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「やはり、間違いないのか」
「はい、イプスさんです。でも、どうしてここに……」
どう考えても、イプスとアビアナと繋がらない。ジェラールも首を傾げている。
「守人の導きに従ってきた、とだけしか言わないそうなんだよ。恐らく、シャグマ殿からの伝言役、と考えられるけど……」
アルファドは歯切れが悪い。今現在では、イプスが秘密教団の一員である確証はない。また、シャグマ以外の人間も読めることを考えると、シャグマからの伝言とも言い切れない。
「わっ」
中庭のイプスが動いたので、三人は慌てて頭を引っ込めた。再度覗くと、イプスが使用人に連れられて中庭を後にするところだった。どこに行くのか、という疑問はすぐに解けた。
「みなさま、こちらにどうぞ」
部屋の扉が開かれた。別の使用人の先導で、三人は部屋を移動する。徐々に調度品が増えていくことにミオンが気づくと、アルファドが褒めてくれた。
「ハベトの王族はあまりこの別邸を利用されないから、必要最低限の所だけ整えてあるみたいだね」
つまり先ほどの部屋の辺りは、普段使われない別邸の中でも更に使われない一角だったということだ。
最後にひときわ豪奢な扉の前で使用人は立ち止まり、ノックをした。
「来てくれたのね。ありがとう」
部屋の中には、エリューサスとアビアナがいた。アビアナの出迎えに、アルファドが仰々しい礼を取る。
「とんでもありません。アビアナ殿下のご用命とあれば、いつなりと馳せ参じる所存です」
「アルファド様……今は、やめませんこと?」
アビアナの頬が引きつる。アルファドはにこやかに頷いた。
「紛れもない本心なんですが、ご理解いただけなくて残念です」
その割には、とても嬉しそうな声に聞こえる。アビアナはため息を一つ吐くと、無理矢理に笑みを浮かべて見せた。
「その件については後ほどゆっくり話し合いましょう。今は……ミオン、それとジェラールでしたね。あの者は教団の人間で間違いありませんね?」
「え、あ、はいっ!」
漂う緊張と冷気に飲み込まれていたミオンとジェラールは、我に返って慌てた。
「で、でもっ、わたしが会ったときは、イプスと名乗っていました。だけど、あの人に間違いないと思います」
あれほどの特徴のある人間は二人といないはずだ。ただ、確信を持てない点が、一点ある。
「教団の人間かどうかは、わかりませんが……」
「現時点であの男と秘密教団の関係は明らかではありませんが、ほぼ確実かと」
不明部分については、アルファドが捕捉した。
「これまでの報告から、こちらでも同じ意見です」
アビアナはしばし考え込んだ。
「これから私は隣の部屋であの男と会ってきます。みなさまはこの部屋で待機していてください」
「よろしいのですか?」
エリューサスが聞き返す。その顔には、滅多にない驚きが浮かんでいた。
「お願いしたいのです」
頼むと言うよりは、懇願するようだった。隠しきれない不安が、ミオンにも伝わってくる。
(イプスさんが怖いのかな……)
見かけによらずいい人ですと、言うべきかどうか迷った。迷っているうちに、アビアナは隣室へと消えていった。
主を送り出した使用人は、向き直ってお辞儀をした。
「これから小窓を開きます。隣の会話も聞こえますが、こちらの音も聞こえることになりますので、お静かに願います」
主人の要望に素早く応えるべく、従者が待機する部屋には、様子を窺うための小窓がついていることをミオンは初めて知った。
(そっか、だからすぐになんでもできるんだ)
エリューサスの別邸でも、声をかけなくてもメイドがやってくる理由がようやくわかった。椅子に仕掛けはなかったようだ。
(……わたし、ここにいていいのかな)
アビアナとイプスの会話に興味はあるが、このまま聞いてしまっていいものだろうか。イプスが本当にシャグマの伝言役なら、内容は『王家の秘密』のはずだ。
ジェラールを振り返ると、兄も困ったような表情を浮かべていた。
「アルファド様……俺とミオンは帰った方がいいですよね?」
「僕はそうした方がいいと思うけど、アビアナ殿下は聞いてて欲しいみたいだから、静かに座っててよ」
エリューサスにも促されたので、ミオンとジェラールは諦めて祈った。
(王家の秘密がそんなにすごい事じゃありませんように)
その間に使用人は椅子を揃え、壁に飾られている絵を動かした。わずかに風が動いた気配がする。耳を澄ますと、アビアナが使用人に何かを命じている声が聞こえた。
「――失礼する」
やがて扉が開く音に続いて、イプスの声がした。
「突然の訪問の無礼にも関わらず、時間を割いていただき、感謝申し上げる」
「構いません」
アビアナが応じる。普段と違って固い声だった。微かに声が震えていたように聞こえたのは、気のせいだろうか。
「イプシアーニ・ガンナ。私がこの屋敷の主です。守人の言葉に導かれたと聞きましたが、何故ここに?」
余計な社交辞令は一切省いて、アビアナは切り込んだ。
イプスの返事には、少し、間があった。
「『聖獣とは獣にあらず。真の聖獣を求めるなら故郷を訪ねよ』。神託横に掲示された文書にはそうあった。これらの意味が全て理解できるのは、元ハベト王族のシャグマのみと推測したが、間違いないだろうか」
「……続けなさい」
「自分はシャグマではないので放っておいても良かったが、待ちぼうけになるのも憐れと思い直した。しかしどこの誰とも素性の知れない自分では王城に入ることなど出来ないだろう。この別邸なら、誰かしらが駐留しているだろうとやってきたのだが、まさか王女殿下自らがおいでになるとは思ってもみなかったので身に余る光栄に震えているところだ」
話しているうちに興が乗ったのか、イプスは饒舌になった。王族を前にしているとは思えない余裕が窺える。
「余計なことは言わなくていいわ。言い分はわかりました。あなたがあの文書を正しく理解していることもわかりました。でも、どうして待ちぼうけになるというの?」
「簡単だ。シャグマは死んだからだ」
(え?)
ミオンは自分の口をきつく押さえた。そうしないと、わけのわからないことを口走ってしまいそうだった。
(シャグマさんが……死んだ? うそ。なんで?)
横を向けば、エリューサスも愕然としている。信じられない、という声が聞こえてくるようだ。
「従兄弟殿が……」
アビアナの掠れた声がした。「殿下!」と使用人が駆け寄る声もする。身内の死の知らせに、息もつけない様子が見えるようだった。
「そんな……嘘……」
しばしの沈黙の後、つかつかと足音がした。
「イプシアーニ・ガンナ。従兄弟殿が死んだという証拠は何です? 言いなさい!」
小窓を人影がよぎっていく。アビアナがイプスに詰め寄ったようだ。
「自分が看取ったという以外に証拠は無い。敢えて言うなら、この傷が証拠だ。これは、聖獣に付けられた傷だ」
沈黙が落ちる。小さな吐息が漏れ聞こえて、沈黙は破られた。
「……詳しい経緯を話しなさい」
弱い足音が戻っていく。アビアナが席に戻ったのを見計らって、イプスは語り始めた。
「大して話すことは無い。元々自分は、シャグマの護衛兼道案内として雇われた。育ちが良さそうだとは思ったが、まさか王族の一員だったなんて、シャグマが死んでからもしばらくは知らなかった。だからというわけではないが、このままシャグマと呼ばせてもらう。今更言いにくいのでな」
「許可します」
イプスはシャグマとの出会いと、当時の様子を語った。イプスとシャグマが出会ったのは、シャグマが聖獣を求めて山に入る前のことだった。
「あの当時、シャグマには既に連れがいた。メザヤといって、シャグマと同年代の男だったと思う。思う、というのは名前以外は何も語らなかったからだ。自分もわざわざ尋ねたりしなかった。シャグマも愛想が無かったが、メザヤは陰気の別名みたいな男だった」
「メザヤ……」
アビアナが小さく繰り返す。心当たりを探しているのだろうか。イプスは構わず続けた。
「道案内と言っても、聖獣の住処までは知らなかったから、山に入ってからは完全に護衛が仕事だった。メザヤはほとんどしゃべらなかったが、シャグマはいろいろ話しかけてきた。もっぱら、バイアム神の理不尽な立ち位置についての文句だったが、それを除けば知識が豊富な面白い奴だった」
「あなたは従兄弟殿が聖獣を探している目的を知っていたのですか?」
糾弾するような口調だったが、応じるイプスの声は変わらなかった。
「知っていた。護衛を頼まれる前に、シャグマは自分の信仰について語ってきたからな。むろん、教団にも誘われたが、神にも聖獣にも無縁の生き方をしていた自分には、正直にいって、どうでもいい話だった」
「どうでも、いい……ですって?」
「そうだ。どうでもいい。祈るだけで明日の食事にありつけるようなら誰でも祈るだろうが、実際には違う。祈るより他にやることが山とあったし、神の加護よりは金の方がありがたい」
だからシャグマの護衛を受けたと、イプスは言い放った。
「あなたは……いえ、続けてください」
「自分の主張はもっともだとシャグマは同意した。祈ることが出来ない世の中では神が失われているのと同じだと。神の正しき姿のために聖獣を狩るのだとシャグマは繰り返していた。そのためには、聖獣がどこにどのくらいの数いるのか、そういったことを調べる必要があるとも言っていた。狂信的な奴かと思えば妙に理性的な話をする奴だった」
アビアナが追いかけた足取りは間違っていなかった。守人ですら把握していない聖獣の生態を、シャグマは自分の目と足で調べようとしていたのだ。
「麓で聖獣の守人の文献を漁ってきたが、住処どころか聖獣を見つけることも出来なかった。諦めて一度戻ろうとしたとき、一頭の聖獣を見つけた」
「聖獣を、見たのですか」
アビアナの声がほんの少し興奮していた。ハベト族ですら、なかなか見ることが難しいそうだから、無理もない。
「見た。最初は灰色の狼だと思った。それにしては大きすぎるんで、灰色の熊かと思い直した。しかし熊にしては毛が長く、尾が長かった。それで、あれが聖獣なのだと気づいた」
(ほんとに熊にも狼にも見えるんだ……)
図書館で見つけた頼りない文献の一文は、的確な表現を使っていたようだ。しかしミオンは熊も狼も実際に見たことがないので、想像すら厳しい。
「自分たちを見つけた聖獣の反応は、予想以上に激しかった。やはり獣だな。縄張りを荒らされるのは嫌うらしい。襲いかかってきたので応戦したが、傷一つ付けることも出来なかった」
イプスの他にも護衛は数人いたが、気づけば全員バラバラになっていた。イプスは最後までシャグマの側にいた。
「一度引いて立て直そうとしたのだが、聖獣はしつこかった。結局追い詰められて、シャグマ共々、爪の餌食となった」
イプスはそのときに片目を失い、シャグマは背中をえぐられた。瀕死のシャグマを背負って、イプスは山を走った。
「走ったと言っても、自分も出血が酷くてよろよろしていたと思うが、追いかけてこなかった。そのうち、はぐれた仲間が見つけてくれたが、手当てする間もなく、その場でシャグマは死んだ。自分はそこで意識を失って、次に目が覚めたときはどこかの村の中だった」
「従兄弟殿の亡骸は……そのまま山に埋葬したのですか?」
「仲間がそのようにしたと聞いている。残念ながら詳しい場所はわからない。方向を把握できないくらいに逃げ回っていたからな」
「そう、ですか……」
沈黙が落ちた。二人とも、それぞれに瞑目しているかのようだった。
「……従兄弟殿が死んだとは、すぐには信じられません」
やがて、アビアナは静かに言った。
「だろうな」
イプスも否定しなかった。
「それでも構わない。必要なことは言った。信じる信じないはそちらで決めてくれて構わない」
言い捨てて、イプスは何故か深いため息を吐いた。
「自分の話はこれだけだ。自分をこの場で捕らえるつもりならそうしてくれ。抵抗はしないし、話せることなら何でも話す。だから教えて欲しい。真の聖獣とは、なんだ?」
いきなり殊勝な態度になったイプスに、アビアナは即答できなかった。
「いきなり……なにを……」
「自分が何者なのか、もう知っているんだろう。シャグマだって同じことを言うだろう。聖獣が獣でないのなら、我々が……シャグマの遺志を継いだはずの教団がやっていることの意味は何なのか、とな」
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