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アビアナは呼び鈴を慣らした。
鈴の音が響き終わる前に、ノックの音が被った。
(やっぱり隣で聞いてたんだ)
もう驚かないぞと余裕の態度で構えていたミオンは、入室してきた人物を見て驚いた。
「イプスさん?!」
赤毛に眼帯の大男が、そこにいた。容貌は相変わらずだが、以前よりもこざっぱりした様子に見える。イプスの身柄はアビアナが預かっていると聞いていたが、待遇はよかったようで何よりだ。
「久しいな」
アビアナに一礼すると、イプスはミオンの隣に腰掛けた。
「兄貴は元気か?」
「はい。イプスさんも元気そうでよかったです。お兄ちゃんも心配してました。あれからどうなったのかなって」
イプスは怪訝そうにアビアナを見た。アビアナは小さく頷いた。それでお互い通じたようだった。イプスは苦笑した。
「……そうか、あの日、来ていたんだな。まさかお前たちに心配されるとはな」
「勝手に聞いてて、すみません……」
「気にするな。お前の判断ではないだろう」
言外に名指しされているアビアナは、知らぬ顔で優雅にお茶を飲んでいた。
「それに、今となっては聞いていてもらっていた方が都合が良い」
「はあ」
アビアナからの頼み事のタイミングでイプスが現れた。関係性があることは分かるが、話の予想はつかない。
「えーと、わたしが聞いてたのはシャグマさんが亡くなったって言うところだけなんですけど……」
「……どういうことだ」
今にも怒鳴り出しそうなイプスの表情にも、アビアナは澄まし顔だった。
「あの時は全て聞かせるわけにはいきませんでしたから。ミオンが候補に挙がったのはその後の話だったこと、忘れてしまいましたか?」
「そういうわけでは……まあ、それなら仕方ないな」
自分に言い聞かせるように、イプスはしきりに首を振っていた。言いたいことを飲み込んでいるようにも見える。意外と苦労人のようだ。
「今はどこまで話が済んでいるんだ?」
「まだ何も。具体的な話は、あなたにしていただいた方がわかりやすいはずです」
「最初からか」
それならそうと言えと、イプスの口調も態度も王族相手に話しているとは思えない。勝手にポットから余っていたカップにお茶を注ぐと、一息に煽った。景気づけの一杯が、そんなぬるいお茶でよかったのだろうか。ノンアルコールのお茶会でごめんなさいとミオンは何故か申し訳ない気持ちになった。
「とりあえず、お嬢ちゃん、ここに書かれているものの違いは分かったんだな?」
カップを置くと、イプスはテーブルの上の並んだ三枚の用紙を指した。
「はあ……一応?」
はっきりではなく、ぼんやりとしか分からないことを繰り返すと、イプスもアビアナと同じ反応をした。
「それでいい。違いを感じ取れるだけでも上出来だ」
何が上出来なのか、そろそろ説明が欲しい。そして聞いているだけなら、もう少しクッキーをつまんでいてもいいだろうか。
「……食いながら聞いていてもいいぞ」
物欲しげな視線に気づいて、イプスが不承不承許可してくれた。ミオンは素直にクッキーと、ついでに横にあったフルーツの乗ったカップケーキの皿に手を伸ばした。準備完了だ。カップケーキの店を後で聞くことも忘れないようにしなくては。
「簡単に言うと、こちらの姫君の頼みというのは、俺の手伝いをしてくれと言うことだ」
もごもごと口を動かしながら、ミオンは頷いた。そこまでは予想が付いている。
「俺の手伝いというのはだな……教団が王都中に刻んでいた呪詛を消すことだ」
「……はい?」
ミオンの知る限り、秘密教団の活動というのは、生贄の動物を集めることだったばすだった。呪いというのは新しい展開だ。
(あ、でも……あれのことかな)
初めてアビアナに会った日の、空き家に残っていた臭いとシミを思い出す。確かあの時、アビアナは魔法陣だと言っていた。『悪しき精霊を』召喚するためだと誤解していたとエリューサスに話していたのも思い出した。ということは。
「空き家の掃除ですか?」
「……どうしてそういう結論になったのか訊いてもいいか?」
イプスは額に手を当てて困り果てていた。ミオンはアビアナと出会った日の話をした。目を丸くしたまま固まっていたアビアナも、納得がいくと同時に硬直が解けていく。
「そうね……そんなこともあったわね……」
遠い記憶のように呟いていた。
「そのシミってのは、結局何だったんだ?」
イプスはアビアナに問いかけた。残念ながらアビアナはその回答を持っていなかった。
「擦って潰されていたので、不明のままです。ただあの香りは、ハニダイが含まれていたので、よからぬ事に使われたのは間違いないだろうという判断でした」
ハニダイというのが麻薬の一種であることを、アビアナはミオンに補足した。
「なるほどな。あいつのことだから、あちこちでこっそり試していたとしても驚かないが……俺の手伝いは、そういうのじゃないんだ」
掃除の話は忘れてくれと言われたので、ミオンは素直に頭を切り換えた。あのいやな臭いを嗅がなくて済むならお安いご用だ。
「シャグマが死んだときの話は聞いていたんだよな。メザヤが誰のことは分かるか?」
「えーと……『陰気の代名詞』さん」
小窓から漏れ聞いた話を思い出しながら言うと、イプスはニヤリとした。
「よく覚えてるな。聖獣に襲われたとき、あいつはうまく逃げ出して、シャグマの代わりに秘密教団の当主となった。俺も傷が癒えてからメザヤに合流した。あんな風に死んだシャグマの遺志を継ぎたいと、ガラにもなく思ったんだが……やはり慣れないことはするもんじゃないな」
イプスは簡単にその後の秘密教団の活動について話した。聖獣を御することが難しいことはシャグマが命をかけて証明した。そこでメザヤは、聖獣の眷属とされている四つ足の動物を生贄として力を削ぐことを提唱した。
「じゃあ、生贄の話って、シャグマさんが考えたんじゃなかったんですね」
ほっとした思いでアビアナを見ると、アビアナも同じように微笑み返してくれた。
「シャグマは、そういう点では清廉な奴だった。バイアム神の正しい姿については誰にも譲らなかったが、かといってマルティド教徒を蔑ろにするつもりも無かったと思う。聖獣を探すのも、不条理な呪縛を解くつもりだと言っていたからな」
「メザヤさんは、違うんですか?」
ふと漏らした疑問に、イプスは眉を顰めた。
「シャグマの遺志を継いだと本人は言っているが、その実、やっていることは反抗組織とかわらんな。もしかしたら最初から自治領独立組織の一員だったのかもしれんが、あいつと腹を割って話したことは無かったんでな」
「『バイアム神の呪縛を取り除き、不当な扱いをした聖獣とマルティド神とその信者に罰を与えよ』。でしたね」
アビアナが言った。口調には、静かな怒りが含まれている。
「ああ。シャグマはそんなこと言ってなかった。それは間違いない。メザヤが少しずつ教団の目標を変えていったんだ。俺も全く気づかなかったが……いや、それは嘘だな。おかしいとは思ってたが、面倒くさいから放っといたんだ。あの時お嬢ちゃんに会わなかったら、今でもそのままだったろうな」
「あの時?」
「神殿で、神託を見てた時だ」
イプスはテーブルの上の用紙を眺める。
「『花は、好きか?』」
神殿で会ったときと同じ質問だった。そういえば、あの唐突な質問の理由は何だったのだろうか。
「最初にあったときも訊いたと思うが、その質問は俺のじゃないんだ。ここに、そう書いてある」
とんとんと、指先で叩くのは並んだ用紙のうち、神託の言葉が書かれた用紙だった。
「……え?」
イプスは神託を読んでいる。つまりそれは。
「自分でも信じられなかったが……俺も神託を解読する一族の血を引いているらしい」
「ええっ?!」
よく考えたら、そんなに驚くことでもなかった。解読者の一族は散り散りになって王都暮らしのミオンにも混じっているくらいなのだから、イプスにも混ざっていてもおかしくはない。正直に言えば、厳ついイプスの外見と、消えてしまった神託の解読者という儚いイメージが、どうしてもそぐわなかったのだ。
「私も最初は驚いたわ」
アビアナもため息をつく。ですよね、と手を取り合ってうなずき合いたい気分だったが、今は出来ない。アビアナが王族という立場も考えると、一生出来ない相談かもしれない。
「あなたが言っていたこともあったし、急いで調べさせたけど記録も伝承も古すぎてこの人が言っていることが正しいのかどうかも判断出来ないままです。一応、神託が楽譜とは限らない、ということまでは分かったのだけど、まだ材料が足りないわ」
「はあ……」
アリーゼの立場がどんどん微妙になっていく。そういえば王国で解読者が見つかったことを、アビアナは知っているのだろうか。
「神託を奏でる解読者が見つかったことは聞いています。考えてみたら、その奏者が正しいかどうかも、我々には判断がつかないのよね……」
言われてみればその通りだ。先日思い出したゲームの導入部分では、アリーゼの笛は、人々に感銘を与えたと言うことで納得されていたようだが。
「信じる信じないはそちらの勝手だ。俺にはそういう風にしか読めないし、どうやって質問に答えたらいいのかも分からん」
イプスは開き直っていた。アビアナはそんなイプスを軽く睨んだ。
「そこも困っているところです」
「好きなだけ困ってくれ。俺は俺のやるべきことをやる」
イプスは言い切った。こういう雰囲気を、ただならぬ決意というのだろうか。ミオンはお菓子を食べるのを止めて、次の言葉を待った。
「話が逸れたが、お嬢ちゃんに会った日、俺は神託が読めることに気づいて呆然としていたんだ。シャグマは死んで、教団を継いだのはメザヤだ。自分が読んでいるのが本当にバイアム神の神託なら、あいつに報告してそれで終わりにしようと思っていたんだが、何かが引っかかって仕方が無かった。それが分からなくて、たまたま目についたお嬢ちゃんと話して、やっとわかった」
「わたしと話して……」
花について延々語っていたことしか思い出せない。そういえば別れ際にイプスは「朗報だ」と言っていた。
「お前の兄貴にも渡したあの符丁、記号でもいいか。あれは生前にシャグマが守人の言葉から選び抜いたものだった。あれが神託の言葉に近いことは聞いたか? 元は解読者たちが使っていたのだから当然だ。シャグマは俺にも教えてくれた。無学な俺があっという間に読み書き出来るようになったのは、知らないうちに流れていた血のせいだったんだな。シャグマはバイアム神からの祝福だと喜んでくれて、それから守人の言葉を祝福するときに使うようになった」
様々な思い出が脳裏をよぎっているのだろう。懐かしそうに、イプスは目を細めた。
「シャグマはメザヤにも教えた。あいつもあっという間に上達したが、神託は読めなかったようだし、元から頭の良い奴だったんだろう。メザヤは教団を引き継いでから、シャグマと同じように活動場所に同じように守人の言葉を刻んでいた。ただ、シャグマのように直接、祝福する、とは刻んでいなかった。マルティド神の信者に気取られたくないから、普通に読めないように小細工をしてあると言うのを鵜呑みにしていたんだが、そもそも、守人の言葉が読める人間がほとんどいないことに思い当たるべきだった」
細められた目が、そのまま鋭く変わる。
ミオンと話したシャグマは、メザヤの行動に疑問を持った。かつてシャグマは、守人の言葉は神の力を多少なりとも宿しているといっていたことを思いだした。メザヤが刻んだ祝福を調べ直して、祝福ではなく、呪詛が刻まれていることを知った。
「あの呪詛がどんな風に発現するのか、メザヤがどうやって呪詛を動かすのか、まったくわからない。とにかく、メザヤがシャグマの遺志を継いでいないことは分かったし、少なくともシャグマは呪詛など刻むつもりは無かったはずだ。だから俺はあんなものを消し去りたい。シャグマが遺したと言われるのは心外だ」
死者に汚名を着せたくない、イプスの想いはそれだけだった。
「王国のためにも、是非手を、いえ、その目を貸してください」
アビアナからも改めて頼まれては、イヤとは言えない。メザヤの目的は間違いなく魔神召喚だ。シナリオ通りなら失敗すると分かっているが、失敗する理由がイプスの地道な活動にあるとするなら、積極的に参加するべきだと思った。さらにもう一つ、思惑もあった。
「あの、イプスさん、その呪詛が刻まれている場所って、秘密教団のアジトって言うか、活動場所にあったりするんですか?」
「全部、とは言えないが、大半はそうだな。信者が集まる場所には必ず刻んでいた」
場所の特定もできると言われて、ミオンが断る理由は無くなった。もう、アリーゼの後を付けて回らなくていい。
「わかりました。お手伝いします!」
(待っててね、これできっと助けてあげられるから!)
王国の未来を思う一少女のような発言の裏に、小さな子猫が一匹いることは絶対に語られない秘密だった。
たぶん一番不憫なのは、オープニングが始まったばかりでいきなり存在意義を疑われているゲームの主人公かと思われます……。
それでは今回もお読みくださってありがとうございました!