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「――で、アビアナ様がメッセージを考えてくれることになったの」
アルファドのマナー講座という試練を乗り越えた翌日、ミオンはサロンのメンバーに報告をした。ついでに、教わったとおりに『指先にまで集中した身のこなし』も披露したが、ニスモアに寝違えたのかと訊かれたので序盤で終了した。今後のさらなる修練が必要と思われる。
「そうすると、あとは掲示場所か。まあ、その辺もアルファド様がぬかりなくやってるんだろうけど」
ロネの言葉に、皆、頷いた――と見えたが、クアイドだけが意見した。
「なあ、それ、大丈夫なのか?」
「結果は、やってみなければわからないとしか……」
大丈夫ですと、大見得は切れない。シャグマの元にメッセージが届くのにどのくらいの時間がかかるのかもわからない。メッセージを受け取ったシャグマが動くのかどうかも不明だ。特に後半部分は、アビアナの作文に乞うご期待だ。
「あー、そうじゃなくてな。結果の前だよ。その守人の言葉ってやつ」
「その、前……?」
「前だよ。守人の言葉を解読したのはシャグマだけで、読めるのもシャグマだけ。じゃあ、誰がそのメッセージを書くんだ?」
「だからアビアナ様が…………あれ?」
合図の符丁が、失われた守人の言葉だったと教えてくれたのはアビアナだ。過去にシャグマが守人の元で解読を試み、成功したようだと教えてくれたのもアビアナだった。その流れで、何となくアビアナなら読み書きできるのではと思い込んでいたが、言われてみればあちこちで矛盾が生じている。
だらだらと、イヤな汗流れてきた。それもそうだよなと、囁く声も聞こえる。
「わたし、ちょっと行ってきます……」
ミオンはぎくしゃくと立ち上がった。本日は未だ、エリューサスとアルファドは姿を現していない。こちらに向かっているはずだから大人しく待っていれば必ず会えるのだが、落ち着かない。
「ミオン、私も一緒に――」
マギーが立ち上がったとき、エリューサスとアルファドがやってきた。
「待たせたかな」
にこやかに挨拶の言葉を述べたアルファドは、室内の空気が重いことに気づいた。
「なにかあった?」
脂汗が冷や汗に変わるのを感じながら、ミオンは前に出た。
「アル様……あの、実は……アビアナ様にお願いしたことなんですけど」
「アビアナ殿下に? それだったら一度自治領に戻られるそうだから、少し時間はかかると思うよ?」
「そ、それ……」
「それ、少し、じゃなくて、永遠に、じゃないかって話してたんですけどね」
言葉を詰まらせてミオンの後を、クアイドが継いだ。言葉は悪いが、口調は大真面目だった。
「永遠に? どういうこと?」
「シャグマにしか読み書きできないものを誰が書くのかってことです」
ずばりと言い切られて、ミオンは俯いた。その頭上に、アルファドの明るい声が響く。
「あ、そのことか。それなら解決したよ。というか、ゴメンね、ミオンには言ってなかったね」
お詫びに好きなお菓子を贈るよと言われては、ミオンは頷くしかない。
「はあ……」
言われていなかったことに対する怒りよりも、首の皮一枚で繋がったという安堵感に全身の力が抜けそうだった。
「どう解決したんでしょうか」
菓子も気になるが、今はアビアナの方が気にかかる。アビアナに、ぬか喜びさせたくなかった。
「実はあの後、エルにもクアイドと同じことを言われてね。さすがに僕も青くなったよ」
その瞬間、クアイドが残念そうな顔をしたのを、ミオンは確実に見た。青くなったアルファドの顔を拝める機会なんて、そうそうあるものではない。見てしまった後が怖いので、ミオンとしてはその機会に恵まれたくはない。
クアイドのそんな表情に気づかず、アルファドは照れたように頭を掻いていた。慌ててアビアナの滞在先を訪ねたころ、逆にアビアナに驚かれてしまったと続けた。
「シャグマ殿捜索の手がかりになればと、アビアナ殿下の方でも守人の言葉の解読を進めていたそうなんだよ。シャグマ殿のように古の記録をすらすら読むのは無理でも、簡単に単語を並べてメッセージを書くくらいならできるそうだよ。とっくに知っていると思ってたと言われて、何も言えなかったのが悔やまれるよ」
最後に思い切り本音が出ていた。今後の力関係が微妙に揺らぎそうだ。
「良かった……」
危ないところだった。手回しのいいアビアナに、感謝だ。それと、即座に落ち度に気づいてくれたエリューサスにも、だ。
「エル様、ありがとうございました」
「ああ」
エリューサスは先にアルファドの横をすり抜け、ロネが引いた椅子に当然のように腰掛けて、成り行きを見守っていた。礼を言えば、気にするなと手を振られた。
「メッセージが作れることは良かったとして。シャグマの他にも読める人間がいるってのは、問題じゃないですか?」
まだ納得のいかない様子にクアイドに、アルファドは心配ないと告げた。
「その前提でアビアナ殿下も文章を練り込んでくださるそうだよ。楽しみだね」
ふふっ、と心底楽しそうな笑みがこぼれた。同意する者は誰もいなかった。ジェラールなど、あからさまに痛ましそうな顔をしている。
「……アビアナ姫が本当は心優しい方であることを祈りたいね」
ニスモアが呟いた。不敬罪で投獄されてもおかしくない発言だが、アルファドとアビアナの少しも心の温まらない交流については、サロンメンバー全員が知るところなので、以下のように続いてしまう。
「やっぱ『あのことをバラされたくなかったら出てこい』って感じになるんじゃ……」
「いろいろと裏を握ってそうだよな……」
「いやいや、ここはやっぱりストレートに、ベッドの下を掃除するぞ、だろ」
「え、ロネはベッドの下なの? 僕はベッドの底板に裏から貼り付けたよ」
「お前、頭良いな!」
今度実家に帰ったら、兄のベッドの裏を探してみようとミオンは心に留めた。
「それじゃ、その件はもういいかな? 本題に入るよ」
アルファドが場を仕切り直すと、おのおの手近な席に着いた。
今日、集まったのは他でもない。
三日後に迫ったイプスとの再会についてだ。再面談、と言うべきか。
前回同様に、ジェラールとミオンは一緒に指定場所に向かうことは確定している。当人たちに異議は無い。問題なのは、着いてくる気持ち100パーセントの他のメンバーたちの動向だ。
「前の様子から言って、そんなに警戒しなくてもいいんじゃないかと思うんですが」
まずジェラールが提案してみるが、即座に却下された。
「そうやって油断を誘って、懐柔するのが詐欺の基本の手口だよ。二言三言話しただけで、人生の師に出会ったって舞い上がっちゃって、誰の言葉も受け付けなくなる人もいるんだし、用心に越したことはないよ」
一番用心したい相手ナンバーワンのアルファドに言われては、イプスも立つ瀬が無いだろうと思う。崇高な信念に基づいた秘密教団も、アルファドに掛かれば単なる詐欺集団でしかないようだ。
「もしかしたら、前回はミオンと知り合いだったことがわかったから計画を取りやめたってことも考えられるんじゃないかしら」
ティオナの至極真っ当な発言に、ニスモアが芝居がかった仕草で頷く。
「しゃあ、今度は別の人が来るかもね。もっと強そうなのが十人くらい来ちゃうとか」
だから応援が必要だと言いたいらしい。
それ、ただの圧迫面接よね――過去の記憶が、呆れたように囁いた。意味はわからなかったが、イプスのような大男が十人も増えた時点で、話し合いは成立しないと思われる。
(そのまま誘拐した方が早いよね)
むしろ、どうしてそうしなかったのだろうと思う。やはり人さらいは動物と違って騒ぎが大きくなるからだろうか。犬猫なら、イプスのような体格でなくとも連れ去ることが出来る。
(……まだ、秘密教団かどうかもわからないけど)
ただ、ジェラール相手なら、イプス一人でも攫うのは可能だろう。腕一本で押さえつけた実績もある。兄はもう少し身体を鍛えるべきではないだろうか。特にロネと比べると、まったくもって頼りなく見える。
「いや、本人は次も自分がやるから安心して来いって言ってたけど……」
妹の謎の視線を気にしつつ、ジェラールはメンバーを引き留めにかかっていた。他はともかく、エリューサスにだけは思いとどまって欲しいという気持ちは、丸わかりだ。
「安心するのは無理だよ。偽の辻説法との関係も浮き上がってきてるようだから、用心はしないと」
アルファドがいつになく真剣な面持ちで言うと、室内はしんと静まった。
「……関係がわかったんですか?」
恐る恐るマギーが尋ねると、アルファドは真顔のまま、言った。
「言ってなかったかな」
順番に目を合わせていく度に、ふるふると首が横に振られるのを見て、アルファドはこめかみを揉み始めた。
「最近忙しすぎてうっかりしてたんだな……。ジェラールの他にも同じような勧誘をされた人が見つかってね、偽辻説法と繋がりが見えてきたそうなんだ」
それで前回、テルスターの指示のもと、兵士の一隊が差し向けられた。タイミングが良すぎると疑ったアルファドが探りを入れて事実を知ったのは、つい最近だった。
(てことは……イプスさんは、あの秘密教団の人なんだ……)
ミオンが語る『花』について、真面目に耳を傾けてくれたあのイプスと、小動物を生け贄に捧げる秘密教団が繋がらない。
(これって偏見、じゃない、先入観、ってやつかな)
外面のいい悪人はいくらでもいると、マギーにも再度言われたばかりだ。目の前の事実をきちんと受け止めなければ。
「とにかく、そういうことだから、一人にするわけにはいかないよ。あ、もちろんミオンも含めてだから、一人じゃなくて二人だね。出来れば同席して話を聞きたいけど、さすがにこれ以上兄弟を増やすのは難しいよねえ」
「即バレしますね」
顔も雰囲気も似たところが一つも無いので絶対に無理だ。ジェラールの強い否定に、ロネも頷く。
「同席は止めてください。こっちが困ります」
既に用意されていた地図と、次回の待ち合わせ場所を見比べながらロネは眉を顰めていた。
「近くに潜むのも難しいですね。この辺は住宅ばっかりで、調べてみましたが空き家もほとんどありません。住人は先に丸め込まれてると考えると、協力を仰ぐのも困難かと」
それでも、見張れる場所を割り出してあるのは、さすがだ。
「狭い道ばかりなので、露店案は今回は難しそうなんですよね」
既に予告されていたのか、がっかりした口調で、ティオナ。反応したのは、マギーとニスモアだ。
「え、露店、ダメなんですか」
「そんな! せっかく用意しておいたのに」
「……お前、未だ何も決まってないのに用意してたのかよ」
呆れかえるロネに、ニスモアは口を尖らせた。
「だって! 殿下も今度は絶対やるっておっしゃってたから、それなら僕も早めに用意しておこうと思って」
「……」
諦めてなかったんだ――思いを一つにした視線が、エリューサスに向けられた。アルファドですら、生暖かい目を向けている。
エリューサスは全く動じず、ニスモアに言った。
「何の用意していたんだ?」
「え? いえ……そんな、大したことでは……」
先ほどまでの勢いはどこかに消え去って、ニスモアはもごもごと口をつぐんでしまう。
「言えないようなら今後も許可できないよ?」
迫力のある笑顔でアルファドに凄まれて、ニスモアは渋々と口を開く。
「言えないわけじゃなくて……もっとちゃんとしたときに言おうとしてただけで……あの、僕、兄もいるし、いずれは自立して何か商売を始めようと思ってて」
その話は全員が知っていた。ついでに、エリューサスの影響を受けまくっているので、きっと菓子関係だろうと全員が確信している。
「どうせなら、いつもみんな楽しそうに食べてるから、お菓子が良いかなって」
やっぱり――予想通りの告白に、全員の首が縦に振られる。
「でも僕、料理の腕は自信が無いから、僕でも簡単に作れて、外でも気軽に食べられるものをずっと考えてて……」
ちらちらと、ニスモアは、救いを求めるような視線を投げてきた。その視線に、アルファドが気づいた。
「ミオン、何か知ってるの?」
「えっ?! いえ……あ、もしかして前に話してたあれかな……?」
「それだよ。実家で試したら、評判よくってさ! きっとイケるって母さんも言ってくれたんだ」
「え、そうなの? よかったね!」
「うん、ミオンのおかげだよ。ありがとう!」
「で、何を作ったんだ?」
盛り上がる二人の間に水を差したのは、エリューサスだった。心持ち、苛立ったような顔をしている。
「あ……」
瞬時にニスモアの顔色が赤から青に変わった。
「その、特にまだ名前は無くて……あの、このくらいの、片手で持てるくらいの小さな、パンケーキみたいな……?」
「作ってみろ」
さらに追加された言葉に、ニスモアは青から真っ白になった。ふっと一息吹きかけたら、霧散してしまいそうだ。
「いいい、今すぐは無理です!」
「では明日。全員分用意するように。必要なものはアルに言っておけ」
「あああの、でも場所とか……!」
「うちを使えばいい」
「まままだ、うまくできないかも……!」
「俺が満足したら王室御用達だ」
とどめの一言に、ニスモアは観念した。
「か、かしこまりました……」
か細い声だったが、ニスモアの顔色は再び赤くなっていた。半分以上はやけかもしれないが、覚悟は決まったようだ。初挑戦でいきなり王室デビューとは、ニスモアの家族も思ってもいないだろう。
(でもあれで王室御用達って……)
仮にエリューサスが満足しても、周囲が納得しないのではないだろうか。材料も作り方も、ごく一般的な物ばかりだし、ミオンが説明するのに描いた絵が既に不格好という点も、マイナス要素だ。マギーが不安そうにこちらを見ていたので、あとで説明すると小声で返した。
「では、明日」
エリューサスは満足したように頷いていた。
クアイドが発言を求めて挙手した。
「つまり明日、全員、殿下のお屋敷に集まれと言うことですかね?」
「何か用があるのか?」
「いえ……」
エリューサスの誘いを断れるような大物は、ここには存在しない。菓子と聞いて、甘いものが苦手なロネだけが、うんざりした顔をするくらいだ。
一つの大きな決定事項がまとまったところで、アルファドが言った。
「それじゃあ、そろそろ本題に戻っても良いかな?」
ニスが何を作るのか、多分おわかりかと思いますが一応次回のお楽しみにさせてください。
(こんなことばかり書いてるから進まないんですけどね……)
それでは今回もお読みくださってありがとうございました!




