の時間ですか?」
「教団の準備は八割以上整っていると思っていい」
イプスは腕組みして、いったん目を閉じる。
「さっきも言ったとおり、メザヤがどうやって呪詛を動かすつもりかは分からん。だが、やるとしたら人が集まる時を狙うだろう」
「人の多い王都でも、庶民も貴族も集まる時と言ったら、一番近いのは新年祭です」
新年は、数ヶ月後に迫っている。祭りの支度だって、年が明ける前に用意が調っていなければならない。イプスの言う八割完成の理由は、そこから派生しているのは分かった。
(……でも)
新年を祝う祭りに突如現れる魔神。現れて王都の民を祝福したりはしないだろう。想像を絶する酷い光景が繰り広げられ、忘れたくても忘れられない傷として心の刻み込まれるに違いない。王都への対抗手段としては効果的だが、ミオンには頷けない理由があった。
(アリーゼが学院に来るのは、新年のお祭りの後なんだけど……)
学院の新学期は、新年が始まった月の翌月からだ。アリーゼは新学期から学院に編入してくる。アビアナとイプスが心配するような事件は、シナリオから考えると、その後しばらくしてからの話のはずだ。
(それとも呪詛が失敗したから魔神召喚に変更したとか?)
それならそれで、この依頼の責任は飛躍的に重たくなる。胃の辺りがひやっとして、ミオンは思わず手で押さえた。
「あの……呪詛って、新年までに消しきれるんでしょうか」
「たぶんな」
イプスの適当な答えに、また胃の辺りが冷え込む。
「ちなみに消すのって、わたしとイプスさんの二人だけですか?」
もう少し責任を分散してくれる人が欲しいのだが、その希望はアビアナが儚く消し去ってくれた。
「見分けてくれれば、除去する作業員は用意出来るのだけど……大勢は無理ね」
「どうしてですか? どれが呪詛か分からないと消せないとか?」
「大勢で動くとこっちの動きを悟られやすいからだ」
秘密教団は、いまも着々と呪詛を刻んで準備を進めている。阻止するのに一番手っ取り早い方法は、偽物本物に関わらず、呪詛っぽく見えるものを片端から消していけばいいのだが、大々的にやれば、同じことを教団がやり返すという堂々巡りを起こしかねない。
「えーと……消した端から書き直されてしまうと」
「ああ。だから出来ればこっちが何をしているのか悟られないようにしたい。消す作業は他に任せるとしても、少ない人数で必要な部分だけ消すようにすれば、見分けることが出来ない奴には消えてるのかどうかも分からないだろ」
それなら上書きされる心配は無さそうだが、まだ安心するには早い。
「教団の人で、見分けることが出来る人はいないんですか? メザヤさんは神託が読めないから大丈夫なんですよね」
「メザヤの奴は、もしかしたら呪詛を発動させる前には確認に行くかもしれないが、そのころには手遅れだろ。他には……多分いないだろうな。もしいたとしたら、メザヤが言ってることと命じていることが違うことに疑問を持つんじゃないか?」
例えば、イプスのように。
「あ……そうですよね」
目の前にいい見本がいるのに、何を訊いているのだろう。考え無しに質問を重ねる自分の態度が、どうしようもなく恥ずかしい。
「ま、そうやって教団が自滅していってくれるのが一番なんだがな。はっきり分からなくても、お嬢ちゃんみたいになんとなくでも分かればもしかしたら」
「わたしは呪詛かどうかもわからないです」
神託に紐付いている言葉かどうか感じ取れるだけでは、メザヤに疑いを持つのは難しいだろう。
「それもそうか。まあ、とにかくこっちは少数精鋭でやっていかなきゃならないから、学校は新年まで諦めてくれ」
「……」
結局その結論に行き着くことになるのか。学業熱心を誇れる身ではないが、せっかくの伯爵家の好意を無駄にするのも心苦しい。
(エル様とアル様になんて言えばいいんだろ)
その思いを読んだように、アビアナが言った。
「私から今回の件は学院にも王宮にも説明するからあなたは気にしなくて良いわ。情報は提供しているから、王宮での教団の取り締まりが早まれば、学院に戻るのも早くなるでしょうし」
記憶を遡れば、一番最初にアビアナが教団を取り締まる要請をして、エリューサスが受けていたはずだ。イプスとの面会の後に兵士の一団がやってきたのも、王都内での取り締まりを強化しているからだ。イプスがこちら側に付いたことで、教団が取り押さえられるのも時間の問題となっているのだろう。
(そっか……時間が迫っているのは、教団も、なんだ)
ミオンたちが知らないだけで、教団も徐々に身を削られているのだろう。その焦りが、最終的にアリーゼを生贄に捧げるという暴挙になったのかもしれない。
(やっぱり呪詛が失敗して魔神召喚になるのかな……)
アリーゼの命を危険にさらすのは、テルスターではなく自分なのかと思うと、胸が苦しい。
それは考え過ぎね――優しく背中を叩くように、過去の記憶が呟いた。ミオンがどう動いても、アリーゼ自身の運命はアリーゼの選択によるものだと。
(そうなのかな……じゃあアリーゼの運命と関係ないから子猫は助けても大丈夫だよね)
「そんなに心配しなくていい。別に全部消せなかったとしても、教団を取り押さえる時間稼ぎになればいいんだ」
考え込むミオンの前に、イプスはクッキーを積んでいった。
「ちょっと旅行に出かけてとでも思ったらいい。部屋もきっと綺麗だし、お菓子も毎日食べられるし、いい所だぞ」
「だからイプスさんのセリフじゃないですって……」
言葉はともかく、気持ちはありがたく受け取ることにして、ミオンはクッキーを手に取った。魔神召喚なのか単なる呪詛なのかはわからないが、シナリオ通りなら新年祭に騒ぎは起こらないし、メザヤが捕まるのもアリーゼが王都に来てからだ。出来ることをこなしていけば、イプスの言うとおり、何も心配することはない。
「では、話はまとまったかしら?」
アビアナの最終確認に、ミオンは頷いた。イプスも頷いた。
「それでは、今からここは、王都呪詛対抗のための作戦本部よ」
食べ散らかした茶菓子が並ぶテーブルの前での宣言は、今ひとつ緊張感が足りなかったが決意は伝わった、と思う。少なくとも室内に控えていた別邸の使用人たちは、恭しく主人の言葉に頭を垂れていた。
「それでは、ミオンは引っ越しの準備を始めてね。部屋は、どこがいいかしら……」
帰り際、気づけば引っ越し先の部屋の調度品を一緒に買いにいく約束が強引に結ばれていることに、ミオンは既視感を覚えた。学院に入学が決まったあの頃が、遠い昔のようだ。
(それはともかく)
マギーと、ついでにジェラールと両親に、どう説明したらいいのかが、目前に迫った一番の難問だった。
長いお茶会がようやく終わりました。
そろそろ出番が無いとエルアルマギーがごねそうです……。
それでは今回もお読みくださってありがとうございました!




