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 ――優しい笛の音が室内に響き渡る。

 学院に来るまで、何度も人前で演奏した神託の旋律を、アリーゼは今日はたった一人のために奏でていた。


「不思議だね。どうみても楽譜になんか見えないのに」


 一人きりの聴き手である男子生徒は、サイネス・ミスカース。財務大臣の一人息子でありながら、芸術にしか興味が無いと公言してやまない道楽者だ。中でも女性は最高の芸術品というのが持論のサイネスの周囲は、常に華やかで賑やかだった。なのでこんな風に、静かに過ごすこともできるのだと知って、アリーゼは少なからず驚いていた。


「私も一文字も読めないけれど、こうして眺めていると、頭の中に旋律が浮かんでくるの」

「ふぅん。でも神託って、よく考えたら異教徒の神から授けられたんだよね? それって、異端の証じゃないかな」


 意地悪く言うサイネスに、アリーゼは少しも怯まなかった。


「異端、ね。私はこの旋律を弾いていて、違和感は全く感じなかったわ。だってこの曲は、世界の美しさを謳っているだけだもの。それはあなたにもわかるでしょ?」

「その訊き方はズルいな」


 サイネスは降参した。同意をもぎとったアリーゼは、嬉しそうに微笑む。


「異端なんてどこにもいないわ。ハベト族だからって、どこも私たちと変わらないもの」

「……国中の名だたる演奏家を差し置いて、君が選ばれた理由は少しだけわかるな」


 サイネスは意味ありげに微笑む。小首を傾げたアリーゼに近づき、手を伸ばして――


「……」


 目を開ければ、甘いひとときを過ごす男女は消えて、見慣れた天井が薄明かりの中に見える。


「……えーと?」


 サイネスルートも違う意味で甘かったわね――過去の記憶を探れば、苦笑が帰ってきた。


(ああ、そんな話だったんだっけ)


 サイネス・ミスカースも攻略相手の一人だ。将来を嘱望される頭脳と家柄を持ちながら、その全てに背を向けている。芸術への飽くなき渇望を癒やすためと称して異性に声をかけ、共に過ごすことに時間を費やしている。身分に隔てなく、という点は褒められてもいいかもしれない。庶民で王都外の村から入学してきたアリーゼが声をかけられたのも、そのせいだ。

 後に、アリーゼが神託の奏者であると知ると、態度が変わってくる。サイネスの隠れた望みは、父のように国務に携わることではなく、一介の音楽家になることだった。アリーゼの笛にバイオリンの音が寄り添うとき、二人の心も、という流れだった。


(あー、あの人か)


 アリーゼと同学年のサイネスは、現在一つ上の学年に既に在籍している。ミオンも、一度だけ話しかけられたことがあった。確か、クロシェナの画集を作ったときだった。ラベンダー色の髪をなびかせながら、平凡の一言で終わる自分の容姿をベタ褒めしてくる胡散臭いやつだったと記憶している。芸術家を気取るなら、もっと見る目を養うべきだ。


(でもあの人は画家じゃなくて音楽家だから、目はどうでもいいのかな)


 そしてミオンは、サイネスのことなどどうでもいい。今注目すべきなのは、夢の中のあの一幕、アリーゼも神託を読めていない、という点だ。


(つまり神託って、読むことは出来ないってことだよね?)


 文章にも楽譜にも短すぎる神託は、その存在が直接、解読者に意味を伝えるもののようだ。もっとも、それがわかったところでどうにもならない。神託が楽譜ならば、音楽家を中心に解読者を探してみるとアルファドも言っていたが、めぼしい成果は上がらなかった。結局、現在のように公示されて自己申告を待つばかりとなっている。


(あれはしょうがないよね。アリーゼが出てくるまで、待つしかないから)


 答えはいつも同じだ。唯一の解読者であり奏者であるアリーゼが登場するのを待つしかない。それは、この世界がゲームである以上、定められた流れだ。

 ミオンはそっと起き上がった。いつもなら、この後はシャグマの捜索について何も思いつかない自分にがっかりするところだが、今日はすっきりしている。久しぶりに過去の記憶を辿らないで眠ったせいもあるのだろう。辿っていないのに、サイネスルートのシナリオを思い出したのは余計だったが、得るものがあったのでよしとする。


(今すぐ、いっぺんに解決するのは無理だから)


 ミオンは深呼吸した。自分に出来ることをやれば、自然と道が繋がるとエリューサスは言ってくれた。まだ信頼は残っていて、役に立つと思っていてくれている。それなら、出来ないことを見つけて落ち込んでいる場合じゃない。


(……ちょっとばかり言い方が微妙だったけど……)


 みんなが思うような役の立ち方をしないというのはどういう意味なのか。考えれば考えるほど混乱してくるので、役に立っているのは間違いない割り切ることにした。考えなきゃいけないことは、もっと別にある。


(とりあえず、シャグマさんを探すことだけ考えるとして)


 今までの方法は全部捨てる。秘密教団も生け贄も全部忘れてみる。


(んー……人を探す……秘密教団のシャグマさんじゃなくて、アビアナ姫の従兄弟のシャグマさんを探す……?)


 ごく当たり前の考えなのに、今まで思いも寄らなかったことに驚いた。随分と、過去の記憶に頼っていたんだと、我ながら呆れてしまった。


(秘密教団の幹部なら、シナリオ通りに進めばすぐに見つかると思ったんだよね……)


 捉えられた幹部が別人だとわかった時点で、考え改めるべきだった。シャグマの一件はアリーゼのシナリオとは別の話だ。重なっている部分だけに注目していても、時間が解決してくれるのは、シナリオ部分だけだ。


(そうしたら……)


 人を探すときはどうするのか。親しい人ならまず、心当たりを探すだろう。いなくなった理由も必要だ。自分の意思なのか、他人の意思に従っているのか。行方がわからなくなる直前までの足取りを追うのも重要だ。


(直前……)


 シャグマの場合、自分の意思でいなくなったのは間違いない。理由も、宗教観の違いと判明している。一番最後の足取りで、確実に本人がいたと思われるのは、聖獣の住処だ。


(そこまでは掴んだってアビアナ姫も言ってたしね。聖獣って……どこにいるんだっけ)


 ミオンはベッドから抜け出した。やれることはまだ残っていた。今日、目指す場所は、鉄壁図書館だ。


***


『聖獣』

 ハベト族自治領内のトクリム山脈で生息が確認されている四足歩行獣。現存数及び生態は不明。滅多に人前に姿を現さない。神話では、神々に従属し、四つ足の獣の王、守護者とされている。外見は熊や狼等の猛獣に似ているとの説があるが、実態は掴めていない。


「……」


 ミオンはページを捲った。次のページからはトクリム山脈の気候と植生について書かれていた。ページを戻す。何度読み返しても、書かれていることは増えない。


(挿絵も無いんだ……)


 ハベト族に関する資料は少ないというのは聞いていたが、聖獣となると情報はさらに減った。午後からの講義を自主休講にして調べた結果が、あの数行だけでは泣けてくる。あとでエリューサスからアビアナ姫に聖獣についての資料を出してくれるように頼んでもらおう。


(別に、聖獣に会いたいわけじゃないし)


 気を取り直して、ミオンは地図を引き寄せた。実はこちらもほぼ白紙である。トクリム山脈全体が聖獣が棲む聖なる土地として人の立ち入りが憚られているので、詳細地図などあるはずも無いというわけだった。


(どうせ山ばっかりだし、地図とかあってもきっと役に立たないし……!)


 枠線ばかりの地図を睨んで、シャグマはどの辺を歩いたのだろうと考えてみる。思い浮かべるのは、見渡す限りの深い緑。遠くで、聖獣らしき獣の遠吠えがこだましている高い山々。


「……」


 だめだった。最後は地元の人間が引き留めているところしか思いつかない。

 余計な妄想を追い払って、ミオンは再度考え直した。人の立ち入らない、広い山脈のどこかにいる聖獣を探すのに、シャグマは闇雲に突進したりするのだろうか。


(難しい本とか読んでそうな人みたいだったし、知らない場所に適当に行くようなことはしないと思うかなあ……やっぱり足取りから追いかけるのも難しそうかな)


 あとは、何が残っているだろう。どうしたら、いなくなった人を見つけられるだろう。


(何か……探す方法は……)


 ぐー。


「……」


 ミオンはお腹を押さえて、こっそり周囲を見回した。大丈夫、誰も気がついていない。静かな館内に響き渡ったように感じたが、気のせいだったようだ。どんなに集中していても、空腹だけは待ってくれない。急いで資料を元の場所にしまって、ミオンは夕飯時の食堂に飛び込んだ。


「――ミオン。こっち」


 食堂に入るとすぐ、馴染んだ声に呼ばれた。マギーが手を振っていた。


「待っててくれたの?」

「まあね。夕飯の時くらい、話してくれるかなと思ったから」

「えっと……」


 そういえば、今日は朝からマギーと言葉を交わした記憶が無い。挨拶はしたと思う。朝食も一緒に取ったはずだ。無視したつもりは無いと、もごもご言い訳をするとマギーは苦笑した。


「一生懸命考えてたみたいだったからこっちからも話しかけなかっただけよ」

「……ありがとう」


 エリューサスの言ったことが、少しだけ身にしみた。自分の周りには気に掛けてくれる人がいて、一緒に考えてくれる人がいる。

 程なく料理が運ばれてきて、ミオンはまず空腹を満たすことに専念した。今ならキノコだって食べきれる気がする。気がするだけなので本当に出てきても困る。


「ずっと図書館にいたの?」


 頃合いを見計らって、マギーが尋ねてきた。パンの欠片を飲み下して、ミオンは頷く。


「知ってた?」

「ううん。でも朝からずっと、探す探すって呟いてたから」


 気づかないうちに口に出していたらしい。目も合わせないでぶつぶつ言っている姿はさぞかし不気味だったろう。


「そ、そっか……調べ物してたんだけど、ハベ……じゃなくてえーと、あれって資料が少なくて」


 隣のテーブルは空いていた。食堂全体は、穏やかなざわめきに包まれている。それでも一応、極秘事項なので、小声で曖昧に答えてみた。聡いマギーはすぐに理解してくれた。


「図書館より、ご本人に直接尋ねたらどう?」

「あとで頼んでみるつもり。でも、何も出てこない可能性が高いかなって気がしてる」

「そうね、あちらはあちらで、手は尽くしているでしょうからね」

「うん……だからわたしが調べて、探すのは、限界かなって思ってる」


 極秘とはいえ、王命で捜索が始まっているのだから、ミオンに出来ることなどとっくに済まされているだろう。シャグマがご近所に住んでいましたというオチでもあれば、話は別だが出来れば済んでいて欲しくない。


「そうかもしれないわね」


 マギーは一瞬顔をしかめたが、頷いた。言いたいことはわかっている。殿下の頼みを簡単に断るな、だ。

 ミオンは皿の上のイモを転がしながら、言った。


「だから……見つけるのが無理なら、出てきてもらえばいいのかなって」

「……なんですって?」


 問い詰めるようなマギーの声に、ミオンは手を滑らせた。皿の上からイモが転がり出て、テーブルの上に跳ねる。


「えーとね、探し出すのが難しいなら、向こうから出てきてもらったらいいんじゃないかなって思ったんだけど……マギーはどう思う?」


 イモとマギーを交互に見ながら言えば、平坦な声で答えが返ってくる。


「……私の意見を聞きたいというなら言うけど」

「うん、聞きたい」

「そんなこと考えるあなたの頭の中を一度じっくり見てみたいと思ったわ」

ようやくミオン再起動しました。

ぐだぐだしていたので、ここまで書けてほっとしております。

ゲームの攻略相手も一人追加できました。抜け目のないチャラ男はやっぱり乙女ゲームに不可欠かなと思って出してみましたが、いかがでしょうか。

閑話もそろそろ差し込みたいところですが、名前だけしか出てこないジェヴァンにすべきか悩みどころです。既に影が薄いので覚えている人がいるかどうかすら危ういので。

それでは、今回もお読みくださってありがとうございました!

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