36
馬車から降りると、エリューサスの別邸の裏だった。そのまま全員、中へと案内される。いつもサロンメンバーで使っている部屋に通されると、エリューサスとアルファドは着替えるからと出て行ってしまった。入れ替わりにマギーとニスモアが入ってきた。マギーは険しい顔のまま近寄ってくると、何も言わずに、ぎゅっと手を握ってきた。ミオンも握り返して、最後に笑い合った。
「……あれ、なに?」
「……挨拶だろ?」
女子の友情について、ニスモアとロネがこそこそしていると、最後にクアイドとティオナが戻ってきた。どこかで変装を解いてきたらしく、二人とも普段通りの格好だ。
「全員戻ったね」
アルファドが先に戻ってきた。一緒についてきたメイドがお茶を配って、退出する、入れ替わりにエリューサスが戻ってくる。エリューサスがいつもの席に着いたところで、ようやく人の出入りが一段落した。
「申し訳ありません、着替えに手間取ってしまって遅くなりました」
「居残りを頼んだのは僕らなんだから、問題ないよ」
恐縮するティオナを、アルファドが労った。
「それで、どうだった?」
「ミオンとジェラールが出てからすぐ、兵が来ました。おそらく警邏の兵だと思いますが、詳しくはわかりませんでした。扉には鍵が掛かっていたようで、何度も叩いていました。二人ほどが裏手に回っている間に、別の兵が近所に聞き込みに向かいました」
「ティオナも何か訊かれたの?」
「ええ。うたた寝していたので何も見ていないと答えました。特に疑われなかったと思います」
ティオナは幾分、得意そうに言った。アルファドがにっこり笑って頷く。
「信用しているよ。それで、その後は?」
「最後は扉を破って中に入りました。中は無人だったようです。すぐに出てきて、文句を言いながら引き返していきました」
その後、迎えに来た孫という設定のクアイドと共に戻ってきたとティオナは報告した。
「ありがとう。外回りの様子はそんなところかな」
アルファドが振り返って確認すると、エリューサスが頷いた。
「それじゃあ、中の様子はどうだったのか聞こうか」
視線が、一気に集まる。テーブルの端っこに、並んで座っていたミオンとジェラールは、顔を見合わせて牽制し合った。お前が話せよ。お兄ちゃんが話してよ――最後にジェラールが舌打ちして、勝敗は決した。ミオンはこっそりガッツポーズである。
「……中は、暗かったです」
「おーい、誰もそんなこと聞いてないからな?」
クアイドが突っ込む。ジェラールは睨み返しただけで続けた。
「人は、二人いました。どっちも男で、一人はスキノサ先生くらいの年齢だったと思います」
スキノサは、歴史を担当する初老の男性教師だ。ミオンも何度か講義を受けたことがある。権力志向が強いので、顔を合わせる度にエリューサス殿下によろしくと言われるのでいいイメージは無い。
「もう一人は、もっと若くて大きい奴でした。赤毛で、左目に眼帯をしていて、その男が相談役でした」
「赤毛で、片目か……相談相手にしては刺激が強いね」
「ニスだったらその場で帰りそうだよな」
「クアイドだって絶対逃げるよね」
クアイドとニスモアが舌を出し合っている。ティオナとロネにそれぞれ頭をはたかれて、二人とも舌をしまった。
「で、相談はうまくいったの?」
何事も無かったようにアルファド。ジェラールは無表情に、ミオンを指した。
「相談するどころじゃなかったんです。その男、イプスって名乗ったんですが、ミオンと顔見知りだったらしくて、そこから話が横に逸れてしまって」
「知り合いだったの?」
予想外の展開に、アルファドも余裕の仮面が剥がれた。滅多に見せない年相応の表情を、誰も見ていないのはもったいないことだ。ジェラール以外の全員が、ミオンを凝視している。
「知り合いというほどでもないんですけど……少し前に、マギーと一緒に大神殿に行ったときに掲示板の前で会った人でした」
横目で見れば、マギーがぽかんと口を開けていた。その顔が、徐々に引きつっていく。これは不味い展開だ。部屋に帰って説教その2のパターンだ。回避方法を至急探さねば。
「あー……うん、その辺の詳しい話はまた後で聞かせてもらうとして」
余裕をかき集める時間を稼ぐつもりで、アルファドはエリューサスに視線を送る。その視線を追いかけて、ミオンはどきりとした。
(……笑ってる?)
何故かエリューサスは薄く笑っていた。すぐに、笑みは消えてしまったが。
「横に逸れた話って、なんだったの?」
やっと普段通りの構えを取り戻して、アルファド。ジェラールがそっぽを向いてしまったので、ミオンが記憶を辿る。
「えーと、わたしとイプスさんが知り合いだってわかったらお兄ちゃんがふてくされちゃったので」
「ふてくされてない」
「同じことをイプスさんに言って『その態度はなんだ』って怒られてました」
「余計なことは言わなくていいんだっ」
かみ殺した笑い声が、部屋の各所でわき上がった。ジェラールは聞こえない振りで耐えた。ミオンは、ジェラールの声が聞こえない振りで続けた。
「それで……どうしてわたしが神託を見ていたのかって話になって」
「結局そこに戻ってくるんだ。うん、どうして?」
「お兄ちゃんから見せてもらった記号が、神託の文字に似てると思ったんです」
「似てるの?」
アルファドが首を傾げた。ジェラールとマギーが同時に否定した。
「全然似てないですよ」
「似てないと思いますけど、ミオンが気になるというので確かめに行きました」
「だよねえ。どの辺が似てると思ったの?」
アルファドも首を傾げている。誰が見てもやっぱり似ていないようだ。こうまでダメ出しされると、ミオンも揺らいでくる。
「あの……雰囲気というか……でもイプスさんは、似てないとは言い切れないって言いました。あの記号が、神託と同じだって」
「同じ系譜、だ」
ジェラールが訂正する。ミオンが言葉に詰まってしまったので、仕方なく後を続ける。
「イプスって人も、人から聞いた話らしくて詳しい話は聞けませんでした。その後すぐ、急な来客が来るから帰れって言われて」
ジェラールは、先にお茶を配ってくれたメイドに頼んで紙とペンを用意してもらっていた。そこに、次の待ち合わせ場所と新しい記号を描いて見せた。
「これを覚えろと言われました」
アルファドに向かって紙を押しやる。アルファドは立ち上がって紙を取り上げると、一通り眺めてからエリューサスに回した。
「そこに描いてある記号も、ミオンは似てるって言ったんです」
「これも似てるの?」
「はい……ええと、雰囲気が……」
同じやりとりを繰り返したな、と既視感に浸っていたミオンは、唐突に思い出した。
「あ、朗報だって言ってました」
「ん? 何が朗報?」
「それはわかりませんでしたけど……えーと、確か、雰囲気が似てるって言ったら、朗報だって言ってました」
「ふーん……」
アルファドはエリューサスを振り返る。エリューサスは無言のまま、ジェラールが描いた新しい記号を睨んでいた。
「雰囲気が似てる……神託と記号が似てるのがいい知らせってこと? でも似てないよね?」
確かめようと、ニスモアが余った紙に神託と記号を描き並べる。
「ニス、それ違うぞ」
「ここ、もっと上向きに」
クアイドとマギーが両脇から訂正の嵐を浴びせかける。ニスモアが拗ねてしまったので、それ以上の検証は続けられなかった。
「アルファド様、その記号が神託と同じ系譜を辿るものなら、アビアナ姫に問い合わせたらいかがでしょうか」
ティオナの意見に、アルファドは頷いた。
「そうだね。エル、どう?」
「それでいい」
エリューサスは短く言い、用紙を戻しながらジェラールに言う。
「もう一度行くつもりか?」
「いちおう……」
ジェラールは俯き、すぐに顔を上げて言い直した。
「行きます。今、一番の手がかりはこれしか無いと思うので。秘密教団と何の関係も無いってわかるまで、俺、調べます」
「一人で行かないな?」
「それは……その」
ジェラールは視線をさまよわせた。ミオンは兄の手を引っ張った。
「わたしの相談に行くんだから、一緒だよ?」
「そ、そうだよな……」
「送り迎えはしてやるぞ。今度も遠いしな」
ロネが背中を叩いた。クアイドがどこから持ってきたのか、地図と見比べる。
「あちこちにアジト持ってるんだな。ジェラール、お前この調子でミオンと話をはぐらかせてれば全部のアジトを回れるんじゃないか?」
「そんなわけないだろ」
ジェラールはげんなりしたが、ミオンはいい考えだと思った。どこかで子猫を見つけるアジトに行き着くかもしれない。
一方で、マギーとニスモアが、今度こそ自分たちも露店の変装をするんだと意気込んでいるのが聞こえる。今度も全員、付いてくる気のようだ。
「手順は後で相談しようか」
最後にアルファドに念を押されて、ジェラールは観念した。
「わかりました……」
「じゃあ、今日はここまでにしよう。また後でそれぞれ連絡するよ」
今日はゆっくりお休みとアルファドが言って、解散になった。
「あの、アル様」
ぞろぞろと部屋から出て行くメンバーの一番後ろに付いていたミオンは、立ち止まった。言うなら、今しかない。
「どうしたの?」
アルファドは言いながら、視線をミオンの後ろにやる。誰かに合図したらしい。ミオンの背後で、扉が閉まる音がする。
「僕に話? それともエル?」
「……お二人に」
「じゃあ、もっとこっちにおいで」
手招きされたので、ミオンは二人の傍に近寄った。椅子を勧められたが、断る。
「あの、アビアナ様のことで」
エリューサスもアルファドも、黙ってミオンの言葉を待っていた。ミオンは大きく息を吸った。
「シャグマさんと、神託の解読者を探すことなんですけど、わたしにはやっぱり無理です」
一息に言った。言えた。心臓が、飛び出しそうなくらいにばくばく言っている。この後の二人の反応が怖いからだ。ミオンは両手をぎゅっと握りしめた。
(でもこのままだと、何にも出来ないままでがっかりさせちゃうから、それくらいなら)
先に謝ってしまおうと決めたのはずいぶん前のことだったが、なかなか機会が掴めなかった。いきなり学院から放り出されるとは思えないが、万が一の場合もいろいろと考えておいた。どれも実効性が無いのが問題だが。
「それは、もうこの件から手を引きたいってことかな?」
アルファドに言葉に、ミオンは急いで首を横に振る。
「そうじゃないんです。でも、あの時にアル様が言ったようなすごい考えが全然思いつかなくて、ダーフィ先輩とかのがいろいろ考えてるし、お兄ちゃんはいきなり秘密教団に勧誘されてるし」
「まだ秘密教団って決まったわけじゃないけどね」
「でも、あの記号、神託と同じだっていうくらいだし、きっとそうなんだと思うんです。わたしが、役に立たないこと一杯考えている間にみんなの方が――」
「ミオン」
エリューサスに呼ばれる。座れと言われたので、黙って従った。
「慌てなくていい」
エリューサスはゆっくり、諭すように語りかけてくる。
「そんなに思い詰めていたとは思わなかった。すまなかった」
「……いいえ。わたしこそ、全然役に立たなくて」
「先に言うべきだったな。俺とアルは、お前が皆が思うような役の立ち方をしないと思っている」
「……はあ?」
わけがわからなくなってきた。アルファドに視線をずらすと、肩をすくめられた。このポーズの意味もわからない。また名前を呼ばれたので、ミオンはエリューサスに視線を戻す。
「わからないか。それが普通だ。だからアビアナ姫にも、ああいう風に言うしかなかった」
アビアナに大見得を切ったのはアルファドだったが、元を辿ればエリューサスの意思がそこにある。
「とはいえ、俺にも確信があるわけでは無い。ただ、今までのお前を見ていて、お前が行動をすれば、状況がついてくる。そんな気がしたんだ」
エリューサスが言っていることは、まだわからない。わかったのは、まだ期待されているということだ。じわりと、胸が温かくなる。いっそ全部話してしまおうかという誘惑に駆られた。
(やっばりそれは無理があるか)
この世界はゲームだったんですよ、なんて言った途端、わずかに残った期待も信用も無くなりそうだ。
「クアイドの方がいろいろ考えていると言ったな。そのクアイドを引き寄せたのは誰だ? クアイドのサロンが出来たのはどうしてだった?」
クアイドと出会ったのは、一人で裏路地をふらふらしていたからだ。サロンが出来たのは、ミオンの勘違いをエリューサスとアルファドが利用したに過ぎない。どちらもミオンの意図とはかけ離れている。
「一人で考えられないなら他の人間の考えを求めればいい。俺には、その考えを引き出す場をお前が作ったようにしか思えない」
それは随分なこじつけのように思える。たぶん、エリューサスの言いたいことは『一人で抱え込まなくていい』と、それだけだなのだろう。同じことをジェラールに言ったばかりだったと思い出して、なんだか力が抜けてしまった。
「じゃあ……わたしは、このままできることだけやれば良いでしょうか?」
アビアナをあっと言わせるような作戦は必要ない。そういう理解で良いのだろうか。
「お前がそうすることが、最善の道になると思っている」
ミオンの不安を、エリューサスの一言が払拭した。エリューサスの言葉はただの願望だとわかっていても、嬉しかった。
「わかりました。できる限り、やってみます!」
今晩から、よく眠れそうだった。
いつもありがとうございます。
ちょっぴり長くなりました。
エルはきっと面白そうだからミオンに丸投げしたんだと思うんですが、どうでしょうか。
追記
傍点がうまく出なくて即修正しました……




