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ルザリア院の前の道は狭いので、人が乗るような大きな馬車は入れない。なので伯爵家の人々は馬車は大通りに止めて、残りの道のりを優雅に歩いてきた。
「きた!」
院にやってくる伯爵家のご一行を、ミオンは他の子供達と一緒に、窓に張り付いて見守っていた。近づいてくるにつれて、一行の中に子供が二人、交ざっているのが見えた。子供と言っても、ミオンよりはずっと年上のようだが。
「おぼっちゃまと、おじょうさまだよ」
「今日は二人だね」
「伯爵家のお坊ちゃまとお嬢様ってこと?」
隣でこそこそ囁く声に、ミオンは問いかけてみた。女の子二人――黒髪の色白がリファニーで、黒髪のそばかす少女がキューベル――は同時に頷いた。
「ほら。みんな、見つかったら怒られるわよ。戻りなさい!」
ルザリア院には院長の他に手伝いが一人いる。伯爵家から派遣されたモリーである。ミオンの母より年上のモリーは、伯爵家のメイドと言うよりは下町のおばちゃんそのものだ。二人の子供を育てた経験と二の腕を買われたというのが本人談。以前に見せてもらった二の腕は思ったより太くなかった。正直にそう言ったら、翌週に大量のクッキーを焼いてきてくれた。余談である。
そんなモリーは、ルザリア院では主に乳幼児の面倒を見ている。普段なら年上の子供達と手分けしているのだが、その子達は本日は伯爵家のお出迎え要員だ。伯爵家が何かわからない年齢の子供達は、奥の一室に集められてモリーが一人で面倒を見ている。
ので、モリーはいつになく殺気立っていた。
ミオンも、だから「もう見つかってると思うけどな」なんて口に出したりしない。命が惜しい。他の子供達と一緒に、急いで部屋に戻る。
マーキン院長が部屋の戸を開ける頃には全員が、『ずっと勉強していましたが何か』という顔をしていた。マーキン院長の口元が一瞬だけ歪んだのが見えた。笑いをかみ殺したようだ。
「みなさん、ヤーベイン伯爵家のアルファド様とセオラリア様がお見えになりました。ご挨拶を」
真顔に戻ったマーキン院長は子供達にそう言ってから向き直り、戸口に立つ人物にお辞儀をした。
「改めて、アルファド様、セオラリア様、ルザリア院へようこそおいでくださいました」
「ようこそおいでくださいました」
子供達がマーキン院長を真似て、挨拶を繰り返す。さすがに練習しているのか、きちんと揃っていた。
「歓迎してくれてありがとう。今日は少しだけど贈り物を持ってきたんだよ」
「気に入ってもらえると嬉しいわ」
伯爵家子息のアルファドは、柔らかそうな明るい茶色の髪の少年だった。身長は高く、ひょろりとした印象だ。妹のセオラリア嬢も兄とよく似た髪色をしていて、こちらは当然、長く伸ばした上にドレスと同じピンク色のリボンで飾られている。大勢の視線にはにかむ様子が愛らしいご令嬢だ。
「今は、勉強の時間だったのですね。お邪魔をして申し訳ありません」
テーブルの上に広げられている教材を眺めて、アルファドが謝罪する。いやいやと、ジュスローは首を振った。
「実は私どもも、先ほど来たばかりでしたので、これから準備をするところでした。見ての通り子供達の方がしっかり支度ができていたようで、お恥ずかしい限りです」
ジュスローの返事に、マーキン院長が苦笑する。アルファドも、曖昧に笑って室内を見回す。その視線が、ミオンの上で止まった。
「そうでしたか。みんな、先生の授業を楽しみにしているんですね。ところで先生、私ども、とおっしゃいましたよね。お連れになったのはあの子ですか?」
「ええ、良くおわかりになりましたね。ミオン、こちらへ」
手招きされて、ミオンはジュスローの隣に並んでお辞儀をした。
「ミオンと言います。最近、この子に子供達の勉強の手伝いをお願いしているんです」
ジュスローが紹介すると、アルファドは頷いた。
「それはどうもありがとう。僕からもお礼を言わせてもらうよ」
「あなた、先生のお手伝いをしているの? 小さいのにすごいのね」
セオラリアがはしゃいだ声を出した。綺麗な青い瞳に見つめられて、ミオンは既視感にくすぐられた。
(……セオラリア……?)
聞き覚えがあると思ったら、この伯爵令嬢も『終焉を奏でる君と』の登場人物だ。
役どころは主人公のアドバイザー。ほとんどのストーリーに必ず登場して、攻略相手との恋の行方に悩むアリーゼにお姉さん的なアドバイスをしてくれる人である。兄弟姉妹のいないアリーゼは彼女を姉のように慕うのだが、ゲーム後半でセオラリア自身も苦しい恋をしていることが判明し、アリーゼがセオラリアの恋を応援するというイベントもある。
「……ミオン?」
ジュスローにそっと肩を叩かれて、ミオンは我に返った。怒濤の勢いで流れ込んできたゲームの設定をいったん脇に追いやって、急いでお辞儀をする。
「し、しつれいました!」
「セオラリア様がお綺麗だから見とれてしまったのね」
とってつけたようなマーキン院長のフォローに、ミオンは何度も頷いた。
「貴族の方を見るのは初めてです」
「見る、ではなくて……うん、ミオン、あとで言葉遣いの練習をしようか」
「はい、先生……」
ジュスローは笑顔で言ったが、降り注いでくるのは笑みではなく、何かの圧力だ。迂闊にしゃべらないようにしよう。あと、早く辞書を買ってもらおう。
「そんなに畏まらないでください。先生のお手伝いなら、恩人の一人となりますから」
アルファドが苦笑して取りなす。セオラリアのことを思い出したおかげで、アルファドのことも思い出した。
セオラリアより二つ年上のアルファドは、立派な伯爵家の跡取りとして成長している。
以上。
(……いやだって、スチルも無かったし、セオラリアの話でしかでてこなかったし)
ちなみにセオラリアは主人公アリーゼより一つ上。つまり、ミオンより二つ上で、兄のジェラールと同い年と言うことになる。ずいぶん年上に見えたのだが、蓋を開けてみれば十四才と十二才の兄妹だった。
「それに今日は、普段の様子を父に報告する為に来たのですから、是非いつもどおりにお願いします」
「お兄様、みなさんこれからお勉強なら、私は荷物の用意をして参ります」
「そうだね、そうしてもらおうか」
セオラリアは廊下で待っていた従僕たちを引き連れて、いったん孤児院から出て行った。残ったアルファドは「僕もお手伝いしてもいいですか」と、子供達の勉強を見て回る。同じテーブルに着くことになった年上の子供達が、見るも憐れなくらいに緊張していた。こちらに助けを求める視線がいくつも流れてくるが、ミオンはばっさりと背を向けて、年下の子供のテーブルに戻った。
「じゃあ、今日はこの問題からね」
そんな風に始めてはみたが、一部を除いて子供達はそわそわしていて落ち着かず、ほとんど進まない。みんな、ちらちらと扉の方を見てこそこそ囁き合っている。
「……おくりものって、お菓子だよね」
「お洋服も」
伯爵家からの荷物が気になるらしい。
「ミオンも、なにかもらえるかもしれないよ」
「わたしはルザリア院の子じゃないから、どうかなあ」
一応否定してはみたが、そう言われるとミオンも気になって仕方が無い。貴族がくれるお菓子って、どんなものだろう。こうしてミオンも、『そわそわ』の仲間入りを果たした。
「お兄様、荷物を持って参りました」
玄関の方が騒がしくなったとき、子供達は逆に一斉に静かになった。廊下を近づいてくる足音にじっと耳を澄まして、扉が開かれ、セオラリアが現れたときには歓声が上がった。
「そうか、ありがとう」
アルファドは妹を労ってから、マーキン院長にいった。
「マーキン院長、ジュスロー先生、本日は伯爵家から子供達に少しばかりの贈り物を持ってきたのですが、この場をお借りしてもよろしいでしょうか」
勉強を中断させるのは心苦しいのですがと断りを入れるアルファドに、二人とも快諾した。どのみち子供達は誰も勉強なんか手に付いてない。あっという間にテーブルの上から教材は片付けられ、代わりに、伯爵家の召使い達がお菓子や服、絵本、アクセサリーといった、孤児院ではなかなかお目にかかれない品物が並べられていく。
「兵士になる訓練をしている子もいると聞きましたので」
木剣が数本並んだとき、男の子達の目の色が変わる。ミオンも、こっそり期待した。
「普段に入り用の物は奥に運ばせましたので、ご確認ください」
「こんなにお目にかけていただいて、本当にありがとうございます。さ、みんなもお礼を言いなさい」
「アルファド様、ありがとうございます」
「セオラリア様、ありがとうございます」
子供達は熱のこもった声で礼を述べた。これだけ揃えるのに、いったいどれくらい練習したんだろう。
「僕とセオラリアで配ってもいいかな? 順番にね」
「お兄様、お菓子をお願いしてもよろしいですか? 私は女の子達にお洋服と飾りを配りますから」
「わかった。それではお菓子が欲しい子はこっちにね。あ、それは部屋の中で振り回しちゃダメだからな」
早速、木剣を手に取った子供にアルファドが釘を刺す。明日から取り合いになるんじゃないかなとぼんやり見ていたミオンは、手を引かれて我に返った。セオラリアが、こちらを見て微笑んでいた。
「ミオン、でしたかしら。よければ一緒にみんなのお洋服を見てくださる?」
「あ、はい」
振り返ると、女の子達がキラキラした目で並んで待っていた。セオラリアは侍女から服を受け取って、広げていく。一目見た限りでは違う色合いの同じ服のようだったが、飾りや袖、襟の形などが少しずつ変えられて作られている。セオラリアは一枚を取って、まずはキューベルに合わせた。
「この色が似合いそうね……少し小さいかしら。空色なんてどうかしら」
「こっちのレモン色の方はどうでしょう」
「あら、それの方が似合うわ! じゃ、誰かこの子の髪を結んであげてくれる?」
セオラリアは楽しそうに次々と子供達の服を合わせては、侍女に髪を結わせている。言いつけられた侍女も、丁寧に子供達の髪を結んで最後にはリボンで仕上げをしていた。鏡に映った自分の姿に、キューベルもくるくる回って喜んでいる。
(……そういえばこの人って、こういうキャラだったな)
平民出身の主人公にも、セオラリアは貴族の友人同様の扱いをしていた。今も孤児だからと言う差別の意識は感じられない。純粋に、この時間を楽しんでいるように見える。
「さ、ミオン、貴女も」
「へ?」
ゲームのシナリオに思いを馳せていたミオンは、不意に呼ばれて間抜けな声を出した。
「う……すみません、ぼんやりしていました。何かご用でしょうか」
「いいのよ、急なお願いを下から疲れてしまったかしら? もしよければ、これをつけてみない? きっと可愛いわ」
満開の笑顔で差し出されたのは、ピンク色のリボンだった。セオラリアの髪に付いているリボンを見て、胃の辺りが重たくなる。美少女貴族令嬢とお揃いとか、何の辱めだ。
「これを付けてあげて」
セオラリアのお願いに、メイドの一人がささっと寄ってきて、手早くミオンの髪を結び直してリボンを付けてくれる。どうぞと差し出された手鏡に映ったのは、いつもと違う髪型の自分だ。
「まあ、可愛らしいわ。やはりこの色で正解ね」
「ありがとうございます……」
引きつりながらも礼を述べるだけの分別は、残っていた。
しかし、ミオンは知っていた。
絵に適した額が存在するように。食材に適した食器があるように。何かを引き立てるための何かという物が存在するのである。
(あれだよ、あれ。リボン売り場の台)
美しいリボンを引き立てるための台。それが今の自分だ。だからみんなが口々に褒めるのはリボンの美しさだ。自分という飾り台のおかげで、リボンはいつも以上に可愛らしく見える事だろう。
(そんなの……知ってるから大丈夫)
なにせ自分は街人Aだ。画像すら無い、ただの通行人だ。美少女である必要性はどこにも無い。そんなことはよく知っている。知っているが――それを突きつけて欲しいとは思わないのに。
「――それでは、失礼いたします」
ミオンが思いを必死に隠したおかげで、アルファドとセオラリアは機嫌良く帰って行った。マーキン院長にも感謝されて、ミオンはもう少しがんばった。
最後に、送り出したときと違う髪型になって帰ってきた娘に驚いた母親に説明をしてから自分のベッドに飛び込むと、ため込んでいた息を吐き出した。
「……アリーゼなら、すごく似合って可愛かったんだろうな」
ミオンはリボンを一通り眺めてから、引き出しの奥にしまい込んだ。リボンの素晴らしさ引き立てて歩くのは、もうおしまい。
さらにたくさんのブックマーク、ありがとうございます!
相変わらず亀進行ですが、気長にゆるくお待ちいただければ幸いです。